銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

十文字美信夫人は、雪ノ下一丁目に住んでいるのにも拘わらず、同二丁目の私のご近所主婦達の悪辣さを隠蔽する為に使役をされた。15年以上前の話だが🔲

2020-11-11 10:36:44 | 政治

 今は20-11-12の、午後二時ですが、文章部分は荒くですが、完成とさせました。`そのしるしとして、恒例の、🔲を総タイトル横に付けておきます。

副題1、『或る夏の夕方、私は、美しい50代、もしくは、60代の女性を小町通りで、見かけた。2003年から2005年の間でのこと』

 小町通りが、まだ、御影石の敷石ブロックで舗装をされていたころで、鎌倉がまだ、平和だったころの事です。夏の夕方、駅へ向かおうとすると、教会の近辺で美しい女性を見かけました。そのころの私は心から他人を信じて居て、又、心が、全開に開いている時期でした。どうしてそうなっていたかというと、1998年にパリで、三か月メンバー10人以下のプロが所属する版画工房で、めいっぱいの、活動をして帰って来たし、1999年は、ニューヨークの美大の大学院で、三か月これまた、めいっぱいの、活動をして帰ってきていたし、2000年は、100人ぐらいのプロが所属するニューヨーク一古い版画工房で、これまた、三か月、めいっぱいの修行をして帰ってきたところだったからです。

 海外修行生活って、楽しい事ばかりではありませんが、先住して居る日本人女性を相手の喧嘩を含めて、すべてを、自分の糧にしていて、かつ、それをメルマガで、発信し、それを、自らの力で、工業生産的、本に直すことも、既に可能になって居て、人生で、もっとも、活発で、かつ、順風満帆の時期だったからです。

 その女性は、自分が美しい事さえ知らぬ気に、唯、単純に普通でありました。薄化粧で、眼鏡さえかけて居ました。しかし、浴衣だったか、絽の着物だったかは忘れましたが、今、小町通りに蔓延している、レンタルのお着物を着て闊歩している若い女性などとは、全く違う、着慣れた和装で、とても、しとやかでした。そして、内面の美しさにあふれて居ました。

 もしかしたら、メルマガで、彼女のことを書いて居るかもしれません。メルマガは、1999年から、発信して居ますから。ただ、古いシステムの、AOLを使って発信をしていたので、パソコンが壊れると、同時に消えてしまいます。パソコンはこの20年間で、既に、29台は、外部操作で壊されています。で、彼女に、どういう言葉かけをしたのかを、思い出せませんが、私は、彼女とお友達が、話し合っている輪に、たちまちに、溶け込んで、居ました。

 話題が猫の失踪だったからです。彼女のお宅は現在リフォーム工事中で、その騒音を嫌って、家出をしてしまったらしいとのことでした。で、私は大の猫好きです。だから、その話題に、たちまち夢中になりました。

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副題2、『私とは、猫の方が、私を選んでくれる、そういうたぐいの人間である。・・・・・』

::::::::ここで、挿入に入ります。昔、小町通りに餌だけはもらっているが、ねぐらは、外で、暮らしているらしい埃っぽい虎猫がいました。誰かの家の中で、飼われていたら猫は清潔好きだから、あんなに、ほこりっぽい毛並みではないだろうと、思って居ました。この猫は、太っ腹で、小町通りで、よく昼寝をして居ました。観光客が、一年で、二千万人は通ると、言う小町通りで、堂々と昼寝をして居ました。

 しかし、他の側面で、やはり、人恋しいところを、私に見せた猫です。或る夜に、私が、駅から帰って来ると、その猫が私を待っていました。ただ、小町通りではなくて、我が家の山の下だったのです。で、私は、彼に自分が選ばれたことを知りました。思いがけないほどの、高くて小さくて、かわいい声で、「なついているよ」と言われました。ただ、私は、イギリスの作家タンギーが提唱している、単猫主義に賛成する人間で、そのころは、既に我が家には前の猫ちびちゃんが既にいたし、その子は、とても、繊細だったので、この勇敢な、虎猫に負けそうだと、思って、「御免ね。あなたは、飼えないわ。ごめんね」と、断りました。

 ただ、もう一匹とても切ない別れをした猫のエピソードはあるのです。日吉で、なついてきた猫で、東横線、日吉駅の駅員が、どうしても、「紙袋に入れただけではだめです」と、言うので、駅から、又、日吉の町内に一軒あるのを知っていた獣医科医院にまで戻って、「明日まで、預かってほしい」と頼んだのに、捨て猫だと、疑われて、預かってもらえず、ちくわ一袋を買って、駐車場で、食べさせて、急いで、渋谷の東急百貨店に向かいました。しかし、屋上のペットショップは既に閉まって居て、しかもペットショップは無かった模様です。東横線沿線で、どこで、猫用ケージを売っているかは、わからなくて、もう一回日吉に戻りましたが、駐車場には既にいなくて、とうとう、その猫とは、わかれたままです。ただ、日吉町一丁目の、バス停ときわ台付近の、誰も通っていない道で、私の胸に飛びついてきたのです。きっと捨てられたばかりだったのでしょう。6キロ程度のこれまた、重いオスの虎猫でした。その時は、前の猫、ちびちゃんは、既に死んでいて、次の猫のさびちゃんがまだ、来ていない時期だったので、こんな大人の猫でもいいかと思って、鎌倉まで、連れて帰ろうとしたのに、駅員に阻止されてしまったのです。

 そう言う風に、私は、猫から選ばれる人間なのです。それは、子供から選ばれるのと同じことで、自分は、ハーメルンの笛吹きではないかと、思うほどです。だから、かまくら春秋窯の主宰者たる石川和子さんが、私の猫から、自分の方が慕われているなどと考えるのは、おこがましいにもほどがあると、言う物です。しかも、最終的に、猫が私の方を選んだら、パニックに陥って、警官を呼んで、大ごとを起こしたのですが、それなど、全くもって、笑止千万を通り越しています。彼女は、伊藤玄二郎の愛人だという事を、てこにして、増長マンの限りを尽くした女性です。

 で、それを含めて、雪ノ下では、複雑な事が色々あって、自分を全開にはしていないので、誰も、私の本当の姿は、知らないでしょうね。:::::::ここで、挿入から、元へ戻りますが、その美しい、しかし、50代以上でもあろう女性とは、猫の事で、大いに盛り上がったのでした。

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副題3、『その美しくて、上品な女性は、猫の事から別の事へ話題を移した。「私の夫もぼんぼりを献灯して居て、十文字美信という名前です」と、名乗った。で、私は、彼女の夫君として、細身できゃしゃな男性を、想像した、それは、ぼんぼりの絵柄から、そう考えたのだった』

 私は、彼女に対して、特別に、おもねったり、こびた覚えはありません。ただ、夏だったので、彼女の着物の夏草の模様などが、涼しげで、ひどく美しいのをほめると、話題が、猫のことから鶴岡八幡宮のぼんぼりまつりに移って、彼女のご主人が、十文字美信という名前の人で、ぼんぼりまつりに、出品をしている人であるという事まで、到達しました。そして、高原の草花などを描いたぼんぼりを献灯しているという話に入りました。

 私は、そのころは、既に、自分がぼんぼりを献灯している時期だったので、他の人のぼんぼりも熱心に見て歩いていて、十文字美信という人の作品は、印象に残って居ました。というのも東京に十文字学園というのがあって、そこの理事さんの一族が、同期生としてお茶大付属高校に在学していたからです。ただ、十文字夫人には、お茶大付属高校の同期生の話は、しませんでした。ただ、猫他、で、話が盛り上がったことを覚えています。

 さて、この話ですが、表舞台に出して良い話の方の後日談を語ります。そのお宅の、リフォームとは、普通のレベルではなくて、大改造で、その後の十文字邸には、ギャラリー・bという立派な画廊(靴で入れる様に、鉄平石が床に敷き詰められている広くて天井の高い画廊)と、カフェが併設された、家と変更になりました。広い、広い敷地の、・・・・・鎌倉住まいが、一般の観光客にも、疑似体験できる、・・・・・解放されたお屋敷に変化したのです。それは、プロのカメラマンとしての美信氏に、高い収入があるので、可能な事だったのでしょう。そして、猫も無事に戻ってきたと、言う話です。

 しかし、裏側=例の政治的側面を示す話=もあるのです。それを、副題4から語って行きます。

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副題4、『私が深い、深い悲しみをもって、語りたい事は、こんなささやかな、出来事でも、私にとっては大切なものなのに、例のごとく、伊藤玄二郎達は、奪っていくのだった。伊藤玄二郎自身は、この十文字夫人と、心が触れ合った事など、過去には、ないと、思う。伊藤玄二郎と、二人羽織と言ってもよいであろう、井上ひさしだって、十文字夫人と、真心のこもった交流など、できるはずがない。タイプも性格も過去の生活歴も全く違う人なのだ。伊藤玄二郎が悪人であることなど、鎌倉で、長い住居歴を持っている人間だったら誰でも知っている。と、そう、言われている。ただし、彼も、上手にふるまっているので、山内静雄氏(松竹のプロデューサー、小津作品を製作した人物、しかも、里見頓の四男)とか、養老孟司先生等には、最上級の笑顔を向けていると、思われるが、私が自分の感性と、人格を全開して、つかんだ、良いお友達の一人を奪っていくのだった。

 ここで、伊藤玄二郎達から、十文字美信氏に戻る。高原の草花などの植物の絵を、大小の面相筆で、墨絵として和紙の上に、さらっと描いて居る、そういうぼんぼりを献灯している夫の十文字美信氏は、もう一つの顔として、美少女タレントやアイドルなどを撮影するプロのカメラマンだった。どうしてそれが、わかったのかは、12日に入って加筆した後半で、語りたい。

 それなので、【かまくら春秋】というタウン誌を発刊している伊藤玄二郎を無論大切にしている。そこで、悪口を書かれたら大変だからだ。相手も、十文字美信氏を、持ち上げて、いい気分にさせているのだろう。で、私が、ひそかに、愛でた奥様の愛らしさ(彼女は、私より、7,8cm背が低くて、きゃしゃで、本当に愛らしい人である。眼鏡をかけているのに、とても愛らしい人である。ちょっと現在放映されている朝どら【エール】に登場する関口家の三女に似ている、その二人など、たちまち粉砕して、夫婦ともどもに、私を攻撃する材料にしていくのだった』

 そのエピソードをこれから語ろうと、思うが、その前に、私の夫が、駅と自宅の往復をする際に、小町通りを通るのを嫌がると、言う話をしないといけない。一番近いのは、小町通りを通ることなのだけれど、彼は、それを嫌がって、川喜多映画記念館の前あたりから、住宅街の間を縫って、線路沿いの道を駅まで、向かうのを好んでいた。ただ、この道は吉田秀和氏ご夫妻に、出会う道でもあって楽しみもあったのだが、舗装をしていない砂利道だった時期があって、私がアテンダントバックの滑りが悪いのを嫌っているので、最近の主人は、私と一緒に外出する際は、若宮大路か、それとも、若宮大路と、小町通りの間にある、細い路地を使うのを好んでいる。

 この路地沿いに、眼が悪い女性が開いている後発の画廊【ジアース】もあるし、十文字美信邸もある。で、十文字美信、夫妻は、線路沿いの、道を使う事は、ほぼ無いと、言ってよい。それは、無駄な、時間を10分近く余計に使う事になるからだ。十文字邸から駅までは、速足だったら、五分で、到達する。しかし、線路沿いの道を、ウサギの遊具がある小さな公園まで、戻ってから、使うなどという事になったら、10分は、余計に使わないといけなくて、合計15分はかかるだろうから、絶対に使うはずが無いのだった。

 十文字夫人と初めて出会ったのが、2003年から、2006年の間であって、此の線路沿いの道を利用して、十文字美信夫妻が、私をいじめる為に、現れたのは、2005年から、2010年の間だったろうと、覚えている。ただ、殺人事件等とは、無関係なので、メルマガが、消滅してしまった今は、その邂逅の時期は、正確には、わからない。その上、メルマガに、美信氏の奥様が、限りなく美しく愛らしいと、書いたかどうかの記憶もさだかではない。が、きっと、それを書いたがゆえに、十文字美信夫妻が、私をいじめる役目を担わされて、線路沿いの道にわざわざ現れて、私の、左横を、3分程度、同時に歩き、話しかける私を無視したうえで、追い抜く形で去って行ったのだった。私は、夫の美信氏が、私の想像とはまるで、異なった、太ったタイプであって、最初は、夫妻である事さえ、気が付かなかったほどだ。

 しかし、奥様の方が、異様に緊張していた。私は勘が鋭いので、その緊張オーラの波動が、伝わって、『なんだろう。これは?』と、思って横を見ると、数年前に、美しい人だと、思った十文字夫人が、悲しげで、かつ、緊張しきって歩いていた。

 私は、其の奥様の様子で、何が、起きたかを、すぐ察した。奥様は、旦那から、私に関する、何らかの悪口を聞いていて、いじめる様に命令をされていても、その経緯を、信じられなかったのだと、思う。奥様の直感の方が正しい。私は、天に、かなう、善人なのだ。私をいじめたり弾圧したりすると、その人間が、もし、善人なら、早晩に死に至る。又は、其の人が、善人ではなくても、いじめる量が多いと、死に至る。瓜南直子さんなど、その典型である。

 死ではなくても、やせてきたりする。角野栄子さんなど、その典型だ。私が、新橋の駅で出会って、あのイチゴ色のコートの「色彩名を教えてください」と頼んだのに、そして、「自分は、画家だからこそ、それを知りたいのです」とお願いしたのに、意地悪にも無視された頃の角野さんは、普通の体型だった。その後、それがあるからこそ、2018年に、異様に持ち上げられ、鎌倉市の名誉市民になったし、年末のNHKの募金の広告塔にもなられた。しかし、テレビ画面で見る彼女の、やせ方は極端であって、彫の深い顔が、とがり切って来て、それこそ、魔女風である。

 そういう健康上の被害を、被ることもあるが、別に、ビジネス上の損失を被る事もある。十文字美信氏も、カフェと、画廊は、コロナ禍で、閉鎖している模様である。もし、ローンを組んで、あの大規模改造をしていたら、損害が、大ごとだけれど、独立した、個人事業主なので、ローンは組んでいないと、推察する。そう言う点で、あのご夫婦は、大丈夫だ。だけど、もし、お子様の将来を考えて、お子様の生活費を編み出すために、あの改造をなさったのだと、仮定すると、思惑違いは、起きていると、言える・・・・・・で、ともかく、私はその線路際の、道での謀略に、接した際に、美信夫妻に、話しかけなかったと、思う。話しかける前に、・・・・・いじめるために、ここを歩いている・・・・・と、理解したからだった。しかし、美信氏は、失敗したとは、上奏をしていなかったのだろう。

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副題5、『この美信夫妻と、同じ趣旨で、使われた人材が、寺島しのぶ、浅尾慶一郎、竹中直人と、三人いる。、もうひとり、銀座の美術家連盟の事務所に、ある日の夕方在室していた、中島千波氏も、その一種だったかもしれないが? 寺島しのぶ以外は、私は、話しかけていない。それで、いじめの一手段としての、・・・・・相手から、無視される・・・・と、いう被害は、男性三人からは、被っていない。ただ、こういう事に使われると、悲運に見舞われるのは、浅尾慶一郎氏の落選でも明らかな事である』

 この、十文字美信夫妻が、誰も通っていない線路沿いの道で、私の左横を黙って通り過ぎたと、言う案件と、同じ、主旨の事は、三宅坂の国立劇場のロビーを舞台にして、寺島しのぶにもやられてしまった。が、彼女が、白い目で、こちらを見て、何も返事をしなかったので、即座にその場を離れた。

 この案件には、こういう裏側がある。その前の、20xx年二月の節分の歌舞伎座でまほろちゃんが、小さな裃姿で、現れた。その時には、三人の幼子が舞台に登ったが、プログラムには、何の解説も書いて居なかった。その時に、一番右側にいたその子が、誰であるかを知らなかった私は、他のお客に質問をして、その女性客から、「寺島しのぶのお子さんですよ」と、教えられた。それ以来、寺島しのぶのブログを読んでいた。まほろちゃんを、Mと、呼んで、彼女がブログを書いて居るので、それを読んでいた。それについてあれこれを話しかけたくて、母親の、フジ純子と並んでロビーに立っている彼女に、話しかけたのだが、見事に無視された。

 私のパソコンは、常にハッキングを受けているので、私が、寺島しのぶに、興味を持っていることを察した、例の連中は、私が国立劇場に出かける日を、謀略実行の日として使いたかったのだ。それで、歌舞伎座も、国立劇場も、名前と、電話番号を、書かないと、前売り券が買えない仕組みになって行った。国立劇場の方は、父が満鉄調査部中央試験所から、経済安定本部に移動をして、そこに大来佐武郎氏が、いて、その子息が当時の国立劇場支配人、茂木七左衛門氏の、友人であると書いたら、やっと終わった。しかし、寺島しのぶが、劇場のロビーに現れた当時は、まだ、名前を記入しないと、切符が買えない時期だったので、その日が、謀略=プチ芝居の舞台として準備されていたのだった。

 寺島しのぶに、私をわざと、無視する様に、命令をしていたのだった。歌舞伎役者というのは、子役でも、人気商売だ。だから、どんなお客にも、母親は愛想よく返事をしないといけない。私は、テレビに頻繁に出る類の人気者ではないので、私の顔を寺島しのぶは、知らない筈である。普通ならそうである。しかし、知っていた。だから、これは、普通の事ではないと、信じるのだ。

 そして、事前に教えられたとおりの、不愛想を寺島しのぶは、貫いた。それは、確かな事だと思う。私の顔写真は、ある印刷会社のホーム頁に、その会社を推奨している人間としてトップ頁として載っていた。それを、利用すれば、すぐ把握できる。今は、髪の毛を染めていないので、白髪になったが、それも、フェイスブックの顔写真を利用すれば、すぐわかる。それで、その会社のホーム頁の私の顔写真は消えた。

 しかし、寺島しのぶがぶあいそうであったがために、その結果、それが、京アニ放火の、真実に到達する機縁となったのだから、寺島しのぶに、そういうぷち芝居を演じさせた、伊藤玄二郎達が、それで、100%、勝ったわけではない。50%だと言え様。

 ところで、京アニ放火と、宮崎駿と菊之助と、渡辺万由美さん(トップコートの社長)との関係は、既にブログで書いて居るので、見つかったら、後注1として置いておきたい。

 浅尾慶一郎氏が、鶴岡八幡宮の社務所を出て来た時に、意図的に、私を無視したのは、普通なら、異様な事ではない。私と浅尾氏の間には、個人的な知遇関係は無いからだ。だけど、彼の無視の仕方とか、選挙の前日に、奥様【❔】と、思われる女性から、電話がかかってきたことなどを勘案すると、これも伊藤玄二郎が発案した、プチ芝居であることがわかる。伊藤玄二郎は早稲田ゆきさんを、自分の会社の社員として雇っていたことがあるそうだ。で、浅尾慶一郎、早稲田ゆき候補の両方を、教唆、指導をしていて、浅尾慶一郎氏の方が、落選した。浅尾氏本人、又、その周辺も、氏が落選するなどとは、夢にも思って居なかったと、思う。これもすでに書いて居るので、後で、原文が見つかったら、後注2として置いておく。

 竹中直人さんが利用されたのは、2018年のぼんぼりまつりの時だったから、すぐ見つかると思う。それを後注3として置いておく。

 中島千波さんの方は、複雑だ。私が、創形美術学校卒の若手で、マチエールがものすごく複雑な画家に驚いた文章を書いた。それで、同じ学校の先輩にあたる、雪ノ下の方の、ご近所住民・大原光孝さんが、それと、そっくりな画題(小学校の校庭を四階あたりから俯瞰して描いたもの)で、べニア板の上で、アクリルで、粗雑に描いた30号か、50号を、春季院展に出品して入選した。画題として、全くの剽窃作品を、入選させるなんて、院展の審美眼はおかしい。したがって、一種の美術評論家として、人気が高かった私の、進路を阻むために、中島千波さんが、協力して、それを春季院展に、強力に押し込んで、入選させたのだと、思う。で、中島千波さんが、目の前に現れると、言う現象は、竹中直人が、現れると、言うよりもずっと、複雑なものである。で、これも書いてはいるのだが、どこで書いたか、見つけにくいとは、思う。もし見つかったら、後注3として置いておく。

 そういう有名人が、無視してくる現象は、十文字美信氏夫妻を使った日から始まって居る。その前に、阿刀田高氏、安西篤子氏、豊島屋の前社長、辻惟雄氏が、目の前に現れたが、その四回は、ごく、自然な邂逅で、私は非常に楽しかった。

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副題6、『絶対に通るはずもない道を歩いていて、私を無視しようとした、十文字美信夫妻は、そのタイミングを計る意味で、安野忠彦・智紗夫妻が、私の外出を、目視して居て、警察、又は、伊藤玄二郎に知らせたのであろうと、思う。だって、そこまでの、道順で、特に川喜多記念館は、まだ開業して居なかったし、その直前で、南へ、向かう、路地に入ってしまうので、監視カメラなど、無いからだ。山安(干物店)もまだ、開業して居なかった時期なので、普通の住宅しか、無い場所である。で、これは、やまゆり園事件などと、同じく、計画された、一種の謀略だったのだ。

 小さいが、私を弾圧する仕組みの一つだった。美信夫人は、その日、とても悲しそうであった。夫人の方が天にかなう存在である。猫を愛する、心のきれいな女性なのだ。それは、確実な事だった』

 この件ですが、最近の私は、安野忠彦・智紗夫妻が、お給料まで、もらって、CIAエージェントの、手下スパイとして、動いていると、語って居ます。それに、連動して、語るお話なのですよ。で、政治の話となるわけです。安野忠彦・智紗夫妻は、何時頃からか、門前に、以下の看板を、

 掲げて居ます。この看板を掲げたのちに、十文字美信夫妻は、上で、話している、小さな芝居を、することになります。線路沿いの道は、通る人が少なくて、したがって、そこで、私を無視することが効果が高いと、みなされて、ご夫妻が、狙われたのだと、思いますが、タイミングをどんぴしゃっと合わせるのは、安野忠彦・智紗夫妻の、協力があったからだと、思います。

 つまり、最近、私は、安野夫妻に関して、相当に突っ込んだ真実を書いて居ます。その二人が、警察、もしくは、その上層部である、鎌倉エージェントのスパイ役を果たしていて、給料さえ、もらっているのではないかと、書き始めて居ます。彼等夫妻は、私の外出を監視していて、それを、警察、又は、伊藤玄二郎に上奏すると、言う形で、十文字美信夫妻は、タイミんぐをドンピシャに合わせて、私の目の前に、現れたと、見て居ます。それは、15年以上前の話だから、驚きますね。

 其れに似たケースは、清泉小学校の、上級生とみなせる子供たちが、二の鳥居傍で、「逮捕するぞ」と叫びながら追い抜いて居ったケースとか、同じく、二の鳥居傍で、洋服姿で、馬に乗った、吉田茂穂・現・鶴岡八幡宮の、宮司様が、夜の7時半ごろ、しかも、年末の、2019年12月27日に追い抜いて行かれたケースが、あります。それについて何回も語って居ますが、直近のものは、以下のリンク先に書いてあります。

 推敲後再登場させる=====天皇・皇后は別車両で明治神宮参拝?、以前も雅子様だけ馬車で?、八幡宮宮司は年末に乗馬? パンダ飼育員はお馬のアレルギー?△

2020-11-07 15:59:57 | 政治

 そして、それを書いたからでしょうが、お葬式を利用して、私達夫婦は、通夜の開式に一時間半ほど、遅延すると言う大失態を演じないとならないこととなりました。JR東日本と、町田市のタクシー業界を警察が支配していじめてきたせいです。其れを書いたのは以下の章です。

2020-11-09 に町田・淵野辺間で、990 又は830円をJR東日本に搾取された私達?????

2020-11-10 19:01:04 | 政治

こんな理不尽な事はないですと、言う様なものですが、その前の日の9日に、夫婦そろって出かける際は、泥棒の、注意をしないとならないと書いて居ます。それが、以下の章です。

お葬式があります。問題は、留守をする間の、どろぼう対策です

2020-11-08 23:15:27 | 

mすが、それをやってもいいと考えて居るのが、戦後最大の、CIAエージェントたる瀬島龍三です。元陸軍参謀だった、彼は、北久里浜の我が家の、地境地主である、元海軍参謀、益山重夫と、親友であり、そちらがきかく、実行をした土地をめぐる大詐欺事件を、・・・・・巻き込まれたからこそ、正しい分析に達している私を亡き者にしたいのでした。安野夫妻というのは、その最末端にいて、かつ、もっとも大量に攻撃をしてくる悪魔の様な存在です。本日12日にも植木鉢に、水をやって居たら、悪魔のサイレンを鳴らしました。これは、18年前に、初孫が生まれた日に、メトロ日比谷線、恵比寿駅近辺で、始まった脅かし策です。其れを彼自身が見たのか、前田清子さんからの連絡七日は知りませんが、さっそく、それをやられました。なるほどねえと、思い至って居ます。

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副題7、『私は、36年間にわたって、安野夫妻を、観察し続けている。どうしてかというと智紗夫人の井戸端会議のせいで、私道部分を盗まれることとなって居るし、東北の崖を無断で、中谷共二氏に、崩壊させられることともなっているし、そのほか多大な被害があるからで、その、36年間のさいしょきから、

 智紗夫人が、三人のお子さんの、実母ではないことはわかっていた。あまりにも演技っぽい母親ぶりであることと、高三にもなるお子さんが居る母親の場合、既に、井戸端会議など、やらないのが普通だからだった。子供の、養育にとって、必要な事は、子供の年齢によって異なり、未就学児で、母親が、就職していない場合は、井戸端会議をやりながら、子供を遊ばせているケースがある。しかし、井戸端会議とは、それなりに弊害があることを、その間に、みんな悟って来て、子供の為に、それが必要な世代を過ぎるとご近所主婦同士での井戸端会議など、自然に消滅し、ゲゼルシャフトの関係へ移動をしていくものだ。PTA活動で知り合った同志とか、職場に進出して、その仲間同士とか、公民館を使う、コーラスなどの、カルチュア―クラブでの、お仲間同士とかで、付き合って、友達を作っていく。四十代にもなった主婦たちが、ご近所同士で、井戸端会議を開く地域など、今時、日本のどこにもないと、思う。安野智紗夫人とは、異様に勝ち気な女性で、手当たり次第の相手に勝ちたいと、思って居る。そのための、情報収集と他者操作の場所として、その井戸端会議を使って居る。

 そんなことは、引っ越してきてから、二週間で分かった。それで、彼女が原因で、この山(15軒ぐらいしか、実動所帯がいない、一種のタコ部屋状態である)では、トラブル続きだったのだ。

 女性の好むもの、化粧品とか、レースとか、指ぬきが紛失するケースとか布団に太い縫い張りが、入れ込められているケースなどは、安野夫妻が、行っていると、考えて居る。ただし、画家であり、古雑誌の写真も、資料として、使う、大原光孝さんが、我が家の美しいものに目をつけているのは、オープンハウスの時に、目の前で、目撃した現象であり、彼も合いかぎを持っているので、彼かもしれないし、最近では、警察が盗んで、私をが誣告罪に、陥れようとしているのかもしれない。

 しかし、現在の価格でも(ランバン製・・・・しかし、我が家のものは、昔発売をされていた資生堂製)で、7000円以上はする真珠玉状のおしろいを、ちびりちびりと盗んでいき、とうとう底が見えるまで、消費されてしまったケースとか、フジフィルムが開発した、真っ赤な色の、ジェル状、クリーム(これは、我が家のものは、pal systemが案内した、一種の後発薬品で、少し安いが、それでも、5千円以上はする)を、一滴も残さず、消費されてしまったケースは、女性以外に、泥棒する人がいるとは思えない。

 こういう泥棒が、ある人(まあ、誰を指しているかはご想像いただきたいが)にとって、可能だったのは、私は、お化粧を普段しない人だからだ。化学やだし、特許文書の翻訳をやっていた時期もあって、その論文の類が、すべて、化粧品だったので、化粧品の素材を知って居て、それを恐ろしいと、思って居る。で、植物由来の、化粧水以外は、ほとんど使わない人なのだ。ただ、子供や、親戚の結婚式に出席するとか、歌舞伎座の切符が、一等席しか買えなかった時などは、お化粧をする。久しぶりにという感じで、お化粧をする。一年に一回ぐらいの頻度だが、お化粧をしてから、鎌倉の家を出て、銀座へ向かう。そして、その時に、その、過去のどこかで、行われた、泥棒行為というか、泥棒被害を発見する。

 私は考えに考えた。鶴岡八幡宮の、重役級神官で私が、次々期の、宮司様だろうと、推察して居る、龍村氏が、安野智紗夫人を私の上に置いた。それほどに、彼女は演技がうまい。全くもって普通に見える。

 ただ、私から見ると、道徳感が皆無だ。それが、すべて崩壊していると、私は考えて居る。ただどうしてそうなるかが問題だった。彼女は、20%ぐらいの度合いで、佐久間良子に似て居るし、50%ぐらいの度合いで、若貴兄弟の母に似ている。そのぐらいに、美貌の人であり、かつ、しわ一つないほどに、78歳の今も若々しい。で、

 別に成長期に、劣等感など味わったことはないだろうと、と思うのに、道徳感の崩壊を見せつける女性だ。それはあの三人の、お子さんの実母を追い出してあの家の主婦に収まったときに、極まったのだと考えた。でも、私は長らく、彼女だけが悪女で、夫の忠彦氏は、だまされている被害者だと、考えて来た。

 ところが、東出昌大という、俳優が、妻が妊娠出産、育児に奔走している最中にも、唐田エリカという別の女性と、セックスをむさぼる関係に陥っていたことが、世間に、公開された。それで、突然に分かったのだけれど、安野忠彦氏も、正妻が、妊娠中、出産中、そして育児中に、すでに、智紗夫人と、セックスフレンドになっていた悪人だと。それが、わかってきたのだった。しかし、東出昌大とは、違って、彼はサラリーマンであって、収入が多くはない。

 で、家の中で、三人の子育て中の正妻を養って居て、外で、智紗さんを、占有セックスフレンドとして、囲っておくほどの財力はない。しかも、智紗夫人の一生を引き受けるほどの資産家でもない。東出昌大とも違うし、笹川良一でもないのだ。この山に引っ越してくる前は、今、受け取って居るであろう、警察からの特別手当も出て居なかったと、思われるし。

 そして、あの智紗夫人の、勝気な性格を考えると、彼女が、一番下のお子さんが、1970年に生まれるまで、つまり、30過ぎまで、独身でいたのが、考えられないこととなる。1942年生まれで、戦前生まれの女性の範疇に入る彼女には、25歳の適齢期という縛りは、きつくのしかかっていたはずだ。で、もし、1970年まで、独身でいたら、お嫁に行けなかった負け犬となる。そうなると、会社でも肩身の狭い思いをしなくてはならないし、実家のご近所様にも軽蔑をされることとなる。現在70歳以上の女性に対する、特に高卒の女性に対する、この縛りは、きつかった。で、最近、とみに、私は、違う考えに到達した。智紗夫人は智紗夫人で、別の男性と、入籍スタイルの結婚をしていたのではないかと、考える様になった。

  これは、忠彦氏にとっては願ってもない形式である。相手の女性の生活費を負担することなく、第二婦人(昔の言葉でいう妾)を確保したという事となる。彼女の将来の生計費の、心配をしなくても済む。一週間に一度ぐらいの、危険を冒しての、逢瀬は、たまらないほどに、おいしいものだったと、推察される。だけど、正妻に、妊娠、出産、育児を強いている間に、これ程の、快楽を享受するのは、若い男性が、結婚できないでいる、現代日本では、鉄面皮も極まると、言うほどに悪辣な物だ。東出昌大みたいに、芸能界に住んでいる人間だと、仕方がないともなるが、鶴岡八幡宮のすぐそばに住んでいる一見すると、小市民社会の正統なる住民である彼が、裏では極めて、汚い生活を送っている人間であるという事は・・・・・

 これまた、鶴岡八幡宮が絡んできて、私は、公開すべきことだと、考えた。それは、2019年の台風で、我が家の東北の崖にそびえたっているタブシイの大木の枝が折れたことが関係している。鶴岡八幡宮様は、私を冷遇して、一か月近く放っておかれた。しかし、2019年9月11日にやっと始末にいらっしゃった。その日)は、安野家の持ち物は何の被害もない・・・・・というか安野家と、鶴岡八幡宮様が、共有している樹木などない。安野家の地所は、鶴岡八幡宮と地境を接しているわけではない。だから、八幡宮の工務所の、大工担当の、嘱託である寺島某と、言う男性(もしかすると寺沢某)が、安野忠彦氏を私の上に立てる理由がない。しかし、実際には、寺沢某(又は、寺島某)は、安野忠彦氏を紳士であるかの如く、崇敬し、私をそこらへんの、浮浪者のごとき扱いをした。

 私はその時、固く決意したのだった。これから、私は安野夫妻の真実を書いていくと。平成の八墓村事件と呼ばれて、保見死刑囚がやったことになっている、限界集落での五人惨殺事件は、無論の事、警察の特殊部隊がやったことで、安野家の強欲な、北側の私道部分の開墾を、洗浄化することが目的だった。

 その時、その洗浄化の為に、平木家の当時は、小学生だったお子さんが利用された。ここから先、今般の平木家の屋根工事、ペンキ塗り工事、安野家の屋根工事が、無償で、行われた可能性についても触れないといけないが、それについては、余りにも字数を必要とするので、ここでは、十文字美信氏と、比較すると、余りにも下半身の、始末が汚い、安野夫妻と、言うにとどめておきたい。

 十文字美紳士は、少女アイドルを撮影するのが、お金を稼ぐ手段である、それは、買い手が多い分野で、少女アイドルに高い人気があれば、写真集は、多大な、部数が売れて印税が入る。こういうカメラマンを、女性専科と、言うのではないかと、想像するが、だからこそ、下半身の身じまいは、きれいな人だろうと、思って居る。

 そして、お金が関係のない世界では、自然を大切にしていて、周辺にも、自然を愛する人を配置していると、思われ、奥様は、それを、大切にしているので、ナチュラルなお化粧に、地味目の色合いと、地味目の文様の和服姿である。

 本日は、ここで、文章部分は終わりとしたい。後、リンク先を見付けないといけない。

 が、一応署名を入れておく。

  2020-11-11の夜に書き始め、次の日の、午後二時に、文章だけは、荒くだが、完成とさせる。そのしるしとして、恒例の🔲印を総タイトル横に付けて置く。なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、6274953です。 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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