夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『広島が欧米人に大人気』と遅ればせながら学び、やがて私は襟を正されて・・。

2013-09-17 15:40:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活のまもなく69歳を迎える身であり、
昼下がりのひととき、パソコンでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中、
【 京都をしのぐ勢い?今、広島が欧米人に大人気 】
と見出しされたニュースを見た。

そして私は、欧米人の人たちは京都より広島の方に、どうして人気があるの、と思いながら、
クリックしてしまった。
http://dot.asahi.com/aera/2013073100035.html
☆【dot.】<==『京都をしのぐ勢い?今、広島が欧米人に大人気』☆

私はこの記事を読みながら、《・・実は、広島は外国人にとって名だたる観光地らしい。
5月に発表された世界最大の旅行サイト「トリップアドバイザー」の「外国人に人気の日本の観光スポット2013」の第1位が
広島平和記念資料館だった。
4位に「厳島神社」もランクイン。外国人には京都のほうが人気があると思っていたのだが、どうやらそうではないようだ。・・》
こうした世界最大の旅行サイトは無知であったが、
何よりも驚いたのは、《第1位が広島平和記念資料館》だったことであった。

そして日本に来日されて、この『広島平和記念資料館』を入館後の思いとして、
《・・イタリア人クリエーターのディエゴ・ピッチナートさん(30歳)は、
「広島は学校で学んでからずっと興味があった。
日本があの戦争から立ち直ったことに敬意を抱いている。戦争と原子爆弾の影響を知りたかった。
資料館の中は、まるで教会のように静寂に満ちていたことに驚いた。
日本人はアメリカを声高に非難するわけでもなく、展示が客観的だったのが非常に印象的だった」・・》

ここまで私は読んだりしていると、私は私は襟を正したりした・・。
          

私は1944〈昭和19)年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945〈昭和20)年8月15日に連合軍に日本は降伏して敗戦となった。

そして敗戦時は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、9日の『長崎被爆』、
そして15日の終戦記念日と称された『敗戦記念日』は、黙祷をして46年は過ぎている・・。

もとより、かの大戦で余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
6月23日、8月6日、8月9日、そして8月15日は、人々に哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

しかしながら私は国内旅行を幾たびかしてきたが、沖縄、広島、長崎は何かしら後ろめたく、
50代で初めて沖縄を訪れ、広島、長崎は60代で初めて訪れた。
          

広島に関しては、つたない私ながら、原 民喜・著作の『夏の花』(1947年)、阿川弘之・著作の『春の城』(1953年)、
竹西寛子・著作の『管絃祭』(1963年)、井伏鱒二 ・著作の『黒い雨』(1966年)、
福永武彦・著作の『死の島』(1966年)などを、若き日に文学青年の真似事をしていた時代に読んだりしてきたので、
この作品を思い馳せたりし、『広島』に心を寄せたりしてきている・・。

もとより広島は、1945(昭和20)年8月6日の午前8時15分に、
対戦中のアメリカが人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下され、
少なくとも15万人の人が即死し、数多くの方が被ばくされた。

このことは戦勝国となったアメリカの歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。
                     

今年の夏、私は敬愛している映画監督のひとりオリバー・ストーン氏(66歳)が来日され、
広島市内で読売新聞のインタビューに応じた内容が、私は8月5日の読売新聞の朝刊に掲載されていた。

《 オリバー・ストーン氏「被爆者に謝罪したい」
「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、
広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、
「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。
(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。

ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、
独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。
その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。

今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。

インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、
「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。
私は歴史に対して建設的でありたい。
日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。

被爆者との対話については、「私の気持ちは激しく乱れることだろう。
私は戦後生まれで、(戦勝国の)恩恵を受けてきた一人であり、
(被爆者に求められれば)謝罪したい」と語った。

ストーン監督はこの日、広島平和記念資料館を見学。
「ボロボロになった衣服などを見て、現代の繁栄した街との対比に大きな衝撃を受けた。
私たちはヒロシマを忘れてはならない」と感想を述べた。

読売新聞・朝刊 2013年8月5日 【社会】面の記事より転記 》
注)新聞記事の原文より、あえて改行を多くした。


私は今年の4月が毎月一冊刊行された、
オリバー・ストーン&ピーター・カズニックの著作『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1~3』(早川書房)の日本訳を
読んだ一人で、三冊に及ぶ大作であり、アメリカの近現代史である。
                   
これまでのアメリカ史は、ともすれば光の部分、アメリカの功績が強調された書物が多かったが、
本書は影の部分に焦点を当てて、今日のアメリカの混迷の実態の原因を追究する為、
第一次世界大戦の時期から、アメリカを中核とした歴史を動かしてきた主要国の動向を、怜悧に表現されている。
               
本書が刊行された後、4月初旬から逐次にNHKのBS1に於いて、
世界のドキュメンタリー『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』として放送されたが、
本書の方が、圧倒的に当事者の心情を余すところなく深淵まで描写している、深めたりした。

このような思いもあり、私は私なりに『広島』の思いは増してきている。


そして今回の『京都をしのぐ勢い?今、広島が欧米人に大人気』を読み終わった後、
《・・広島を訪れる外国人の特色は、街を歩けばすぐに気づくが、圧倒的に白人が多いことだ。
日本政府観光局の「訪日外客訪問地調査2010」のデータでは、
欧州・北米・豪州からの旅行者78.3%を占め、広島は47都道府県のうちもっとも欧米系旅行者率が高い。
県や市の観光課などによると、もともと広島とのつながりが強いフランスには県を挙げて売り込んでいること、
豪州では平和教育が盛んであることなども大きいらしい。・・》

こうした文面に無力な私は勇気づけられて、過去にあった現実を世界の人に多く知って欲しい、と私も願ったりした。

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