備忘録として

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昭和の名将と愚将

2010-02-24 22:18:49 | 近代史
 半藤一利と保坂正康が太平洋戦争時の軍人を名将と愚将にわけて評価する対談集である。予想通り「硫黄島からの手紙」の栗林忠道や戦艦大和の伊藤整一や連合艦隊司令長官の山本五十六は名将とされている。一方、ノモンハン事件を進めた服部卓四郎や辻政信、無謀なインパール作戦を立案命令した牟田口廉也、特攻隊の責任者たちに並んで瀬島龍三が愚将とされている。台湾沖航空戦の戦果は間違っていたという電報を握りつぶしたために次のレイテ戦に大敗北を喫したことやソ連の学者によるシベリヤ抑留の研究内容を改竄したことなどを理由としている。半藤と保坂は、瀬島龍三は一度も参謀本部を出たことがないので「戦闘を知らない、戦争を知らない、アメリカもイギリスも知らない」「国家の一大事と自分の点数を引き換えにする軍人」と結論付けている。
 意外だったのは、山下奉文と石原莞爾が名将とされていることだ。山下奉文はシンガポール陥落のときイギリスの将軍に「Yes or No」を迫った強面の軍人という印象しかなかったし、石原莞爾は彼の世界最終戦争論や満洲事変の首謀者ということで拒否感を持っていたから、どちらについても人物や事跡を知ろうという気もなかった。ところが、この本によると山下は温和で、たとえ敵将であっても高圧的に出るような人物ではなかったらしいし、フィリピンの最前線で抵抗戦を指揮し投降したのち泰然自若と死刑を受け入れる。石原莞爾は本気で東亜に理想郷をつくるつもりだったが、東条らによって満州は完全に日本の植民地にされたと激怒している。対ソ戦略の練り直しや参謀本部の組織改革などを行う天才だったが、体制派から疎まれ昭和13年以降左遷されて太平洋戦争のときには予備役として一線から退いてしまっている。
 愚将とされたのは、東条英機に気に入られた軍人、自己顕示欲のかたまり、組織防衛に走り国家を見ていなかった軍人たちである。
 昭和史、特に太平洋戦争のことを読んでいるが、半藤や保坂、家永三郎などが集めた当事者の証言、瀬島などの当事者自身の話など、立場によって評価が異なり興味は尽きない。とりわけ、この本によって石原莞爾の印象がまったく違ってきた。以前、長女が石原莞爾と日蓮宗について話していたのを適当に聞き流していたが、再チェックが必要だ。

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