棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

MOMOのなぞなぞ回答

2009-10-03 09:31:00 | 山郷の暮し
なぞなぞの回答です。
ずばり、これは「過去・現在・未来」時間のことなのです。
どの子が何者かはお考えください。これは哲学ですね。詳しくは、ぜひ「MOMO」を再読してください。
エンデの作品はだいすきで、とくに「鏡の中の鏡」は今も時々、詩集を読むおもいで扉をひらきます。

アメリカは映画・フランスは芸術・イギリスはマスコミ、そしてドイツは哲学と称されますが、エンデの作品は、子供のために書かれた哲学そのもの。
いや、子供の本だからこそ、真実を極めたものになっているのでしょうか。
哲学だ!!と小難しく捕らえるのではなく、ソオ思うことが生きた哲学として大切かもしれない。

101-珍訳源氏-娘探し

2009-10-03 09:08:52 | 物語・絵本・童話
        
そんな最中の夏、近江の国に私の娘だという者おり、さっそく引き取りました。
合ってみると小柄でかわいらしく愛嬌がある。
確かに私と似たところがあり、それほど悪くはない。まーーこの子ならよかろうと感じたが、口を開いたとたん、がっかりしてしまった。方言丸出しの上に、早口で教養もまるっきり感じない。
私は苦労させた償いに、女房として身近においておこうかと思っていたが、いかにせんどうにもならない。
救われるのは、己の分をわきまえているということで「水汲みでも、おまるの始末でも何でも致しますから、どうか置いてください」と、いわれたときにはかわいそおになってしまった。娘の弘徽殿の女御にお願いし、物笑いの種にならない程度に、躾けていかなくてはと思ったのです。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本