夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

数々のキャンディーズの歌、齢ばかり重ねた私でも、ときには心身のビタミンと思い・・。

2015-02-25 16:16:34 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の70歳であるが、
少し前に、ぼんやりと自身のこのサイトで綴ってきたことを読み返したりしている・・。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、まもなくして偶然にブログの世界を知り、
これ以来、パソコンの故障、国内旅行で自宅を不在しない限り、少なくとも一通は投稿し、
早やブログ11年生になっている。

定年退職後の身過ぎ世過ぎの日常で日々に感じたこと、
或いは思考したことを心の発露とし、明記したりしてきた。

そして幼児からサラリーマンの退職時までの多々の思いを
書き足らないこともあるが、数多く綴ってきている。

誰しも人それぞれに、苦楽の光と影を秘めて日常を過ごしているのが人生と思っているが、
私なりに時には、ためらいを感じながらも綴ったりしてきたこともある。
       

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
祖父や父が長兄、次兄と男の子に恵まれたので、
今度は秘かに女の子を期待していたらしく、私は何となく感じて、いじけたりした。

やがて私は小学生に入学しても、兄ふたりは優等生であったが、
私は中学生までは劣等性だったりした。

この間、私が小学二年の時に父に死去され、まもなく祖父も亡くなり、
農家の旧家でも大黒柱のふたりが亡くなることは、没落し、貧乏の生活を一時過ごしたりした。

やがて高校時代になって初めて勉学が楽しくなり、遅ればせながら読書にも目覚めたりした。

そして大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしたり、
その後は幾度も小説の新人応募で、最終候補作に漏れ、落胆し、やがて敗退した。

この後は、コンピュータの専門学校に学び、
これを梃子(てこ)とした上で、知人の強力な後押しのお陰で、
大手の民間会社に中途会社にできたは1970年(昭和45年)の4月であった。

そしてまもなく新設されたレコード会社に異籍させられて、
六本木にある本社でコンビュータの専任者となり、時代の最先端にいる、と勘違いしたりした。

この間、幾度も恋をしたが失恋の方が多く困惑したことや、
結婚後の数年後に若気の至りで一軒屋を建てて、気負って家の中に茶室を設け、
住宅ローンの重みに耐えたりした。

そして、定年の5年前にリストラ烈風の中で出向となり、都落ちの失墜感を感じたりした。


このように私のサラリーマン時代は、大手のサラリーマンの一部に見られるエリートでなく、
屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎えたりした。

そして私は確固たる実力もないくせに、根拠のない個性と感性で独創性に優れていると思い、
ときには独断と偏見の多い言動をしたりしてきた。

こうした中、ある時には、その分野に優れた人の前では、卑屈になったりした。
このように可愛げのないひとりである。
       

こうして定年後の日常生活を過ごし、ときおり、国内旅行などで、その地の情景を眺めながら感じたこと、
私なりの独断と偏見で綴ったのを読んだりしていると、
私の心情、思想、信条、趣向が見え隠れするので、微苦笑したりしている。

どなたも同様と思われるが、ブログを読み返したりする時、過ぎ去り日々は苦楽と反省が伴うが、
ほろ苦く、そして甘く受けとめ、ときには懐かしく自身に秘かに再会でき、
あの時はあのような心情でふるまっていた、と愛惜も重ねることもある。

これが自身の心のまぎれない心情を心の発露としてブログを書き続けた効用かしら、
感じたりしている。
       

このような心情の時、何気なしに、♪こっちを向いて涙をふいて・・、
と心の中で唄い、キャンディーズの『哀愁のシンフォニー』かょ、と呟(つぶや)いたりした。

私のサラリーマン現役時代は、たまたまあるレコード会社に勤めていた習性か、
他社のCBSソニー(現・ソニー・ミュージック)の所属のキャンディーズの歌でも、
何かと歌の一節を唄ったりすることもある。

そして『微笑がえし』の歌も素敵だったと思ったりしたが、
しかし、齢を重ねた今、余り過去にこだわるより、もっと前向きにと思いながら、
特に昨今の時節を迎えると、心身爽快に、♪雪が溶けて川になって 流れてゆきます・・
と『春一番』の歌を心の中で唄ったりしたりする時もある。

このように、ときにはキャンディーズの歌の数々で励まされ、
市販のビタミン剤などよりも、遥か百倍以上は確かに効く、と微笑んだりしている。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは。 (たけちゃん)
2015-02-25 23:26:55
今日もお疲れ様でした。

出雲では先日春一番が吹き荒れました。
地も温もりを感じはじめ、季節は廻り
七十二候の「霞始めてたなびく」

我が家は今夜はストーブを消しました。
歌謡曲で春と言えば、やはり
キャンディーズの「春一番」でしょうか。
歌謡曲大好きな僕は、その時々に
口ずさんだりしています。
もちろん現在の曲も自分がいいと思えば
認めています。
AKBの曲もいい曲がありCDまで
買ってしまう人ですから…。
投票券は要りませんが。

春と言えば小柳ルミ子さんの
「春の訪れ」もありますので
思い出されたら聞いて見てください。

では、今日もご苦労様でした。
またお邪魔致します。

たけちゃん。
春の訪れを予告する《・・霞始めてたなびく・・》 (夢逢人)
2015-02-26 11:04:34
たけちゃん様。

>出雲では先日春一番が吹き荒れました。
>地も温もりを感じはじめ、季節は廻り
>七十二候の「霞始めてたなびく」

貴地も春の訪れを予告する《・・霞始めてたなびく・・》と感じ受け止めて、
まもなく春となりますね。

>歌謡曲で春と言えば、やはり
>キャンディーズの「春一番」でしょうか。
>歌謡曲大好きな僕は、その時々に
>口ずさんだりしています。

この当時の私は、結婚式をまじかに控えて、何かと多忙な時期でしたので、
懐かしき想い出の曲のひとつです。

>AKBの曲もいい曲がありCDまで
>買ってしまう人ですから…。
>投票券は要りませんが。

私は『AKB48』の名前を知ったのは、
遅ればせながら2009年に第14枚目のシングル『RIVER』で、
音楽ランキングとして名高い『オリコン』で週間ランキング第一位を獲得をしたのが最初でした。

私は定年後の年金生活の中、ネットであるサイトで業界の動向を知り、
ヒット曲の状況は『オリコン』で学んだりしています。

そして『AKB48』のグループを知ったが、どのように読むのか無知で、
恥ずかしながらネットを検索して『エーケービー フォーティエイト』と知った次第です(笑)
          
これ以来、私が勤めてきた会社と『AKB48』の発売元の会社とは他社であるが、
業界のCD烈風下の中で、『AKB48』の突出した実績に驚きながら好感して、
あたかも地方に住む祖父が都会に住む孫娘の健闘を願うように注視してきました・・。

その後も躍進を続けて、2010年8月に、第17枚目の『ヘビーローテーション』に於いて、
女性グループとして初となる2作連続での初動売上50万枚突破を記録し、
この当時のレコチョク週間ランキングで、着うた・着うたフル・ビデオクリップ・着信ムービー・着信メロディの5冠を獲得しました。

そして高齢者の私でも、『ヘビーローテーション』の歌を、
時折かぼそい声で唄ったりしています(笑)
         
春と言えば小柳ルミ子さんの
「春の訪れ」もありますので
思い出されたら聞いて見てください。

先ほど、ネットで『春のおとずれ 』を聴きました♪
小柳ルミ子さんの7枚目のシングルで、1973年2月25日にワーナー・パイオニアから発売され、
この歌を作詞されたのは、この当時数多くの名曲を書かれた山上路夫だったと知り、
確かこの当時、私はテレビの歌番組で視聴していた、と懐かしく聴いたりしました。

寒さ暑さ彼岸までと古来から伝えられていますので、
貴兄、奥様ともども油断なさらぬよう、元気よくお過ごし下さい。

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