銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ぼんぼり祭り-2015-1・・・・・警察が、鶴岡八幡宮様を、支配下に置いている話

2015-08-08 04:10:03 | 政治

  8月7日から鶴岡八幡宮で、ぼんぼり祭りが始まっております。今日は8日で、明日は、9日です。その二日間だけで、勝負しないといけない文章が、頭に浮かびました。それで、急きょ新しい文章を書かせてくださいませ。この文章ですが、その総タイトルを、一番最初は『松尾崇・鎌倉市長と伊藤玄二郎・鎌倉春秋社社長のぼんぼり(鶴岡八幡宮の夏越祭)』としておりましたが、9日に入って、3時間ほど新しい物へと、変更をいたしました。しかし、二日目の書くシゴトを始めて五時間で、全体が2万字に達してしまい、二番目のタイトルは、そこまで書けない見込みが出てきて、ふさわしくなくなってしまい、結果として、三度目のものへと変更をしております。

副題1、『昨日は、久しぶりに本格的な文章を書いたが、その理由は?』

 昨日は、政治について独自の分析をする私にとっても、すごいレベルの文章となりそうなほど、大きなテーマに取り組み始めたのでした。それで、久しぶりに、精進潔斎と言う感覚でもって、書く仕事にあたり、健康保持のために、それを行っている毎朝、4時間近い園芸の作業も行わなかった程です。    それは、6日の私の発言に対して、すぐさま、『鎌倉市役所が動いたな』と言う事が分かったからです。よい意味ではなくて、悪い意味でですよ。それが、目の前で形として、分かったのは、非常に珍しい事なので、『このチャンスを利用しないといけないな』と思って、このブログを書き始めているわけです。     市役所の動きなんて、非常にとろいのが一般的であります。しかし、鎌倉市の、市長、松尾崇氏は、鎌倉の実力者・伊藤玄二郎鎌倉春秋社社長の、言うなりらしくて、彼からのお願いに対しては、瞬時に動いたらしいのです。

 その鎌倉市の、松尾崇・市長のぼんぼりが、舞殿の右側、祈祷の受付所の前に、立っています。黒岩神奈川県知事・等と、一つのグループを形成しています。それをご覧頂きたいのですが、まあ、はっきり言うと、ぼんぼりとしては、さしたる特徴はありません。中型の太さの筆で、書いたであろう墨書(臨書)で、文字は忘れました。ただ、予測に反した、しっかりとした、文字でした。で、黒岩知事よりも、内面が太いなあと、思われる書体でした。    で、私が考えた事は『ふむ、ふむ、結構しっかりした字を書いている。書は人なりと言うから、彼は、しっかりとした人間みたいに感じられる。しかし、それなら、却って疑問が深まる。彼は何ゆえに、伊藤玄二郎のいう事なら、瞬時に聞くのだろう。年が上だと思っているから? それとも、それほど、伊藤玄二郎の恫喝力って強いの? (それは、父親が、県会議員時代に、中国で、買春をしたと、ニュースになっているので、そこを、よりどころとして、悪人たちに、首根っこを押さえられている可能性はある) それとも、鎌倉のネットワークの強さが解っていて、ビビっているの? そのネットワークを牛耳っているのが伊藤玄二郎だから』などと、考え込むのでした。~~~~~~~~~~~~

副題2、『松尾市長が我が家近辺の、悪人どもを助けるために、使役をされたと言う事は、偶然見かけた二つの現象で判明した』

 前報(後注1)の中の特に副題5で、・・・・・わが家の北隣に、今新築中の家は、大工事となっている。日当たりをよくするために、高床式にするそうであり、その基礎は、三段階に分けて、鉄筋を組み上げて、日にちを空けて、生コンを入れ込んで、作り上げた大規模なものであると、申しております。立ち上がった部分の、幅が、18cm以上あると思われ、こんな基礎は見た事がない・・・・・鎌倉と言うブランド土地を、50坪(公簿上は80坪であるはず)1000万円で、入手した施主さんは、建築家だから、最高の、建築を、目指していて、お金をかけ放題にかけているから・・・・・と書いています。その基礎ですが、布基礎としての、面の部分も、堅牢なこと極まりない形で、作ってあるのですが、立ち上がりの部分もすごいのです。地中(泥の中)に埋まっている部分も、深さが、1mは優にあると思いますが、泥の上に立ち上がっている部分も、優に1mを超します。   このお宅は、総建坪24坪にしか過ぎないのに、鉄骨造りだから、床から、天井裏までが、一階部分だけで、10尺(=3m・・・・マンションの場合は、3mは、ないケースが多い)を超える建築となるのかもしれず、ちょっと、その複雑さは、果てしがないというほどの構造を持っている建築です。たまたま、構造設計図を見る機会がありました。平面図は施主様直々に見せて頂いていますが、構造設計図は、素人には、ちんぷんかんぷんですから、見せて貰ってはいません。だけど、山の一番下の処(=わが家より、3~40mは下の公道)に広げて置いてあった時があって、傍を通りがかって、一瞥して驚嘆をしました。すごいレベルで、鉄筋が這い回っている、何層構造にもなっている基礎だったのです。その構造・設計図は、微に入り細に入りで、≪これを理解する現場監督って、絶対に、大卒でしょうね≫と思ったほどの、複雑さでした。    で、≪それが、開始後、4か月かかって、やっと完成した≫というのが今なのです。で、・・・・・ブログで、利用するつもりはないが、写真だけは撮影して置こう。だって、この基礎は、やがて隠れてしまうわけだから。ともかく、真夏の日差しの下、真っ白なコンクリートがピカピカ映えて、被写体として、きれいなこと限りがないし・・・・・と思って写真を撮ろうと、外へ出て行ったのです。私は美術系の人なのです。美しい物には目が無いたち(性格)ですから。被写体としての写真を撮影する事は、誰にとっても許されている事でしょうし。    と言うわけで、外へ出たら、・・・・・おや、松尾市長が、前田祝一氏と清子夫人、および、安野忠彦氏と、智紗夫人、そして、小野寺夫人を救済する事へ急遽、本日から乗り出したのですね。・・・・・と、理解できる現象に出くわしたのでした。それで、前報を書き始めているわけですが、

 こういう現象を、私は、神様が助けてくださる現象だと、思っているわけです。だって、調査しようとか、探偵役を果たそうと思って外へ出たわけではないのですよ。こういう事が、たびたび起きるので、私は、悪人たちがどれほどの策謀を凝らそうと、自らが、救済されることを、確信をしているのです。    ところで、松尾市長の援助とは、その内容は、ここでは語りません。ただ、【LED街灯】と、【アジサイ畑の証拠隠滅】、と、【法的安定性は、この雪ノ下二丁目においては、2003年度ころから破壊をされている】と、言うキーワードだけを、ここにはおいておいて、あとは、後日、詳細に述べます。前報の中で、述べるか、別章をたてて述べるかは、今は決めておりませんが。~~~~~~~~~~~~

@@@@@ここが推敲中の最先端です。

副題3、『伊藤玄二郎氏の、絵は、出世した位置へ移動していた』

 さて、鎌倉市長の雪洞から、東へ向かって、5つ目ぐらいの場所が、2008年から、2010年までの、私が献呈したぼんぼりが飾ってあった場所でした。そこのすぐそばに、一色伸ゆき氏と斎藤栄氏のぼんぼりがあったのです。斎藤栄氏は、今は、参道真っ直線の、だいぶ、南の、入り口に近い場所に移動をしていて、『それは、そうでしょうね。氏は東大卒ながら、大衆相手のミステリー小説の旗手なんだから。それに将棋が上手なんだし』と納得をしています。

 ある時に、私が、鎌倉市内では、セレブとして、有名な方(女性)に、『あのぼんぼりにも、階級があるのですよ。飾る位置の事ですが』と、お伝えすると、そちら様は、『まあ、』と言って、上品にお笑いになりました。八幡宮様は、そちら様に、ぼんぼりの献呈を、お願いに、いらっしゃった方がいいと、思うほどの、セレブの方でしたが、私には、それほどの、力が無いと、思ったので、黙っていました。

 しかし、私が何も言わないうちに、『嶋田しづさんが、ご出品なさっている』ことになっていて、『それは、よかったわ』と思っています。が、位置がいけないですね。あんなところにおいては、失礼です。鶴岡八幡宮様は、現代アートの世界には、詳しくはないみたいなので、神奈川県立美術館の方に、展示結果を見ていただいた方がいいでしょう。偉そうに言いますが、それは、必要なことだと、思っております。でないと、美術愛好家が鑑賞に来た際には、『あれ、これ、失礼な処遇だわ』と、思うでしょうから。画家には階級はないはずですが、でも、実績の差とか、絵の良しあしで、分かるキャリアーがありますし、一方の、ぼんぼり祭りの飾る位置には、階級があるから、その両者に、乖離がありすぎると、鑑賞者は、不満を持ちます。嶋田しづさんは、長らくパリ滞在だったので、日本での大衆的知名度は、少ないですが、大物です。

 でも、お茶大付属高校の後輩、山崎直子さんが、相当にいい位置(舞殿のすぐそば)だったので、同じ高校の先輩方で、出品をしていない方の事を思ったり、鎌倉婦人子供会館で、活躍なさっている、マダムたちの、事を思うと、『うーむ。八幡宮様側で、お願いに行かないで、漏れている方は多いでしょう』と思い至ったものです。

 そして、そして、『おやっ』と思ったのが伊藤玄二郎氏の、ぼんぼりの位置でした。グーンと出世した位置に、登っていました。

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副題4、『≪でも、画風が全く変わっている≫ どうしてかな?≫』

 鎌倉・鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りでは、献灯した人の名前が、支柱に、貼ってあります。昼間は、それが読めます。しかし、夜は暗くて、その部分が見えないので、鑑賞慣れた人は、必ず、懐中電灯を持ってきます。私は日の明るいうちに行ったので、はっきりと、『伊藤玄二郎氏のぼんぼりはこれだ』と分かりました。しかし、どうもおかしいと感じます。画風が以前とはガラッと違っていて、以前は、抽象画だったのに、具象画であって、分かり易すぎるタイプの絵です。

 ところで、これから先ですが、はっきり言って、伊藤玄二郎氏の絵を貶し始めます。どうしてそういう事をするかと言うと、彼からは、たいへんな分量で、被害を与えられているからです。

 で、以前のものですが、焦げ茶色の濃淡でできた抽象画であって、添え言もない絵でした。私はそれを、≪鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りに、提供するにしては、まったく、コンセプト違いの、汚い絵だ≫と言って、切り捨て気味の文章を書いています。

 しかし、今になってみると、『あの絵って、彼が描いたのではなくて、石塚雅彦さんに取り入って、頼んで描いてもらったのではないかしら?』と思い直し始めています。

 このブログを連続して、お読みになっている方なら、石塚雅彦さんが、どういう人かは、ご存じだと思うのですが、初めて、ここに到達なさった方のために、簡単に説明をすると、元日経新聞の論説委員にして、現在は早稲田大学の教授です。そして、本当は、国際基督教大学の卒業生で、同窓会長も長らくやった人ですが、フェイスブック紙上では、コロンビア大学卒業としか、記していない人です。

 私はこの人と小学校も同じで、大学も同じなので、慕っていて、いろいろ、個人的な会話も交わしています。石塚さんの、初仕事は、日経新聞朝刊の、右上にある、絵のコラムを担当することだったと、昔から、聞いています。実は大学アート部の先輩であり、卒業後も、大学同窓会展で、二回か、三回銀座望月画廊での、グループ展で、ご一緒しています。それで、石塚さんの絵を知っているのですが、一時期の絵は、茶色の濃淡で、描かれた岩みたいに見える抽象画でした。だから、私が、鶴岡八幡宮境内で、8年ぐらい前に見た伊藤玄二郎氏の絵と、そっくりなのです。その時には、『二人は、性格や、人格が似ているから、こういう風な似た絵になるのかな?』と思っただけでしたが、今般も、伊藤玄二郎氏は、他の人(=IWA〇〇と言う署名者)に絵の部分だけは、描かせているみたいなので、もしかすると、以前のものも、石塚さんの絵だったのではないかと、思い当たるのです。ただし、この部分は、例の見てきた様な嘘をいいの類の一つであって、後日、否定をされたり、訂正を受けたりしても、私としては、「ああ、そうですか」と言うだけで、それ以外には、まったく構わない、部分です。

 ただ、私は、自分には、絵を描く力もあるが、鑑賞者として、微妙なところを、見分ける力もあると、ひそかにも自負しているので、あの二つの絵は、キャンバスに油絵の具で描いたか、和紙に、水彩で描いたかの違いはあれど、同じ作者が描いた絵であると、主張をしておきたいのです。

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副題5、『上の部分、1500字程度を書いたとたんに、それを消し去る、パソコン・システム上の異変が、起きたので、その私固有の判断は、正しかったと、推察している』

  私は未完成のままで、アップしています。で、誤変換が残っていたり、文脈が、整っていなかったりします。だけど、仕方がないのです。激しい妨害を受けていて、順当に落ち着いて書いていられないからです。今も、『以前の、伊藤玄二郎のぼんぼりは、実際には、石塚雅彦さんに、代わりに描かせたのではないか』と、言っている部分が、さっと、消えてしまう様な、システム上の異常が起こりました。これは、書き直さないといけないので、最初に書いた文章の香華などが、消えてしまいます。

 2007年ごろは、それが、頻繁に起きるので、自宅で仕事をできないことと成り、錦糸町まで、逃げていき、そこで、本の編集のための、ノマド生活を送ったりしました。でも、絶対に、インターネットには、通じていないと、思われる【有機野菜専門の、バイキングレストラン】の中でも、異常が起きるので、映画『アフタースクール』で、描かれた以上の高度なテクニックを権力者側は、すでに、手中にしているのだと思います。

::::::::ところで、ここから先は挿入ですが、大泉洋は、映画アフタースクールに出たことで、全国区になりました。今、NHKの朝ドラ【まれ】に出ているし、次の大河ドラマにも出るとか? しかし、彼を起用すると、作品が事実上ぽしゃりますよ。彼は演技者としては実力がありません。そのうえ、激しいカラーを打ち出すので、作劇上の人物には、成りえません。常に、大泉その人です。それ以外の人物には、なれません。ただ、井上ひさしに気に入られているのだと思います。だけど、彼が混ざるとアンサンブルが壊れ、作品は失墜していきます。でも、引き続き、優遇をされています。私はそれをもまた、井上ひさしが、公的には、自分を死んだこととしているが、実際には、まだ生きていて、出版界や、映画界、ほか、あらゆる現場に対して、支配権をふるっているのだと、考えております。で、『大泉洋が活躍するというニュースを見るたびに、ああ、井上ひさしって、まだ、生きているのですねと、考えます。::::::::

 で、挿入から元へ戻ります。

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副題6、『kamakura cottage は、こういうIT的攻撃と、盗聴などを行う中継基地となっているはずだ・・・・・ウィキリークスが、≪CIAが安倍総理大臣を盗聴している≫と発表したが?』

 前報の、副題2では、わが家から西へ、40mのところにある、airbanbのサイトに登場する、民宿kamakura cottage について触れ始めています。そして、文章が完結していません。だから、皆様は、何故、今頃、そこが、問題になるのかが、不思議に、思っていらっしゃるでしょう。だが、その家は、こういう悪辣な作業を、遠くに住んでいても、確実に行うことのできる装置が置いてあるはずです。つまり、中継用サーバーか、大型ルータ-が置いてあるはずです。遠くの場所、例えば鎌倉春秋社の社屋は、わが家からは、直線距離にして、500mぐらい南東にあります。

 そこで、伊藤玄二郎氏が、二台目のパソコン(または、アップルだと、2画面を同時操作できるパソコンがあるみたいで、そういうもの)で、私のこの画面と、まったく同じものを見ている可能性を感じています。そして、いくつかある攻撃用アイコンを、個々だと思ったところで、クリックすると、私の文章が瞬時に消えると、その手のソフト(=アプリ)を既に与えられていて、それを行使したと仮定しましょう。それは、一般的には、私のパソコンには何ら影響を与えないはずですね。しかし、わが家から西側40mのところに置いてある、大型ルーターで。中継して、私のパソコンに直接に影響を与えて、破壊工作をするシステムがすでにできているのです。

 で、こういう事を私が書くと、必ず、遠い地点で、パソコントラブルのニュースが、発表をされ、それで、私の文章など、かき消されるということと成ります。

 たとえば、今般は、ウィキリークスが、アメリカが、安倍総理大臣の身辺を盗聴していると発表をしました。そして、それに対して、菅官房長官とか、安倍総理大臣自身が、抗議をしました。似た様なニュースが、前にもキャメロン首相や、メルケル首相に対して、起きていますね。

 すると、読者の皆様は、『へえーっ。総理大臣も、盗聴されているのだったら、そりゃ、盗聴って、全世界に蔓延しているのだな』と、思うか?

 『なんだ。総理大臣さえ、盗聴をされているんだって。それに、比較をすると、雨宮舜(=川崎千恵子)なんて、ちっちゃい、ちっちゃい、存在だから、仕方がないじゃん。我慢しろよ』と、なるか、どちらかだと思います。

 しかし、私に言わせると、真相は、功成ります。メルケル首相とか、キャメロン首相が、盗聴をされているか、安倍総理大臣が盗聴をされているか、真偽は不明ですが、現状では、ありえるし、しかし、成果は大したことが無いこととして、看過されているはずで、ほとんど被害者ないだろうということです。と言うのも、現状では、ヨーロッパや日本は平和であり、戦時下ではないので、そこで、情報を収集する必要などないのです。またメルケル首相、キャメロン首相、安倍総理大臣などの、首脳陣がアメリカに反旗を翻す可能性がありません。だから、この手のニュースは、茶番劇の一つです。対私に対する盗聴が、なかったことにしたい連中が、苦肉の策として、発表するだけの話です。

 では、どうして、私は、盗聴をされるのか? それは、私が知り合っている人物たちが、あまりにもハイソであり、また、CIAの中枢に直結する人物たちだからです。今のところ、真実の全部は書けていません。ある分野についてだけは60%ぐらいは、書けているが、別の分野については、20%以下しか、書けておりません。で、これから、何を書くつもりであるのか、事前に把握して、少しでも、事実を打ち消しておきたいのです。それが、盗聴やハッキングを招いている、原理です。

 私も小さい存在だが、小野寺夫人も小さな存在です。メルケル首相などと、比較をすると、圧倒的に小さな存在です。しかし、前田祝一氏にとっては、小野寺夫人が行った行為を、全部書かれたら、いわゆる穴があったら入りたいという以上の打撃になるはずなのです。

 いままで、かれらは、「自分たちが圧倒的に上ですよ。だから、彼女(=私の事)なんか、蹴散らせるから、ここは、協力してください」と言って、恐るべきあくどい事に巻き込んでいます。この山でも、もっともあくどい事に、任務を与えています。また、小野寺夫人が、これまた、自分に対する過信のある人で、『大丈夫、彼女(=私の事)なんか、手玉に取れるわ』と、信じていたでしょうから、自ら喜んで、あくどい事にのめりこんでいて、頼まれた役割をはたしてきたという特別な条件があります。

 同じ様にして、他の人をも前田夫妻たちは、利用をしてきました。だが、平木家のお子さんの場合、この雪ノ下の山で、本当に起きている事など、小さくてまだ理解ができないでしょう。複雑すぎますからね。だから、損傷が少ないと、考えられています。だけど、小野寺夫人など、一応いろいろなことをわかったうえで、取り組んできているので、罪は深いです。また、それが本当に、また、全部が、解った時の彼女の苦しみも大きいはずですよ。となると、どうしても、前田氏は、私を殺したいのです。自分が助かるためにね。こういう風にして悪循環が、どんどん、スパイラル的に積み重なり、どうしようもなくなっているからこそ、さらに、警察にご協力をお願いして、盗聴し、ハッキングをし、ありとあらゆるところに、いじめ用手下(たとえば、共産党員)を配置して、私を苦しめようとしているわけです。

 で、ここで、PCの異常と言う問題から、元の、伊藤玄二郎のぼんぼりと言うところへ戻ります。副題5、と、6と言う突然に、パソコンに起きた異常から、書かざるを得なくなった文章から元へ戻ります。元の鶴岡八幡宮境内のぼんぼり祭りに戻ります。

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副題7、『この氷川丸の絵って、別の人のサインが入っているみたいだけれど、これは、何故なんでしょう≫と、疑問を持つ私だった』

 私は、松尾崇鎌倉市長の、ぼんぼりを離れて、5mぐらいの場所から、伊藤玄二郎氏の雪洞を眺めました。すると目の前で、1mぐらいの近さで、密着して写真を撮っている人物(男性)がいます。で、私は、『これって、そんなに熱心に、しかも高級な一眼レフで、撮るほどの作品だろうか?』と考え込みます。で、自分の審美眼が間違っているかもしれないので、近寄ってみます。

 近いところで、見ても、『さえない。汚くはないが、冴えない』と判断をします。しかし、先ほどの男性は、いかにも、いとおしそうに、接近して撮っていました。それって、作者の雰囲気です。『えっ、もしかしてあの人、ゴースト・ライターならぬ、ゴースト・ぺインター?』と思ってさらに、凝視をすると、確かに絵の下の方に、割と大きな、しかも乱暴な書体のアルファベットで、IWASA または、IWAMAと書いてありました。

 でも、不思議ですねえ。ちゃんとした絵描きなら、こういう事は引き受けないでしょうね。だから、素人で、絵が好きな人でしょう。それが、樋川丸を描いた。だけど、『伊藤玄二郎氏って、どこまで、鶴岡八幡宮を私物化している』というか、『小ばかにしている事だろう』と、また、改めて感じ入ったことです。ほかに数多いぼんぼりがあるでしょうが、絵を他人に描かせているぼんぼりなんて、他にないと思いますよ。どれほど、傲慢で、高をくくっている事か?

 だって、神様へ、献呈するのですよ。自分が忙しい。と言う事情があっても、それなら、松尾市長みたいに、中くらいの、太さの筆で、4文字・熟語でも書いて、お茶を濁せばいいでしょう。つじつまを合わせるということは、そういう事であって、他人に絵を描かせるという事ではないと思いますけれど。

 ここで、何故、前田祝一氏を悪人と言うかについては、リンク先を示さないと、ここに、初めて入って来た方は、まるで、ちんぷんかんぷんだと思います。でも、それを、5000本以上の中から、探すのは、簡単ではないので、連続してお読みいただいている方を優先して、新しいことを書き記します。

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副題8、『私がぼんぼり祭り内で、階級(飾る位置の事)が、上がって行った道筋は以下の通りです』 

 実は私は、八幡宮様が鶯吟邸をお買いになるころに、偶然として、ぼんぼり祭りにお誘いを受けたのです。しかし、最末端の席でした。マスコミ有名人ではないから仕方がないです。源氏池の周辺に、小さなぼんぼりが立っている場所(今は無いみたいだ)があって、そのしかも最末端に、置いてあったのです。ちょっと恥ずかしかったですね。だけど、30年前に鎌倉に引っ越してきてからは、ずっとぼんぼり祭りは見物しているわけですから、お客様が喜ぶ作品を提供し続けました。

 一年目はお人形の絵でした。一般のお客様が喜ぶものはわかりやすい絵がいいと思って。それが、色合いとしては、きれいだったとは思いますよ。小さいが迫力はあったと思います。あの多数のぼんぼりの中で書は別として、絵を出している方で、きれいな色合いの絵を出している人は意外と少ないのです。きれいな色合いで、しかも迫力があって、しかも、わかりやすい絵を出している人は、それほど、いないのです。ユーモアがある絵とか、主張のある絵はあります。だが、純粋に絵として、発色の面で、成功をしている絵は少ないのです。有名無名の画家にかかわらず、着色した絵として、それが、成功をしていると思う絵は、毎年、10枚もないかな? 

 昔は小倉遊亀さんの絵が美しかったし、今では、長縄士郎さんの絵はが、最も美しいものの方だと思っています。ただ、毎年素敵だと思ってきましたが、最近ご高齢で、きちんとした作画をなされないみたいで、残念です。で、一年目の絵が迫力があったせいでしょう。二年目から大小の紙をいただけることと成って、若宮の周辺から始まってだんだんと、位置が中央舞殿に近くなっていったというわけです。(笑い) 

 私が見るところ本殿に向かう、中央の石段は、全国的な有名人の雪洞を飾ってあります。

 舞殿の西側は、書を中心に、神社仏閣の、トップが揮毫した絵や、書が、飾られています。文化人も入っていますが、長老級の実力者たちです。そこに若くて美形の、山崎直子さん(宇宙飛行士)のぼんぼりが入っていたので、びっくりしたのですが・・・・・

 太鼓橋から入ってすぐの直線参道は、庶民的な有名人が多いです。蛭子能収さんは、テレビで見せているアホ面とは、全く違った側面を見せておられます。本当は、律義で、まじめな人だとわかる丁寧な色付けの絵を出されています。

 私が二年目から飾られていた舞殿から東へ向かい、若宮へ到達する道の両側は、社会的な有名人ではなくて、作品的に実力のある美しいものを提供するぼんぼりが飾られています。その末端の方に、今年、嶋田しづ女史の作品があったので、『これはいけません。中島千波さんのお隣ぐらいに置かないと』、私は思った次第です。抽象画ですが、絵としての格の高さ、また、画家としての格の高さを言えば、低すぎる場所に飾られているということと成りますから。

 最初のお人形風の絵の次に、海外で、激しく版画修行をしていたころは、版画を和紙の上に摺りました。しかし、カラーで、しかも、透明性の高い赤いインクを使って、夜も美しく見える様に工夫をしたものです。ところで、私の版画は、ヘイター(または、一般多色摺り)と言う、たいへん、特殊なもので、和紙に摺る自信が無かったので、専門の摺師にお願いをしました。すると、一枚一万円を取られましたよ。しかも、お片付け(1m角のガラステーブル二枚と、直系30mの大きなローラーがべっとりとインクでぬれているものを、洗っていく。それで、お片付けだけで、二時間かかる)をしないで帰宅をされて合計11万円を取られたので、すっかりまいってしまって、それ以来版画はぼんぼりには使用しないことと成りました。大小で二万円を取られたわけですから。ただ、版(銅板への模様づけ)とか、インク選びは、私が行うので、労働だけやってもらうので、これは、版画界では、許されている他人の援助と言うわけです。でも、大小2万円をかけたわけです。

 普通の銅版画とはまるで違っていて、とても重い、べっとりとしたインクを付けるものなので、大小一枚づつしかいただけないぼんぼり用の和紙が、部分的に、切れてしまうことを恐れたのでした。普段は、フランス製の厚手の版画専門用紙で摺ります。

 ところで、自分でそれを言っちゃあ、おしまいですが、私はパリでも、ニューヨークでもプロの版画家を驚かせるほどの力量を示しています。1999年のニューヨークでは、小品の油絵とサイズの小さな版画を、数枚見せるだけで、pratt insutitute と言う105年(だから、今では、120年の創立後の伝統がある)の伝統のあるキャンパスの美しい美大の大学院へ、即入学許可です。そして版画科の教授たちを驚かせ続けました。また、担当教授(私より10歳ぐらい若い白人女性)は、私に嫉妬して、若い日本人女子留学生を使っていじめてきたので、次の学期にだれも教授の授業を取る人が居なくなって、辞職することと成りました。経過を少し、言えば、バカな日本人女子学生が猛毒の塩化第二鉄原液を床にぶちまけたからです。普通の銅版画を作る際には、それを、800倍から1000倍に希釈するというもので、皮膚につくと、一種のやけどを起こします。それが私独自の私物だったので、彼女がどれほど、私をいじめたいと思っていたかがわかります。でも、それを女性教授が許していたのは、学生みんなが知っている事でした。いや、許しているというよりも奨励をしていたでしょう。キャンパスのすぐ外に、11階建ての広大なマンションが二棟建っていて、それが学生寮でした。私は、そこには入っていません。だけど、若い人の間で、口コミであっという間に、その暴力沙汰が、広まったと思われます。それは、換言すれば、一種の殺人未遂でした。だが、ヒステリー性格が超強い、その日本人女子学生は、自分が何をしたかなど、すっかり忘れているでしょうね。だけど、日本社会でも、ニューヨークでも有名な画家になったとは聞いておりませんよ・・・・・

 私に嫉妬したり、いじめたりしたら、その人間の方に、天から大損失が下ってくるというのを最初に意識した例でした。

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副題9、『ニューヨーク大学の美術学部長、レディ・クリシュナ氏にも激賞をされていたのだが・・・・・今の小さな生活を、別に後悔もしていないのだった』

 その時同時に、現代美術理論を、R.C.Morgan教授について習っていたのです。その授業で、それなりに、高くご評価をいただいていたのに、2002年には合うのを避けられるのですね。それから、1999年に、同じくソーホーの自宅で劇症をしてくださったニューヨーク大学の美術学部長、レディクリシュナ氏が、私を避けます。で、変だと、なっていきます。その二人とも、裏からCIAが手を回したと思っております。

 ただ、もう一人激賞をしてくださった大版画家。ロバートブラックバーン氏が居ます。この方は、最後まで、大切にしてくださ居ました。それは、私の5冊目の書物『黄色いさくらんぼ』の中で、氏との交流(主に精神的なもので、非常に美しいもの)を書いているので、ここに割って入ったら、自分たちの裏工作が私に判ってしまうと判断をされて、邪魔が入らなかったのだと、推察しています。

 で、2001年に亡くなる直前に、『ニューヨークへ来なさい』と言う直接の電話をくださいました。彼は、24丁目(日本でいうと、原宿とか六本木みたいな、テレビや印刷、出版関係の業界人の集まる場所)の版画工房に保存してあった大量の版画を私に下さろうとしていたのではないかなあ? そんな直感がしました。ただ、その時は、すでに、夜は鎌倉の自宅へ帰って寝るという生活を始めていたので、昼も夜も逗子のアトリエで暮らすという時代が過ぎていて、行かれませんでした。家族と一緒の生活の中では、『お母さんは、ニューヨーク時代の版画の先生に呼ばれたから明日位からニューヨークへ行きますよ」などとは、申し出でられるものではありません。

 ブラックバーン氏の工房はニューヨークで、一番、古いもので、ビルの9階、100坪程度を占有するものでした。今の私だったら、後継者として名乗りを上げて継続してあげてもよかったと思います。当時の私だったら精神的に、弱くてだめですが、2007年に急に顕在化した、おおい成る、しかも、外部からの、複雑にして多方面からの、攻撃に抵抗しながら、生きてきたので、はるかに、往時より強くなっているのです。で、あの工房を運営することができるでしょう。私が、滞在をしていた頃、私は月に500ドルを支払い、家賃が、1100ドルだったので、半分は、私で持っていたのです。その9か月後に、通称【よよ】と言う日本人女性版画家の・・・・・自分がただで、お金を払わないで済む方法=モニター制度=を考案したせいで、他の人たちの誰もが、使用料を支払わなくなって、そこはつぶれるのでした。

 でも、ともかく、元に戻れば、その種のハイレベルの版画を提供していたのですから、ぼんぼり祭りの階級が、少しずつ、上がって行ったのです。ただし、抽象画は、お客様には、訴えません。で、ブログを2008年に始めたし、忙しくなったので、版画をやめて、また、とてもわかりやすいお人形チックな絵(=子供とか、赤ちゃんの絵)に変更をしました。色合いも気張りません。だけど、一つだけ、気張ったポイントがあって、それは、絵に添えるメッセージです。その書体はマジックで書くので、書としては、たいした書体ではないのですが、文言がすごかったでしょう。その時期に、日本人にとって、一番大切だと思われることを書きました。だから、迫力があったと思います。それでね。無名の私ながら、いつも、ぼんぼりの前に人だかりがしていて、中には、『あ、私、この人知っている』と言う人さえいました。

 だから、提出をやめなかったら、それなりの喜びはあったわけです。しかし、2008年から、音を厖大なレベルでお出しになるという妨害工作や、私が文章の中に描いた、大切にして、珍しい木であるアメリカキササゲを伐採なさるなどの、傾向が、見られて、苦しめられました。で、内心で、苦悩を重ねつつ、献灯をしていたのでした。それも、有って、毎年、2万円の摺代をかけて、版画を提供するのも止めてしまったというわけです。(苦笑)

 で、八幡宮様には、お気の毒ですが、例の大銀杏の倒壊があった後で、確定的に、献灯をやめると決意したのですが、慰留をされました。『なんと忌まわしい事だろう』と思いますよ。どうして、片手で、いじめることをして、一方で、慰留をされたかと言うと、それは、無論の事、鎌倉エージェントたちが、その方が得だからです。鎌倉一偉い場所である鶴岡八幡宮に、私の方が、恩義を感じていると、鎌倉エージェントの悪事を書けません。だって、彼らは、吉田茂穂宮司様とか、浄智寺さんを、自分たち側に、がんじがらめに、からめとって、いい様に使役をしていますので、自分を防衛するための文章すら書けなくなります。

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副題10、『2010年のぼんぼりへのお礼は、八幡宮様の社員食堂のシェフらしい制服の人が届けてきたが、あれは、完璧に刑事の変装だったでしょうね』

 昔は、まず、ぼんぼりを献呈した時点で、夏越祭最中に行われる各流派のお茶会の臨席券とかボタン園の入場券をいただきました。もしかしたら、お神酒の小さいものも、いただいたかもしれません。既に、記憶が薄らいでしまっていますが。そして、終わった後で、当年の、特殊なうちわが、御礼としていただけます。それは、石段より上に飾られている大画家の、当年の、献灯を原本にした竹骨のうちわです。

 それを届けてくださった方は、最初は神官でした。その頃は敵さんもお行儀が良くて、鶴岡八幡宮様へも、それほど、汚い手を伸ばさなかったと見え、平和でした。神官は、袴の色が階級によって違うので、一番下ではない、相当に偉い方が見えていました。本当に平和でしたね。

 処が八幡宮様が、多大な音で、(しかも、夜の7時からの演奏会の日に、朝の九時から、「マイクの練習中です」と、何度もがなり立てるという異様な形になって来た)苦しめられ始めてからは、後ろに鎌倉エージェントが控えていると、はっきりわかっていたのですが、それでも、2010年度の、お礼を持参した人の顔と制服には仰天ををしました。

 険しい顔とがっちりした胸板を、料理人用の、ダブルボタンの白衣に包んでいるのです。『鶴岡八幡宮様は、今は会社みたいに、なってしまった』と、私は思うのですが、社員が多くて、社員食堂みたいなものが、一般人の見えないところにあるのだと思います。だけど、その日、うちわを持って来た人は、制服はそこのものを着ていても、実態は刑事だったと思いますよ。顔が険しいです。そのうえ、ぶっきらぼうな事限りがなかったです。

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副題11、『なぜ、警察が、ぴったりと、鶴岡八幡宮様に張り付いてしまって、そこを全面的に、支配をする様になったのか?』

 私は、1984年に鎌倉に引っ越してきたのです。その年とか次の年の大晦日の、鶴岡八幡宮のにぎやかだったこと、にぎやかだったこと。大晦日は、紅白歌合戦が終わった後で、お客がどっと押し寄せてきて、なかなか前へ進めません。その待ち人の中に、鎌倉市内の子供たちも入っていて、終夜中、市内の寺社仏閣を回り、時間帯によっては、除夜の鐘を突き、時間帯によっては、初もうでをして、最後は海岸に出て、どんど焼き(たき火)にあたって解散をし、午前10時ごろ家に帰ってくるという生活をしていました。

 そして、正月第一週明けの週末の参拝客も多いのです。地元民と言うか、地境地主としては、『あの統計は間違っているわ、実質的な参拝客が日本一多いのは、明治神宮ではなくて、鶴岡八幡宮でしょう』と思うほど、5日以降の参拝客が多いのです。

 三が日は、車では参拝に来られないということもあるが、お正月は別の事(たとえば、海外旅行)をしていた人が、5日以降に参拝に来るからです。で、婦人警官の、「ロープが上がります」とか、「ロープが下がります」と言うのが合計にして、50時間ぐらい聞こえたと思います。それに対してうるさいなどと思ったことはありません。『ああ、にぎやかでいいなあ』と思うだけです。しかし、バブルがはじけて行こう、または少子化の波が押し寄せてきて以降、その音が非常に少なくなってきています。

 そのうえ屋台の出店も、少なくなりました。大晦日だって、終夜開いていないほどです。数年前に寒川神社に行きました。参拝客は、八幡宮の10分の⒈だと思うけれど、屋台の数は、1.5倍でした。はっきり言って、お正月の八幡宮境内は、非常に寂しくなっています。往年の賑わいが無くなっている。

 で、こちらの方は、鎌倉警察署、または、鎌倉エージェントの、中の誰かが、八幡宮様に、『屋台を規制なさい』と勧めたせいなのです。

 私は鎌倉エージェントの事を悪魔の軍団と呼んでいるし、その中に含まれている女性たちを魔女と呼んでいるのですが、八幡宮様は、そういう連中のいう事を聞きすぎておられます。

 それは、それこそ、わが家の真下の駐車場は、無料だったし、有料化しても、山の人間にお客が来たときは、無料だったのです。ところが、わが家にお客が来る時に、大きな車に乗ってくる人が居て、八幡宮様の駐車場が無料で、使わせてもらえますので、そこを使ってくださいと、電話で言った後で、有料化していったのでした。それは、2005年の事です。さもしいというか、けちになる方向で、変化なさっておられます。『どうして、吉田宮司様は、私のブログをお読みにならないのだろう。悪魔たちのいう事を聞いてはいけませんよ』と内心で思っているのだけれど、依然態度を、お変えになっておられません。

 そのさもしさと言うか、けちな心と言うか、意地悪な心が最大限に、発揮されてしまったのが、平家池の洗浄工事の際でした。樹木を伐採し、池の泥を浚渫し、回遊路を作ったのかな? ともかく、長時間、大音響が響いたのです。でもね、大音響だけではなくて、『これは、いやらしいいじめだなあ』と思ったのが、美術館の入り口閉鎖の措置でした。旧本館と呼ばれ、現在は、鎌倉館と呼ばれている、神奈川県立美術館そのものが、2016年に閉鎖されるということも、CIA(=瀬島龍三)側からの働きかけによるものだと思いますが、その平家池の工事の際の、入り口閉鎖程、ばかばかしいものはありませんでした。人間不信極まれりと言うたぐいのものです。

 トラックが出入りすると言っても、一日中、頻繁に出入りするわけではないのです。一台が、出入りするのに、最大で、10分かかったとします。その次の一台が、出入りする前に、5分程度待たせたって、充分なのです。そして、お客さんは、それほど、多くはありません。10分程度待たせたって、10人もたまらないでしょう。

 交通整理をするガードマンはついているのです。充分に人を通すことはできるのです。私は今夏、八ヶ岳方面にドライブに連れて行ってもらったのですが、急に道路工事をやっていたのですが、対向車が、まったくいないのに、15分も待たせたのです。ですから、こういういじわるは、警察庁の内部にいる、例の殺人別働隊の誰かが発想をしている可能性はあります。

 鶴岡八幡宮様は、一応表向きは、宗教団体です。だから、こんないじわるっぽいしぐさをなさってはいけません。絶対にいけません。恥ずかしいです。ただし、アメリカキササゲの大木を伐採なさったのは、どこの農大教授がそれを勧めたとしても、原初のアイデアは、井上ひさし発でしょう。だから、こちらのいじわるも、原初のアイデアは、井上ひさし発で、(彼が公的に死んだ後の事であっても)、彼が、実際には生きていて、地下潜行をしている傍証の一つとして、私はその意地悪な看板をいつも眺めていましたよ。特に工事の最後の方では、トラックの出入りは、非常に少なくてただ、ただ、意地悪をするために、閉鎖をしているという感じでした。

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副題12、『故・石川和子・かまくら春秋窯主宰者が、伊藤玄二郎氏の元愛人であって、彼女が警官を巻き込む、とんでもない間違い(または、大失敗)を犯したことを、私に書かれたくなくて、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、鶴岡八幡宮様を、自分たちの手下にしておきたいのです。

 でも、鶴岡八幡宮様は、800年の歴史があるのですよ。彼らみたいな、CIAをバックにして、特権を行使する連中のいう事を聞いてはなりません。アメリカに敗戦したのは、たかだか70年前ではないですか? それ以前から鶴岡八幡宮は、存在しているのです。しっかりしてください。吉田茂穂様。

 ここで、二万字に達したので、強引にちょん切ります。続きは明日別章をたてて語ります。推敲も明日やります。それが終わったら、日付と署名を入れます。

 PV 3025761

後注1、

 佳子様が、ケネディ家の直孫と、赤い糸で結ばれていた・・・・という記事が、なぜ、今表に出てくるのか?  2015-08-07 07:10:05 | 政治

 


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