ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

初めての学会発表

2009-06-25 08:49:50 | 昔話
久しぶりに「昔話」の話題である。

会社の研究所に配属されると新しい研究をしてそれを学会で発表することが重要な仕事となる。通信の分野は私が入社したころは企業の学会発表が盛んだった。

特にアメリカのベル研究所はアメリカのNTTの研究所のような位置づけでノーベル賞を取ったような研究者を何人も抱えていて、盛んに学会で研究発表していた。 メーカーから見るとお客さんになる通信事業者が学会発表をするので、メーカーも発表して自分の会社が良い技術を持っていることをアピールするのが重要な仕事だった。

家電業界では一般消費者がお客さんであり、その人たちは学会発表には興味はないので家電業界はあまり学会活動は盛んではない。ものに作り上げて展示するというのが重要な仕事になっている。

時代は流れて、最近では通信業界では世界標準化が進んで世界標準のものを使うというのが世に中の流れになった。通信事業者が強力な研究スタッフを抱えているのは日本くらいでほとんどの先進国では通信事業者の研究所は解体してしまった。 現在は、学会活動はすっかり下火になり、その代りに標準の方式を作り上げる標準化活動が通信業界の先進技術を研究する人にとっては極めて重要になっている。

今日の話はまだ学会活動が盛んだったころの私の若き日の話である。

私が初めて論文を投稿して発表したのは入社2年目の終わり頃だったと思う。最近では学生時代から発表する人も少なくなく、当時でも1年目で発表する方がむしろ普通だった。しかし、私は理学部の物理という分野から無線通信に転身した、しかも予備知識がほとんどなく転身したので時間がかかった。

通信関係の学会は電子情報通信学会というがこの学会では春と秋(当時は春だけ)に全国大会というのをやっている。これはA3の用紙1枚に学会原稿を書いて投稿するもので審査はなく提出すれば受け入れてくれる。若い人の最初の発表はほとんどがこの学会だった。

原稿は手書きだった。私は字を書くのが苦手だったので苦労したものである。発表は質疑を入れて10分くらいが普通である。初めての学会の時には原稿も何度も先輩から直されるし、発表自体も大変緊張した。しかしこれも2度、3度と繰り返すと急速に慣れていく。英語の発表と同じである。

初めての発表の日は首都圏で大規模な交通ストが予定されていた。私は朝一番のセッションだったので時間までに会場につけるかずいぶん心配した。そこで上司に頼んで前日、発表会場(大岡山の東京工大だった)の近くの社員寮に泊まらせてもらった。

発表はOHP( Over Head Projecter)と呼ばれる、透明なフィルムの上にマジックペンで書いた図をスクリーンに投射して映しながら説明する。今はパソコンであるが当時は手書きだった。これは話しながら書きこんでいくこともできるのである意味で便利だった。

初めての学会発表はストのせいで参加者も少なくあっけなく終わってしまった。若干物足らなく感じたのを記憶している。 これを機会に学会に参加するようになったのだが、私はいつも積極的に手を挙げて質問することを心がけていた。

これはある先輩の言葉で「自分が分からないと思うことは、つまらないことでもたいてい半分くらいの人は同じようにわからないものだ。その人たちのためにもなるから疑問があればどんどん質問すべきだ」という言葉が心に残っていたからである。

質問をすると、自分の理解もぐんと深まる。また他の人の質問とその解答のやり取りを聞いていても理解は深まる。

最初は「どうしてそうなるのですか」といった類の質問が殆どだったが次第に「こういう考え方もあると思うがそれと比較してどうですか」といった話を前に進める質問ができるようになって行って学会の中でも知られるようになっていった