そういえば、現在フジ・ロック・フェスティバルの真っ最中なんですよね。
もうあれから10年も経ったんやなぁ~
私が、あの地獄の第一回フジ・ロック・フェスティバルを体験してから・・・
10年前、私は姉に誘われるがまま、姉の知り合いの薬剤師さん含め3人で車で第一回フジロックフェスの行われる山梨県鳴沢村、富士山の麓にある天神山スキー場へと赴いた。
もちろん野外フェス体験は初めてで、メタル離れしていたその頃の私はオルタナ、エレクトロ系にガッツリ首を突っ込んでいた時期でもあり、期待と不安に胸躍らせながら、この記念すべき初の日本最大級の野外ロックイベントに参戦したのでした。
しかし運の悪いことに、出発前に私は持病の腹痛を誘発させており、姉はペーパードライバーだったため行きの運転は殆ど薬剤師さんにまかせっきりでした。
もしこのブログを見ていらっしゃいましたら(んなわけねーだろうけど)、あの時は本当にご迷惑をお掛けしました。
時代はケータイ電話がようやく出だした頃で、デジタルカメラなんかはまだ普及しておらず、姉が持参してた使い捨てカメラで撮った写真が数枚ございましたが、現像した写真もフィルムも今ではどこいったかわかりません。
なので、画像はほとんど音楽雑誌、映像からの抜粋です。
会場に着き、腹の痛さに私はもう貧血状態。ゲロゲ~ロと胃の中のものを全て嘔吐することに専念しておりました。
アメリカの田舎モンバンドSOUTHERN CULTURE ON THE SKIDSの能天気な演奏でフジロックの幕が開け、天神山会場はまぁまぁの盛り上がりを見せてはいたが、それとは対照的にもう午前中から上空はどんよりとした雨雲に覆われておりました。
雨もかなり降ってきており、オーディエンス達のほとんどが雨具の用意をしていなかったらしく、お手製のタワレコビニル袋黄合羽に身を包む者がチラホラ。
MAINステージではレイジとレッチリしか見たいものがなかったので、腹の具合も幾分かマシになった私はSECONDステージを見学に。
これが想定してたより結構な道のりでかなり疲れた。
着いた時ちょうどボアダムズの山塚アイ氏の雨乞いのようなパフォーマンスが展開されていた。この理解不能な音楽性についていけず、彼の祈祷が通じたのか、雨もいよいよ本降り化してきて、もうその場にいたたまれず再びMAINステージへと退き返す。
MAINステージではFOO FIGHTERSのショウが展開されており(フーファイはこの頃あまり知らなくて、今思うと貴重なライブでちゃんと観とけばよかったかと)、盛り上がるファンの間を掻き分け会場の中央まで移動した。
FOO FIGHTERSのライヴが終わり、そしていよいよレイジの出番!
しかし、雨はもう土砂降り状態!雨曝しの格好で寒さにブルブルうち震えながら開演まで約30分以上もその場に突っ立って待たされる羽目になりました。
この時私は一瞬「俺今日死ぬかも・・・」と思いました。
ギャイヤイヤイ!というトムのギタースクラッチ音が鳴り響き、レイジの怒涛のライヴがスタート!
実は私はようやくレイジの音楽の良さが分かり始めた頃だったので、どうなんだろうと思ってたんですが、「世界最強のライヴバンド」という呼び名はダテではなかったことを思い知らされるハメとなりました。
この時ばかりはこの無情に降りしきる豪雨が、ステージに絶妙な好演出をもたらしておりました。
その中を劈くような3人の繰り出す轟音に、ピョンピョン飛び跳ねながら怒りのラップをぶちまけるザックの姿を目の当たりにし、私は今までにないくらいの血湧き肉踊る興奮状態に陥り、スラッシュメタルとはまた違う、このオルタナバンドならではのグルーヴ感によるモッシュのノリというものを初めて体験することになったのです。
会場では瞬く間に巨大なモッシュの渦が形成され、泥んこの中を客と客とが交差する肉弾戦が繰り広げられ、凄まじ過ぎる狂熱の坩堝と化していた。
とは言え、モッシュの渦にのまれて転びそうになる人をお互い支え起こしてあげるという、この過酷な状況下に置かれた者同士の不思議な連帯感も生まれておりました。
なにがヤバかったかって、「BULLET IN THE HEAD」の演奏時に一瞬雨が止み、モワ~~~と幻想的な白い煙が立ち込め、その隙間から垣間見えるステージ上のザックの神々しい勇姿である!この白い煙ってのは実は雨水と客の体温が織り成す蒸気なのだ。
この光景はマジヤバかった!もう71年の箱根アフロディーテのフロイドライヴに匹敵する程の神秘現象だったのではないだろうか!
いや、まだ生まれてなかったんで知らんけど。
おまけになんと!2日目出演予定であったPRODIGYのキースとマキシマムがステージに飛び入りするというビッグサプライズ!!
そこでザック&キース&マキシマムによる即興ラップバトルが繰り広げられるという貴重な場面を目撃することができた。もちろん会場全体も大興奮状態。
これが伝説のライヴと言われる由縁である。
レイジのライヴが終わり、天候はますます荒れ模様になってきた。
まさにレイジが嵐を呼び込んだとしか考えられなかった。
暴れに暴れまくった私であったが、イエモンの次のレッチリまでの待ち時間、ロングTシャツはおろか、着替えの用意など一切してなかった私は、物販ブースに赴きレッチリのかわいいONE HOT MINITES柄Tシャツを購入しすぐさま着替えたんですが、それすらも雨ですぐグチョグチョになり、リフト格納庫の中で(立ち入り禁止の柵があったけど、そんなことは言ってられなかったのです)避難してきた他の客たちと一緒にずっとガタガタ震えながら体育座りで縮こまっておりました。
その時の私には、もうすでにSECONDステージまで見に行く気力は残っておりませんでした。
おかげでATARI TEENAGE RIOT、電気グルーヴ、APHEX TWINなどのユニークなショウを見逃がしてしまった(悔)。
今思うとSECOND STAGEの方が見応えのあるメンツが揃ってたなぁ。
そして、満を持しての大トリ大本命のレッチリだったが、アンソニーがギプス姿で現れた時はかなり興ざめた。
私にとって初レッチリだったが、この時は元JANE'S ADDICTIONのデイヴ・ナヴァロが在籍していた時期で、この編成としては最初で最後のある意味貴重なライブ?
ライヴ開始早々前の方からグッタリした女の子が数名運ばれていった。確か救急車も来てたんじゃないかな。
まぁレイジと違い、レッチリはやはり女子ファンが多い。
女子ファンってのはちょっとでも憧れのアーティストを近くで観たいという願望が強い傾向にあるので、みんながみんな一斉に前方に押し寄せてしまう。そして当然の結果、圧迫され意識を失ってしまうハメとなる。
それを思うと、男性同士で繰り広げられるモッシュサークルの方がどれだけ安全だかがわかる。
そして、台風急接近で30分ぐらいで「Give It Away」を最後にレッチリのステージが終了。
ヤケクソとばかりにメンバーがチャドのドラムセットを破壊し、去り際、サービスとばかりにフリーがチン○出してた。
とにかく、完全にレイジに食われたという感じだった。
私の中でもレッチリ>レイジであったのが、完全にレッチリ<レイジと入れ替わった瞬間でもあった。
フジロック97後の当時の『ミュージック・ライフ』。
大トリのレッチリを差し置き、一面表紙をレイジが飾ったことからも、フジロック97でのレイジがいかに凄かったが窺い知れる。
ステージ後のショット。いい写真。
全プログラム終了後、我々にはさらなる地獄が待ち受けていた。
嵐の影響でシャトルバスが何時間も遅れ、富士の山の麓に取り残された我々は、叩きつける雨に打たれながら、いつ来るかもわからないバスをず~~と待ち続けなければならなかったのだ。
バス一台が到着するごとに、どの方面であろうが人が一斉に押し寄せる軽い暴動状態となっていた。
男どもはなかば暴徒と化し「乗せろウラーー!!」とバスに向かって叫ぶ。女の子は絶望的な声で「もう死ぬ~~~!!」と泣き出す。
あの阿鼻叫喚の『蜘蛛の糸』ばりの地獄絵図はホンマ酷かった。
湖の畔にある私達の宿泊先である旅館にようやく辿り着いて、風呂に浸かった時は心底「生き返った!」と思える瞬間だったなぁ~
で、二日目会場に行くとゲートに「本日は台風のため中止となりました。」という張り紙が貼られてありア然ボー然。
でも、心の中では、なんだかホッとしている自分がおりました。
しかし、この幻となった二日目もPRODIGY、BECK、GREEN DAY、MASSIVE ATTACK、LEE PERRYと、今考えると凄い面子やったなぁ~
~まとめ?~
・なんの備えもせず、野外フェスをなめてた。
・レイジの嵐の中の伝説のパフォーマンスを体感できただけでも行った価値があった。
・買ったばかりのおニューの靴とズボン、その後泥臭くて装着不能になりました。
・一緒に行ったあの時の薬剤師さん、元気ですか?
・返金のため送り返した記念のリストバンド返して!!
今日の1曲:『VIETNOW』/ RAGE AGAINST THE MACHINE
もうあれから10年も経ったんやなぁ~
私が、あの地獄の第一回フジ・ロック・フェスティバルを体験してから・・・
10年前、私は姉に誘われるがまま、姉の知り合いの薬剤師さん含め3人で車で第一回フジロックフェスの行われる山梨県鳴沢村、富士山の麓にある天神山スキー場へと赴いた。
もちろん野外フェス体験は初めてで、メタル離れしていたその頃の私はオルタナ、エレクトロ系にガッツリ首を突っ込んでいた時期でもあり、期待と不安に胸躍らせながら、この記念すべき初の日本最大級の野外ロックイベントに参戦したのでした。
しかし運の悪いことに、出発前に私は持病の腹痛を誘発させており、姉はペーパードライバーだったため行きの運転は殆ど薬剤師さんにまかせっきりでした。
もしこのブログを見ていらっしゃいましたら(んなわけねーだろうけど)、あの時は本当にご迷惑をお掛けしました。
時代はケータイ電話がようやく出だした頃で、デジタルカメラなんかはまだ普及しておらず、姉が持参してた使い捨てカメラで撮った写真が数枚ございましたが、現像した写真もフィルムも今ではどこいったかわかりません。
なので、画像はほとんど音楽雑誌、映像からの抜粋です。
会場に着き、腹の痛さに私はもう貧血状態。ゲロゲ~ロと胃の中のものを全て嘔吐することに専念しておりました。
アメリカの田舎モンバンドSOUTHERN CULTURE ON THE SKIDSの能天気な演奏でフジロックの幕が開け、天神山会場はまぁまぁの盛り上がりを見せてはいたが、それとは対照的にもう午前中から上空はどんよりとした雨雲に覆われておりました。
雨もかなり降ってきており、オーディエンス達のほとんどが雨具の用意をしていなかったらしく、お手製のタワレコビニル袋黄合羽に身を包む者がチラホラ。
MAINステージではレイジとレッチリしか見たいものがなかったので、腹の具合も幾分かマシになった私はSECONDステージを見学に。
これが想定してたより結構な道のりでかなり疲れた。
着いた時ちょうどボアダムズの山塚アイ氏の雨乞いのようなパフォーマンスが展開されていた。この理解不能な音楽性についていけず、彼の祈祷が通じたのか、雨もいよいよ本降り化してきて、もうその場にいたたまれず再びMAINステージへと退き返す。
MAINステージではFOO FIGHTERSのショウが展開されており(フーファイはこの頃あまり知らなくて、今思うと貴重なライブでちゃんと観とけばよかったかと)、盛り上がるファンの間を掻き分け会場の中央まで移動した。
FOO FIGHTERSのライヴが終わり、そしていよいよレイジの出番!
しかし、雨はもう土砂降り状態!雨曝しの格好で寒さにブルブルうち震えながら開演まで約30分以上もその場に突っ立って待たされる羽目になりました。
この時私は一瞬「俺今日死ぬかも・・・」と思いました。
ギャイヤイヤイ!というトムのギタースクラッチ音が鳴り響き、レイジの怒涛のライヴがスタート!
実は私はようやくレイジの音楽の良さが分かり始めた頃だったので、どうなんだろうと思ってたんですが、「世界最強のライヴバンド」という呼び名はダテではなかったことを思い知らされるハメとなりました。
この時ばかりはこの無情に降りしきる豪雨が、ステージに絶妙な好演出をもたらしておりました。
その中を劈くような3人の繰り出す轟音に、ピョンピョン飛び跳ねながら怒りのラップをぶちまけるザックの姿を目の当たりにし、私は今までにないくらいの血湧き肉踊る興奮状態に陥り、スラッシュメタルとはまた違う、このオルタナバンドならではのグルーヴ感によるモッシュのノリというものを初めて体験することになったのです。
会場では瞬く間に巨大なモッシュの渦が形成され、泥んこの中を客と客とが交差する肉弾戦が繰り広げられ、凄まじ過ぎる狂熱の坩堝と化していた。
とは言え、モッシュの渦にのまれて転びそうになる人をお互い支え起こしてあげるという、この過酷な状況下に置かれた者同士の不思議な連帯感も生まれておりました。
なにがヤバかったかって、「BULLET IN THE HEAD」の演奏時に一瞬雨が止み、モワ~~~と幻想的な白い煙が立ち込め、その隙間から垣間見えるステージ上のザックの神々しい勇姿である!この白い煙ってのは実は雨水と客の体温が織り成す蒸気なのだ。
この光景はマジヤバかった!もう71年の箱根アフロディーテのフロイドライヴに匹敵する程の神秘現象だったのではないだろうか!
いや、まだ生まれてなかったんで知らんけど。
おまけになんと!2日目出演予定であったPRODIGYのキースとマキシマムがステージに飛び入りするというビッグサプライズ!!
そこでザック&キース&マキシマムによる即興ラップバトルが繰り広げられるという貴重な場面を目撃することができた。もちろん会場全体も大興奮状態。
これが伝説のライヴと言われる由縁である。
レイジのライヴが終わり、天候はますます荒れ模様になってきた。
まさにレイジが嵐を呼び込んだとしか考えられなかった。
暴れに暴れまくった私であったが、イエモンの次のレッチリまでの待ち時間、ロングTシャツはおろか、着替えの用意など一切してなかった私は、物販ブースに赴きレッチリのかわいいONE HOT MINITES柄Tシャツを購入しすぐさま着替えたんですが、それすらも雨ですぐグチョグチョになり、リフト格納庫の中で(立ち入り禁止の柵があったけど、そんなことは言ってられなかったのです)避難してきた他の客たちと一緒にずっとガタガタ震えながら体育座りで縮こまっておりました。
その時の私には、もうすでにSECONDステージまで見に行く気力は残っておりませんでした。
おかげでATARI TEENAGE RIOT、電気グルーヴ、APHEX TWINなどのユニークなショウを見逃がしてしまった(悔)。
今思うとSECOND STAGEの方が見応えのあるメンツが揃ってたなぁ。
そして、満を持しての大トリ大本命のレッチリだったが、アンソニーがギプス姿で現れた時はかなり興ざめた。
私にとって初レッチリだったが、この時は元JANE'S ADDICTIONのデイヴ・ナヴァロが在籍していた時期で、この編成としては最初で最後のある意味貴重なライブ?
ライヴ開始早々前の方からグッタリした女の子が数名運ばれていった。確か救急車も来てたんじゃないかな。
まぁレイジと違い、レッチリはやはり女子ファンが多い。
女子ファンってのはちょっとでも憧れのアーティストを近くで観たいという願望が強い傾向にあるので、みんながみんな一斉に前方に押し寄せてしまう。そして当然の結果、圧迫され意識を失ってしまうハメとなる。
それを思うと、男性同士で繰り広げられるモッシュサークルの方がどれだけ安全だかがわかる。
そして、台風急接近で30分ぐらいで「Give It Away」を最後にレッチリのステージが終了。
ヤケクソとばかりにメンバーがチャドのドラムセットを破壊し、去り際、サービスとばかりにフリーがチン○出してた。
とにかく、完全にレイジに食われたという感じだった。
私の中でもレッチリ>レイジであったのが、完全にレッチリ<レイジと入れ替わった瞬間でもあった。
フジロック97後の当時の『ミュージック・ライフ』。
大トリのレッチリを差し置き、一面表紙をレイジが飾ったことからも、フジロック97でのレイジがいかに凄かったが窺い知れる。
ステージ後のショット。いい写真。
全プログラム終了後、我々にはさらなる地獄が待ち受けていた。
嵐の影響でシャトルバスが何時間も遅れ、富士の山の麓に取り残された我々は、叩きつける雨に打たれながら、いつ来るかもわからないバスをず~~と待ち続けなければならなかったのだ。
バス一台が到着するごとに、どの方面であろうが人が一斉に押し寄せる軽い暴動状態となっていた。
男どもはなかば暴徒と化し「乗せろウラーー!!」とバスに向かって叫ぶ。女の子は絶望的な声で「もう死ぬ~~~!!」と泣き出す。
あの阿鼻叫喚の『蜘蛛の糸』ばりの地獄絵図はホンマ酷かった。
湖の畔にある私達の宿泊先である旅館にようやく辿り着いて、風呂に浸かった時は心底「生き返った!」と思える瞬間だったなぁ~
で、二日目会場に行くとゲートに「本日は台風のため中止となりました。」という張り紙が貼られてありア然ボー然。
でも、心の中では、なんだかホッとしている自分がおりました。
しかし、この幻となった二日目もPRODIGY、BECK、GREEN DAY、MASSIVE ATTACK、LEE PERRYと、今考えると凄い面子やったなぁ~
~まとめ?~
・なんの備えもせず、野外フェスをなめてた。
・レイジの嵐の中の伝説のパフォーマンスを体感できただけでも行った価値があった。
・買ったばかりのおニューの靴とズボン、その後泥臭くて装着不能になりました。
・一緒に行ったあの時の薬剤師さん、元気ですか?
・返金のため送り返した記念のリストバンド返して!!
今日の1曲:『VIETNOW』/ RAGE AGAINST THE MACHINE
これはまさに伝説のライブでした。
ピンク・フロイド『アニマルズ』のTBを頂きましたが、こちらにコメント失礼しますね。
この嵐の中のレイジを経験すると、それまでの他のライブは屑に等しいものになってしまいましたし、
その後も、ライブにはあまり行かなくなってしまいました。
私にはレイジが、ただの大好きなバンドの一つではなくて、特別なものになりました。
このレイジに適うもんは、もうないかな・・・。
オマケっぽいレッチリもまた良し。
P.S.ピンク・フロイドの作った映画知ってます?ぶっ跳びました。
あの頃の私は実はレイジ聴き始めてまだ一年も経ってなくて、それほど理解もしてなかったんですよね。だから“KNOW YOUR ENEMY”の「GO!GO!GO!!」の掛け声の所もわかってなくて大変悔しい思いをしました。
けどあの伝説のレイジのライヴを体感できたことは私のロック人生の中での最高の宝となりました。
そして確信いたしました。ミクスチャーとかラウド・ロックなどという安易な言葉ではかたずけられない、紛うかたなき本物のロックバンドであると!!
>ピンク・フロイドの作った映画
『THE WALL』のことでしょうか?これしか知りません。
ラストの裁判アニメーションが傑作!!ぶっ跳びました。