夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

桜花、舞い散る中、入学式の時節を迎え・・。

2010-04-06 15:14:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
昨日は朝から小雨降り、昼下がりも3月初旬のような12度ばかりで、夕暮れには雨が上がったが、
私は外出せずに午後の大半は読書と昼寝で過ごした。

今朝は曇り空であったが10時過ぎに快晴となり、
5月の初旬のような20度前後の陽気の中、私は心身悦びながら家を出たのは11時半過ぎであった。

坂道の歩道を歩くと、微風が吹く中、満開となった桜の花びらが空中をゆっくりと彷徨(さまよ)った後、
地上に落下していた。
歩道は花びらが散乱し、道端は吹き寄せのように花びらが重ねていた。

遠方を見ると、常緑樹の中に芽吹きはじめたクヌギ、コナラの雑木があり、
ひときわ数多くの桜花が見えて、あの周辺にも桜があったのかしら、
と思わず微笑んだりした。

坂道を上がり交差点で、若きママに連れられた幼児を見かけ、この後に10数組に続いていたので、
あれぇ、小学校の入学式の後かしら、と私は感じながら微笑みを頂いたのである。

しばらく歩いた後、都立の高等学校の校門の近くで、
女子高校生のグループの5組ぐらいを見かけ、談笑しながら歓声を上げる前を通り過ぎた。
そして私は本屋、スーパーで買物を終えて、商店街を過ぎと、
音楽専門学校の桐朋学園の校門の近くの交差点で、信号待ちをしていた。

この学園は私が小学生の55年前の頃から桜の樹が多く、
私の前方は満開の情景となり、ときおり微風が吹き、桜花が散りはじめていた・・。
そして、校庭の中で、お互いに女子生徒が記念写真を撮りあったりしていた。
私は入学された高校生かしら、と思ったりしたのである。

帰路、私は坂道を下りながら、桜の花びらが舞い散る中を少し立ち止まった。
そして先程見かけた音楽専門学校に入学された女子高校生たちを思い浮かべたりしたのである。
音楽の基礎を学ばれ、やがては独創性のある旋律を見いだされるかしら、と思いを重ねたのである。
ともあれ、真摯なまなざしの女子高校生の新たな門出に、
『くじけず夢を叶(かな)えてほしい・・乾杯だょね・・おめでとう・・』
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして、私は桜の花びらが舞い散る中、再び歩きながら自宅に向った。


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ささいなことであるが、『歳』と『才』の違いは・・。

2010-04-06 08:51:28 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ45年近く、気になっているひとつがある。

日常生活で何気なく使っている年齢を表示する時、
あなたは何歳ですか、問われた場合の記載の時、『XX才』と書く人を見かける。

『才』は、才能といったように意味合いがあるので、年齢を記載する時は間違いである。

私は、市役所の指定用紙、或いは雑誌などてエッセイを綴られる方の一部の方で、
こうした誤りを見かけたりする時、
義務教育の中学校を卒業したのかしら、と私は思ってしまう。

さりげない漢字一文字でも、日本語の乱れは老若男女を問わず、
貧富さとか社会の地位とかは関係なく、そのお方の人格を表わす、と確信している。

このようなことを明記する私は、才能のない拙(つたな)い身であるので、
気にしているのかしら、と苦笑もしている。


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