夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

たがが『キューピー・マヨネーズ』、されど『キューピー・マヨネーズ』・・。

2010-04-25 18:31:01 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが.
先程、ニュースを検索していたら【YAHOO! JAPAN】の中に掲載されていた、ひとつのニュースを見ていて、
思わず微笑んだりした・・。

《 米アマゾン部門売り上げ1位  キューピーマヨネーズ大人気 》

と題された記事であり、
4月25日10時12分配信 J-CASTニュースで配信され、

《・・
    米アマゾンで高評価のキューピーマヨネーズ。

日本のキューピーマヨネーズが売れている。
欧米のマヨネーズと違い、「どんな料理にも使える」というのが受けているようで、
米国アマゾンの場合、レビューはほとんど満点、海外の有名食品メーカーを抑え、
マヨネーズ部門売り上げ1位となっている。
・・》
このように明記されていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100425-00000000-jct-bus_all
☆J-CASTニュース  米アマゾンで高評価のキューピーマヨネーズ ☆


たまたま私は、昨日の昼下がり、昼食としてトンカツを食べることとし、
キャベツを千切りにし、この上にキューピー・マヨネーズとブルドック・ソースで頂いたのであり、
ここまで欧米人に愛されていることとは無知であった。

私の少年期、実家に於いては1956(昭和31)年頃からマヨネーズとしては、
何かしらキューピーとなっているので、かれこれ55年となっている。

そして、私なりにキューピー・マヨネーズに関しては、ささやかな想いであり、
このサイトで、昨年の2009年11月6日に於いて、
【 キユーピーの工場は、『新世界』のメロディーと共に・・。 】
と題して投稿しているので、今回あえて再掲載をする。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、思わず微笑をしたのである。
『武蔵野版』の中のひとつの記事であり、

     《キユーピー 仙川工場 閉鎖へ 》

と見出しされた記事である。

私は調布市には結婚前後5年を除き、60年間ばかり住む、
私なりにキユーピーの仙川工場には思いでがあるので、精読した。

無断であるが、この記事を転記させて頂く。


キユーピーは、調布市の仙川工場(仙川町2)を、2011年3月をめどに閉鎖すると発表した。
半世紀以上にわたって地域に親しまれた老舗工場の閉鎖に、
地元関係者からは惜しむ声が上がっている。

同工場は1951年操業開始。
1961年から始まった工場見学では、製造工程をそのまま見られる点が人気を呼び、
地元小学校の社会科見学を中心に、年間約2万人の見学者を受け入れてきた。
また、季節に合わせて衣装が替わる、工場入り口の特大キユーピー人形も、
通行人らの目を楽しませてきた。
市産業振興課は「『調布を代表する企業』というイメージがあったのに」と残念がる。

同社広報室によると、工場再編に伴う閉鎖で、
同工場で製造していたマヨネーズを茨城、兵庫県の2工場で、
卵加工品を府中市などで製造することになり、年間9億円のコスト削減が見込まれるという。

ただ、跡地は売却せず、グループ内で活用するという。
調布市商工会の原島芳一会長(70)は、
「寂しいが、完全に撤退する訳ではないので、
今後も、良いお付き合いができれば」と話した。

注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は調布市で農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受けた。
そして、1951(昭和26)年の春に地元の京王線の金子駅(現在・つつじヶ丘駅)の近くにある小学校に入学した。

この当時の情景は、駅周辺は商店街があったが、この街を過ぎると、田畑が広がり、
雑木林などで緑豊かな地域であった。

私の生家は金子駅より15分ばかり歩いた処で、
程ほど広い田畑、竹林、雑木林があり、祖父と父が中心となって農業をしていた。
田畑の中に1メートルぐらいの川幅のある小川が流れ、長兄、次兄たちに竹に針を付けたりして、
ときおり鰻(ウナギ)を釣り上げたりしていた。

私は小学校を下校する時、ときおり遠回りして帰宅した。
校門を出て新宿駅方面のひと駅は仙川駅であり、この間の周辺を歩いた。
校門から少し歩くと畑道があり、その先は田んぼのあぜ道であった。
そして前方に丘のように少し切立った国分寺崖があり、この高台に仙川地域となっていた。
この間の田んぼのあぜ道の近くに流れる小川を眺めたり、
或いは崖下の小道を歩き、湧き水を見つめたりしていた。
そして授業の図画の写生の時などで、先生に連れられて、
崖の周辺の丘陵にあった高射砲台の跡地の見晴らしの良い場所で、クレヨンで描いていた。

こうした時代にキユーピーの工場ができたのであるが、
仙川、金子の駅の周辺から15分前後の地域が、次第に都心のベットタウンに変貌するのは、数年後であった。

いつの頃か確かでないが、夕暮れになる頃、
何かもの悲しいが何か先が明るいような不思議なメロディーが、私の家の畑からも聞こえたのである・・。

学校の小学3年の級達とお互いに何だろうなぁ、噂をしていた時、
音楽の女の先生が、
『あの丘陵に建った工場から夕方に流れるメロディのことねぇ・・
あなた達には・・少し難しいけれど・・ ドヴォルザークという作曲家の『新世界』なのょ・・』
と先生は私達に教えてくれた。

『先生・・ドヴォル・・何とか云う人・・難しくて・・解かねぇけれど・・
何となく悲しいようで・・でも、明るいような・・』
と私は先生がかっこいいので、無理に言葉を重ねていた。

その後、周辺は都心のベットタウンと急速に変貌し、田畑が消えうせたのである。


私はキユーピーの工場と聞くと、今でもドヴォルザークの交響曲第9番 「新世界より」 第2楽章を重ねてしまうのである。
そして、今回のキユーピーの仙川工場の閉鎖を知り、私は小学生の頃の情景を思い浮かべたのであった。


http://www.youtube.com/watch?v=ZI-d96nZ-NI
☆ ドヴォルザークの交響曲第9番 「新世界より」 第2楽章 ☆


http://www.kewpie.co.jp/index.html
参照・・キューピー ホームページ

・・】

このようにささやかな思いでがあり、世界の多くに愛されているキューピー・マヨネーズに微笑んでいるひとりである。


尚、私はキューピーの会社に関して、親戚まで含めても関係のない人である。



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ふたたび、我が家は『おふたりさま』の平常時となり・・。

2010-04-25 10:47:13 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一戸建てに住んでいる。

私達のお互いの両親は無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から2時間ばかりの地で独り住まいの生活をされているので、
家内は季節の変るたびに、家内の母宅に大掃除で行ったりしたり、
ときおり私達夫婦と三人で国内旅行をしたり、或いは年末年始には我が家に来宅して貰い、共に年末年始を過ごしたりしている。

たまたま今月の7日から11日までの4泊5日で、家内は母宅で大掃除で孤軍奮闘し、
そして30数年ぶりの母娘だけで広島、道後温泉に滞在し、17日から昨夜の24日まで7泊8日の旅行となった。

この間は私は『おひとりさま』の生活となってしまったが、
家内が作ってくれた料理、スーパーのお惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、食べたりしている。


昨夜の8時過ぎに家内が帰宅した時は、私はお風呂に入っていた時であった。
昨日の私は昼過ぎにスーパーに二軒ばかり買物をした後、
少しばかり大掃除をした後、台所で『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』を改めて圧縮したり、
丼(どんぶり)、皿、茶碗などを水洗いなどをした。

そして少し小奇麗になった後、昼下がりに平素できない食事をしたのである。
スーパーのお惣菜コーナーで買い求めた『とんかつ』の大盛り、そして一昨日買い求めたキャベツを大量に千切りにし、
ソースと芥子で調味させて頂いたのである。

居間のテーブルを窓際に寄せて、樹木の新緑を眺め、そして微風を受けながら、
食べだした・・。

私はメタボの予備軍のひとりであるが、昨年の新春に市の斡旋する『メタボの研修』を受け、
麗(うるわ)しき若き保健女医の優しい指導の下で、ビールは缶ビールを2本まで、脂身のある揚げ物は駄目、
と指きりの固い約束をしたので、旅行、冠婚葬祭などを例外として、殆ど守ってきた。


このような事情もあったが、昼下がりの異例なビールを呑みながら、
天敵の揚げ物のトンカツを頂いたのであり、何かしら厳禁となれば気弱な私は開放感を感じたりした・・。
1時間ばかり2人前ぐらいの量を食べながら、
家内は旅先の松山空港午後4時50分発の航空であるので、我が家に到着できるのは、
夜の9時前後かしら、と思ったりしていた。

この後、私は昼間にビールを呑んだり、大量の食事をしたりした為か、
眠くなり、寝室の布団にもぐり、夕寝を2時間ばかりしてしまった。

そして薄暗くった時に目覚めて、雨戸を閉めたり、夕刊をぼんやりと読んだりした後、
ご入浴の時間とばかり、お風呂に入ったのである。


私は家内と一週間ぶりの対面であったが、家内は元気そうに微笑えんだりしていたが、
少し疲れた表情だった。

この後、家内は家内の母とで羽田空港で夕食をしたと聞いたりので、
とりあえず家内に風呂に入ってもらい、
この間の私は夕食としても昼下がりに盛大な食事をしたので、お腹も満腹のようなので、
小魚をあぶり、ビールを呑む簡素な夕食とした。

そして一時間ばかり旅先のこぼれ話しを私は聴いたりし談笑したが、
家内は少し眠そうな表情をしたので、まもなく家内は寝室に行った。

私は居間でぼんやりとした後、夕寝したせいか眠くないので、
NHKのBS2で『サハラ』砂漠のドキュメンタリ番組を視聴したりし、深夜の1時半過ぎとなった。
そして私は寝室に行き、家内の寝息を聴きながら、寝付いたのである。


今朝、目覚めたのは5時であったが、少し朦朧としたので、もう一度目をつぶったりした後、
二度寝となり、ふたたび目覚めたのは7時過ぎであった。

家内は洗濯と掃除で奮闘して折、私はぼんやりし朝の陽射しをみつめていた。
そして我が家はいつものように『おふたりさま』の生活が再び始まったのである。



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