「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

文科省「20mSV」撤回要請行動

2011年05月24日 | 脱原発
 土曜日から東京に行っていたので、せっかくだから福島の方たちに連帯したいと思って、昨日の子ども20mSV撤回を求める包囲・要請行動に参加してきた。文科省は初めて。早めに着いたつもりだったけど、既にたくさんのそれらしき人が文科省前に集まってきていた。

 通行の妨げにならないように、建物側に並んで文科省の建物を包囲しようということで、虎ノ門の駅の方まで列が続く。

 「福島の子どもたちを放射能から守れ!」などと書かれた横断幕や寄せ書き、手製のプラカードを持った人たちもたくさんいた。

 日本山妙法寺の方たちもいらっしゃった。

 社民党の福島瑞穂さんもいらっしゃって、交渉の場に入っていかれる前に挨拶をされる。

 福島の皆さんが中で交渉している間、外の人たちは文科省の建物をぐるっと取り囲むヒューマンチェーンをつくって応援。交渉が進むのを待っている間、2か所ぐらいで、次々とリレートーク。
 しかし、交渉は長引いている様子で、ヒューマンチェーンのほかの場所はどんな様子かなと思って、ちらっと中庭の方に回ってみたら、何と庁舎内ではなくて、屋外の中庭テラスで交渉が行われている。

 わざわざ福島からアポを入れて来られた方たちなのに、建物の中にも入れてもらえなかったらしい。大臣に面会を求めていたはずなのに、大臣はじめ政務三役は面会を拒否して出てこない。渡辺格科学技術・学術政策局次長が対応しているとのこと。話の内容はよく聞こえないけれど、のらりくらりと曖昧な答弁をしている様子。時々周りの人たちから声援や怒号が飛びかう。途中からは建物を取り囲んでいた人たちも中庭に入って見守る。私も2階の通路から見ていたけれど、取り囲む人垣で交渉している人たちの顔はほとんど見えなかった。時折冷たい雨が降る中、傘を差している人はわずかで、みんな地べたに座っていたらしい。

 結局2時間半くらい交渉していただろうか。20ミリシーベルトは基準ではない、1ミリシーベルトを目指すのが文科省の方針であるという言葉は引き出し、では、それに基づいた通知を出せという要求や、被曝低減策をとれなど、5項目ほどの要望に対する回答を求めたものの、速やかに政務三役に諮って対処するといった回答にとどまったようだった。決定権限がある立場の人が面会を拒否したことに対して、あまりに不誠実な対応にみんな憤りが収まらない様子だったけれども、らちがあかないので、多少の前進はあったということで、この日の交渉は終わる。
 その後、参議院議員会館に移動して院内集会。3時半からの予定が、交渉が長引いたため、着いたのは4時くらいだったと思うけど、350名入る会場は既にほぼ満席だった。

 福島から来られた方たちから次々にメッセージをいただく。20ミリシーベルト/年、3.8マイクロシーベルト/時が基準として独り歩きしてしまったために、それまでは校庭で遊ぶのを自粛していたのに、3.1マイクロシーベルト/時の校庭で体育や部活をしなくてはいけなくなったとか、本当にひどいと思ったのは、給食の牛乳がそれまでは岩手県産だったのが福島産になったという話もあった。お母さんたちは心配で避難したいのに、家族の理解が得られず、苦しんでいるとか、涙ながらの悲痛な訴えが続く。文科省の対応には本当に失望だったけれども、各地から大勢の人たちが集まったことは、福島の人たちにとっても心強かったのではないかと思う。移動中に隣を歩いていた福島の方に「長野から来た」と言ったら、「わざわざ長野から」と、すごく喜んでくださった。このつながりを今後も広げて、何とか早急に20mSVを撤回させていかなくてはと思う。特に関東の方は、3基ともメルトダウンが明らかになり、今後も高濃度の放射能のさらなる拡散が続く中で、既にホットスポットになっている場所もあるし、これが決して福島だけの問題ではないことを敏感に感じていることだろう。
 途中から参院の行政監視委員会に参考人として出席されていた小出さんが駆け付けてくださって、拍手がわく。「子供たちには原子力を許した責任は一切ない。大人は責任があるが、子どもだけは守りたい」と、熱いメッセージ。

 
 facebookの子供たちを放射能から守る福島ネットワークのページに当日の要請書や声明、福島の方々のメッセージの動画などがリンクされている。また、こちらのブログには主催者側の要請書や声明のほか、ネット上で読める記事なども集めてリンクしてあった。細かい内容についてはそれらをご覧ください。
 

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