銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

瀬木慎一(手紙)では、無事だったPCが、開発ちえ(メール)を守るためには、壊れた(政治もの)△

2012-09-22 20:15:38 | Weblog

これも政治評論、『社会の窓が開いていますよ』の一編で、その3といたします。



 今は、火曜日の零時です。本日急にあげた写真の説明をさせてくださいませ。最終部分の、推敲で、大量の加筆をしました。そこに出てくる瀬木慎一さんからの攻撃を込めた激しい手紙です。その件はまだ一度もさらしていませんでした。いずれ、さらすエピソードでしたが、忙しすぎてさらしていません。

 それに、これは、例の井上ひさしが、2010年に突然に、自分を死んだことに設定した、私の個展の際に付随して起きた攻撃なので、そちらで書こうと思っていたという事情もあります。

 ただ、今般、開発ちえさんという元美術手帖のライターだった女性から、激しい内容の攻撃的なメールが来て、どうも、それを私に読ませない、または、こぴぺさせないがために、パソコンが壊された可能性があって、それに言及するために対照例として挙げさせていただきました。

 これも激しい攻撃だったのですが、それでは、私のパソコンは壊されませんでした。『手紙(文章)として来たからでしょう』と、みなさんはおっしゃると思いますが、電話は盗聴をされているし、瀬木さんはパソコンでこの手紙を打っているわけですから、今回とほとんど同じ現象です。でも、開発さんのメールは保護するために、私のパソコンが壊されたが、瀬木さんを保護するためには、壊されなかったのです。

 それほど、彼女の文章が悪意に満ちていた罵詈雑言の羅列だったという証拠です。そこを、特に、お読みいただきたく。どうかよろしく。

副題ハ、『公の政治の方面の考察、続報』
副題12、『公募団体展生活は、お金がかかるのだ』
副題13、『花の絵で、お金を稼ぐわ、という渡辺幸子さん』
副題14、『いい加減な気持ちとテクニックで描いても、数多く描くうちに、いくつかは傑作となる』
副題15、『開発チエと、渡辺幸子を守るために、私のパソコンが壊れた』
副題16、『開発チエさんは、私自身も、このブログも抹殺する予定だそうです』
副題17、『開発さんは、最初から、随時進行的に文字化けで守られていた』


副題ハ、『公の政治の方面の考察、続報』

 中国の尖閣デモは、本日の土曜日にはありませんでした。予測通りです。それから、オスプレイ配備の予行飛行、ですが、21日時点では、発表をされていなかった日本全国展開をやはりするそうです。アメリカはだめですねえ。反米感情を日本中のインテリ層にまで植え付けますよ。マスメディアは、報じていませんが、現在、反韓、反中の機運は、高まっていると思います。それが、反米へと盛り上がっていくでしょう。
ただし、私の経験上では、こういう諜略に関連するニュースはどんどん変わるという傾向があります。ですから、これから先がどうなるかはわかりません。

 そして、重要なことは、私自身が、100%の勝利など望んでいないということです。いつも、書き方を抑えていますと言っています。と、同時に、なぜ書くかと言えば、すさまじい被害があるから書くわけですが、それでも、100%被害を食い止めたり、100%の補償をされることは、もうないだろうとみなしていて、そこそこで、いいなあと、思い及んでいるからです。

 で、このオスプレイの飛行も、鎌倉エージェントたちが生み出した私への個人的な意味合いの強い脅かしの一種ですから、『あ、そうざんすか』と言って、やり過ごしておきましょう。そういうことを、おやりになれば、アメリカがとんでもない損をするということざんすよと言っておきます。鎌倉エージェントにしろ、どこの地方に住んでいるどんな階級のエージェントにしろアメリカに飼われているというか、アメリカから報酬をもらっているのに、アメリカを最終的には裏切っているのです。

 そして、まともな日本人として、しっかりと生きている私などの方がずっと、アメリカを守ってあげているのに、それには、アメリカさんは気が付きません。

 だから、リア王のお話は、概念として、どこにも通じる基本的な真理に基づいています。だけど、あなたの身近に置く人はできるだけ、誠実な人が望ましいですよ。

 さて、この文章は、総タイトルを、『社会の窓が開いていますよの3』とつけるべきお話なので、前々報に続きます。それで、副題の11で終わっていますので、12から本章を、はじめさせてくださいませ。
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副題12、『公募団体展生活は、お金がかかるのだ』

 おととい、非常に疲れたと、申し上げました。一時期親しかった人が、敵に回ったとしても、そのひとの欠点や、悪意の実態について書くことは、疲れるのでした。しかし、彼女こそ、利用された最大のアイコンであり、それを分析しないと、数々の諜略行為は収まらないのです。彼女について分析して書くことが、非常に役に立つのです。私という個人にとっても、日本という国にとっても。

 で、特に書くのが辛かった理由は、単に親しかったというだけではなくて、私のほうでは保護者的な感覚があったので、余計突き放すという気持ちが生まれるのでした。愛した時間とか、愛した記憶を捨てるのは相当に辛いことなのです。実際の年齢は、私のほうが一才下なのです。だが、人生をどう生きるかというそういうポイントにおいて、私のほうが成熟しており、一種のカウンセラーの赴きも果たしていたのでした。

 彼女はフェリスから国際基督教大学へ進学したのですから無論、頭はいい人です。脳も活発に使っています。だが、今のところ、脳のシナプスが動くのは、主に絵をどう描くか、また発表に際して、どういう風に発表をするかという方面に、使われきっていて、それ以外には、使われていないのでした。

 ところで、前報でいったように、公募団体展というのがあって、その仕組みは、一種の家元制度に似せて作ってあるので、階級が中にあります。新制作協会はもっともモダンなほうだと、自ら任じていると思いますが、外から見れば、その階級制度と、そこを上がっていくには労力と時間が必要だということが、他の団体と同じように、あります。

 戦後すぐには、会員になることが容易でした。その当時は、元気な若い人が、雨後のたけのこのように、この手の新しい団体を作ったし、男性は、戦争で、命を失ったほうが多く、また、一般的に、生活が困窮している状況があって、油絵なんか描いている場合ではないということで、そこに参加しているメンバーが少なかったのです。で、若い画家がさっと会員になることができました。

 ところが、日本経済が右肩上がりに成長してくると、サラリーマン家庭で、経済的に余裕が生まれて、サラリーマン本人も油絵を描く余裕ができたし、また、妻の方が夫の給料を使って、油絵を描く余裕ができました。そして、それらの、ご家庭では、子供を、子ども自身が好きな学校へ入学をさせることもできました。美大が好きなら、美大へ行ってもいいよという感じ。で、1980年代から90年代にかけて膨大な画家人口が生まれ、それらの人が上野の公募団体展を目指すこととなりました。

 地方都市の公民館のギャラリーで開かれる各種、コンクールや、地方展で、力をつけた人たちが、中央を目指すようになったのです。で、上野に応募する人があふれかえってしまって、会員になるのが難しい状況が生まれてきました。
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 ここで、挿入となりますが、「私は独立(公募団体展のひとつ)での、生活を維持するために、1200万円をつかったわ」と豪語した奥様がいたそうですが、私は別にそれをおかしいことだとは思いません。出世するためには、偉い先生の弟子となることが、日展以外の、在野といわれる団体でも必要不可欠の条件となってきました。

 その偉い先生が、弟子を会員にしていく作業をやってくれるわけですが、その先生が定期的にお教室を開いているケースだと、そこに参加するのがひとつの道ですが、えらすぎて、お教室を開いていなかったと仮定してみましょう。すると、その先生に気に入ってもらうためには、先生の絵を買うということになります。それに対して、一年に、30万円ぐらい出費して、15年となればそれだけで、450万円です。

 さらに、自分が絵を描かないといけません。下っ端だと審査の対象になるので、最低でも二枚描くのが普通で、まともな人なら、5枚から7枚ぐらい描きます。その材料費が、30から50万円となります。それが、15年間で400万から500万円です。
 後、発表をするために、絵を運んでもらう費用、審査を受ける費用、展覧会で、パーティや、会費などを払う金額・・・・、これも一年で、20万円はかかりますので、300万円ですね。後、お付き合いで他人の作品を見に行く費用があって、その際に交通費と、二次会など、飲むお金がかかります。

 だから、1200万円かかったと豪語している人の話は、おかしくも変でもないのです。私は他人の作品は、自分が現役だと思う時期には買いませんでした。が、その代わり個展を、9回もやったので、その人と同じように、お金をかけています。

 となると、ありと、あらゆる意味で、会員になることが望まれるし、必要不可欠となってきます。
 ところが、全体構造として、なりにくい状況が誰の上にものしかかっています。特に、1990年代以降に、こういう世界に入ってきた人にとっては、とても厳しい状況があります。
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 で、渡辺幸子さんは、非常にあせっていました。そこに対して、いろいろ精神的なサポートをしたのが私です。彼女は忘れていると思いますよ。だけど、私は、決して意地悪な人ではないので、サポートをいたしました。
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副題13、『花の絵で、お金を稼ぐわ、という渡辺幸子さん』

 で、彼女は150号の大作を描いて、それを新制作協会で発表をして、出世を目指していく傍ら、花の絵を描いて、それを売り、お金を稼ごうとしました。これは、いいことでしょう、別に遠慮も何もすることはないはずです。ただ、彼女はその個展を開くことを非常におびえていました。というのも描き方が、いわゆる日展系です。ごくまともな描写で、バラの花を描くのがメインです。30号以下サムホールまで50点ぐらい、出品して、鎌倉裏駅(=西口のこと)そばの湘南信金の三階で行いました。広い会議室を三室ぶっ通しで使ったので、銀座の普通の画廊の三倍のスペースです。
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 ここで、後刻の挿入を入れます。湘南信金は画廊ではありません。だから、常に訪れてくるお客がいないのです。ただし、それは、作品を研究発表する場として、見せるためには損であるが、売るためには、いい場所です。個展というものに慣れていない場所の方が売れるというのは、画家側はよく知っていることです。
 そして、
彼女が育った地元ですし、もし、湘南信金が、宣伝用チラシの郵送の際に、この個展の案内をしてくれれば、鎌倉でお店をしている実質的なお金持ちに宣伝を、してもらえます。

 そして、実はずっと昔から、彼女は警察に支援をされていたことをうかがわせるのも湘南信金という名前です。昔青山で、湘南信金のカードで、4000円を下ろそうとしたらできなかったが、7000円に変えたら、できたのでした。
 それは、湘南信金のスパコンにバグを入れればできるわけですが、だれがそういうことをやって、許可されます?。普通なら大騒ぎで報道され、バグが撤去される話でしょう。だから、ずいぶん前=10年ぐらい前から湘南信金は、敵方の狙撃隊として行動しているとみなされます。そして、ありとあらゆる便宜を渡辺幸子さんのため図ってあげているわけです。

 ともかく、こういうことを内面に抱えながら、30%しか書かない主義の私は、青山でのエピソードを単なる笑い話として数年前に、ここか、メルマガで、書いているわけです。そして、渡辺幸子さんが、警察に、まるで、二人羽織の様に保護されて、かばわれていることを、ブログ内で分析することはありませんでした。といことで、元へ戻ります。
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 ところで、渡辺さんが、この個展を開くことをプロの画家の世界に知られることを、ひどくおびえていたのは、
 すでに、田沢先生の弟子となっていて、新制作風の絵を描いている最中に、後戻りをしたと捕らえかねない描法で、古典的な、絵画として、花を描くことが、批判をされるか可能性があるからです。絵は、銀行の一枚もののカレンダーにあるような絵です。
 なぜ、過剰にもおびえたかというと、

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 それほど、公募団体展で、美大を出ていない、しかも、50過ぎのおばさんが、出世(=会員になっていくこと)することが難しいのです。で、私もお若い方には、それを勧めていますし、お若い方自身も、今は公募団体店には、かかわらないという風潮が出てきています。ただし、美大を出ていないと、絵描きとして芽を出す道がわからないということはいえるので、皆さんが、公募団体展に引き続き、応募する可能性は残されています。特に地方に住んでいると、それに、巻き込まれがちですね。また、美大を出ていないと、情報を集めたり、人を知り合った利するのは、そこしかないので、その点で、ジレンマには陥りやすいですね。

 そして、実は公募団体展の方も、若い人が参入しては来ないという流れに危機感を覚えているのです。つまり、一種の家元制度ですから、その下の方を支えてくれる、一般入選者という最下部の階層の人間がたくさんいないと運営がうまく行かないのです。

 六本木の、新国立美術館に移動をした団体展は、「あ、勝ったぞ、こっちが一流さ」と思った可能性があるのですが、実際にはお客数が激減したでしょう。そして応募者も少なくなった見込みを、私は持っています。あの建物は、熟年の美術愛好家には、ひどく評判が悪いのです。ムードがない。ニュアンスが深くないと言われていて。

 となると重要な収入源であった、審査料が入らなくなりますね。入場者数も減るはずです。あれは、一般入選した人が必死になって案内状をばらまくので、素人のお客さんがたくさん来てくれるようになるのですが、初入選する人が少なくなれば当然のごとく、賃貸していきます。

 それらの(美大を卒業していない)美術愛好家の憧れの気持ちを利用して、階級的に、上の人が特に得をする・・・・・それが、公募団体展の仕組みです。が、団体そのものが、お金がなくなると外部への宣伝もできにくくなります。ポスター等の印刷やら、地方展の運営が難しくなるのです。
 地方では、審査料は入りませんので、会員の作品を美術品搬送用、トラックで運んだり、地方の美術館を借りる費用だけがかかりますが、それを捻出できないと言う形になります。

 で、私なんか、国画会を辞めたあとで、ひどく脅かされました。それはね。途中で急に決まった・・・『五年間連続入選すると一階級上がるという』・・・システムの結果、やっと得た(笑)下から二番目の地位を、「5年間か休むと失いますよ」(笑)という警告です。でも、したから二番目の地位を持っていても、一番下と同じ待遇なのですから、いいことは何もないのです。(笑)その上、こちらは覚悟をしてやめているのだから、再開するわけもないのに、去年の暮れも応募用紙が送ってきました。やめてから9年も送ってきています。郵便代も、印刷代ももったいないし、ルールに照らし合わせれば、送ってこないはずなのに、送ってきます。
 それは、国画会側の経済的な危機感の現われだと思いますし、すべての団体で同じことでしょう。でも、それって、芸術とは全く関係のないことです。芸術はスケデュールに管理されて、傑作ができる世界ではありません。全く不自然極まりない形です。ただ、ただ、日本に昔からあった家元制度が、この世界に入り込んだから、できている制度です。
俯瞰して見ていると、そんな制度に悩んでいる、渡辺さんは無駄なことに縛られている、幼い人だとなってしまいます。その幼さを支えてきてあげたという気持ちがあるから、そういう人を突き放すことへの、ストレスも私の方に、あるわけです。
 元に戻ります。
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 それほど、上の人に気を使わないとならないのが、公募団体展の仕組みですが、田沢先生は、通称、アマゾネス軍団と呼ばれる、自分の弟子のうちでも、渡辺幸子さんを、もっとも、振り回し、いじくり回していました。もっとも大切にしていたのが、前々報で出てきた桜井陽子さんでしょう。桜井さんは隙のない人間です。面白みもないんですよ。だけど、武蔵野美大卒です。いい加減なことをしたら、そちらで、悪いうわさが広がる可能性があります。だから、大切にされています。
 だけど、渡辺幸子さんは、やりたい放題に、振り回されています。どうしてか? 彼女は頭を哲学的な分野に使いません。絵をどう描くかという瑣末なところに、100%使っていて、人間どう生きるべきかというところに使いません。

 もし、そういうところが正しく機能していたら、田沢先生の下を去るか、それとも、小さな抗議(顔色を変えるとか、ジョークを言って、先生をたしなめるとか、いろいろ手法はあるでしょうが、一回日展系から、新制作(在野と呼ばれる団体)へ、方向転換した彼女は、あとがもうないのです。だから、必死にしがみついていて、田沢先生に悪い意味で利用をされています。

 というのも、先生から独立したがる人がほかにいたと仮定をすると、それを逃さないすべてとして、彼女を一種のいじめの対象としているのです。コーラスでもそうです。40人の女性がいるとする。先生は、いじめても団体を出ない、または、いじめてもいやな顔をしない人間を、ぎりぎるのところまで、追い詰めます。「あなた、ビブラートがかかっていますよ」とか、「ちょっと、音程低いみたい」とかいって追い詰めます。田沢先生も、美術特有の言葉を使って、渡辺幸子さんを追い詰めていました。

 で、渡辺さんは、桜井さんを嫌いみたいでした。それはそうでしょう。田沢先生が心理的に、大きな差別をして対照例として、つかっているのだから。比較するといつも自分のほうが惨めです。その件について、どういう言葉を発したかはすでに、私の方が忘れていますが、
 この『湘南信金での、花の個展を、遠慮しないといけないのだ』という彼女のおびえについては、きちんとサポートをして、「大丈夫、やってもいいわよ。大丈夫よ」と励ましておきました。

 ただ、この個展には、彼女は、私以外は、画家という人間類は招かなかった模様です。作品を、買ってくれる可能性のある、絵描きではない友人と知人を招いて、これをやり遂げました。200万円ぐらいの収入はあったのではないかしら。もっと売れたかもしれません。そこに私一人絵描きとして招かれたのは、歩いて15分のところに私が住んでいるからですが、それとともに、絶対に裏切らない友人として、彼女が信頼してくれていたのも感じます。

 私は前からいっているように、いろいろな知人はいるのです。2007年以来パソコンに以上が発生して、ずいぶんと行動を抑えていますが、一時期(=2002年ごろ)は、『知人が5000人以上いるなあ。個展の案内を出そうと思えば、そのくらいはがきを印刷してもいいなあ』と思うほどでした。そして、桜井陽子さんなど、渡辺さんと知り合う前から、知っているのですから、告げ口しようと思えば、間接的なルートを使ってでもいくらでもできたのです。だが、そういうことは一切いたしませんでした。

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 この間、だいたい12時間、夜中に置き続けて、本のデータを作るというしんどい作業を続けました。
 で、また、徹夜したために、頭はメロメロです。昨日の午後3時から6時までに書いた上の部分より、今から書く、下の部分ははるかに劣ったものとなるでしょう。ただ、製本ができる間(オンデマンドは、その日にできます)待っている間、続きを書いてみます。それに、起承転結が整っていない文章を、公開するのは、失礼でありますので、起承転結が、本日なりに整うようにがんばってみます。
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副題14、『いい加減な気持ちとテクニックで描いても、数多く描くうちに、いくつかは傑作となる』

 その個展を先生や、同僚(あまぞネス軍団の女流画家たち)に隠してやらないといけないのは、新制作などの、一流団体展に出す人は、学問の世界で言えば、学会誌に論文を発表するようなもので、相当にレベルが高くてかつ新しいコンセプトか、技法とか、ともかく括目すべきところがないとだめなので、お花の絵で、19世紀にさんざん描き古されたようなものを発表すると、『その時間帯は、怠けていた』ということになるわけです。研究心が足りないといわれるのです。

 ともかく、上の人は下の人を苛め抜くのが公募団体展の世界です。最近では、財政的には、苦境に陥っているはずなので、ずいぶんと状況が変わっていると思いますが、1990年代はそうでした。だから、わたくしも一時きその被害にがんじがらめでしたが、一挙手、一投足、ビビりながら行動するということとなります。

 それでも、渡辺さんが花の絵を描いたのは、画材が抜群に余るからです。研究発表の絵は、150号ですから大量に絵具を解きます。特に渡辺さんはうす塗りを何度も重ねる手法の人(これは、わたくしと付き合っていた時代のことですが)ですから、油をたくさん入れてチューブの絵の具を溶きます。すると、それらは、ふたのしっかり閉まる容器に入れておけば、1っか月ぐらいは、柔らかいままであって、絵筆で、キャンバスに塗ることができる状態です。それを捨ててしまうのはあまりにももったいないです。油絵具は、カドミウム系など、特に高いですからね。

 でも、渡辺さんの頭は新制作用の、大作をどう作り上げるかで、いっぱいになっていて、小品を自分本来の作風で、作る余裕がないのでしょう。また、抽象画はあまり売れません。わたくしは色がすごくきれいなので、非常に高度な美術愛好家が買ってくださるけれど、それで、材料費が賄えるというものでもないのです。

 だから、花の絵を描くのはピッタリです。一種の余暇にもなるでしょう。無心に描けるはずです。彼女は日展系で出発した人だから、目に見えたとおりに写実的に描くのは得意だし、フェリス出身だから、当時のお友達で、今、名士夫人になっていて、大金持ちのセレブになっている人に向かって「お宅の応接間に飾って」というのに、まことにピッタリです。

 わたくしは、すでに、1994年には上野の公募団体展を離れようと決意していましたから、『こういう個展を開くことで、見つかって叱られるのではないかとか、批判をされるのではないかと、恐れる必要はないわ、いい、いい』と励ましました。

 そこに展開しているのは、衒いのない絵です。無心で描いた楽しいお花ばかりです。あまりにも平凡だといえば、そうもいえる。だけど、中には傑作が数点ありました。といいたいところですが、一点だけです。ただし、『神様が恵んでくださったから、これができたのですね』というような、すこぶるつきの傑作となっているのがありました。

 それは曼珠沙華の絵でした。彼岸花ともいわれるもの。細い花弁の花が無数に固まって咲くものです。ただし写実的に描こうとすると、時間がかかるものです。だから、彼女は省エネで、ただ、丸をポンと中央に描きました。だって、お花の絵そのものが、余暇の仕事です。第一義の仕事は新制作に出す大作なのですから。

 で、簡単に描いています。そして、その下に茎をすっきりと一本。あのね、理論的に言えば、抽象画の場合、左右対称に、真ん中に図形を置くのは、幼稚なことで、さけないといけません。だけど、全体が、『考えは、無しよ。コンセプト抜きよ』という気楽な作風で統一をされているのですから、真ん中に丸が一つでも構わないのです。

 わたくしは、こういうことが、いわゆる花伝書の世界に通底する面白さだと思います。意図せざるものが生まれる面白さ。そして、それが、目利きをうならせる傑作になっている。

 特にサムホールという小さなサイズなので、そのサイズの点もあいまって、見事に傑作となっているのです。

 で、私は「それを買うわ」と、申し出でました。すると5万円とのこと。これは、友達、特に絵描きに売るにしては高いです。私ならその値段は付けはない。だってね。地塗りに一分ぐらい、その後で、一週間乾かす。そして、はなの絵を描くのに、15分、絵そのものには、15分もかけたか、かけないか・・・・・という作品です。まあ、お金にシヴィアな渡辺さんだから・・・・(というのも、私はしょっちゅう、彼女に怒られていましたからね。無駄なお金の使い方をすると。例えば、プリントアウトで、エッセイを送ることなどを。「何で、こんな無駄なことをするのよ」っていわれていました。だから、お金にシヴィアだと判断をしています)・・・・しかたがないといえましょう。個展のそのものでも、労働時間は、100時間はとられます。それを、画家としての時給三千円で計算しても、30万円です。私なんかそれは、制作の段階もこめて、すべて・た・だ・働きだけど、彼女はがんばる人なのです。そして、リアリストでもある。

 だけど、これが、数年後、大変なトラブルを、招くのですから、どうか、重要な伏線のひとつとして、記憶にとどめておいてください。とても小さな絵で、あまった絵の具で、しかも本業の余暇の気晴らしの時間の、お遊びの15分ぐらいで描いた絵が、5万円です。曼珠沙華の、複雑で細い花弁の代わりに、それを全部まとめていっしょくたにした、大きいまると、芯をあらわす小さいまる、その二つだけ、そして、茎として、線が一本だけ、描かれた絵が、5万円です。
 私という友達に対して、そういうお値段でした。内心で驚きました。『渡辺さんを悪女だと言った人がいるけれど、うわ、本当だ。私なら画家に対しては、絶対に、こんなお値段は取れないわ」と思いました。作品を買うときのやり取りでまず、気分は悪かったのです。

 というのもね。無償の行為というのを考え合わせると、こういうお値段を、私に対してとってはだめなのです。心理的なサポートは、専門のカウンセラーなら、一時間一万円を取られるし。それで、ご自分が元気を回復するのですから、結構重要なものなのですよ。

 まあ、それでも、私は『傑作だ』と、それを思っているから、いいのですけれどね。

副題15、『開発チエと、渡辺幸子を守るために、私のパソコンが壊れた』

 一週間前にパソコンが壊れました。すると、AOLの過去の記録が一切なくなります。無論、メルマガを復活させることはできます。ただし、過去の保存文書の部分が、消えます。AOLは、メールを特化して始まったプロヴァイダーなので、マイクロソフトのワード機能を通していません。で、ウィンドーズ版のパソコンでAOLを見ると、ハードディスクにも保存がなされていないのです。これはアウトルックを通す、ほかのプロヴァイダーとはまるで違うところです。
 そのパソコンが壊れたことこそ、
 こんな女流画家の噂話みたいなものが、きわめて政治的な論文となるという・・・・・ことの、それが、証拠なのです。
 で、私がそれにこだわって、延々と書き続けるということとなります。

 今までも何度もパソコンが壊されてきました。『なるほどなあ。こういうことだったのだ』と、思っています。

 二人の共通点というのは、『酒井忠康氏が、この人たちを、かわいいと思う人だ』というところです。開発さんの方は慶応大学の後輩です。慶応大学の美学を出ても世の中で、これはという働きをして有名人になっている人は少ないです。10人ぐらいでしょう。無名だからって無能だというわけでもないのですが、それ相応に有名だったら、年齢を超えて、知り合っていると思われます。
 一方で渡辺幸子さんは、慶応の卒業ではありませんが、この文章で書いている時期のずっと後で、酒井氏の審査によって青木繁大賞を取りました。だから、子飼いの作家というわけで、かわいいはずです。酒井氏と同世代でもね。かわいいと思う人の一人でしょう。
 その二人の、落ち度について、これから、私が書く予定であることはパソコンのメモ類やら、下書きを見たら、わかります。で、酒井氏としては無論、そんなことは書いてほしくないです。開発さんの方は娘ほども年下です。そして、渡辺幸子さんは、鎌倉の人間です。まわりまわってどんな火の粉が、自分に降りかかってくるやもしれません。だから、書いてほしくない。それを、パソコンを壊すという形で、実行をしています。

 無論、技術的には酒井氏にそういう能力はないでしょう。しかも、壊れたのは大船の喫茶店で、仕事をした後で、戸塚の喫茶店へ移動した間です。
 現在は、電源プラグで、インターネットができるそうですから、電源プラグを使ったとたんに、外から、命令系統が下って壊れたのでしょう。だから、やっている人間は、例のCIAというか、瀬島機関の連中というか、それとも、警察か? それとも、ITの勉強を1960年代からやって来たと言われる、KK君か? KK君は私の友人だから厄介ですが、最近たびたび名前の挙がる石塚雅彦氏とか、ロックフェラー四世と直接親しいので、こういうことをやる可能性はあるのです。

 酒井氏が、直接には、パソコンの破壊に、関与していなくても、この戦いのすべてを貫通して、上から眺めている人間にとっては、ここで、こうやったほうがいいという判断はできるでしょう。そして、破壊してしまう。

 パソコンって脳の出先機関みたいなものですから、極限をすれば、これは、一種の殺人事件です。私は過去に何度もこれをやられているから、いつも用心のために、数台のパソコンをキープしています。が、最近では特に本作りがあるので、外の貸しパソコンを使うケースが多いです。すさまじいまでに、お金がかかっていますが、こういう苦しみは、過去数年間、ずっと味わい続けてきたのです。仕方がないですね。

 渡辺さんなら、もし、この文章を目にしたら、こういってあざ笑うでしょう。「ああら、いやだわ。ばっかみたい。だから、用心してセレブの世界にとどまればよかったのに、あなたの方から出たのではないの」と。ここで、彼女のいうセレブの世界とは、例の外人記者クラブの食堂(一般の人は入れない)で、食事をするグループ展(ICU同窓会展を指します。

 それから、開発さんは、すでに、フェイスブックの世界で、私を欠席裁判にかけたらしいのです。その上、個人的に、メールでもそれから、その前に、このブログのコメントとしても、すさまじい文章を送りつけてきています。それは、怒涛のごとき、罵りとなって押し寄せてきています。

 その文言は、後で、記憶に基づいて丁寧に書きますが、・・・・・・

 ともかく先に、今は、渡辺さんの方のエピソードを、処理しないといけません。ただし、ここ、外の貸しパソコン(新橋で本の仕事をしていた・・・・・日曜日の話です)では、メモもありません。そのメモは壊れたパソコンに入っていたのです。

 で、一回書いたことがなくなってしまったので、それを書き直さないといけません。が、それを再現するのは非常につらいことです。いったんパソコンに預けたので、これで安心と言って、脳が、それらの文章と、挿話を、削除してしまったからです。それを、再現するのは、脳がびんびんに元気なときではないとだめなので、今日は中途半端ですが、傑作を五万円で買ったところまで、書いておきましょう。

 その絵を返してほしいと、私が留守の間に、彼女は主人に言ってきたのです。それが、この『社会の窓が開いていますよ』という一連のシリーズの文章を書く動機となっています。

 大切なことは、真夜中に新橋のネットカフェで、私が、仕事をしている最中に、夜、自宅へ電話がかかって来たということです。それは渡辺さんというアイコンを、100%警察(それは、国際的軍産共同体の言うなりの組織です)が利用していることを証左しているのです。それは、丁寧に書きますよ。次か、その次のブログにです。

副題16、『開発チエさんは、私自身も、このブログも抹殺する予定だそうです』

 このブログへのコメントと開発チエさんから、もらったものと、それから、個人的なやり取りとしてもらったものをあわせると、8千字を越すと思います。

 その内容がすさまじいのです。「あなたは、精神病だ」とか、「すぐ入院をした方がいい」とか、すさまじい罵詈雑言の連続です。

 だけど、開発さんが突然、私に近づいてきたこと自体が、自然な現象ではないことは、明々白々です。
 このブログ内で、「フェイスブックに入っていない。だけど、それなりのメリットもあります」と、書いたとたんに、

 「フェイスブック・だ・け。でご返事をください」と、言うコメントがこのブログへ入っていたので(今は保留にしてありますので、一般の方はそれを読めないが)、フェイスブックを種にからかってやろうという手合いから、示唆、教唆されて、突然に絡んできたと思われます。

 そのコメントが引っ付けられた原文が、その直前にアップされたものなら、その行動が自然だとも推察できますが、

 私はフェイスブックには入れないから、そちら様の住所である福井市の開花亭の電話番号をインターネットで調べて、電話で、その『ご返事ができない』という旨を告げました。

 その電話に出たのは男性だったのです。で、てっきり、従業員だと思い込んでしまいました。そして、従業員という言葉も古いのですが、さらに、古い使用人という言葉をつかってしまったのです。
 ところがなんと、その男性は彼女の実弟で、しかも社長なんですって。

 開花亭は、旧館が、和風の料亭だと思われますが、新館もあって、それは、隈研吾の設計の超モダンな建築です。その新館は、sou anという別名になっています。が、電話番号はグーグルの検索では、そちらが上になっていました。

 それが大変な、怒りを喚起してしまったらしいのです。
 この怒りですが、丁寧に分析すれば慶応大学卒業の彼女のブランド意識と階級意識が反映しているのでしょう。潜在意識の中での判断です。だから、表にはそれは、意識されていないと思いますが、日吉で育った私には非常によくそれが推察できます。つまり、戦後社会の日本での階級意識の中では、大会社とか、大組織に所属して、部長以上に昇進するのがエリートなのだという認識があるのです。どんなにお金持ちでも、中小企業だと弱いという認識があります。そして、大企業なら、その従業員を使用人という言葉は絶対に使いません。だから、彼女が激怒したのは、わかります。

 だけどね。この交流の全体構造を考えてみましょう。そこが大切です。彼女が、コメントを引っ付けてきた文章は、本年2012年の、5月13日の午前五時にアップされています。彼女がコメントを引っ付けてきた日時は、2012年の9月14日の午後二時です。大きなタイムラグがあります。そして、話題は侘助という北鎌倉の、飲み屋に関する部分があります。最近、一か月以内に、そこに敵情視察に言っています。以前よりずっと、環境が改善されていましたが、すぐ、主人からしかるべき人物に、情報が入ったのでしょう。そして、私が弱気になったいるとみなされたと推察ができます。
 どうしてかというとそこに別のお客がいて、話が弾んだので、お歌を歌っています。非常に驚かれました。ともかく、隠された実力の大きい人物が私ですから、何の事前準備がなくても、伴奏がなくても、すぐお歌を歌って、人を感動させる(?、または、驚かせる)とができます。しかし、そういう場をほしがっているとみなされて、そのために、侘助にしょっちゅう行きたがっているとみなされたでしょう。それが、私の弱みにあたると敵は推察したと思われます。

 で、そこの文章に焦点が当たり、福井市に在住で、侘助のことは何にも知らない、開発千恵さんが、すさまじい攻撃的な文章をコメントとして引っ付けてきたのです。ただ、実名を明かしていますので、井上ひさしか、伊藤玄二郎が、田代大師さんに、似せて書くときのずるさは、ないですよ。また、ペンネームもかられは、げろが出て、ウンチが出て、屁も出るという、のを改良した、うんちょーす何度かというのを使いますが、開発さんは、そこまでの下品さはありません。素直なお嬢様です。

 で、全体構造のことに戻りますと、最初から激しい攻撃欲と、蔑みの感情に満ちた文章となっています。天からみれば、『私の方は、フェイスブックに入れないのに、フェイスブックでご返事を下さい』ということ、その物が究極のいじめであることが明白になります。そういう風ないじめ用の弾丸として彼女を使ったのは、本当は誰でしょうか?

 だけどね。ここで、話は元の、『使用人』というキーワードへ戻ります。私はね。フェイスブックを読んでいるでしょう。すると、わかるものがあります。私のことも皆さんお分かりになると思いますが、チエさんが、わがままなお嬢様だということがひしひしとわかります。だから、従業員は大変だろうなあと、常日頃から思っていたので、つい、使用人という言葉が出てしまいました。笑い事じゃあないけれど笑い事に近いです。

 それに、ちえさんは弟さんのこともよくフェイスブックで書いています。
 しかし、そこに出てくる弟さんは遠くに住んでいるらしくて、しかも別業種に所属しているサラリーマンと思しき存在です。で、てっきり私は開発ちえさんが、社長をしているとみなしていました。私の電話を取った、現実に開花亭、総体の社長をしている、上の弟さんは、一切登場しなかったからです。

 ところがね。彼女はフェイスブックごと期の付き合いなのに、実業界に生きている弟(社長)にまで、電話をかけてと、そのことに、怒ってのですが、先ほども言ったように、最初のきっかけは彼女が、私がふぇいすっブックを使えないことをあざ笑い、嘲笑する目的で、このブログへコメントを入れたのですから、悪意は彼女から始まっているのです。そこを一切無視して、一方的に精神病院へ入るべきだとか、いろいろいってくるのは、恐ろしい言いぐさです。

副題17、『開発さんは、最初から、随時進行的に文字化けで守られていた』

 特にブログを閉鎖してやるとか、私を県知事とか、警察に頼んで生きていかれないようにしてやるとか、ものすごい言葉と文章の羅列なのです。それも、すごいことですが、その文章の中の、ハイライト部分が意味不明の漢字で、変換されていて、私には読めないようになっています。

 つまり、彼女のヒステリックな文章は、もし、のちに、コピペで使われたら、すべての文化人特に、美術手帖を格の高い美術雑誌だと、信奉している人たちにとっては、唖然茫然と、するような内容でしょう。それが、例の敵連中、特にパソコンを随時、監視しているプロの連中にとっては、さすがに、『だめだ。こりゃあ』ということになったと思います。で、伊藤玄二郎、井上ひさし(この人はいまだ生きていて地下潜行をしているはずです)、酒井忠康の、三人を守ることが彼らの役目ですから、

 開発さんの、個人メール、(7本だっただろうか?)には、最初から文字化け部分が含まれておりました。つまり、彼女が劇場に駆られて、自分が思うままに書いた部分は、最初から文字化けをしていたのです。15日から16日にかけてもらった大量の文章の肝心のところはすべて文字化けをしていたのです。

 コピペしても効果が上がらないようにお手当てがなされていたのです。そして最終的には、16日付のメール(ただし、私の方では、18日まで読めなかった)で、『あなたとはかかわるなと、大勢の人が言うから、ここで終わりです。絶対に返事はよこさないでね。そうしたら、このメルアドも封鎖するように、手配します』という文章で終わりました。で、私は傷つけられきって終わったわけですが、それでもいいと当初は思っていたのですよ。というのも、私の70年間の、人生において、時々、とんでもない狙撃兵として表れる、攻撃用弾丸の一つでしかないのです。

 ちょっと思い出してみても、実名であり、かつ字(または、文章)を使った攻撃者としては、高橋典夫(ギャラリーT.boxのオーナー)、赤津ただし(既報)、瀬木慎一(有名な美術評論家です。すでに故人)高橋真樹(岩手県、盛岡市で、女性向けのタウン誌を発行し、ヤングママなどを糾合している、中学生の子供を持つ、女性・・・・・ただし、不思議なことに、6か月前まで、グーグル検索で読めた彼女に関する情報がすでに読めないことになっている)、と、この開発ちえさんの5人ですが、その攻撃性の強さにおいて、瀬木慎一とどっちか、こっちかというものでした。

 赤津さんは、お互いのやり取りに、合理的な理由があるので、本当はここでは意味合いが違うのですが、瀬木慎一氏と、開発千恵さんは、どちらも利用された弾丸または、狙撃兵です。
 でも、このブログが、
 実際に閉鎖になるかもしれません。そうしたら、渡辺さんと同じように、花の油絵でも描いて残りの一生をすごしましょうかね。(笑)

 今、これを、渡辺さんが、警察丸抱えの攻撃者、つまり、私を体の面からつぶすために、電話をかけてきて『絵を返して」といった、その当夜使っていた新橋の同じネットカフェで、書いています。偶然です。東京で本を作っているから。いつも本を作る際は徹夜になり、東京にいます。たいていは都心にいますから。

 では、ここで、脳みそを使い切ったので、本日は終わりとさせてくださいませ。この二人のセレブな女性、生まれも上等で、お顔もきれいで、お金持ちでもある。そういう人にめちゃくちゃに攻め立てられている私から、20時間ぐらいのお別れを申し上げます。その間に少しは寝ましょう。

 でもね、私は平気なのよ。透明で、静かな気持ちでいます。でないと、膨大な仕事があるので、それができないでしょう。本作りって、とても大変なのです。大体、10にんぐらいのプロフェッショナルが、半年以上はかかる仕事を、一気に三ヶ月ぐらいで、ひとりで、やってしまうのですから、鬼神もかくやという集中振りです。

 そして、冷静ですよ。だって、頁デザインも装丁も、中扉を作ること、奥付を作ること、すべて、基本は拡大やら移動などの、0.1ミリ単位の、算数なのですから、冷静でないと計算が合わなくて、だめなのです。では、伏線のみ書き表している中途半端ですが、お許しくださいませ。
 それでも、エピソードは、満載だと自負しております。

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