夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

来(きた)る1月15日は『苺(イチゴ)の日』と知り、ささやかな私のイチゴの想いを馳せて・・。

2012-01-13 14:58:39 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の67歳の身であるが、
今朝ぼんやりと、我家の台所の壁際に掲げている風物詩に富んだカレンダーを見ていると、
何故かしら1月15日は『苺(イチゴ)の日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。

私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、この日はたまたま15日であり、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。

そして私は、イチゴかょ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
つたない私でも少しばかり思いがあり、ささやかな想いも秘めているので綴る。


私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
自主的に日常の買い物を担当しているので、
もとよりスーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。

この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。

1951(昭和26)年の頃、小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で、小作人だった人たちのご協力を得ながら、程々広い田畑を耕していた。

父の妹のひとりは20歳で未婚だったので、私はこの叔母に何かと懐(なつ)いたりしていた。
この叔母は陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。

イチゴは5月頃になると、白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。

私は幼年期であり、イチゴを見つめながら、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように言ったりした。

『まだ白さがあるでしょう・・もう少し・・待ってからねぇ・・』
と叔母は言いながら、2坪ぐらいの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。

私は口の中で噛み砕いているうちに、甘み拡がってきた・・。


1975(昭和50)年、家内と交際をはじめ、婚約した後、1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅まで利用し、
日本平付近の丘陵のイチゴ園に行った。
陽当たりの良い丘陵の中、ビニールハウスの中で養育されていた。
入り口でカップに入れたミルクを頂き、ハウス内のイチゴを捥(も)で食べる方法であったが、
途中で家内に私のミルクを手渡して、私は外に出た。

ハウスの入り口から少し離れた所で、
私は煙草を喫いながら海上の光る浪間を観たりしていたが、ときたま微風を受けると寒さが感じられた。
そして私は3粒を頂いたが、初夏の果物がどうして・・と思ったりした。

1960(昭和35)年の高校生になると、季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私は民間会社に中途入社した1970(昭和45)年を過ぎる頃、
会社の部署旅行で2月に旅先で、イチゴ園に寄ったりした。

このように私は露地栽培の初夏、実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでのためか、
昨今のイチゴには、殆ど一年の大半にイチゴを見かけたりすると、
季節感がなくなった、と戸惑いを覚えたりしている。

そして、私は日本酒の辛口、ビールなどのお酒大好きな呑兵衛の男であるので、
イチゴは女性、そして女の子、男の子らの婦女子の果物のひとつであると確信し、30数年過ぎている。
家内がこの時節も愛食しているが、
私は1年に2粒ぐらいお付き合いしている程度である。

このようなイチゴに、ささやかな思いがあるので、
昨今は、コンビニなどでも、イチゴのスイーツのおしゃれな食べ物を見かけたりし、
高齢者の私には無縁かしら、と微苦笑したりしている。


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