バス停の終点の三原山頂口の近くにある『三原山内遊歩道』の案内板は、
確か6コースが表示されていた。
そして先ほど、『大島温泉ホテル』の麗(うるわ)しき若き女性フロントの御方から、
山頂付近は風が強く吹いていると思われますので、お気を付け下さい、と私は言われたことを思いだしたりした。
こうした中で、最も山頂まで歩きやすいコースは、『山頂遊歩道』と思われ、
体力の衰えた私は、家内に向かって、ボクにぴったりだょ、と微笑ながら言ったりした。
何かしら山頂口から内輪山に向かって舗装された遊歩道が整備され、誰でも安心して歩けるハイキングコースで、
登りは約45分、下山は30分、と私は解釈した。
そして私は、三原山は古くから数多くの島民から、噴火を御神火、火山を御神火様と敬ってきたことに敬意し、
少し歩きましょうか、と私は大きな声で家内に言ったりした。
まもなく歩きだして、風もなく晴れ間が見える中、道端から視える情景は、
1986年(昭和61年)に大噴火し、大小の数多くの溶岩石が降れ出した時から、
わずか30年過ぎた今、こうして緑一面に回復した状景に、自然の変貌には驚いたりした・・。
そしてご婦人であったなら、低い(ロー)ヒールでも歩きやすい平坦な路を歩きながら、
道端に咲いているツツジの花を私は誉めたりした。
やがて溶岩流先端先と明記されたプレートを見た頃から、所々に大きな溶岩が視え、
まもなく急激に風が強く吹く中、上り坂となったりした。
そして幾重かのつづら折りの道となり、まるで道が途切れような状景も見られ、
私たち夫婦は、懸命に上り坂を登った・・。
やがて15分過ぎた頃、あの大噴火の時に、この場所だけ奇跡的に溶岩流が避けて通り、
厄除け神社と知られている『三原神社』を見ながら、歩いたりした。
まもなく噴火口跡が見え、山頂近くに到達し、私は安堵したりした。
お互いに何とか登れて良かったねぇ、と私は家内に言ったりした。
まもなく『火口展望台』まで10分、と家内は標識を見て、行きましょう、と家内は私を誘った。
ほぼ平坦な路を歩きだして、そして『火口展望台』に到達すると、
岡田港から路線バスで同乗した欧米人の男女4人グループと偶然に再会し、
写真を撮り合っていた・・。
私も噴火口跡の状景を記念ねぇ、と撮ったりしていた。
まもなく家内に、グループの合同記念写真でシャッターを押して欲しい、しぐさを見せた、
と私に家内が言ったりした。
私は微笑ながら、英語の単語を思いだすように三言を言ったりして、
カメラを差し出した長身の男性から受け取ると、
シャッターを押すと、連続撮影がセットされていたので、3枚ぐらい撮れてしまい、私は少し驚いた。
そして私は長身の男性にカメラを返却しながら、リプレイ、と単語を並べながら言った。
まもなく長身の男性は、再生を確認した後、微笑みながら私に御礼の言葉を言われたりした。
やがて私たち夫婦は下山を始めてまもなく大きな溶岩石の間を通り過ぎた。
この後、ゆったりと歩きながら、野イチゴを見たりしながら歩いたりした。
やがてバス停の終点の三原山頂口の近くに戻ると、近くにある食堂に入り、
窓辺に近い席で、私はビールを飲み、家内はコーヒーを飲み、お互い健闘を称え、談笑をしたりした。
そして窓辺から無念ながら伊豆半島、富士山は霞み、元町港だけは視え、私たち夫婦は微苦笑した。
この後、路線バスに乗車して、やがて本日宿泊する『大島温泉ホテル』前で下車し、
まもなくチェックインとした。
《つづく》
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確か6コースが表示されていた。
そして先ほど、『大島温泉ホテル』の麗(うるわ)しき若き女性フロントの御方から、
山頂付近は風が強く吹いていると思われますので、お気を付け下さい、と私は言われたことを思いだしたりした。
こうした中で、最も山頂まで歩きやすいコースは、『山頂遊歩道』と思われ、
体力の衰えた私は、家内に向かって、ボクにぴったりだょ、と微笑ながら言ったりした。
何かしら山頂口から内輪山に向かって舗装された遊歩道が整備され、誰でも安心して歩けるハイキングコースで、
登りは約45分、下山は30分、と私は解釈した。
そして私は、三原山は古くから数多くの島民から、噴火を御神火、火山を御神火様と敬ってきたことに敬意し、
少し歩きましょうか、と私は大きな声で家内に言ったりした。
まもなく歩きだして、風もなく晴れ間が見える中、道端から視える情景は、
1986年(昭和61年)に大噴火し、大小の数多くの溶岩石が降れ出した時から、
わずか30年過ぎた今、こうして緑一面に回復した状景に、自然の変貌には驚いたりした・・。
そしてご婦人であったなら、低い(ロー)ヒールでも歩きやすい平坦な路を歩きながら、
道端に咲いているツツジの花を私は誉めたりした。
やがて溶岩流先端先と明記されたプレートを見た頃から、所々に大きな溶岩が視え、
まもなく急激に風が強く吹く中、上り坂となったりした。
そして幾重かのつづら折りの道となり、まるで道が途切れような状景も見られ、
私たち夫婦は、懸命に上り坂を登った・・。
やがて15分過ぎた頃、あの大噴火の時に、この場所だけ奇跡的に溶岩流が避けて通り、
厄除け神社と知られている『三原神社』を見ながら、歩いたりした。
まもなく噴火口跡が見え、山頂近くに到達し、私は安堵したりした。
お互いに何とか登れて良かったねぇ、と私は家内に言ったりした。
まもなく『火口展望台』まで10分、と家内は標識を見て、行きましょう、と家内は私を誘った。
ほぼ平坦な路を歩きだして、そして『火口展望台』に到達すると、
岡田港から路線バスで同乗した欧米人の男女4人グループと偶然に再会し、
写真を撮り合っていた・・。
私も噴火口跡の状景を記念ねぇ、と撮ったりしていた。
まもなく家内に、グループの合同記念写真でシャッターを押して欲しい、しぐさを見せた、
と私に家内が言ったりした。
私は微笑ながら、英語の単語を思いだすように三言を言ったりして、
カメラを差し出した長身の男性から受け取ると、
シャッターを押すと、連続撮影がセットされていたので、3枚ぐらい撮れてしまい、私は少し驚いた。
そして私は長身の男性にカメラを返却しながら、リプレイ、と単語を並べながら言った。
まもなく長身の男性は、再生を確認した後、微笑みながら私に御礼の言葉を言われたりした。
やがて私たち夫婦は下山を始めてまもなく大きな溶岩石の間を通り過ぎた。
この後、ゆったりと歩きながら、野イチゴを見たりしながら歩いたりした。
やがてバス停の終点の三原山頂口の近くに戻ると、近くにある食堂に入り、
窓辺に近い席で、私はビールを飲み、家内はコーヒーを飲み、お互い健闘を称え、談笑をしたりした。
そして窓辺から無念ながら伊豆半島、富士山は霞み、元町港だけは視え、私たち夫婦は微苦笑した。
この後、路線バスに乗車して、やがて本日宿泊する『大島温泉ホテル』前で下車し、
まもなくチェックインとした。
《つづく》
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