銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

PC(意見発表の道具)を、製造・販売の両面から規制するために、警察はわざと犯人を見逃したのかな?-1 △

2012-09-09 00:50:15 | Weblog
 今は、日曜日の夕方五時半です。今から推敲を始めさせていただきます。その最先端は、@@@@@罫線で示します。昨日書いたものは骨格だけなので、これから、文章を纏めていきます。どうか、よろしく。 

 ところで、この一文は珍しく、結論を最初に書いてしまいましょう。

 *この国では、言論弾圧が、今、現在も、しきりに行われている
ということです。
 *それを、警察が行うという形は戦前と同じです。
 *が、形だけは、現代の民主主義国家体制に合わせて、とても美しく整えられています。(苦笑)

 いえ、美しくというよりも、捻じ曲げて、わかりにくくされており、本当に一部の人しか、その弾圧のありさまに気が付いていないと思います。

 そこですが、本日は、だれでも自由に言論を発表できる道具である、パソコンや、SNS,およびネットの世界が、相当に大きく、規制の対象になっているということを、お話いたしましょう。『フェイスブックが、(思想統制とか、CIAに利用をされていて)怖いのだ』ということは知る人ぞ知る話でしょうが、もっと、違うところも、お話をさせていただきます。
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副題1、『いま、売られているパソコンは横型だ。それも規制のせいである』

 皆様、本当にパソコンを駆使する人、特に中年以降の人はパソコンは中古で買うものだとおっしゃいます。私も16,7台買いましたが、半数以上は中古で、買っています。テキストを書くときに中古の方が書きやすいのです。コントロールパネルもわかりやすいし、何より画面が縦長(というか、黄金分割だろうと思われる長方形である)です。

 が、最近の新しいパソコンはすべて横長のデザインです。で、販売店で、「どうして、こういう風な横長のパソコンばかりになったのですか?」と質問をすると、
 一回目は、「テレビが横長ですから」・・・・・という答えでした。

 で、別の日に、「私はパソコンでテレビを見ることはなくて、主に文章を書くのですが、横長だと、上にメニューバーとか、広告があって、文章の見える行数が少なくなって、思考が途絶えるんですよね。全体像が見えにくいのです」というと、「政府が規制をしているのです」という答えでした。

 びっくりしました。政府のどこの部署の誰が、そういう規制を行ったのでしょうか? おかしい。変です。
 一応、工業製品の企画を設定するのは通産省だと思います。どこの局のどの局長さんが命令して、その原案は個人としてはだれが作ったのでしょうか?

 これは、勘ぐっても、勘ぐらなくても、文章を書きにくくさせるためです。特に思考がいっぱい詰まっている長い文章を書くためには、この横長の形式は、不自由で、不利になり、よいものが書けません。

 ということは、こういう間接的な形で言論の弾圧が行われているということになります。
 私はこの文章(ブログのことです)を歴史の証言としたいと思っています。ですから、わかる方は、(私に教えてくださらなくても結構ですから)、調べておいてください。

 通産省の誰がいつ決定して、いつ官報にそれが載ったのか?
 もし、官報に乗っていないのに、事実上の規制が行われたのなら、ますます、怪しいです。
 というか、明瞭に言論弾圧のためでしょう。

 昔、高村薫さんが、新居を建てて、それを週刊誌のグラビアで発表をされたことがあります。すると、液晶画面は縦長でした。テキスト形式で文章を書くとして、A4一枚は、フォントが、10.5なら、32行がノーマルテンプレートです。あの高村さんの持っている縦長様式だったら、A4二枚分ぐらいは、はいる可能性があるとみなしました。
 いいなあ、と思って探しましたが、ウィンドーズ版のパソコンには見当たらず、あれは、マッキントッシュかもしれないと思っている次第です。
 今、i-phone も、i-pad も、くるっと回転すると、液晶画面を縦長に使えますね。

 だから、i-pad の使用方法に慣れる必要があるかもしれません。ともかく、文章が、横長のウィンドーズ版だと、小さいフォントでも、22行程度しか、見ることができませんので、前後左右を見渡しながら、文章を書いたり、推敲をしたりするのには、不便です。
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副題2、『フェイスブックに、タイムラインが導入された(?)が、その目的は?』

 私は3月11日に突然に、フェイスブックに入れなくなりました。いろいろ理由があります。が、四分の一ぐらいの理由は、青森か秋田に住んでいる若い女性(20代)から、讒言が入った可能性があるのです。その人は主に写真を載せる人です。それに、付随して、600字程度の短い文章を載せる人です。それは、非常に当たり障りがない頁なので、それなりに、人気があり、彼女は2012年2月の時点で、すでに、1800人のフェイスブック友達を持っていました。

 私がフェイスブック側に切られたのは、主たる原因は、その青森の若い女性の讒言ではなくて、タイミングから言うと、ある友達と、お互いの目の前で紙に書いた手紙を、自分の家からたった30分の間に、盗まれたことが原因です。まさしく、それが盗まれてから、10時間以内に、フェイスブックが切られました。
 その手紙が盗まれたのは、その友人とで会うことが、私を人間として、また、情報保有者として強化するとみなされていて、相当に警戒されていて、電話の盗聴等で、デートが、前もって把握をされていたからでしょう。

 二人が我が家で、懇談している間中、家の周りに、泥棒さんが、隠れていたというわけです。鎌倉駅に歩いて15分の場所ですが、南側が深い森になっているので、隠れるのが容易です。
 友人は夜の10時半に帰宅され、そのあとで、その手紙類を下の部屋に置いたまま、私が、上の部屋で、フェイスブック関連の書き込みをしている間に、盗まれました。
 その中に書いてあったことで、私が現代社会について、相当に正しい分析をしているからこそ、フェイスブックには、入れて置けないと言うことになったと感じています。
 二人で、前回分の手紙を焼いた後で、南側の掃出し窓の鍵を閉めるのを忘れていたのですが、私の周辺とはかくも大変なのですよ。一瞬の隙もないのです。

 そこに書いてあったことは、今、思考の80%ぐらい開示し始めた段階では、別にたいしたことでもなくなったのですが、当時は、20~30%までで、内容を抑えていたころなので、『知りたい』と、警察とか、瀬島機関(日本のCIA)が望んでいたのでしょう。革マルだったのかもしれません。

 ところで、その友人が、「フェイスブックって、あなたの情報をCIAが利用するシステムなんですって。それは、公にも発表をされていたわよ。恐ろしいわよ」と教えてくれたのですが、そんなことは以前から予測をしつつ書いているのです。
 特に、最近、、急に30%の自己規制を取っ払って、すごいことを書いているのですが、自分の内部ではね。『こんなことを私が考えていることは、相手方も、すっかり知っていることでしょうね』とも思っていて、恐れも知らずに、すらすらと書いています。そして、結構書けてしまうものなのです。

 で、それらの、もろもろの理由でフェイスブックを切られたわけですが、たぶん公的な理由は、その青森の若い女性の讒言を理由としたのでしょう。出ないと、表向きにも言論弾圧があると言うことになってしまいますから。

 で、日本国とか、日本人全体を考えると、私がフェイスブックに入っていて、大勢の人に自分の文章を読んでもらう方が、彼女を残すより、ずっと、プラスになるとは思いますが、
 日本の真実の支配者にとっては、それは困ることなのです。
 私の考え方(=日本は、被・植民地国家である)が、全国的に広まったら大変だと考えているでしょう。

 で、なんとも、不合理な形で、フェイスブックに入れなくなった私ですが、逆境をばねにもする、私です。それにね、イソップ物語のすっぱい葡萄の話ではないが、天はごらんになっているとも信じています。その、私に激しく突っかかってきた若い女性のこれからの時間(いわゆる生涯というもの)は、それほど、幸せなものには、ならないでしょう。預言者として予言をしておきます。自分勝手ですが(笑)

 フェイスブックでは、ある程度の人気者になれても、他の人の役に立つ密度と重さが、彼女と私では、違うから。こんな私を追い出したことを、神様は、別の面で、彼女を、お叱りになると思いますよ。

 まあ、私は、私生活では、充分すぎるほど恵まれてきたから、これで、いいのです。充分です。

 ところで、一応、外へ向かっての自分と言うか、一種の公的な部分ですが、
 逆境を、モノにするということがすきです。
 フェイスブックに入っていないからこそ、書ける内容のことを、今、書いています。

 特に実名で書いていて、しかもある個人のマイナス面を書いています。これは、フェイスブックに入っていると、やりにくいことです。もろに毎日、お互いに文章を読んでいる相手がいて、その相手から丁寧なご返事やら、感想も入る立場ですと、常識の範囲を逸脱できません。
 常識の範囲ですと、実名で、悪行を書くことは忌避されていると思います。

 私はフェイスブック時代に、最初の5か月はともかく、それ以降の、5か月は何の努力をしなかったのですが、それでも、900人を超える友達ができました。それほど、文章に力があったと自負しています。

 が、5月にはじめて、たった2か月目の7月から、すさまじい妨害を受け続けました。それについては、本日は語りません。

 ただ、フェイスブックが、対・文章と言うことで、激しい防衛を始めたと言うのを語りたいのです。
 そこにタイムラインというのが導入をされたことは、まさにそれを示しています。
 上に言ったような、軽い情報を主にアップする人には、タイムラインは、有利です。写真を主にして、文章は短い形式の投稿をする人には有利です。投稿が二つ以上、同時に、右や左に現れるからです。

 が、私のように、文章が非常に長い人にとっては、右側に違う文章が表れる形式は不利です。読者の集中が乱されます。ふと、右へ寄ってしまったり、左へ帰ったりして、文脈を追及できなくなるからです。

 フェイスブック側というか、CIA側は、ある個人の思想信条を探りたがっています。
 だが、一方で、オピニオンリーダーが生まれることは、大きく警戒をしています。だから、力のある文章を書くのは、忌避していて、やめさせたいのです。で、写真優先の頁ができて、全部のメンバーの頁をそちらに移行させるということが、二月ごろ発表をされていました。その後、どうなっているのかな?
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副題3、『ハッキングを常時されている私としては、やはり秋葉原無差別殺傷事件は納得ができません』

 ところで、上までの文章は、『パソコンを使って、ものを書く場合に、どんどん、不自由にさせられている』という話をしています。だが、これからは、ハッキングとか、盗聴の話へ入ります。

 私がそれに気が付いたのは、2007年からでした。2008年の秋にブログを始めていますが、それ以前から、すべてがハッキングをされていたとみなされます。
 だれがやっているかと言えば、警察か、CIAです。でも、それが、公になってしまうと、日本が暗黒社会であることが、一般の人にも明らかになってしまいます。
 日本を、植民地として扱い、日本人が汗水たらして働いたお金を、収奪したい海外にいる連中にとって、日本人はできるだけ、豚化したままでいてほしいのです。真剣になられたら困るのです。で、のんきで明るく、軽い態度を持ち、遊びほうける人でいてほしいから、上に言ったような秋田か、青森に住んでいる女性が歓迎されるわけです。
 余り詳しくは彼女のことは知りませんが、そのとき(2012年の1月中)に、すでに1800人の友達が居ると言うことを誇りにしていて、一生懸命フェイスブックに力を注いでいたみたいです。

 彼女は、お菓子や、花や、映画等だけを話題にしています。こういう女性なら、最高のエリート扱いをできるが、私のようなタイプがはびこっては、困るわけです。特に私がオピニオンリーダーになったら大変なわけです。

そう言う敵の思惑は充分すぎるほどわかるから、常に、「私は、チェ・ゲバラにはなりません」と言っているわけですが、この前、日刊現代かな? 小沢一郎氏を「現代のチェ・ゲバラだ」と持ち上げていたので、『あれ、日刊現代の編集部は、私のブログを読んでくれているのかしら。そのうえで、あれほどの、小沢一郎、持ち上げ記事を書くのだったら、そりゃあ、記者魂が太っ腹ですね。肝っ玉が据わっているわ(笑)』と思ったのですが、まさか、このブログを、読んでくれてはいないでしょう。

 ただ、小沢氏が読んでいる気配は以前から察しているから、彼から、そういう言葉が日韓現代の編集部へ伝えられたのかもしれません。

 元へ戻ります。詳細な証拠は今は挙げませんが、常にハッキングをされている私としては、そりゃあ、警察が、あの朝の五時から、ネットに投稿するという形で、殺人の予告をしていた犯人を取り逃がして、実際に殺傷された人が出たことは納得ができません。
 『あなた方、ターゲットがまったく間違っていますよ。私の様に平和主義者で、人畜無害な者をハッキングしたりして。反対に本当の殺人を犯した人間を取り逃がすなんて』と言いたいところです。無論のことそういいたいです。
 が、これを言ったのは、今日が初めてです。
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副題5、『私は本音を伏せて、美しいエッセイ<秋葉原の車いす>を書いた』


 上に書いたことは、この2012年の9月に入ってからやっと発表できた本音です。それは、ずっと、心の中に保持していましたが、自己規制をかけていますね。「常に30%で抑えます」と。だから、長年おくびにも出しませんでした。
 そして、美しい人が登場する美しいエッセイを、書きました。『秋葉原の車いす』というものです。

 その原文をここにコピーアンドペーストしておきましょう。
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 第三十七章『秋葉原の車椅子』
    ・・・・・事件の後も、優しい人たち・・・・・

 私の母は老人ホームで車椅子を使っています。それで、私は、車椅子にはちょっと詳しいのですが、動輪が二つあるのを、皆様はご存知でしたか? つまり、実際に人間を運ぶ動輪とは別に、乗っている本人が動かす動輪(より直径の小さいもの)が外側に、二つ目としてついているのです。ですから左右で四つの動輪がついています。
つまり、使っている本人の手を汚さないで、進めるようになっているのです。老人ホームは床がきれいです。でも、外に出たときに、一組の動輪しかなければ、土で手が汚れます。それを防ぐシステムです。で、幅が結構広くて80センチ近くあると思います。

 バリアーフリーというのは、段差を無くす事も指すのだけれど、ドアーの幅も広げる事なのでは無いかと、私は考えているのです。

 ところで、JRは、ほとんどの駅に自動改札機を導入しました。その通り抜けの幅ですが、結構狭い。私の感覚的認識では、幅が60センチ以内だと思います。親がこどもを、横に手を繋いで、ただで、通り抜けるのを防止するためなのだろうと、私は想像しております。
 でね。車椅子は通れないはずなのです。ところが夜の九時近くの秋葉原駅で、誰かが車椅子でそこを通り抜けようとしていました。私は親切という事では、躊躇した事がありません。すぐ近寄って、彼の車を導き、自動改札機のそばに、大きな駅ではたいていは設置されている、有人改札口へ押して行こうとしました。

 すると、まだ、その改札口へ入ってはいない青年は、私の行動を右手で払いのけるように制止しました。そして、方向転換に、二、三度、苦労をした後で、自動改札機へ入って行きました。このたった、二、三分の間に、私は多くの事を考えさせられたのです。

 彼が言葉もなく、つまり、声を出さずに、私を振り払ったのは、・・・・・やはり、彼の障害が、相当な重荷として、彼にのしかかっており、彼はそれを覆すために、人間として大きな修行を積んでいる・・・・・甘くない人間である。・・・・・・という事が、第一番に察せられた事でした。

 二つ目は、昔の鎌倉駅の情景です。鎌倉駅には最近、エレベーターとエスカレーターが設置されましたが、それができる前の話です。階段に、車椅子を運ぶ機械が据え付けられていた頃の話です。その機械は、車椅子の乗り手本人では、操作不可能なもので、駅員さんが三人ぐらい出て来て手伝うものでした。
 そして、その日の主役は、高齢者で、それゆえに車椅子使用者になった人で、太っていて裕福そうで、娘さんか、お嫁さんか、お手伝いさんかは、わかりませんが、付き添いの人もいます。まるで、大名行列のような大騒ぎです。それを批判するのは意地悪になるだろうから、批判はしませんし、もう、エレベーターができたので、ああいう大騒ぎに接する事がないけれど、「中年のおばさん族のあつかましさ」という事がちょうど、週刊誌のテーマとして、ブームとなっていた頃だから、私は、その主役の婦人に対して、・・・・・ずいぶん、鈍感な人だなあ。『済みませんねえ』という表情が浮かんでいないもの。当然の事として、周りの人を振り回している・・・・・すごいわねえ。世の中にはこういう人もいるんだ・・・・・と悪い意味で、感心したのです。

 その婦人に比べれば、この秋葉原の若い人は、加齢によって歩けなくなったわけでは無く、何かの事故(特に頚椎損傷)か、サリドマイド禍、か、小児麻痺系統の病気の結果であるように見え、下半身が発達していなくて、車椅子を使っていても、全体の高さが無かったのです。

 それは、彼が通路に入ってから、証明をされました。まず、スイカを機械に当てるのだけでも、彼の体(座高)が低いために、相当大変でした。その上、この車椅子は特別仕様で、例の外側の動輪がないのです。でも、手が汚れても良いから、内側の動輪で、進むのだろうと思っていると、なんと、幅がぎりぎりで、左右の動輪と、通路の壁面の間は、二ミリか、三ミリしかありません。となると、彼の指が入りません。

 『どうするのだろう、大丈夫かしら』と心配しながら後ろから眺めていると、彼は「えいやっ」という感じで、左右の手を可能な限り伸ばして、左右の機械の上端を捉えました。簡単にはつかめず、そうですね。機械の高さは一メートルを超えているように見えるし、彼には、骨盤あたりのお肉が発達していないように見えましたから。
 それで少しだけ、車椅子を進めて、機械の上端を握りなおし、また、『えいやっ』という感じで両手を、大きく後ろへ流し、車椅子を、60~80センチほど前へ進めました。
 
 彼を見守り続ける、私の左側に、すっと寄り添った若い女性がいて、彼女も「お助けしましょうか」と最初は言いました。が、その人も彼が、えいやっと、手で自動改札機の間を、漕ぎ抜き始めると安心して去って行きました。

 それは、新しくできた東口の方で、照明は明るく、歩道は広いのです。きちんとしたスーツを身につけた、その青年は、ヨドバシカメラの方へ消えて行きました。私はしばし、呆然として、その青年を見送りました。
 体にハンディがある。しかし、気力も充実していて、『自分は、できる事は、できるだけ、自分でやる。誰にも援助を請わないのだ』という姿勢が明敏です。『もしかしたら、あれは、乙武君だったのでは無いかしら』と思うほどの、毅然とした姿勢。誰にも甘えない雄々しい姿勢。文字通りの意味で凛とした姿勢。

 私はさらにいろいろな事を考えました。ハンディがある人も、頭脳を使えば、人と互角の生活ができる。パソコンなどを使って、インターネット上などで意見を交換するなどの、シゴトなら。そのためには、秋葉原は、拠点となる街なのだ・・・・・という事。そして、陰惨な事件が起こったのに、彼のそばに寄り添って、私と一緒に助けようとした、若い女性がいる事・・・・・そういう事にも感心しました。

 私は、六十五才(この文章を最初に書いた当時)の女性としては、秋葉原に頻繁に出入りしている方でしょう。そして、東口にヨドバシカメラができたために、西側の本拠地が、沈んでいると思ったり、他、さまざまな観察を重ねております。
 その日も、電車から広告が見えたBOOK OFFを夜の八時過ぎにたずねようとしていました。今まで一度もたずねた事がない上、私は、夜は方向感覚がつかめない方です。自分だけで探すのは、あっさりと諦めて、おのぼりさんと誤解をされる事を恐れず、人に聞いたのです。

 そういえば、数年前に、麻布十番で、「六本木ヒルズは、どこにあるのでしょう」とモダンな女性(ブティックのオーナーだとのコト)に訊ねて、「あなた、外人?」といわれてしまった時を思い出しました。彼女は私をいたわるがごとく、その夜三十分以上を私のために、費やしてくれたのです。で、この秋葉原でも、まず、女性に質問をしました。

 すると、その若い人は、「あ、私、この辺りの人間ではないので」と断りましたが、それでも、言葉は邪険では無く、不親切だとは感じませんでした。その次に、小太りの四十代前半の優しそうな、男性に聞きましたら、「そこを曲がると、すぐですよ」と教えてくれました。もちろん、私は質問をする前に、人を選びます。彼は、ネクタイは取っていたが、きちんとした人間だと感じましたからね。秋葉原近辺に勤めている男性でしょう。
 でも、そんなきちんとした人だって、あの凄惨な事件のあった後だから、硬くなって、人を警戒する事もあるでしょう。でも、そうでは無かったのです。私は、たった、三十分程度の間に、秋葉原の人々が普通の感覚で、・・・・・例の親切な日本人として、・・・・・以前とかわりが無い雰囲気で暮らしている事を知ったのでした。良かった。良かった。   2008年7月3日
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 と、書いています。この中には、警察批判は、一言も入っておりません。
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副題6、『井上ひさし、警察をNHKクローズアップ現代の中で、擁護する』


 ところが、その後、井上ひさし、氏、がこれにかみついてきたのです。NHKのクローズアップ現代の中でです。
 どうして、そのように思うかですが、その日のタイトルは、太宰治についてでした。別に秋葉原事件についてではなかったのです。正式には、そうなっていました。

 で、豪華に作ってあって、こまつ座の俳優と思われる男性が、太宰の文章を朗読をいたしました。それに井上ひさしが解説を加えて、太宰治の偉大さというか、良さを示すという流れです。
 ところが、最後の二分で大逆転。母屋を取ってしまう、スピンオフが表れました。

 なんと、「秋葉原の無差別殺傷事件の犯人は、その文章に魅力がなかったから、だれも注目をしなかったのだ」という言葉が出てきたのです。

 これは、大変な策略を込めた脚本に基づいています。井上ひさし、らしいなと思いました。曲がっている。練ってある。だけど、言いたいことは、『警察は悪くない』です。

 私の上の文章の中には、一切、警察に対する批判は出ておりません。ハッキングを警戒して、未発表の文章の中にさえ、警察に対する批判は、用心して入れてありません。
 猫のことで警官たちが大失敗をしていることは書いていますが、秋葉原の事件について、警察を批判することは一切やっていません。

 ただ、この時までに、私は鎌倉裏駅にあった喫茶店『映画館』が、消え去ったり、京橋にあったギャラリー手が消え去ったりしているので、私の文章を研究して、そこに出ているものや場所を徹底的に、消滅させようとしている人間がいることには気が付いていました。
 
 もう一つ、重要なことは鶴岡八幡宮・境内の、美術館・職員用玄関前にあった、アメリカキササゲの大木が伐採されたこと。これらは、すべて、私がエッセイの中で、大切な美しいこととして、書きとめたものでした。それの否定が連続しておきていたのです。それで、誰がそれを、企画し、提言して、実行をさせているかが、不思議でならなかったのです。

 ああ、もう一つあります。鎌倉小町通りの共同溝・工事ですが、これも明瞭に私のエッセイ『敷石を磨く男』の否定でした。小町通りの御影石でできた敷石は、全部取っ払われて、そのあとでは、回復をしていません。辻堂の法務局に向かう幅広の歩道でさえ、御影石で、舗装をされている時代に、

 一年で二千万人の通行人があるという、主要な観光道路である鎌倉小町通りは、でこぼこのアスファルトだけなのです。伊勢神宮のおかげどおり、横浜元街のとおり、焼津のとおり、そして、そして、と、今、全国で展開している御影石の美しいとおりが、まったく回復していません。

 予定としてはカラーアスファルトになるそうです。
 そして、瓜南直子さんという日本画家が、フェイスブック内で、『全日本、アスふぁが連』という、おちょくったからかいの名称付きの組織を作って、庵とやらと、これも、笑いのめした文章を頻繁に載せていたこともあり、
 連中がそろって、このいい加減で、延々と終わらない工事をしながら、私の文章を否定して、それを、あざ笑い続けてきました。

 で、私は、伊藤玄二郎だと思っていたのです。『まさか、巨匠と呼ばれ、直木賞審査員をしていた井上ひさしが、これほど、忌まわしいことをやるはずがない。だって、彼との間には、何ら、感情を込めるようないきさつはない』と、信じていましたから。

 ところが、そのクローズアップ現代を見たとたんに、確信をしました。すべてのアイデアは、井上ひさしから出ていると。
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 ただね。恐ろしい彼らは、NHKのその番組を編集しなおせと命令して、急遽作り直すかもしれません。最後の二分を取り去って、前の方の余裕があって、切り捨てた部分を再度入れ込めれば、100%が純粋な、太宰治特集となりますからね。
 私は、この件をすでに、何回か書いていますので、すでに番組は作り直されているかもしれません。だけど、50年か、60年後に、どこかに、そう言う真実が出てくるはずです。だから、私は一切、顧慮とか、心配はしていないのです。

 それよりも、自分を追い詰める種々さまざまな悪辣なたくらみのほとんどを井上ひさしが発案していることが確信できたことが、そのクローズアップ現代を見たことのメリットでした。

 今般、明らかにした田代大士さんから、らしく装った、呪いのコメントを読んだときに、はっきりと井上ひさしが書いているとわかったのです。
 どこが、根拠となったかというと、 
その中で、知らない人に話しかけて、云々とありますが、そこです。

 『は、はーん、彼はあれが不快だったのね』と思い当たることがありました。それは、鎌倉駅のホームにあった喫茶店でのことです。彼が入って行ったのを見定めて、私も入り、隣に座りました。ホームの上だから小さくて、カウンター席が五つ程度しかありません。ほかの駅だとそば屋があるところを、小さな喫茶店があったというわけです。

 そこで、軽い口調で、「私ね、自分一人で本を作りました。差し上げたいのですが」とまず言ったのです。

 その時には、彼が、すでに、私のパソコンをハッキングしていて(それは、警察かCIAがやっていることですが、装置によれば、それは、分配送信ができるでしょうし、ある場所に集められていれば、そこを訪問すればすぐみられるわけですし、
 十分に内容を知っていたというわけです。後で、その当該の文章自身も、っこに、コピーアンドペーストしますが、

 それに対して、すでに、内心で、怒っていた模様ですね。だけど、もし、私に、「あんたが書いたことで、僕は怒っている」と言ってしまえば、ハッキングをして、すでに内容を知っていることがばれてしまいます。だから、彼はずっと黙っていました。

 でも、私の方は、彼が内容をすでに知っているなどとは夢にも思わないわけですから、全く違う解釈をしながら無言の彼から返事が来るのをじっと待っていました。私の解釈とは、こうです。

 『ふむ、ふむ。やはり有名人ね。有名人って、無名の存在をひどく馬鹿にするのだわ。彼も、絶対に受け取らないわ。でも、お子さんが三人もある奥さんを、ひどい・わな・にかけて追い出したような人間ですから、彼から、一目を置かれる人間となる必要はない』と思ったわけです。

 『要りませんよ。素人の作った本なんか』と言われて、傷つかないうちに、さっさと、この人から離れよう、と思いました。
 で、彼の左肩をポーンとたたきながら、「要らないわよね」といったのです。顔は笑いを含んでね。そして、さっとそこを出ました。

 これはね。彼を笑ったのではないのですよ。自分を笑ったのです。なんていうかなあ。皆様にも分って頂けるかなあ? 本当のことを言うと、二重、三重のユーモアがこもっているわけです。長い沈黙は否定だと取りましたからね。

 本当なら素人としてばかにされたことを怒っていいわけです。でもね。上げないでいられて、ほっとしたのも真実なのです。『あれをあげたら、まずいよね。やっぱりそうでしょう』と思うような記述・・・・・背が低いことを書いた・・・・・が入っています。たった一行だけですけれどね。

 この井上ひさしは、背が低いと言うことは、テレビで見ているだけではわかりません。鎌倉の町で、私の、目の前を彼が、歩いているからこそ、分かることです。

 彼が確かに傷ついていたのは、その後、もう一回ホームで会ったときに分かりました。対抗方向、6メートルぐらいの距離で再び、目があったのです。彼は見事に覚えていてくれました。覚えていたからこそでしょうが、彼は、いやな顔をして、さっと、踵を返しましたからね。
 しかもシークレットブーツを履いていました。本来の背より、ずっと高く見せていました。本当は私より背が低い人ですが、その6メートルぐらい先で突然、逃げ出したときの背は、私よりやや高くて、本来の背より、10センチ近く高くしてありました。

 そのときに、私が思ったことは、『ああら、変なの。巨匠と言われていて、すごく大物なはずなのに、そんなに簡単に、感情を表に出すのですか?』と言うものです。

 私なんて、毎週、昔は50軒、今は、25軒ぐらいの画廊を尋ねて、種々さまざまな対応を受けていて、いやな思いもいっぱいしていますが、ほとんど、顔には出しませんよ。だから、ご近所様とかは、『彼女は非常に弱い人だ」と思うらしくて、ひどく礼儀知らずのことを、井上ひさしや、伊藤玄二郎に教唆をされて行います。

 私は、そう言うことに接しても一切顔に出しません。ただし、必ず文章にしますよ。すぐではないかもしれませんが、必ず、文章にします。だって、それこそが、現代政治の現実なのですから、必ず、文章にいたします。
 だから、ご近所様にしても、画家にしても、同窓のかたがたにしても、あなたが、敵(この場合は、日本国民から多額の金品を収奪している存在)の最末端の、ぱしり(=いわゆるブルーカラーの働き手)として、行動をなさる限り実名で、その行動を記録いたしますと、言っておきましょう。

 馬越陽子さんなど、私がちゃんと本を差し上げているのだから、それをお読みにならないといけません。そうしたら、あんなばかげたことをやるように勧められても、「これは、成功しないと思いますけれど。打から、私にはできません」と言って、断ることが出来たと思いますけれど。
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 ここで、長いスピンオフから、元の鎌倉駅ホーム上の喫茶店や、その前の時点に戻ります。
 私はその当時は、井上ひさしが、面妖な人だとは、近くはしていましたが、ここまでエージェント(国際的軍産共同体のですよ。共産党のではありません)化しているとは気が付いていなくて、悪口として、その文章を書いたわけではないのです。背の高さでは、もう一人テレビ画面ではわからない高さの人が「内橋克人」さんがいて、その人との対象例として書いているですから。
 では、その文章をあげましょう。本来のテーマは階級差というものですが、私と井上ひさしとの二人の間では、それよりも、背の高さが、問題になってしまっています。
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@5 キャベツの外側の硬い皮
    
 スーパーに目玉商品として、産地直送のキャベツが置いてありました。外側のくるくる丸まった硬い皮さえ付いています。家にウサギでも飼っている人なら大喜びする商品ですが、家に人間しか飼っていない人だと困るほどのかさ張り様です。で、棚の前に段ボール箱が置いてあって、不要な外側の硬い皮はそこに剥き捨てて置くように成っているようです。

 その場所で、ある男の人が非常に器用に、さ、さっと皮を剥き捨てていました。お料理に熟達している女性なら、いざ知らず、男の人があまりにも器用なので、不思議に思って注目すると、なんとその人は10年ぐらい前まで、鎌倉の小町通りで八百屋さんをしていた青年でした。彼は、鎌倉のお坊ちゃまらしく、おとなしくて上品な人で、テレビのニュースに出てくるアメ横のアンちゃんと言うわけでもなく、私がそこで買い物をしていた時にも「はい」とか「いいえ」とか「え」ぐらいの声しか出さなかったのですが、私は顔を覚えていたのです。
 昔風の木造建築を改築して、コンクリート製のビルにする際、彼らは八百屋さんをやめ、テナントへの貸しビル業と、それから、自らもそのビルの一軒である、こぎれいな商店に商売換えをしてしまいました。収入は増えたでしょうし、労働は楽に成ったでしょうし、吹きさらしの中で働かなくて良くなった分、生活のレベルアップにつながり、良かった良かったの毎日でしょう。

 でもね、・・・・・
「三つ子の魂百までで、彼はキャベツの外皮を余りに器用に剥いたので、前職をあきらかにしてしまいました」めでたし、めでたし。・・・・・とまるで、童話みたいな、からかい気味の結論で、このエピソードを終わるべきでしょうか。

 いいえ、そうではありません。あの光景が、ことさら私の眼に留まったのは、そんなテクニックの問題ではないのです。本当に不思議な事なのですが、あのおにいちゃんは、往年のオーラを失っていたのでした。それが、何故かが問題なので、私は、数ヶ月間にわたって、あのスーパーでの光景を忘れられないのです。

 鎌倉には、知的有名人が一杯います。駅で、内橋克人さんを見かけ「意外と背が高いのね」と思ったり、井上ひさしさんを見かけ、さっきと反対に「意外と背が低いのね」と思ったりします。そう言う街ですから、上昇志向の問題とか、階級の問題は、秘められていながらも、絶対に存在する町なのです。で、現代日本では、その種の大メディアに登場する有名人が一番えらくて、それに比べれば、単価の低い野菜を売るのは、低く見られると思いますので、いままでは、残念で辛い事だったでしょう。

 でもね、八百屋さんほど、そのメンバーが勤勉か怠惰かが、見事に現れる商売は無いと、私は従来から考えているです。そして、彼らは、まことに勤勉な人たちでした。口は華やかではないのですが、販売の時に前後左右に動く感じとか、準備や後片付けをちゃんと遣っているんだろうなと言う店の感じとかで、彼らが勤勉な人である事が私には、わかりました。その勤勉さのおかげで、私たちは安全で、おいしい物を食卓にのせる事が出来ます。でも、そのためには、平均以上の労働を彼らはしなければならなかったでしょう。で、彼らのエネルギーは輸出超過だったわけです。もちろん、有名作家が楽をしていると言うわけでは有りません。でも、彼らは出版業と言う大量生産のおかげを得ているので、同じ時間で、高額のお礼をもらえるから、体の一、細胞、一細胞に、還元した時には、彼らも輸出超過をしていて、損をしているとは言えないと思います。でも、八百屋さんの細胞は総て、一日が終わった時に「今日は働きましたよ。乳酸がたくさん溜まっています」と言った筈なんです。それが、なんとなく、彼らの顔を美しくしていたのでしょう。それから、大勢の人との交流による、気の交換もあって、かれらは、オーラを発揮していたのではないかと、私は思うのです。こう言う美しさって、ほら今流行の芸能人である、氷川きよしなどにも共通する美しさですよね。でね、こう言う風に、ひそやかに美しい人も居れば、目だって汚い人も居るわけです。                   2004年1月17日
*************

 無論のこと、皆様の中には、「あら、いやだ。体のことなんて、変えられないものなのに、それをあげつらうなんて」とおっしゃる方もあるでしょう。だけど、本当に丁寧に読んでくだされば、『鎌倉に住んでいるとテレビに出てくる有名人に出会うことが多いのですよ』と言っているだけなのです。

 それと、そういうマスコミセレブと普通の人との間に横たわる階級差に触れているのが主題です。
 しかし、恐ろしいことが、その後で、発生しました。そのホーム上の喫茶店は撤去されたのです。彼は執念深い人です。そして、過剰に反応する人間です。そして、権力をふるう人間です。きっと、瀬島龍三か成田豊氏に頼んで、JRの上層部に掛け合って、自分が提案したのだとはまるで分らない形で、その喫茶店をやめさせたのです。

 喫茶店を運営していた女性の、収入(もしかしたら生活費)など、どうなってもいいのでしょう。彼は、いまだに生きています。あの田代大士さんのコメントもそうでしょうし。種々、彼が発案したであろうと思われる小さな策謀がいまだに見られますから。

 長い挿入を終わります。

 クローズアップ現代で、彼が本筋からは、全く離れた秋葉原事件のことに入り、警察を擁護した時から、例の持って回った隠ぺい体質とずるさが、ほの見えたのです。

 最初から、『秋葉原殺傷犯と太宰治を比較する』とタイトル付けをしてあれば、私もこういう想像はいたしません。

 ところで、とても大切なことを、書くのを3時間ほどわすれていました。それは、どうして、井上ひさしがそこまでしゃかりきになって、私を追うかということです。それは、お金の問題と、いったんエージェントなどになってしまうと、後戻りができないということが、大きい理由でしょう。

 電気代ひとつとって見ましょう。この国には一億2千万人の人が住んでいます。一所帯、8000円の電気代を払うと毎月払うと仮定して、一人頭大体、2000円以上の電気代を払っていると仮定をします。一年で24000円となります。そのうち、半分が原子力発電所の原料輸入代金に充てられると仮定いたします。すると一人頭、1万2千円になり、それを日本中で、積算すると

 それだけで、1兆4400億円になります。そのうちの1000分の一を日本人エージェントに還元しても、すぐ十億になります。
 小沢一郎氏や、井上ひさしなどの大物へは分配金も高いでしょう。だが、彼らにしてみたら、軽い軽いお金かも知れません。打から、それを、もらうことが出来る。

 で、敵さんにとっては、10億ぐらいは軽いもんだとなります。

 これは無論続きます。いつ書けるかはわかりませんが、続きを書きます。お待ちくださいませ。

 2012年9月9日   雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

9月10日の朝に入れる、追記ー1 
このブログへ訪問をしてくださった方の数。

 私はブログの人気などに気を使ったことは無いので、総訪問者数などをチェックしたことが無いまま、最初の二年間を過ごしてしまいました。それは、気取っていたわけではなく、ただ、書く方に一生懸命だったからです。2010年の途中で気がついて数をチェックしだしていて、その日以来の累計はとっております。
 一方で、2011年の夏、グーグルでは、「90万人を越えたといってくれました。が、それを、フェイスブック上の友達に話したら、
その日以来、ぐんぐんと数が減らされているのです。それもむろん、この頁が真実を書き抜いているので、読者の眼に触れさせたくないと言う例の連中の工作でしょう。
で、防衛のために、二年後からの数ではありますが、ここに、総延べ訪問者数と、総延べ訪問回数を書きたいと思います。
2012年9月9日までの数字

トータル閲覧数(PV) 1279618
トータル訪問者数(IP) 359200


追記ー2、

どうしてか、最近、以下の文章に立て続けにコメントをいただいています。
それで、本文を読み直してみたところ、結構面白く(・・・・・いえ、本当のことを言うと、私にとっても、その主人公にとっても、まじめでつらい話ですが)、かけていましたので、ご紹介をさせてくださいませ。

空き家(NHK番組内)の主は、国展落選の、画家(女性)です
2011-01-21 00:05:18 | Weblo


http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/4aca2c31882c00858b1cb8a5366a39f2/19

 このコメントの前に、主人公の作品が千葉県立美術館で、この2012年の3月から4月にかけて展示をされたと言うことを、知らせていただいたので、御礼として、以下の陽に言っています。
私から、
新しい情報をくださってありがとうございます。そうですか。千葉県立美術館に行けば彼女の作品の写真等もあるかもしれないし、作品の一部は保管してあるかもしれませんね。
 立派な方だし、上に書いたようなエピソードはすべて、50年後とか、100年後に、酒井忠康氏とか、北側純一郎氏とか、秋山裕徳大子氏とか、伊藤玄二郎氏が、亡くなったら、却って見事なエピソードとして、伝説になるでしょう。
 日本のゴッホとまでは言いませんが、日本のカミーユ・クローデルと言ってよいほどとなるでしょう。ただ、ゴッホやカミーユほど、わかりやすい作品ではないですね。
 私の記憶だとそうです。打から、専門家の中だけで、終わる評価かもしれませんが、美術評論家とは、本当はそう言う件で、発掘をしていくものだと思います。
 私は、そう言う意味で、お金に関係が無い形で動くので、実際は、いい美術評論家なのですが、邪魔されきっていて、仕事がなかなか、出来ません。
 でも、決してめげませんよ。では、
情報をくださってありがとうございました。

 
コメント
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