私は東京郊外の調布市に住む年金生活の齢ばかり重ねた67歳の身であるが、
午後のひととき、書類棚を整理していたら、葉書の専用箱もあり、
ほんやりと私のこれまでの発信した葉書を見たりしていた・・。
こうした中で、1995(平成7)年の年賀状として発信した文面を
懐かしげに読んだりした。
年賀の挨拶文の後には、音楽の名曲が列記していた。
・・・
この間あまたの歌がありましたが、私の脳裏から離れない歌を綴って・・。
バルバラ『ナントに雨が降る』
中島みゆき『HALF』、『エレーン』
井上陽水『傘がない』
五輪まゆみ『少女』
長渕 剛『昭和』
S。アズナーブル『遠い想い出』
グロリア・ラッソ『サ・セ・ラムール』
シャーリー・バッシー『別れの時まで』
戸川昌子『ボンボヤージュ』EMI盤
パティ・キム『離別(わかれ)』
大塚博堂『私は女です』
内藤やす子『悲しい色やね』
金子由香里『愛の砂漠』、『スカーフ』
イーグルス『ホテル・カルフォルニア』
別格 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』
このように書かれていたが、何かと思い込みの激しい私が、
満50歳になるまで、私なりに圧倒的に魅せられて、少なくとも300回以上聴いた曲で、
私の人生観にも少なからず影響を受けた曲である。
私は若き20代の前半に映画・文学青年の真似事をし、敗退したた後、
やむなく民間会社に中途入社し、まもなく音楽業界のあるレコード会社に移籍の辞令を受け、
製作畑ではなく、管理畑などを35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。
恥ずかしながら音楽の楽譜も読めなく、楽器もさわれない身であり、
つたない感性を頼りに、数多くの音楽を聴いた中で、
たまたま満50歳になった時のささやかな記念として、年賀状に記したのであった。
年金生活の今、日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような私であるので、読書が最優先、そして映画鑑賞に続いて音楽を聴く、
ありふれた高齢者のひとり、と微苦笑したりしている。
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懐かしげに読んだりした。
年賀の挨拶文の後には、音楽の名曲が列記していた。
・・・
この間あまたの歌がありましたが、私の脳裏から離れない歌を綴って・・。
バルバラ『ナントに雨が降る』
中島みゆき『HALF』、『エレーン』
井上陽水『傘がない』
五輪まゆみ『少女』
長渕 剛『昭和』
S。アズナーブル『遠い想い出』
グロリア・ラッソ『サ・セ・ラムール』
シャーリー・バッシー『別れの時まで』
戸川昌子『ボンボヤージュ』EMI盤
パティ・キム『離別(わかれ)』
大塚博堂『私は女です』
内藤やす子『悲しい色やね』
金子由香里『愛の砂漠』、『スカーフ』
イーグルス『ホテル・カルフォルニア』
別格 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』
このように書かれていたが、何かと思い込みの激しい私が、
満50歳になるまで、私なりに圧倒的に魅せられて、少なくとも300回以上聴いた曲で、
私の人生観にも少なからず影響を受けた曲である。
私は若き20代の前半に映画・文学青年の真似事をし、敗退したた後、
やむなく民間会社に中途入社し、まもなく音楽業界のあるレコード会社に移籍の辞令を受け、
製作畑ではなく、管理畑などを35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。
恥ずかしながら音楽の楽譜も読めなく、楽器もさわれない身であり、
つたない感性を頼りに、数多くの音楽を聴いた中で、
たまたま満50歳になった時のささやかな記念として、年賀状に記したのであった。
年金生活の今、日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような私であるので、読書が最優先、そして映画鑑賞に続いて音楽を聴く、
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