銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

平野和子(G・舫)、森邦彦(ライヴ)+京王線の事故・・・・・(政治モノ)△

2012-09-05 09:59:46 | Weblog

 この文章は、いっぱい詰め込みすぎていましたので、ひとつのテーマへ絞りなおしをしました。で、副題の番号が初期設定とは変わりました。

話題3、『2010年、4月の私の個展について、考察する。そこから、井上ひさしの、仮装の死が始まったのだから』
副題4、『画廊が盗聴をされていると考えられる、ケース』
副題5、『Oギャラリーと、無料の画廊案内パンフレット』
副題6、『平野和子さんが、暗躍をしている可能性について』
副題7、『平野和子を、悪い方へ使役しなければ、彼らも安泰だっただろう』
副題8、『大野博子さんが、冷たい態度なので、田代大士氏の、コメントも、判断には迷った』
副題9、『田代さんではないとすると、誰が、その罵詈雑言を、書いたのか?』
 以下は、他の文章から、こちらへ移動をさせたものです。
副題1、『とても気になっていたけれど、とうとう見つけました』
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副題3、『2010年、4月の私の個展について、考察する。そこから、井上ひさしの、仮装の死が始まったのだから』

 これ以前の副題1、と、副題2は、永田町を舞台の政治だったので、別のタイトルの文章へと、移動をさせました。で、この一文は副題3から始まります。


 銀座の7丁目に、exibit Live and Moris と言う画廊があります。そこは、私の画廊めぐりの終点に当たるので、私は、その画廊では、結構リラックスをしておしゃべりをします。

 その上、オーナーの森さんは、奥さんを5年ぐらい前に亡くして、家がさびしいので、そこで、夕飯も済ませます。ご飯は食べないみたいですが、若い画家と一緒に、ちょっとワインを飲むと言う形で、夕飯を済ませます。老後の暮らしとしては、いいことだと思います。地下2階ですが、広いスペースを借りてらしていて、そこには、書斎や、もしかすると寝泊りさえできる部屋もあるかもしれません。
 そう言う風にリラックスをしていらして、毎晩、小さなパーティが開かれているような場所なのです。で、そのうちに、私も差し入れをする様になりました。これね、恋愛でもなんでもないのですよ。だって、2010年の、4月12日から、森さんの態度に怒った私は一回もそこを訪れていないほどですから、恋愛でもなんでもないのです。

 ただし、『二人は非常に仲良しだ』と、例の敵様が想像した可能性はあります。それゆえに、森さんが、敵に利用されました。それが、私が怒った原因です。その個展の直後、と言うか、最中に、井上ひさしは、自分をしんだことにしたので、これは、重要なエピソードとなります。ぜひ聞いてください。
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副題4、『画廊が盗聴をされていると考えられる、ケース』

 ここで、この文章が、例の政治の文章の一つであることを証明するために、どうして、森さんと私が仲良しだと敵が見ることになったかのテクニックに対して想像を働かせます。

 1)、それを認めたくはないが、常に尾行をされていたと言う可能性があります。
 2)、または、各要所要所の画廊のエレベーターに、最近監視カメラが多数入りました。画廊のほかには、弁護士事務所や医院だけが入っていて、監視カメラなど、絶対に必要もないビルのエレベーターにも監視カメラが入っています。それを常に警察の中央司令室で、観察をされている可能性もあります。
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 ここで、初めてここをご覧になるために念のために、強調をしておきますが、私は罪びとではないのですよ。ただ、大エージェント瀬島龍三のはっきりとした悪(ルネ北久里浜の土地は、一種の詐欺で、ただ取りをした、旧横須賀市の水道山である)を知っていることとか、彼がリクルートをしたであろう、鎌倉エージェントたち、(伊藤玄二郎と、井上ひさし)が、自分たちのさまざまな悪も私に見抜かれているから、私を抹殺したいだけなのです。そして、それらの手下として、警察が、彼らの言うことを鵜呑みにして、私を追い詰めているだけなのです。
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 3)、銀座雀の中に、私を監視する様に頼まれている存在が居る。

 鹿野端樹と言う朝日新聞関連企業の社員と言う人が居て、その人も相当に、面妖なのですが・・・・・もう一人、本当に驚かされたたケースがあります。
 
 これも公開したくはない話なのですが、面白いと言えば、超が就くほど面白いので、ここで、公開をさせていただきましょう。
 田代大士さんという画廊めぐりをよくする男性に、京橋の画廊の前で、夜の七時直前に出会ったことがあるのです。
 それは、夏ではなかったので、あたりは真っ暗です。で、その人と私だけしか道路にはいません。
 私は海外修行が長いので、非常にざっくばらんです。ニューヨークなど多人種国家であるからこそ、人々がオープンマインドと言って、知らない同士でも気軽に声を掛け合います。それが私には、深く、身についています。で、麻布十番などでは、ブティックのオーナーと言う女性に、「あなた、外人?」と言われたほどです。答えて、「違うのよ。日本人よ。ただ、海外暮らしが長いのよ」と言うと、大変に気に入ってもらって、当時はTSUTAYAの店舗としてはもっともモダンで大型だった六本木店ほか、六本木のお勧めどころを、30分以上案内してもらったことがあります。今はTSUTAYAは、代官山店が旗艦店となった模様ですがね。

 登山をなさる方はご存知だと思うのですが、登山中に登山者と下山者が出会うと必ず挨拶しますでしょう。道が狭いのでね。明るく。あれと同じ感覚です。

 私が田代さんに向けて発した言葉は、「もう、7時直前だから、Oギャラリーしか開いていませんね」です。すると相手は何も答えません。で、私も、『この人は極く普通の日本人で、不器用なタイプなんだろうなあ』と思って、それ以上の言葉は掛けず、それ以上は、単に無視しました。
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 ここで、銀座の画廊街の事情に詳しくない方のために、挿入的に説明をさせていただくと、画廊と言うのはたいていは夜の七時にしまるのです。ただし、月曜日には、オープニングパーティと言うのを開いているケースが多くて、7時半まで開いている画廊があります。
 ただ、運営に熱心な画廊は、週末の金曜日は、8時まで開いて居たりします。その中で、一軒だけ、毎日夜の八時まで開いているところがあって、それが、Oギャラリーです。その画廊は、二部屋あるし、よい作品を展示しているので、そこが、夜の八時まで開いているのは有名な話でしょう。
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 有楽町に近いそこまで歩くのは、京橋からは、5分以上かかります。そこまでの、途中には、ほかに、有名な画廊が、10軒程度ありますが、「そのどれにも、もう、この時間では、寄れませんね」と言う意味で、こういうせりふを私が吐いたわけですから、まったく問題のないせりふです。

 そして、見事に予測どおりに、そのサラリーマン風の人と、私はOギャラリーで再び出会うのです。ただし、その晩、夜の11時ごろパソコンを開けてびっくり仰天、田代氏からと推定される(but 本当は違うであろう)、驚くべきコメントがブログに引っ付いていました。

 要約は、『お前、男・日照りだろう。僕に、声なんかかけやがって、汚い女だ』と言うものです。びっくり仰天しました。それが、どうしておきたかをこれから推察していきたいと思います。そこが、この文章が政治問題たる、もうひとつの、ゆえんとなります。
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副題5、『Oギャラリーと、無料の画廊案内パンフレット』

 最近、銀座の画廊、特に現代アートを展示している系列の画廊の入り口に、無料の案内パンフレットが置いてあります。ニューヨークではもっと厚いものが、無料または、一ドルでもらえますが、日本でも、ここ数年に、二つもの無料の雑誌ができました。

 それを私はいやなことだと思って、数ヶ月から一年は無視いたしました。
 と言うのもそれは、明らかに、月刊ギャラリーと競合する雑誌です。自分が、月刊ギャラリーで連載をさせてもらっていたので、この小冊子ができたことも、一種の商売妨害だと思っていましたし、それは、翻って、私への弾圧に当たります。風が吹けば桶屋が儲かると言う伝の反対方向で、そうなります。

 ここで、スピンオフと成りますが、同じく無料で、配られているもっと、大判の雑誌、ARTICLEがあります。これも同じ趣旨で、発行をされているとみなしています。美術の窓と成ると、ちょっとカラーが違うのですが、月刊ギャラリーの狙いどころと、これら、二つの情報誌は、バッティングします。
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 ただね。ここで、短期間だけですが、私とかかわりを持った月刊ギャラリーの編集長、兼、社長の本多隆彦氏には、以下のことも言っておきたいです。

 <<<<<本多さん、あなたと、2007年の三月最後の面談をしたときに、「近々、お金が入るので、事務所を移転します」とおっしゃっていたでしょう。でも、その後も実際には移転をなさっておられませんね。予定をしていた大金は入らなかったと推定しています。

 それはね。私と密な関係がある人だから入る予定の大金だったでしょう。私と誠実な関係をキープしている存在には、果報が入ってきます。それは、いつかは、二人の間を引っ剥がして、彼女を苦しめてやろう。その前には、その弾丸となる候補者には、えさを与えておいた方がよい。と言うことで、大変な果報が手に入ってくるのです。ただし、私と100%、縁を切ると、それも終わりです。これは、本日の主役、exhibit Live and Moris のオーナー森邦彦さんにも当てはまることですが・・・・・
 そのことを見抜いていらっしゃった? 見抜いてはいらっしゃらなかったでしょう>>>>>>と。・・・・・ 元に戻ります。
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 で、月刊ギャラリーの、商売を妨害する雑誌だから、目に留めませんでした。私は本多さんから、非常に無礼な形で、説明も無く一年で連載を切られましたが、それに対して抗議もせず、喧嘩も仕掛けていません。「おもしろい。おもしろい」と、とても評判がよかったのですが、無念にも切られたわけです。でもね、『裏があるのだろう』と推察していましたので、一切、何も彼には、説明をしていません。でも、文章の内容がタブーに触れること以外では、あそことは、誠実さを、こちら側だけでも、保っておきたいとは思っています。
 
 で、ずっと無視していたその無料パンフレットですが、あるときに、枝香庵という後発の画廊さえ、そのグループに入っていることを発見して、『これはもう、無視できない』となって枝香庵のオーナーに、「誰が作っているのですか?」と聞いたら、「大野さん(Oギャラリーのオーナー)です」と教えてくれました。
 これは、今丁寧にそれを点検すると、ちゃんと、発行者として、その名前が、印刷もしてあったから、秘密でもなんでもないことですが、『え、どうして、彼女が?』と驚き入りはしました。
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副題6、『平野和子さんが、暗躍をしている可能性について』

 さて、このOギャラリーのオーナー大野博子さんですが、画廊のオーナーとしては立派な人です。ただし、これほど、大きな仕事を、突然に始めるほどの高い位置を、銀座の画廊街で、その開始以前から、占めていたとも思われません。2012年の7月の時点では、この冊子の歴史的な積み重ねもありますので、発展している模様で、40近い画廊が参加していますが、最初は、もっと小規模だったはずです。

 で、今の大野さんは、その積み重ねの上で、さらに格があがっています。それは認めます。だが、開始時は、それほどの大物とは、まだなっていなかったと思うのです。
 それに、日本というのは、ご本人が、名乗りを上げても、なかなか、成功しないところがあります。

 で、『大野さんを、サポートした人間が居るはずだ』と、私は考えています。で、それは、平野和子さんではないかと推察しています。嘘かもしれません。間違っているかもしれません。

 だけど、現在そのグループに加入をしている画廊群に「新しい情報誌に参加しませんか?」と呼びかけた交渉役は、居るはずで、それが、いわゆる美術評論家か、それとも画廊のオーナーかといえば、画廊のオーナーである可能性が強くて、その候補者としては、平野和子さんしかいないのです。

 平野和子さんは、ギャラリー舫という画廊を運営していた、現在60歳程度の女性です。JALの地上スタッフをしていた人で、頭がいい人です。銀座で、スペースとしては小さめだが、よい作品を展示する画廊を運営していた人です。私は、そこで、2000年に個展を一回しており、そのときに無名ながら46万円を売り上げて、それも、銀座雀をびっくりさせたのですが、

 どうも、平野さんと会話をしている最中に、隔靴掻痒の、いやな感覚を受けるのです。それがすでに、2000年の個展時に見られたのですから、これは、普通ではなくて、例の瀬島龍三の差し金だと感じます。
 私への弾圧ですが、すべては、内緒で、間接的にやられていて、発案者とか、提案者が隠れていますが(それこそ、スパイ特有の、身の処しかたの典型でしょう)、最終段階は、別に幽霊がそれを、実行するわけではなくて、生身の人間がやるわけで、その人の態度と言うものが、有効な判断材料となります。で、平野さんの態度は、充分以上に大きな判断材料となっています。

 彼女はJALの元社員だったから、普通の画商よりも却って高い確率で、、瀬島龍三にとっては、接触ルートを見つけやすかったでしょう。
 ところで、瀬島のあくについて、付け加えるべき情報があります。

 2012年8月現在、瀬島龍三が噛んだ、ルネ北久里浜は、その三棟の大マンションが、地図にも公図にも、のっていないほど、の、異様さを見せています。そして、その一種の詐欺に、目こぼしをしたと言う形で噛んでいる副市長杉本夫妻が住んでいる同じ水平線を持つ、一戸建て用の、住宅団地・池田分譲地の住民は、無料で、駅からの石段を利用せずに済むエレベーターを、使用できる・・パスをもらっています。

 そのパスには発行者の名義がどこにも記載されてありません。それも大いに、このマンション群の、忌まわしさを際立たせています。
 
 その悪は、事実上は、瀬島龍三の、大親友と称する益山某氏の作り出したものですが、それ私が見破ったのが、1980年であり、それから、裏で、こういう攻撃が始まっていたのでしょう。
 美術界を利用した攻撃の話です。

 私が公募団体展を通じて、神奈川県の、美術の世界へ入っていくのが、1982年からなのです。

 そして同じく公募団体展を通じて、東京の美術の世界へ入っていったのが、1990年からです。で、すでに、その時点からずっと、攻撃されていて、妨害を受けていたことが今はわかっています。

 鎌倉で、同時期に勉強した山川栄子さんが、現代アートの世界で、抜群の出世を果たしているのも、それを示唆していますが、平野和子さんの態度にも、それが表れていて、彼女が、例の敵連中から攻撃用鉄砲玉として、使われていたというのも、びったりと正確に、判っているのです。

 私が、この敵たちを、いつも、『幼稚な頭脳だ』と言うのは、彼らは、私を正確には知っていません。私はいつも、外には、実力の30%程度しか見せていないと言う形で、行動しています。だから、見くびって、見くびって、アイデアを練ります。だけど、全部筒抜けに判っています。

 平野和子さんは、すでに画廊をやめているので、商売に左右が現れませんが、いまだ画廊を開いているT.boxの高橋典夫さんが、私を種にして、何をやったかをここで、書いたら、高橋さんは当然のこと、ここの読者に馬鹿にされ切るでしょうから、商売にも影響が出て、彼を使役した連中は、彼に恨まれるでしょう。

 丁寧に見ていると、それが明瞭に見えるのですが、必ず、上下の、情報(=ここでは、私への悪口)伝達のルートはあるわけで、それを解明したいと言うのが私の望みでありますし。
 で、平野さんの使い方も、徹底的にばかげているのです。
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副題7、『平野和子を、悪い方へ使役しなければ、彼らも安泰だっただろう』

 ところで、もし、平野和子を悪い弾丸として使役をしなければ、次の段階は以下の様に発展をしたはずです。小さな画廊で、46万円も売り上げがあったのですから、私はいわゆる天才的な画家の一人です。(笑)
 新聞やテレビなどのメディアも動かず、誰も宣伝をしてくれないのです。女流展や、国展のメンバーもほとんど見に来ていません。それなのに、すごい量が売れています。

 作品も非常に美しいはずでした。慶応大学出身のお坊ちゃま画廊オーナーが、「川崎さん、ゼロがひとつ少ない値段付けですね」と言ってくださったのだから、もし彼みたいなサポーターがついていたら、一週間で、460万円の売り上げになったでしょうね。イヤ、ゼロがひとつあがれば、数量は元の数と同じほどは、売れないはずでもありますが、比ゆ的に言えば、そうなります。

 それほど、私の才能は、美術の方面にあるのです。

 で、美術作品を見る目の高い平野さんは、当然のこと、私を重要な作家として扱い、毎年、一回は個展を開催して、その費用は、「半企画でやりましょう」となって、通常の借り賃より値引きをされるはずなのです。借り賃は、半額となりますが、売り上げの40%は画廊がもらうことになっていますので、その方が儲かる可能性も高いのです。
 で、平野和子と、私との関係を、普通の画廊のオーナーと、作家の関係にとどめておいたら、私は毎年個展をする作家(=ここでは、一般社会の言葉で言う版画家、または、画家)となって忙しくて、忙しくて、ブログ等も書かないでしょうし、政治批判も開始しなかったはずなのです。

 ただ、文章を書くのは好きだから、美術評論的な文章は書いて、それを、月刊ギャラリー等へ、発表を続ければ、それも、満足の度合いを強めて、そこで、おとなしくしていたはずなのです。そして、三年以上、それが続けば、一種の恩義もできるわけで、『本多さんが、迷惑をこうむるといけないから、まあ、政治批判はやめておきましょう』となるでしょう。そして、こういううち明け話も書かないと思います。

 だけど、本多さんの、連載のやめさせ方もひどかったので、別に恩義を感じていませんし、1年で連載がストップしてしまえば、却って恥を掻いたも同然ですから、それもあって恩義を感じていないのです。

 オフィスデポ銀座店という文房具店で、すでに引退しているはずの平野さんと偶然に出会ったときに、上に書いたことを『すべて、当たっているな』と確認をしました。彼ら敵連中の考えでは、私の目の前に、彼らが考える、力関係上、上の存在を、現せば、私が、ひるんだり参ると思っているのです。

 これは、ご近所でも常に繰り返されている現象で、八月の第三週に、三回も前田清子夫人と出会ったことやら、一回だけですが安野夫人とであったことで、相当に考察を深めました。

 山本美香さん謀殺も、その二人の主婦の行動に助けられて、確信を持って、発表をした文章です。

 そして、後に、銀座でも、ガレリアグラフィカと言う画廊で、同じ現象がもっと派手に出来をしました。

 まさしく、私の目の前で、渡辺幸子、酒井忠康、栗田玲子の、三人が会しました。私がダメージを受けるだろうとみなされて、その様奈措置が取られた模様でス。

 その後で、それを、メモ書き程度でも、書いたら、突然に、応接室の設計を栗田さんが変更したので、この考察は正しいと見ています。

 その設計変更(誰が栗田さんに愛に来ているかが、外部の人間にはわからない形へと変更をされた)を、見たときに、それも、平野和子が目の前に現れたことの意味への、確信となるのを感じました。

 それが、彼らの考える、一つの攻撃の形です。それにお隣の小野寺夫人も、何回も利用をされています。

 敵が『自分たちは調子がよい』と、考えているときは、鎌倉の山では、浅野家の令嬢やら、大原光孝氏まで、そして、何年ぶりかですが、銀座では、栗田玲子さんまで、二階から、一階へ降りてきて、目の前をうろちょろします。それらの現象は、私にとっては、考察を強めていく、とてもありがたい現象です。が、彼らは反対に、取っているみたいです。
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副題8、『大野博子さんが、冷たい態度なので、田代大士氏の、コメントも、判断には迷った』

 さて、平野和子さんを誰が動かしていたのかまでは、推察できません。彼女は顔が広くて、栗田さんも彼女の上の存在として、彼女を動かせるし、村松画廊のオーナーだった川島さんも、平野さんを動かすことができるでしょう。

 21+葉の黒田悠子さんも平野さんを説得・教唆できる立場だと考えます。

 また、数人の美術評論家も彼女を動かすことができます。それこそ、酒井忠康氏とも、メルアドは、交換していた間柄だったとも考えられます。

 で、ともかく、平野和子さんには、ひどく冷たい態度を取られ続けました。これが別の日に出てくるだろう、重要なキーパーソン渡辺幸子さんへつながっていくのですが、まあ、今日はそこまでは、発展をさせず、大野博子さん段階でとどめておきます。

 で、私が気が就かなかっただけで、瀬島龍三は隠れて美術界でも動いていたので、平野さん、経由か、別ルート経由かはわからないものの、大野さんに、私に関する悪い情報が入っていたらしくて、2000年ごろから、大野さんは、私に対してひどく冷たい態度を取り続けてきました。

 重要な画廊ですが、ひどく失礼な態度を、取り続けられてきたのです。それでも、Oギャラリーを含めて、画廊めぐりをやめなかった、裏側には、以下の様な事情があります。

 私はすさまじいレベルで、人権侵害を受けています。外から電話を我が家にかければ、通話音(=呼び出し音)が数十秒間、鳴りません。それは逆探知をされているからです.そして、その場所が東京であれば、しかるべき時間を置いて、ガードマンが目の前に現れると言う形で嫌がらせを受けます。脅かしですね。
 だから、おちおち、自宅へも電話をかけられません。
 しかも、泥棒が頻繁に入るので、昼間は外出しにくいです。となると、夜間に外出することが続くので、主人と意見を合わせる機械が減ります。

 単に意見をあわせることだけではなくて、主人が、自分ひとりで、夜放って置かれると、次第に機嫌が悪くなるので、それも困ります。家事の側面で、些細な事で、怒鳴ってくる様になります。すると、室内盗聴がかかっているので、すぐそれを利用をされます。
 『夫婦・別れさせ屋』が、居るとネットで、ニュースとして公開をされていましたが、私なんて、364日、しかも24時間、そのことでは気を使わないといけないほど、不自由極まりない家庭生活を送っています。
 ああ、ただ、ここで、言いますが、最近では相当に理解してくれる様になっていますよ。だいぶその件は緩和されています。だからこそ、彼は引き続き怒鳴りますし、私の方も盗聴を恐れずに言い返しをしたりしています。(笑)

 で、その様に、人権侵害の連続だからこそ、利用できる権利は利用しようと願っています。人間が人間として普通にもっているはずの権利は、行使しようと思っています。画廊で絵を見るのは、画廊が公開されている場所だから、誰にでも許されているはずです。だから、画廊めぐりは続けています。
 ただし、人間は感情の動物でもあると言われます。そこを利用されて、画廊で、つらい目にあうのも、日常茶飯事です。

 でもね。そう言う中で、やはり、人格が高いか、そうでないかも、判断できる様になります。私にとっては、銀座の画廊のオーナーだったら、ほとんどすべて、その人格レベルが判っていると言ってもよいくらいで、スタッフさんも同じです。高潔か低劣か、教養が高いか低いか、すべてわかっているといってよいでしょう。
 さり気なくしています。でも、すべてわかっています。鎌倉の画廊も同じです。しかも、それは、出身校の、偏差値レベルとは、合致いたしません。恐るべきレベルで、芸大出が、だめな人だったりします。(笑)

 で、大野博子さんに戻ります。彼女が誰の教唆でそうなるのかは、言明ができませんが、ともかく、失礼な態度を取るので、ざっくばらんに質問をすることができません。「田代さんって、どういう人なのですか?」と言う質問が出せないのです。

 ただ、「お前、男に飢えて、いるんだろう。男を引っ掛けて、ラヴ・ホテルにでも行くつもりか? 常習犯なんだろう(記憶による要約)」なんていうせりふをコメントとして、このブログで、私にぶつけてくる可能性のあるのは、その日の出会いでは、田代さんだけなのです。

 で、ここから種々さまざまな方向へ、推理が発展します。

 1)、田代さんが、それを書いたと仮定してみます。その前に、大野さんに向かって、彼が「あの人だれ?」と質問をした可能性を考えないといけません。私は、極く簡単な、会話を、展示をしている主役の作家と交わして、すぐ画廊を去るのが常です。

 自分は、大切にされていなくて、反対に、目の前で、私から見ると、『自分より格が低いなあ』と言う人が、大切にされているのを見るのは、しょっちゅうのことであり、一種の攻撃用テクニックとして確立をされているらしいのでス。それがすでに判っているので、さっさと画廊を辞します。

 だから、その後で、他の人は、普通に、大切にする大野さんが、田代さんと、長話をした可能性は高いです。三者がであった時間は、まだ、7時15分ぐらいだったから、45分もの、時間的な余裕が、8時に、閉める前にあります。
 田代さんの誰何に答えて、「あの人って、銀座中の鼻つまみ者なのよ」と大野さんが語ったと仮定してみましょう。すると、田代さんがあの失礼極まりなくて、下品なコメントを書く可能性は出てきます。事実が、そうだったのでしょうか?
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 一年以上前だったと思いますが、探せたら、ここにその原文をコピペして、みます。また、見つかったら、保留にしてあるそのコメントを再び公開してもいいのですが、ちょっと、それをしている時間が惜しいのです。だから、明日以降も、見つけることは、トライしないかもしれません。
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 田代さんが書いたという点ですが、「それは無い」と私は、考えます。田代さんは、何回も銀座で会う人ですから、絵は当然のこと、好きでしょう。芸術作品の鑑賞は、自分自身を高めます。あの人があれほど、下品な文章を書いたとは考えられません。

 となると、まず、考えられるのが、画廊への盗聴です。その画廊での、展示作品がすきだから、絶対に寄る画廊のひとつとして、Oギャラリーに盗聴が仕掛けられていた可能性を感じます。そうすると上に上げられた田代さんと、大野さんとの間の、私がそうだっただろうと想定している会話が盗聴をされて、使われたとなって行きます。これが、もっとも自然な解釈でしょう。

 テレビの二時間ミステリー番組には古典的な盗聴システムが登場します。が、現代の、最先端の盗聴システムは、ああいう装置を利用していないはずだと考えます。私自身の場合ですが、一日のうちで、もっとも滞在時間が長い、居間だけではなくて、『お風呂場も、玄関も、外さえも、半径10メートルぐらいだったら、盗聴が可能みたいだな』と、鎌倉では感じていますから、銀座でも同じでしょう。

 しかし、この推測が、当たっていなかった場合に、敵から馬鹿にされるといけないので、他のケースも列挙しておきます。たとえばそこに、明瞭にスパイとして機能している存在が、出くわして、話を聞いて、しかるべきところへ、報告をしたと言う可能性。

 たとえば、冒頭に名前を挙げた鹿野瑞樹さんが、出くわして、しかるべきところへ報告をした可能性はあります。または、他の男性、または、黒田悠子さんみたいに、明瞭に敵方の使者として行動する人が、私の後で、Oギャラリーへ、たまたま来たと言うのもありえる形です。

 また、今まで、
 ここに名前を挙げた大野さんや田代さんが、携帯で、このエピソードを語り、それが、盗聴をされていたと言うケースもあるでしょう。

 最後に、提案してみるケースですが、尾行をする者がいて、京橋で、「ねえ、もう、七時だから、後は、Oギャラリーしか行かれませんね」と、私が声をかけたのを聞いていて、しかも、田代さんが、それを無視したのを見ていて、『う、これは、使える』と判断をしたのかもしれません。
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副題1、『とても気になっていたけれど、とうとう見つけました』

 一昨日の水曜日に、「続きを書きます」といって、木曜日は、丸一日、このブログへ、入ることができませんでした。お許しくださいませ。
 泥棒の被害への対策のために、
 ずっと外出していて、夜の11時ごろ帰宅しました。で、やはり、疲労困憊しているので、新しいモノを書くべきではないと思って、
 楽な仕事をしました。
 それは、過去にさかのぼることです。
 そして、前日、申し上げた、コメントを探しました。

 田代大士さんに、京橋で、「もう、七時だから、Oギャラリーしか行かれませんね」と言って、その後で、多分鎌倉へ、10時半ごろ帰り着き、夕ご飯を食べた後で、パソコンを開いて、びっくりした文章を、見つけることに取り組みました。

 極く最近のものから、過去へさかのぼって探していくと言う形になりますので、探しているものへたどり着くまで、あっちこっちに、悪い感じのコメントを見つけました。
 私がよく「修行をしています」と言うのはまさにこれです。
ひどい罵詈雑言を、このブログへ対して、浴び続けています。
 ほとんどの場合、明瞭にも、書いている人間が誰であるかはわかるのですが、・・・・・

 皆様に対して、その名前は言いません。だって、絶対に、否定をされるだろうし、否定されるだけではなくて、誣告罪等で、訴えられる可能性もあるので、誰が書いているかという推察は、申し上げません。

 もし、日本の警察が、真に国民の見方なら、『私は、この国の国民を守るために、日夜、研鑽をして、大切な文章を書いています。が、その大切な世界を、このような汚い文章で、汚されています。このコメントがどこの誰のパソコンから入れこめられているかを、確かめて教えてください』と依頼できるでしょうが、実情は正反対で、こういう汚い文章を書く人間の方を警察は、擁護しているのです。『もしかしたら、一部のコメントは、警察さんが入れているのかも』と思うときさえあります。だけど、それは、ただ単なる仮定です。

 ほら、ほら、注意、注意、誣告罪のこと。(笑)
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副題2、『これが、問題のコメント原文です』

 そのおぞましいコメントが引っ付いていた、ブログのタイトルは、『救急車って、この頃変だぞ。(日本、固有の音って何)』で、アップの日付は、2012-10-21 16:40:27 です。
 コメントの差出人の名前は、Unknown (X) さんです。そのコメントが入った日時は、
2011-10-26 21:46:57
 です。で、コメントの主文は、以下のごとくで、****罫線で囲みましょう。
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先日は銀座にてお声を掛けてくださいまして有難うございました。
世の中色々なタイプの人間がいるとは思いますが、あなたのように面識もなく初対面の相手に対して、
下品極まりない卑猥な発言や、他者を汚いものと見下す解釈を押し付けるような方は、普通に生活しているうえでは滅多にお目にかかることがないので、とても驚くと共に不快な思いを致しました。

  中略、ここは、ちょっと、公開するに、忍びないほどの攻撃性が見られますので、10行ぐらいの分量を略します。

卑猥な言葉を投げかけて構ってくれる相手を求めているのでしょうか?

それでは御機嫌よう。
**********

 さて、私の記憶が、ひとつ間違っていたかもしれないのは、田代さんに、言葉をかけたその日に書かれたと、勘違いをしていたことです。

 と言うのも、これは、水曜日ですから。ただし、時々は、月曜日と、木曜日をはずして、出かけるときもあるのです。泥棒を気にしない様に、しようと決意すると、火曜日、水曜日、金曜日、土曜日も使います。

 つまり、日曜日(ほとんどの画廊が休んでいる)以外は銀座へ結構な回数で、出かけているのです。アットランダム(不随意)に出かけます。
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副題3、『それが書かれたタイミングから、どの画廊が盗聴をされているかが、推察できる』

 通常通り、その週は、月曜日に、画廊街へ行っていたかどうかは、芳名帖を調べれば判ります。だが、Oギャラリーさんが、芳名帖のコピーを、全部保存しておられるかどうかを、私は、知りません。それに、調査に、協力してもらえるとも思われません。
 じゃあ、他の画廊は? 今の私は、風向きが悪いですね。月刊ギャラリーの連載をしていた当時だったら、協力をしてもらえると思いますが、今はだめでしょう。
 田代大士さんご自身が、「自分は、こんな文章を書いていませんよ」とおっしゃるのなら、その週は、何曜日に、銀座を訪問されたかを思い出していただきたいと思います。ただし、私の敵は、国際的軍産共同体です。
 田代さん、個人で、逆らえる、敵でもありません。

 だから、『あんたが書いたことにしておいてよ』と誰かからお頼まれになるかもしれません。

 そして、田代さんご自身の記憶もあいまいになっているかもしれません。ただね、銀座の画廊めぐりを、頻繁になさる方は、曜日を決めて訪問することは多いと思います。それぞれの、曜日に、やることが違うように設定をしておく。
 すでに白髪になっているサラリーマン(=定年退職後)の鑑賞者とは違って田代さんはお若いですから。

 ところで、もし、私が水曜日に銀座を訪問し、その夜に、すぐ、これが書かれたとしたら、<<<<<<Oギャラリーが、盗聴されている可能性が強くなります>>>>>。
 無論、何度も繰り返すように、これを書いたのは、田代さんではないと考えますよ。だって、私が帰宅してパソコンを開けたのは、夜の11時です。田代さんは、京橋での、私からの話しかけに答えなかったわけだから、私の名前も、顔も、どういう人間だかも知らないはずです。となると、まず、ブログを見つけることができません。
 だから、コメントも入れられません。私の記憶では当夜だったと思います。ですから、これは、Oギャラリーが盗聴をされていて、
 田代さんが、『あの人って、どういう人?』と、大野博子さんに問い合わせて、前報でいったように、私を悪人だと信じている大野さんが、『変なひとよ』とでも答えたのを、盗聴していて『お、チャンスだ。これを利用してやろうぜ。それで、雨宮舜(=川崎千恵子)をノイローゼにしてしまおう』と考えた手合いが居ると思われます。

 ですから、これは、例のごとく、彼ら(=こういうことをやってきているエージェントたち)の、頭脳が、非常に雑駁だと言うことの証明例の一つです。だって、警察に協力をしているのですよ。井上ひさしは、秋葉原の無差別殺人に関して、警察の見方を、NHKクローズアップ現代の中でいたしました。表向きは太宰治顕彰の番組でしたが、最後の言葉が、そこに収斂していったので、『何ですか。この人は。ここまであっさりと、警察と共産党が結びついているのを明かしていいのかしら』と思った記憶があります。

 が、盗聴を傍受と称して、恒常的にやっているのに、(たとえば、私なんか、その被害の最大の対象者です)、こういう大事をなす犯人の、携帯を利用した投稿に、一切気がつかなくて、多数被害を出したことを、反省していないからです。
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副題9、『田代さんではないとすると、誰が、その下品な罵詈雑言を、書いたのか?』

 さて、ほぼ、90%の確立で、その恐ろしい文章は、田代さんが書いたのではないと、私は判断をしています。では、誰なのか?

 尾行をしていたのなら、それが、警察か、CIAの人間のはずです。日本では、革マルが事実上の、CIAの代行者となっています。ものすごいレベルの力量を持って尾行もするといわれています。

 あのね、皆様、ここで、急に、画廊街のごたごたから、現代日本政治の本質を語る大きな話へと、移行をしていきます。

 ただし、それへ入る前に、16時間程度の休憩を入れさせてくださいませ。ここまで書くだけでも、疲労困憊をしましたので。ただし、ここまでは、ほんの導入に過ぎないのです。前説でしかないのですよ。デモ、相当に面白いお話にはなっていると、思いますが、単なる掛詞(短歌の世界で言う)にしか過ぎないのです。本当に言いたいことは、別のところにあります。

@@@@@@@@、ここが、水曜日の最先端です。

 メモ的にさらせば、これから先は、

副題11、『exhibit Live and Moris が盗聴をされていた可能性は高い』
   に、入っていきます。

@@@@@@@ここが、書きかけ中の最前線です。下は、前夜書いたメモです。

 私の文章への、否定的な現象が起こされ、それが、二年以上、元へ戻らないことがあります。
 大相撲のごたごたとか、禁煙運動のこと。

 と、次に述べることに入って行きたいのですが、それよりも、途中で、横にそれていますね。上の副題2から、横にそれて行っています。

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