備忘録として

タイトルのまま

無常

2011-06-18 16:54:14 | 賢治

息子が撮ってきた4月初旬の仙台。

 がれきは放置されたままだけど。それでも、もくれんは美しく咲く。3.11から100日が経過したが、復興の道は遠く、福島原発も先は見えない。

 今日、NHK番組「こころの時代」で山折哲雄”私にとっての3.11”を放送していた。山折は、4月半ばに被災地を訪れ圧倒的な惨状を目の当たりにし、物質的な復興とともに被災者の心の問題、精神的復興ができるのだろうかという思いを抱く。そのとき、遺体が埋まった”がれき”の向こうで、きらきら輝く海と緑萌える美しい山々の情景を見て自然の残酷さと無常を感じたという。(注:無常=常に変化流動する。たとえば”諸行無常”。仏教用語) 山折は自然が猛威を振るう地に住む日本人は、仏教渡来以前から無常観を持っていたという。万葉集に挽歌が多いように、古代人は自然の中に鎮魂を詠っている。自然は絶望的な猛威をふるい人間に襲い掛かるが、人間は自然とともに生きるしかない。死んだ人の魂は自然の中に存在する。人麻呂の妻は石川に雲が立ち渡るのを見て死んだ人麻呂を偲ぶのである。100年前の宮沢賢治は人間と自然の関係に気付いていた。賢治のいう”世界全体が幸福にならないうちは、個人は幸福になれない。”という世界とは、自然界を含む現在の水平の世界と、あの世や先祖のいる垂直の世界を合わせたものである。「よだかの星」のよだかは、自分が虫を食べないと生きていけないことを拒否して死を選び星になった。「グスコーブドリの伝記」のブドリは世界を救うために自分を犠牲にする。人間は誰か(何か)を犠牲にしなくては生きていけない自然の一部なのである。自然と共生するということは共死も受け入れるということである。それは”雨ニモマケズ”の”デクノボウトヨバレホメラレモセズ、クニモサレズ”、人と自然に寄り添った謙虚な生き方である。自然をコントロールできるという傲慢な西洋的自然観ではなく、賢治の謙虚な自然観を持ち、猛威と癒しの二面性を持つ自然の無常を受け入れて人間は生きるしかないのである。