「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

憲法を考える集まり

2013年01月22日 | 非戦・平和・社会
 先週の土曜日、お隣の中川村にて、『靖国問題』『犠牲のシステム福島・沖縄』などの著書がある東京大学の高橋哲哉さんと、「国旗に一礼しない村長」として新聞などでも話題になった中川村の曽我村長の対談による「憲法をかえますか?」という講演会があった。総選挙で自民党が(支持率こそ20%台だが小選挙区制により)圧勝し、憲法改正を掲げる安倍政権が誕生したことで、より関心が高まったこともあってか、会場の文化センター大ホールは200人を超える人で埋まった。
 まず高橋先生から、憲法は他の法律とは違い、国の成り立ち、根本的な理念を定めたものであり、現行の憲法は主権者たる国民から国家権力に対する命令、民が定めて国に守らせるものであるというお話があった。(それに対して、大日本帝国憲法はお上がつくって国民に下賜するものだった)そして、憲法改正というときによく9条のことが挙げられるが、それだけの問題ではない。どの条文をどう変えるのかということで、昨年4月に公表された自民党の憲法改正草案について資料に基づいてお話しいただいた。
 例えば99条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」となっているが、これに対応する改正案の102条では「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と、まずあって、2項で「国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」となっている。天皇は「象徴」から「元首」とされ、「日本国民は」で始まっていた前文は、「日本国は」で始まる。
 そして、9条を含む第2章は「戦争の放棄」から「安全保障」とされ、自衛権が書き込まれ、自衛隊は国防軍とされる。実際、現実の自衛隊は軍と変わりないのだから実態に合った名称にするのだという議論があるが、一方で自衛隊は違憲だとする裁判もあったわけで、正式な軍隊でないことによってあった歯止めがなくなってしまうことは明らかだ。そして、3項には「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」を行うことができるとされている。集団的自衛権の行使を認めれば、アメリカの戦争に駆り出されるのは目に見えている。
 高橋先生は、自民党の改憲草案について、この主権者である国民が国家権力を縛る力を後退させることと、海外派兵を可能にすることの2点が特に重要なポイントだとされた。
 次に曽我村長のお話。曽我村長は昨年、議会の一般質問で国旗と国歌に対する認識を問われた際のやりとりをホームページに掲載して話題を呼び、その後、朝日新聞に「国旗に一例しない村長」としてインタビュー記事が大きく掲載された。それに対して、賛意はメールでたくさん来るが、反対の声は電話でぱらぱら来るのだそうだ。村長は日本がどうしたら海外の人からも尊敬してもらえるような国になれるのか、みんなで考え議論しあえることが大事だとされるが、中には、直接民主主義は幼稚で愚かだ、大衆はそんなことに興味はないという声や、心の中で国旗や国歌に対してどう思っていてもいいが、外面だけ、形式的に従えばいいのだという声も寄せられたとか。まさに真逆の考え方。自民党の改正案の前文に「和を尊び」とあるが、これは、分をわきまえよ、差し出がましいことを言ってはいけないという、上の人が下の人に言うことを聞かせるためのものだという言い方もされていた。
 また、原発事故によって専門家の話が信頼できない状況になってきたこと、繰り返されてきた棄民政策、部分と全体、地方自治体は国と比べれば、部分と全体の乖離は少ないといったこと、憲法の改正案についても、国民の中での議論がないうちに、国、自民党から与えられるというのは非常にまずいといったことなど、話は広がる。
 その話を受けて、高橋さんが聖徳太子の17条の憲法でも「和をもって貴しとなし」の後は「さからうことなきを宗とせよ」と続くのだと紹介された。
 福島県の状況、オスプレイの低空飛行訓練のこと、犠牲にされるのは原発や沖縄だけでなく、薬害、ワーキングプア等々、どんどん切り捨てられていく。自分はメジャーの側に立っていると思っていても、いつ切り捨てられる側になるか分からないような状況、それはみんなで守り合っていかなくてはならないといったことなど、お二人の話が続く。
 会場との質疑応答では、年末に亡くなられたベアテ・シロタ・ゴードンさんの名前も出て、押し付けられた憲法というが、ベアテさんの起草された24条の男女平等条項も押しつけかという質問があった。実は2005年の自民党の最初の改正案の際にはこの24条の見直し案も出ていたそうだ。
 翌日はより少人数のゼミ形式でもっと話を深めたそうだが、私はそちらには参加しなかった。