第6章 外海(そとめ)地域にある『遠藤周作 文学館』を訪ねて
私は東京オリンピックの開催された年、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をした時期があったので、
作家・遠藤周作氏の作品は、ある程度は読んでいるひとりである。
今回、長崎・雲仙の8泊9日間の旅行をする際、
旅先の資料を調べたりした時、外海地域に『遠藤周作 文学館』があることを知り、
私としては30年ぶりに、このお方の遺された作品、エッセイの一部を、
旅立つ1週間前頃から読んだりしていた・・。
この『遠藤周作 文学館』について、ネットで調べていた時、
無念ながら路線バスの便数が余りにも少ないので、
やむえず定期観光バスツアーの『そとめ潮風~遠藤周作文学館とキリシタンの里 教会めぐり』に便乗した。
この定期観光バスツアーはこの時節に於き、土曜・日曜・祝日しか運行されておらず、
やむえず私は土曜日しか残されておらず、ツアーに参加したのである。
乗客は私と60代ご夫婦の3人しかおらず、
大型バスにドライバー、ガイドさん付きなので、何かと申し訳ないと思いながら、
お互いに5名で気を使いながらも、4時間半ばかりのツアーの中、
談笑し、親睦を深めたのである。
私は神社仏閣はもとより、キリスト教にも共感しない無宗教のひとりなので、
外海の海、沿岸、山里の景観には魅了されても、
『黒崎教会』、『出津(しつ)文化村』にある出津教会を観ても、
傍観者のように眺めていたのである。
http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/nagasaki/sotome/
この後、『外海歴史民族資料館』に寄ったが、
この地域の古代からの展示品があり、私はこの地域の風土を考えながら、
興味を抱き眺めていたのであるが、残念ながら集合時間もあり、
慌しく立ち去ったのである。
そして沿岸沿いの道路の外れの一角に、
遠藤周作氏の『沈黙の碑』を拝見しながら、
真昼の陽の中、さんさんと照る里山、海岸、そして海面は光を帯び、
遙かかなたの海原の情景を眺めたりしたのである。
この後、『遠藤周作文学館』を訪れ、
私は館内に展示された遺品となった小説の原稿用紙に書かれた氏の自筆、
取材時のノートの自筆メモなどを、
少しばかり心の中で呟(つぶや)きながら、読んだりしたのである・・。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/endou/
そして、書籍の即売コーナーで『母なる神を求めて ~遠藤周作の世界展~』を購入し、
ホテルに戻った後、深夜まで読み耽っていたのである。
深夜に考えさせられたことは、遠藤周作氏に限らず、
作家自身がたとえ屈折された人生の軌跡を歩まれようと、
作家は遺された作品がすべてであり、
やがて百年後の歳月の果てに、文学館は朽ち果てようが、
たったひとつの作品が残れば、
作家冥利であると、改めて思考したのである。
《つづく》
私は東京オリンピックの開催された年、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をした時期があったので、
作家・遠藤周作氏の作品は、ある程度は読んでいるひとりである。
今回、長崎・雲仙の8泊9日間の旅行をする際、
旅先の資料を調べたりした時、外海地域に『遠藤周作 文学館』があることを知り、
私としては30年ぶりに、このお方の遺された作品、エッセイの一部を、
旅立つ1週間前頃から読んだりしていた・・。
この『遠藤周作 文学館』について、ネットで調べていた時、
無念ながら路線バスの便数が余りにも少ないので、
やむえず定期観光バスツアーの『そとめ潮風~遠藤周作文学館とキリシタンの里 教会めぐり』に便乗した。
この定期観光バスツアーはこの時節に於き、土曜・日曜・祝日しか運行されておらず、
やむえず私は土曜日しか残されておらず、ツアーに参加したのである。
乗客は私と60代ご夫婦の3人しかおらず、
大型バスにドライバー、ガイドさん付きなので、何かと申し訳ないと思いながら、
お互いに5名で気を使いながらも、4時間半ばかりのツアーの中、
談笑し、親睦を深めたのである。
私は神社仏閣はもとより、キリスト教にも共感しない無宗教のひとりなので、
外海の海、沿岸、山里の景観には魅了されても、
『黒崎教会』、『出津(しつ)文化村』にある出津教会を観ても、
傍観者のように眺めていたのである。
http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/nagasaki/sotome/
この後、『外海歴史民族資料館』に寄ったが、
この地域の古代からの展示品があり、私はこの地域の風土を考えながら、
興味を抱き眺めていたのであるが、残念ながら集合時間もあり、
慌しく立ち去ったのである。
そして沿岸沿いの道路の外れの一角に、
遠藤周作氏の『沈黙の碑』を拝見しながら、
真昼の陽の中、さんさんと照る里山、海岸、そして海面は光を帯び、
遙かかなたの海原の情景を眺めたりしたのである。
この後、『遠藤周作文学館』を訪れ、
私は館内に展示された遺品となった小説の原稿用紙に書かれた氏の自筆、
取材時のノートの自筆メモなどを、
少しばかり心の中で呟(つぶや)きながら、読んだりしたのである・・。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/endou/
そして、書籍の即売コーナーで『母なる神を求めて ~遠藤周作の世界展~』を購入し、
ホテルに戻った後、深夜まで読み耽っていたのである。
深夜に考えさせられたことは、遠藤周作氏に限らず、
作家自身がたとえ屈折された人生の軌跡を歩まれようと、
作家は遺された作品がすべてであり、
やがて百年後の歳月の果てに、文学館は朽ち果てようが、
たったひとつの作品が残れば、
作家冥利であると、改めて思考したのである。
《つづく》