備忘録として

タイトルのまま

紫陽花

2011-06-13 00:22:02 | 江戸

 シンガポールは毎日のようにスコールがあるが、帰国した日本も梅雨だった。シンガポールの雨は激しいだけで風情も何もないが、東京のような都会でも紫陽花がとてもきれいに咲いて心がなごむ。昨日浅草からかっぱ橋道具街を散策する中、路上に咲いていたのを思わず撮った。

Wikiの”アジサイ”に面白い記事が出ていたので転載する。

シーボルトとあじさいと牧野富太郎 [編集]

鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来し、オランダ人と偽って出島に滞在し医療と博物学的研究に従事したドイツ人医師にして博物学者シーボルトは、オランダに帰還してから植物学者のツッカリニと共著で『日本植物誌』を著した際にアジサイ属 14 種を新種記載している。その中で花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイを Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini と命名している。しかしこれはすでにカール・ツンベルクによって記載されていた H. macrophylla (Thunberg) Seringe var.macrophylla のシノニム(同一種)とみなされ、植物学上有効名ではない。にもかかわらず、牧野富太郎が自著の各種植物図鑑において Hydrangea macrophylla Seringe var. otaksa Makino の学名を用い種の記載者が Seringe で変種の記載者が牧野自身であるとする事実と異なる処置を行っていることから、一部の植物学書であたかも H. otaksa が植物学的な有効名であるかのような誤解が広まってしまっている。

牧野は上記の植物学的に不可解な処置と矛盾する言動をまた、著書の中で行っている。シーボルトは自著の中で otaksa をアジサイが日本で「オタクサ」と呼ばれていると命名の由来を説明しているが、牧野は日本国内でこの呼称が確認できなかったことからシーボルトの愛妾の楠本滝(お滝さん)の名を潜ませたと推測し、美しい花に花柳界の女性の名をつけたとして強く非難している。

牧野のこの推測によって「オタクサ」の名はシーボルトとお滝さんのロマンスをイメージさせて文人作家の創作意欲を刺激し、詩歌にこの名を詠み込むことなどが盛んに行われている。

*wikiの記事を学術論文で参考文献にすることは禁じられているのだが、あたりまえだがブログは学術論文ではないので勝手に参考にさせてもらうことにする。

 牧野は実証を常とする科学者としては考えられないような一方的な思い込みで南方熊楠を非難したように、ここでも推測でシーボルトを非難している。あるいは牧野は外国人や外国かぶれ(熊楠)に対してだけ厳しいのかもしれない。と、こちらも推測で疑問を呈しておく。

 かっぱ橋道具街にある台東区図書館の池波正太郎コーナーで江戸古地図を買った。池波正太郎は浅草生まれなので台東区の図書館が特設コーナーを持っているのだ。下は古地図のうちの浅草と隅田川付近をスキャンしたもの。

 天保14年(1843)の江戸古地図に「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」の舞台が示されている。舞台は圧倒的に神田から上野、浅草、両国周辺が多い。秋山小兵衛がおはると暮らす鐘ヶ淵の隠宅、大治郎の道場、不二楼、元長、小川宗哲宅は大川沿い(隅田川)にある。軍鶏鍋屋の五鉄や大滝の五郎蔵とおまさの家も大川沿いだ。愛宕山亀戸天神湯島天神もあり、いくら見ても飽きない。


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