備忘録として

タイトルのまま

ロードス島

2010-02-20 23:41:24 | 西洋史

 娘が村上春樹の「遠い太鼓」を読んでいるのに便乗して、本をパラパラとめくっている。村上春樹のギリシャ・イタリア滞在中の随筆で、昔から気になっているロードス島(薔薇の咲く島)の回があったので真っ先に読んだ。世界の七不思議のひとつであるロードス島の巨像(写真Wikiより)、塩野七生の「ロードス島攻防記」などで馴染みなので、どんな風に島を語るのか興味があったのだが、案の上、村上春樹は島の歴史や風俗には全く触れず、島にいる孔雀のことや、タベルナ(レストラン)のことや、ホテルの支配人との会話やらを書いている。観光ガイド本ではないのだから、歴史や観光名所の解説を期待するほうが悪いのだろうけど、ロードス、ローマ、アテネ、ミコノス、シシリー、クレタなどの有名な史跡を眼前にして、まったくそれらに触れないのは見事としかいいようがない。ギリシャの歴史や風俗が知りたければ、手元にある川島重成の「ギリシャ紀行」を読めばいいのだけれど、残念ながら”紙幅の関係で”ロードス島が省略されているのである。

 塩野七生の「ロードス島攻防記」は、ロードス島を根城とする聖ヨハネ騎士団がスレイマン大帝が率いるオスマントルコの大軍に攻撃された1522年の攻防戦を書いた小説で、攻防戦前後の聖ヨハネ騎士団の歴史、島の歴史、当時の国際情勢などにかなりの紙幅を割いているため、歴史好きにはたまらない作品である。「コンスタンティノープルの陥落」、「レパントの海戦」との3部作のひとつである。

 「ロードス島攻防記」によると、聖ヨハネ騎士団は宗教と軍事と医療活動を行う目的で組織され、映画「Kingdom of Heaven」で白地に赤の十字架の衣装を着るテンプル騎士団と並び称される騎士団で、当初は十字軍とともにエルサレムをイスラム教徒から奪い返すためにパレスチナにいたが、イスラム勢力に追われ1300年初頭にロードス島を根拠地とするようになる。ロードス島の攻防戦でオスマントルコに敗れた後は、マルタ島に本拠地を移し、マルタ騎士団と呼ばれるようになる。聖ヨハネ騎士団の本部は今もローマにあり、8000人の騎士が所属し、世界中で医療活動を続けているという。小説では騎士団の歴史に加え砦の防御法や攻城法にも多くの紙面が割かれているので、主人公である眉目秀麗な騎士たちの活躍が取ってつけたように思えるほどだ。攻城場面は、カタパルトが大砲に変わっただけで、「Kingdom of Heaven」や「ロード・オブ・ザ・リング」を想像した。本に出てくる捕虜の首を撃ち返すという話は、「ロード・オブ・ザ・リング」に出てきた。

 世界の七不思議であるロードス島の巨像についても言及している。銅製の巨像はロードスの港の入り口をまたいだ形で作られたが、BC227年の地震で崩壊したという。WikiによるとBC284年に像は完成したとあるのでわずか58年間だけ立っていたことになる。世界の七不思議はBC2世紀にビザンチウム(今のイスタンブール)のフィロンが書き残した当時の巨大建造物を指す。

  •   ギザの大ピラミッド 
  •   バビロンの空中庭園 
  •   エフェソスのアルテミス神殿 
  •   オリンピアのゼウス像 
  •   ハリカルナッソスのマウソロス霊廟 
  •   ロードス島の巨像 
  •   アレクサンドリアの大灯台 (フィロンが選んだのはバビロンの城壁)

ピラミッドのみが現存し、アレクサンドリアの大灯台は海底で遺構が発見されるなど、ロードス島の巨像以外はほぼ遺構が見つかっている。


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