夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

雨上がりの朝、恥じらいながら白梅、紅梅は咲きはじめて・・。

2010-02-12 09:17:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日の午後より霧雨が降りはじめ、夜の午後7時過ぎから小雨となり、
霙(みぞれ)か雪になるかしら、と思いながら玄関の軒下で煙草を喫ったりしていた。

我が家の玄関庭にある白梅は満開であり、ここ3週間ばかり私は心を寄せたりしていた。
そして主庭の白梅、紅梅は隣接にマンションがあり、陽当たりが悪く、固い莟(つぼみ)であった。

過日の9日は、予感もなく4月中旬のような陽気の中でとなり、戸惑ったのであるが、
夕刻の頃に、恥らうように数輪が咲きはじめたのである。
私は主庭のテラスに下り立ち、ここ一週間ぐらい待ち焦(こ)がれていたので、
ときおり見つめていたので、遅れてご免なさい、と云うように数輪と大きく膨らんだ莟(つぼみ)の情景であった。


今朝、玄関の軒下で、樹木を眺めたり地面の黒土を見た後、夜半は霙や雪が降った気配はなく、
雨が降り続いたことに判ったのである。
そして、私は玄関庭に下り立つと、ときおりメガネが濡れる程度にポッリと降るぐらいで雨上がりの朝であった。

そして私は白梅の満開を眺めていたのであるが、しっとりとなった黒土の上には、
早くも白い花びらが散乱していたので、散りはじめか、と微苦笑したりした。

この後、主庭のテラスに下り立ち、雨上がりの静寂の庭は、白梅、紅梅はそれぞれ10数輪の花となり、
私はぼんやりと眺めていたのである。

遅咲きとなった純白の花、薄紅色を見つめながら、
読書の魅力に気付かされたのも高校生から、民間会社の中途入社できたのも25歳、
そして結婚したのも31歳であり、何かとこの人生の歩みが遅いせいか、
この遅咲きの花が愛(いと)おしく感じるのである。

そして私はどんよりとした曇り空を見たり、たわわな雨粒をたたえた樹木の枝葉を眺めたり、
そして遅咲きの花色を観たり、居間に戻ったのは7時少し前であった。



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