私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
午前中のひととき、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 ビートルズ初演奏から半世紀 》
という見出しがあり、私はビートルズが初演奏から50年も過ぎたのか思い、
何事も好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、と信条している高齢者2年生の私は、
クリックした。
そして、【時事通信】から配信された記事のひとつであり、
《 ビートルズ初演奏から半世紀=リバプールで記念行事―英 》
と題された記事と解かり、私は読んだりした。
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
《・・
ビートルズ初演奏から半世紀=リバプールで記念行事―英
【ロンドン時事】
ビートルズが英リバプールにあるライブ会場「キャバーンクラブ」で初演奏を行ってから、
9日でちょうど50年。
伝説のロックバンドが「名声を確立した場所」(BBC放送)とされるクラブでは同日、
記念イベントが開かれ、多くのファンが集まった。
ビートルズは1961年2月9日、キャバーンクラブの昼のライブに初登場。
以来63年8月までに計292回にわたり演奏を行い、
「ビートルマニア」と呼ばれる熱狂的なファンを生み出した。
時事通信 2月10日(木)6時48分配信
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
ビートルズの数多くの名曲の中に、『イエスタディー』がある。
確か1966年(昭和41年)の初めの頃だったと思われるが、
私はこの曲を知ったのは、妹がビートルズを熱愛して、
数多くのレコードを買い求めて、盛んに聴いていた。
この頃の私は、大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしていて、
食寝を忘れるくらいに映画作品を映画館で観たり、
小説の数多くの作品を読みふけっていたので、余り音楽には興味がなかった時だった。
妹が応接間にあるステレオで、
ビートルズを大きな音量で聴いていても、
うるさいと感じながら、騒音のような音楽としか聴こえてこなかった。
ある時、メロディー・ラインが良く、英語の詩も良い、と直感した曲が、
この後に、妹から曲名を教えて貰ったのが『イエスタディー』であった。
その後、妹はビートルズが来日公演の時、
学校では禁止されていたが、無視して何とか日本武道館に行って、
公演には満足した、と私に云ったりしていた。
このように妹は1948(昭和23年)の秋に生を受けた団塊世代で、
高校の初めの頃であったから、何事も一番感化されやすい時であるので、
音楽面はたまたまビートルズに熱中した、と思われる。
私は二十歳を過ぎたせいか、或いは映画・文学に熱愛していたので、
ビートルズからは音楽の影響は受けなかった。
その後、私が1970年(昭和45年)にある企業に中途入社した直後は、
音楽のポピュラーとして影響を受けたのは、
サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』、『明日に架ける橋』等の一連であった。
この数年前に、『サウンド・オブ・サイレンス』の名曲に影響があったせいか、
熱愛のような何度も聴いたりしていた・・。
私は音楽に関しては楽譜も読めない身でありながら、もとよりメロディーも大切であるが、
このアーティストは、何を伝えたいのか、という命題を重要視していたので、
作詞を優先するひとりである。
まもなくして、私はシャンソンの世界にに魅せられ、
百枚程度のアルバムを買い求めたりし、聴き込んだりしていたが、
特にシャルル・アズナヴールには魅了させられた。
ある程度の年齢になり、若き日の青春時代を表現した『帰り来ぬ青春』(1964年)、
そして『遠い想い出』(1971年)は、友人達に絶賛したりした。
このような時に、ビートルズの『イエスタディー』(1965年)が甦(よみがえ)ってきた。
そしてビートルズのメンバーが、
あの若い時に《青春時代》を凝縮させた表現出来たのは、
天才という以外の言葉は見つかず、唖然とさせられたのである。
この『イエスタディー』の曲は、世界の著名の歌手に多く歌われ、
日本に於いても名のある歌手も多く取り上げていた。
私は、少なくとも10人以上の歌い手のレコード、カセット、
そしてCDで聴いている。
こうした間に、映画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)に於いて、
ロバート・デ・ニーロが扮する主人公が駅構内で過去を回想するシーンに、
この曲が流れた。
私はこの感覚には心まで震(ふる)えながら、そして感銘した・・。
映画の音楽は、このように使うと映画の画面が引き立ち、
効果のある見本でもある。
このことは、監督・脚本のセルジオ・レオーネ、
そして音楽のエンニオ・モリコーネの功績であるのは、いうまでもない。
私はビートルズからは影響は受けてはいないが、
このたった一曲であるが『イエスタディー』の曲だけは、
最初に聴いてから、ここ40数年は絶賛しているひとりである。
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午前中のひととき、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 ビートルズ初演奏から半世紀 》
という見出しがあり、私はビートルズが初演奏から50年も過ぎたのか思い、
何事も好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、と信条している高齢者2年生の私は、
クリックした。
そして、【時事通信】から配信された記事のひとつであり、
《 ビートルズ初演奏から半世紀=リバプールで記念行事―英 》
と題された記事と解かり、私は読んだりした。
無断であるが、この記事を転載させて頂く。
《・・
ビートルズ初演奏から半世紀=リバプールで記念行事―英
【ロンドン時事】
ビートルズが英リバプールにあるライブ会場「キャバーンクラブ」で初演奏を行ってから、
9日でちょうど50年。
伝説のロックバンドが「名声を確立した場所」(BBC放送)とされるクラブでは同日、
記念イベントが開かれ、多くのファンが集まった。
ビートルズは1961年2月9日、キャバーンクラブの昼のライブに初登場。
以来63年8月までに計292回にわたり演奏を行い、
「ビートルマニア」と呼ばれる熱狂的なファンを生み出した。
時事通信 2月10日(木)6時48分配信
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
ビートルズの数多くの名曲の中に、『イエスタディー』がある。
確か1966年(昭和41年)の初めの頃だったと思われるが、
私はこの曲を知ったのは、妹がビートルズを熱愛して、
数多くのレコードを買い求めて、盛んに聴いていた。
この頃の私は、大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしていて、
食寝を忘れるくらいに映画作品を映画館で観たり、
小説の数多くの作品を読みふけっていたので、余り音楽には興味がなかった時だった。
妹が応接間にあるステレオで、
ビートルズを大きな音量で聴いていても、
うるさいと感じながら、騒音のような音楽としか聴こえてこなかった。
ある時、メロディー・ラインが良く、英語の詩も良い、と直感した曲が、
この後に、妹から曲名を教えて貰ったのが『イエスタディー』であった。
その後、妹はビートルズが来日公演の時、
学校では禁止されていたが、無視して何とか日本武道館に行って、
公演には満足した、と私に云ったりしていた。
このように妹は1948(昭和23年)の秋に生を受けた団塊世代で、
高校の初めの頃であったから、何事も一番感化されやすい時であるので、
音楽面はたまたまビートルズに熱中した、と思われる。
私は二十歳を過ぎたせいか、或いは映画・文学に熱愛していたので、
ビートルズからは音楽の影響は受けなかった。
その後、私が1970年(昭和45年)にある企業に中途入社した直後は、
音楽のポピュラーとして影響を受けたのは、
サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』、『明日に架ける橋』等の一連であった。
この数年前に、『サウンド・オブ・サイレンス』の名曲に影響があったせいか、
熱愛のような何度も聴いたりしていた・・。
私は音楽に関しては楽譜も読めない身でありながら、もとよりメロディーも大切であるが、
このアーティストは、何を伝えたいのか、という命題を重要視していたので、
作詞を優先するひとりである。
まもなくして、私はシャンソンの世界にに魅せられ、
百枚程度のアルバムを買い求めたりし、聴き込んだりしていたが、
特にシャルル・アズナヴールには魅了させられた。
ある程度の年齢になり、若き日の青春時代を表現した『帰り来ぬ青春』(1964年)、
そして『遠い想い出』(1971年)は、友人達に絶賛したりした。
このような時に、ビートルズの『イエスタディー』(1965年)が甦(よみがえ)ってきた。
そしてビートルズのメンバーが、
あの若い時に《青春時代》を凝縮させた表現出来たのは、
天才という以外の言葉は見つかず、唖然とさせられたのである。
この『イエスタディー』の曲は、世界の著名の歌手に多く歌われ、
日本に於いても名のある歌手も多く取り上げていた。
私は、少なくとも10人以上の歌い手のレコード、カセット、
そしてCDで聴いている。
こうした間に、映画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)に於いて、
ロバート・デ・ニーロが扮する主人公が駅構内で過去を回想するシーンに、
この曲が流れた。
私はこの感覚には心まで震(ふる)えながら、そして感銘した・・。
映画の音楽は、このように使うと映画の画面が引き立ち、
効果のある見本でもある。
このことは、監督・脚本のセルジオ・レオーネ、
そして音楽のエンニオ・モリコーネの功績であるのは、いうまでもない。
私はビートルズからは影響は受けてはいないが、
このたった一曲であるが『イエスタディー』の曲だけは、
最初に聴いてから、ここ40数年は絶賛しているひとりである。
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私もビートルズで初めて聴いた曲は、イエスタディでした。
なんとなく、ビートルズというのは、すごいバンドなんだということは聞いていたのですが、あの美しいメロディラインに魅了された記憶があります。
その次にレットイットビーを聴いた時は、それ以上の感銘でした。
それ以来、ビートルズにはまり、サイモン&ガーファンクル、ローリングストーンズと60年代の音楽シーンを飾ったミュージシャンたちのCDを買い漁りました。
仕事のテンションが落ちた時、よく聴くのは、サイモン&ガーファンクルのボクサーです^^