銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

自宅で超高齢猫を、看取った経験が予行演習となって、母の死を落ち着いて迎えられた私

2015-08-05 03:26:46 | 

  以下は、本日の文章の主役を張ってくれている、ちびちゃんと言う猫の最晩年の姿です。

 

前報では、割と、濃い状況のお話をしております。足立区の次女による、姉殺しを、分析しています。が、それを、心理的に分析しています。一種の不倫が、裏にあったのではないかとさえ言っております。

 ああいうものを書いた裏側に、実は、猫に関して、フェイスブックで、書いた原文がありました。そちらは、単純でまっとうです。と言うのもフェイスブックでは、重いものを書くべきではないのだと、経験上判ってきていますし、最近、再開した二期目のフェイスブックで、知り合っている、FB友達にもそれは提案をしていただいていますので。

 で、非常に、まっとうな文章を書いているのですが、まず、でも、2,3こちらでは、説明を加えないといけない部分があります。

 まず、「あんがと」と言う言葉ですが、私がフェイスブックの世界で、相手に対する返事の一つの形として、使っているという事情があります。それをお断りをしたうえで、以下の文章に入らせてくださいませ。

『あんがと』-1
 あんがと、を、私はスタンプをいただいた、お礼によく使います。これね。赤ちゃん言葉で、ありがとうの略です。スタンプをいただいた時のお礼に、それを使います。スタンプ類のお勉強をしている暇がないので、それを、代わりのご返事にしています。で、どうして、72歳の私がそういう言葉を使うかと言うと、それが、猫語の、一種だからです。
 私の猫は、おしゃべりが大好きです。本当によく、彼女の方から話しかけてくれます。で、私も抑揚をつけて、答えます。ミャオ、ミャオが、主ですが、時には、人間語で、話します。それがどうしても赤ちゃん言葉になります。

 下の写真は、私が、今、その赤ちゃん言葉で話しかけている猫で、二代めのさびちゃんと言う猫の方です。

 
 


 あんがとー2
 初孫が生まれた時に、娘がゆりかごを持ってきました。私の猫が興味津々で、入りたがっていました。若夫婦は、ういご、だから、潔癖です。だから猫をゆりかごに、入らせないように、気を付けていました。が、あっという間に、彼女は入ってしまって、寝ていました。すると、サイズが、赤ちゃんとぴったり同じなのです。驚きました。それ以来、彼女に対しては、赤ちゃん言葉で、話しかける様になったのです。

あんがとー3
 私ね。単猫主義なのです。これは、昔、図書館で借りた厚手の上製本で、(たぶん文芸春秋社刊だったと思う。もしかすると早川書房か?)表紙の本で、エッセイ集ですが、その中に出てきた言葉です。著者は、タンギーと言って、イギリス人で、元諜報部員なのだそうです。1930~50年ごろまで活躍したエッセイストらしくて、今は、wikipedia等にも何も出てきませんが、静かで賢い紳士です。子供はいない、夫婦で、共働きらしいので、猫が窓のところで帰りを待ってくれているのだそうです。タンギーは、「自分は、単猫主義だ」と言っています。そのエッセイが非常に素敵だったし、私も猫と、個人的に意思を交換するのが好きなので、単猫主義です。
 ところで、早川書房には、誰か、猫好きの人がいたらしくて、猫に関するエッセイ集をいろいろ出していました。今もそうかな?

あんがとー4
 タンギーを読んで以来、3匹ぐらい付き合っています。その前に、実家にいたころ、は、猫を二代(二匹)犬は迷い込んできたものを、一匹飼っていました。だが、結婚後は、二代だけです。今は、長生きなので、一匹目が、19年生きました。この猫は家の中で、死を迎えました。最後の一年は、うんちや、おしっこは垂れ流しですよ。でも、面倒を見ると決めたのですから、見ましたよ。
 だんだん、弱って来て、階段の上り下りも猫らしくなく、どたん、どたんと、音が出るようになったりして、弱っていく様子を、見つめながら、死までの道程を付き合いました。死の一週間前、まったく筋肉が動かなくなって、いわゆる香箱と言う姿勢のまま、固まって、水も飲まないという形になりました。いつも目を閉じています。でもね。驚くことに・・・・・

 あんがとー5
 驚くことに、一日に、数分だけ、目を開けて家族を見つめ、『大丈夫、心配しないでね』と言う風な、顔をするのです。『猫って賢いなあ。そして、気高いなあ』と、思いました。人間が、心配しきっているのを知っていて、「心配しないでね」と言ってくれているのです。いや、最後はどういう風になるのだろうと心配して、特にそれが、冬だったので、暖かい居間に置いていたのです。
 でもね、その・・・・・一日に一回目を開けて、私達にメッセージを送ってくる・・・・・その様子を見ているうちに、この子は、これほど、私達、人間の家族に、気を遣う限り、ずっとこのまま、死ねないのではないかしらと思って、子供たちに、『別の部屋に置きましょう』と提案しました。そして、誰もいない一階の、12畳のへや(客間)にうつし、ガス温風暖房器をつけっぱなしにしたところ、朝の、4時ごろ、事切れたみたいです。

あんがとー6
 私、冬ですが、朝の五時ごろ目が覚めました。すぐ見に行きました。すると、目を開けて事切れていました。今まで、あれほど、硬く、きちんと守り抜いていた香箱の姿勢が崩れて、横向きに寝て、前足も後足も伸びて楽な姿勢になっていました。そして、あれほど、心配していた、何も食べず、何も飲まなかった一週間の最後ですが、驚くべき現象を目にしました。
 それは、お尻に玉の様な水滴が、3粒ぐらいついていたのです。おしっことも思われず、ほとんど、なめてみても味がしないのではないかしら。蒸留水みたいと、思うほどの、きれいな水玉でした。密集している毛の中で、銀の珠みたいに、輝いていました。
 その時に、死とは、決して汚くないのだ。こんなに、きれいなのだと、思いました。私達は、映画【おくりびと】とか、いろいろなテレビ番組や、ニュースや、文学作品で、死体と言うものが腐っていくということを知っています。それで、死を恐れています。しかし、前の猫ちびちゃんが教えてくれました。死とは、決して汚くはないのです。 

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あんがとー7
 子供たちが、6時になって起きてきたので、最後の様子が、こうだったと伝えました。と言うのも、先ほどまで、暖かくて、柔らかかったからだが、急に固くなり、冷たくなってきたからです。子供たちが、朝食をとっている間に、私は埋葬の準備をしました。真っ白な新しいガーゼで、硬直した体を、丁寧に全部、巻きました。泥の中に入れても、体がどこも、汚れることがない様にする為です。
 子供たちは、今は、二人とも結婚をして家を出て居ますが、ちびちゃんが死んだ当時は、まだ、この家に住んでいて、会社員をしていました。で、6時半ごろには、出勤の支度をして、外へ出てきました。
 このちびちゃんに対しては、主人は、忙しかったせいか、あまり、関心がなく,葬送は、私と子供二人で行いました。子供は二人とも、『今日、無事に電車に乗って、会社に行かれるのかしら❓』と、思うほど、泣きました。さめざめと泣きました。

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あんがとー8
 私の方ですが、不思議なことに、涙一つ出ませんでした。独身の頃、猫が死ぬとか、行方不明になると、さめざめと泣いたのに、その日は、一滴も涙が出ませんでした。ただ、ただ、ちびちゃんに対する感謝と尊敬の念で、心が満たされており、『よかった。よかった。ちびちゃんは、やっと死ぬことができて』と、思うのでした。
 猫とは、体重が3キロぐらいしかありません。で、人間とは、相当に違います。でも、充分に手当てをしたという、気持がありました。掛けぶとんや、毛布に、垂れ流されたものも、怒ったりしたが、一方で怒っても、仕方がないと思い、ひたすら、自分で洗いましたし。
 このちびちゃんの死は、幸福な死だったと思います。私にそれが、可能かどうかを考えると、無理かなあと思います。だが、母は、ちびちゃんと、似た様な、幸福な死を迎えました。母はお金持ちでした。だから、老人ホームに入ることができました。そして、周りの人にいろいろ奉仕をしていたので、お見舞いが多かったのです。お見舞いが多いということは、老人ホームのスタッフさんにも大切にされるし、一方で母は、老人ホームでも他の人の、洗濯物をスタッフさん樋所に畳んだり、自分でできることは一生懸命やる働き者だったので、スタッフさんたちにも愛されていましたし。

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あんがとー9
 母は、10月に亡くなったのですが、8月からものを食べず、水も飲まなくなりました。それは、子供たちや、老人ホームの人には、ある決断を迫られるということと成ります。胃瘻を始めるか、どうかと言う。私は、猫の死の経過を見て、・・・・・食べなくなるということは、死の前に、生き物が行う自然なことだ・・・・・と、分かっていたので、動揺はなく、胃瘻をしないという決断に賛成しました。母は、最期まで、きちんとした意識はありました。少しおかしいことを言う日はありましたが、認知症と言う風でもなかったです。が、自分の方から、「胃瘻をしてほしい」とか「点滴をしてほしい」ということはありませんでした。 90過ぎていても、都立大山病院で、白内障の手術をしたほど、生きることに意欲のあった人ですが、その最後の年の秋には、生命の、維持に対しては、強欲ではありませんでした。92歳でしたから、自然な事でした。私は猫に教えられていたので、それが、自然なことだと、分かっていました。『予習をさせてくれてありがとう』と、ちびちゃんに感謝しました。
 もっと思いはありますが、ここで、終わりといたしましょう。
 今の猫のさびちゃんが最期を迎える時に、自分が健康で、いろいろな労働ができる様に、と、願っております。どっちが先か、分からないけれど。ただ、子供たちが居ない代わりに、主人が、今の猫の方に対しては、深い関心と愛情をよせていますので、二人で、面倒を見ることと成ると思います。

 しかし、今度は、私達人間の方が、72歳ですから、猫の面倒を見ると同時に、人間の連れ合いの方も同時期として、面倒を見ないといけないかな? 人間も同時かな? あ、は、は、苦笑と哀愁をもって、そのことは、考えておりますよ。

 2015年8月4日に書き、5日付で、実際には、6日にアップする。

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3019063です。 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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