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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

著名人が安楽死

2009-07-27 09:41:56 | Weblog
著名指揮者夫妻が安楽死=スイスの病院で、懸念の声も-英(時事通信) - goo ニュース

私は50代には大変に元気でした。それは、前半は一生懸命大きなサイズの油絵を描いていて、その世界で出世しようと思っていたわけです。まあ、その方法はいろいろあるけれど、個展とか、コンクールとか、公募団体展に積極的に参加していて、一年に7-8枚百号以上の絵を描いていました。

 その一種のゴールですが、パリに研修に行く事ができたのです。56歳のときでした。そのときの体験がすばらしかったのですが、年齢の制限で、三ヶ月しか滞在できなかったのです。国費(文化庁)で行く事ができたからこそ、制限を守らなければなりません。でも、集中したので、相当な勉強ができる事がわかり、次の年に私費で、その次の年にも私費で、ニューヨークで研修をしたのです。

 それで、ものすごく活発になりました。私はどうも、海外の方がふさわしい人間のようで、そちらですと、自分のよさが生きるようです。そして、海外の人から、若いとか言われたり、その活発さをめでられます。

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 でも、それだけ、活発であるからこそ、死のことも非常に身近に感じました。やるべき事が多い、しかも時間が限られている。そういう自分を追い立てるのは、死の予測です。人間には死と言うタイムリミットがあるからこそ、がんばれるという側面もあるのです。

 でも、自分が活発であればあるほど、植物状態になった後を怖れました。自由に動けないわけです。100%の活動が出来ないわけです。

 それは、非常につらい事のように思えました。人間と言うのは受動的に生きるとつらいのです。できれば、能動的、または、主体的に生きたいものです。でも、他人がどうのこうのという側面だけではなくて、自分の体力とか、体質が変化して、自分の内部から、生きる力や能力が落ちたときにはどうしましょう。

 ぐだぐだ、ぐだぐだ、人のお世話になりながら永らえるのはつらいですね。だから、死の形として、『選べるなら安楽死がいいなあ』と考えていました。しかし、それから、5年が経ちました。そして、67歳が目の前に迫ってきました。

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 さすがに以前とは違っていて、『がんばれないなあ、今日は』と思う日もあれば、以前よりは、三分の一のシゴトをしたのに、すでに疲れているよと思う日もあります。と、なると、やむを得ず、低空飛行になります。

 そうなると、『あ、こういう風にして緩慢に体力が衰えるのなら、それに応じて、精神も緩やかに変化していって、欲望も少なくなり、その結果、慫慂として死を迎える日も来るかもしれないと思い始め、それで、意外と、安楽死にこだわらなくなりました。仕方がない。ふつうのひととして、その最後の日々を迎えるか、ぐだぐだ、生きる最後の日を。・・・・・と思っています。この影に、母の存在が大きいでしょう。いま、95歳だと思います。

 恵まれた待遇で老人ホームにいます。びっくりするほど、元気です。車椅子は使っているけれど、できるかぎりの生命を全うしたいと願っていて、あらゆることに元気です。彼女のシゴトは主に、お洗濯ものをたたむ事ですが、老人ホームのテーブルの上で、丁寧に丁寧にたたんでいます。

 ああ、ああいうことも楽しみの一つになるのか? と思えば感慨が深いです。今の私は自宅にいるので、いろいろなものが手近にあります。それを使えばいろいろな事ができて、楽しみも多いのです。しかし、老人ホームと言う限られた世界(あまり大量の私物は持ち込めない・・・・・だから、ミシンなどを持ち込めるかどうかは不明。パソコンも不明)に、住んでいても、ああいう風な新しい趣味やシゴトを見つけられるのだから、人間って器用なものだし、順応性があるものだと思います。若いときには、洗濯物をたたむのが楽しいなんて思えます? それよりはドラクエをする方が楽しいでしょう。ブログを書くのだって楽しいし、ましてや、絵を描いたり、本を作ったりするのはとても楽しいです。

 しかし、そういうことはすべて年齢制限があるでしょう。何時までもできるわけでもありません。

 ただ、私自身が母と同じように長生きするかどうかは分からないし、90ちかくまでも、財産が続くかどうかは分かりません。年金だけでは老人ホーム暮らしも成り立たないみたいですし、・・・・・

 でも、50代のころよりのんびりと構えているというところです。ずっと、穏やかに暮らしています。あせっていません。ただ、お若い方には暗いというか、関係のない話でした。ごめんなさい。では、2009年7月27日    雨宮 舜
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