棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

宮沢賢治--10月の末

2009-10-21 08:34:41 | 山郷の暮し
私のベットの下や周りは、新旧の本が散らばっています。
その中でいつもあるのが宮沢賢治の数冊の本。真夜中にパッチッと目覚めてしまったときや、すごーーく心持がいいときなどフット手にする本なのです。何十回と読んだことか、それでも忘れてしまっている物語があります。

「十月の末」という短編はその一つで昨夜読んでみました。
「があ(母)ゆうべな、土ぁ、しみだぢゃい」と女の子がいいます。
「霜ぁ降ったのさ。今日は畑ぁ、土はぐじゃぐしゃづがべもや」とこたえる母親。
其れだけの会話で、晩秋の東北の朝の様子が浮かんできます。
昔の東北言葉での会話を、そっと、聞いてみたいものです。
十月末の話ですからもう一週間くらい後かもしれませんが、昔は寒かったのでしょう、経験があります。
私も信州に暮して長いのですが、今頃は防寒着を着ていた。
今日も暖かな朝で、先日雪をかむった常念岳は、夏山の顔になってしまいました。

朝の散歩

2009-10-20 11:04:37 | 山郷の暮し
昨夜は大風が吹いたのでしょうか。散歩道に腕より太い枯れ枝が散乱しています。
ストーブ用に拾い集めました。
ぼつぼつと冬の薪ストーブの心配をしなくてはなりませんが、この秋にまだ一度も霜もなく、暖かな朝をむかえています。
紅葉もだいぶおくれ、強風で吹き飛ばされた葉っぱもまだ濃い緑色です。
それでも、緑色の中に朱色に紅葉した蔦やサクラ・ぬるで(漆の木ににている)・柿の葉などが、鮮やかに光っています。
みごとな紅葉になる花の谷。東空に立ちはだかっている「とやみね--三才トンネルにつづく」は幾分色ついてきたところ。
アルプス山麓の紅葉もまだだと聞きました。
暖かな方が楽ですネーーー。
 

115-珍訳源氏-最終回

2009-10-19 08:30:31 | 物語・絵本・童話
珍訳源氏物語だらだらと語ってきました。
もっと語り部の人選をすれば、突っ込んだ深層心理や葛藤を描けたのでしょうが、なにせ能天気なアルコール漬けのオッチャンでしたので、多くは望めませんでした。
マーーあらすじを語らせた程度でしたので、紫式部さんの美しい文学を見事に語り代えた現代訳がありますのでお読みください。

これから物語は私どもの子供たちの時代に入っていきます。
世代交代、政権交代とバトンタッチしていってこそ、今が面白くなるというもの。
似たようなことが繰り返されていくものだと思いますが、ホンノチョットの変化の積み重ねが、歴史になっていくのでしょう。
珍訳源氏物語このへんでお開きと致します。

    


冬の星座のお出まし-オリオン

2009-10-18 09:13:44 | 山郷の暮し
今朝といっても三時半に、パチリと目が覚めてしまった。
外に出ると生暖かさを感じる気の流れ、見上げれば雨雲は一掃され星がまたたいている。
天中近くに、冬の星座オリオンのシシャク形がくっきりと浮かぶ。冬が近ずくにしたがってこの星座は益々存在感がでてくる。
真冬に白い息を吐きながら、身を縮めて見上げる冬空も悪くは無いが、昨夜あたりがちょうどいい。
今朝の散歩道は、雨に濡れた草を分けながらのポトポト歩き。
賢犬サクラも猫のチビクマも前後しながらついてくる。三者とも草の種がびっしりついてしまった。
そうそう、アルプスが初雪に化粧をしています。残念ながらカメラを持っていかなかった。

114-珍訳源氏-退職後の生活

2009-10-18 09:04:56 | 物語・絵本・童話
栄耀栄華のパラダイスもあれば、どん底に生えつくばってもがくこともあります。私の平安時代の平均寿命は40歳そこそこ。皆様方の時代とは大違いですが、その分皆様は多様な楽しみも増えたでしょうが、苦しみも一層重くなったことでしょう。人の世のはかなさ・無常は変わらないことと思います。

私の居る極楽世界は「酒は美味いし、ネーチャンはきれい。ウハウハウハ・・・」
なんて甘いものではアリマセン。
チャーンとやるべきことは決まっていまして、罰もあります。そう天罰というやつでたちまち地獄に急降下。
極楽は悪いところではアリマセンが、何も急いでくるところでもアリマセン。
欲を言ったら限がありませんが、忙しい割にはタイクツしてしまいます。
地獄なんぞを覗き見ますと、面白そーーー。

113-珍訳源氏-紫の上の死

2009-10-17 07:44:02 | 物語・絵本・童話
気高く美しい藤の上どのも37歳の厄年になられた。体調も優れず加持祈祷の効果もなく病も高じて、なんと物の怪にとりつかれてしまった。
一進一退の長い年月お苦しみなされたのです。
源氏殿はそれまでの乱行を悔いるごとく看護をつづけたといいます。

源氏殿の理想の女性・藤壺の宮の面影をとどめ、理想の通りに育て上げた最愛の女性・藤の上どのは、萩の葉にやどる露が、はらりと消えるようになくなってしまった。
 おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうわつゆ
源氏の返歌 ややもせば消えをあらそう露の世のおくれさだつ程へずもがな

源氏殿没後(52歳)婿殿・夕霧も中納言となり、右大臣まで昇格し、源氏家一族の長として富み栄えたのです。

112-珍訳源氏--押し付け嫁さん

2009-10-16 07:32:10 | 物語・絵本・童話
ご出家された朱雀院は、成人式を済ませた女三の宮の行く末が心配で、お悩み抜いた末に源氏殿に降嫁させると決断された。
つまり、臣下が皇女や女王(親王の娘)を妻に迎えることで、たいへん名誉なことであった。
簡単に言ってしまえば、天皇さんの息女を民間人が嫁にいただくことで、絶対に断ることが出来ない。いわばあてがえ嫁さんだ。
正直、私もびっくりした。源氏殿を心身共に支えた奥方・紫の上どのを思うと、きのどくであった。

源氏殿はこれまで数え切れないほどの姫たちと関係してきた。
その姫たちと上手に束ねてこられた藤の上どのだが、自分より高い身分の姫の嫁入りだから心中穏やかではあるまい。

111-珍訳源氏-世代交代

2009-10-15 07:27:14 | 物語・絵本・童話
ご病気がちな朱雀院には、御子のなかで姫宮が4人おられた。
なかでも女三の宮の母は藤壺の宮の妹であったが、強力な後ろ盾もないのでご案じなされていた。
私はこの姫は12-3才の成人式である裳着の式(もぎ)での大役・腰結いをおおせつかった。院にとっても私にも、現役さいごの大仕事であった。
そのとき私は46歳で、当時としては中年を過ぎた領域であった。
左大臣と最高の位であったが特にすることもなく、役所でボケーーとしているのみ。そうそう、皆様方の時代で大問題になっている、天下り・名前だけの位で、まったくの税金の無駄使いの筆頭でした。
時代も私たちの子供の時代に移行しなくてはならぬときずいた私は、出所もしなくなっていった。

110-珍訳源氏-中年から壮年

2009-10-14 06:58:45 | 物語・絵本・童話
源氏殿40歳の祝いの春。六条の屋敷はおろか朝廷をはじめ、誰でもが祝いの準備にかかった。
秋には、太上天皇に順ずる最高位をたまわったのです。
私も行政の最高位・太政大臣と亡き父と同じ位についたのです。
この位になると実質的な仕事もなく、女遊びにも体力がつかず、孫と遊ぶのが楽しみになってしまった。
私は46歳と心身の衰えを感じてきたが、源氏殿はとても40歳とは見えなかった。
押しも押されぬ位にありながら、決して威圧的でなく、むしろ包み込まれてしまうお優しさがただよっていた。そお・・光り輝く阿弥陀如来と見間違えるほどだった。しかし、色多きお方には変わりなく、終生、姫たちに尽くしたともいえよう。

109-珍訳源氏-娘の結婚

2009-10-13 07:19:55 | 物語・絵本・童話
    
4月始め、我が屋敷の藤の花をめでる宴に、夕霧殿をご招待し、二人の長い歳月のおもいをかなえてやった。

月日がたち、娘は家庭内の世話に明け暮れし、容貌の衰えが気になった。
夕霧の婿殿も他の姫にこころが移り、それを知った娘の狂乱振りは、少々情けなくなってしまった。
といって、自分や源氏殿の女道楽を棚に上げて、両親とも説教もできず、娘・雲居の雁にはかわいそうだが、なんのてだてもなかったのです。
イヤイヤ本当に親の立場は難しい。若い頃はそんなことを思ってもみなかったが、親としては言い寄る連中を追い払いたい心境だ。
子供の自主独立を勧めても、我が子は別になってしまう。
ダメオヤジといわれても、しかたがないテイタラクでした。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本