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世界の幸福度を、食を通じて上げたカップラーメン

2019-03-27 17:26:59 | 日記

以下文はウィキペディア、ニューズ・ウィーク(2007.1.9)、NISSIN食品グループ等々の記事を参考に記しています。(日清食品の企業理念はコピーです。)

 

大変美味しく、調理が簡単、低価格で世界中で多くの人達に食されている美味しい食べ物、驚くことに宇宙船内でも食べられた食品・・・と言うとカップラーメンです。このカップラーメンは日清食品が開発・商業化した商品で世界の食の幸福度を上げ、食文化を大きく激変させたとも言われています。

このカップラーメンの開者、商業化に成功した日清食品・安藤百福(あんどう ももふく)氏等の記事を読むと、心から人々の幸せを願って開発されたことが分かります。

安藤百福(あんどう ももふく)氏は日清食品の創業者で1958年にチキンラーメン、1971年にカップヌードル、2005年には宇宙食ラーメン、スペース・ラムを開発した人です。明治43年3月生まれで、平成19年1月に多くの方々に惜しまれ亡くなられています。日本統治時代の台湾出身で、元の名前は呉百福氏で台湾本島人のため戦後は中華民国籍となりましたが、昭和41年に日本国籍を再取得され、正四位勲二等を授与されています。2006年、タイム誌アジア版11月13日号のアジア版60周年記念特集「60年間のアジアの英雄」において、アジアの英雄の一人にも選ばれています。

 

安藤百福氏の特筆すべき凄いところは、多くの特許侵害にもめげず、自ら開発した技術を一人占めすることなく、オープンな使用許諾を通じて、自身も競争に身を投じ、新しい産業の発展へ貢献されたことだと思います。このような食品の事例を精査、歴史を遡ってみても類似する例はないようです。当時の特許庁長官も同意見で、知的所有権を独占せずに公開、世界的な産業にまで発展させたことは、人々の幸せを願う気持ちが発露された凄い例だと思います。

隣国等では特許、利権等々を厳守し他国の参入を妨害し許さないでしょう。日本、日本人だからこそ出来たと思います。現在、世界では、今も国情に合った多くの種類のカップ麵が開発、発売されています。

 

ドラえもんの世界を彷彿させる、宇宙船内で食べられたカップラーメン、如何にカップラーメンが世界に認知されているかを知ることが出来ます。

宇宙へ持って行かれたカップ・ラーメンは、日清食品の開発した・スペース・ラムです。スペース・ラムは日清食品が宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙食の実用化に向けた共同研究を行い宇宙食ラーメン、スペース・ラム(Space Ram)を完成させています。

2005年7月13日に打ち上げられたスペースシャトル・国際宇宙ステーション組立てミッションSTS−114に搭乗した野口聡一宇宙飛行士が宇宙食として携行、食しています。NASAによるスペースシャトル搭載品として適合性が確認されています。

スペース・ラムには、「しょうゆ」味のラーメンですが、野口宇宙飛行士から新たに「みそ」味と「カレー」味等の開発依頼があり、レギュラー、みそ、カレー、とんこつ味が開発されたようです。
このスペース・ラムは過去、宇宙食を開発したいという日清食品会長・安藤百福氏の強い意向を受け、滋賀県の日清食品中央研究所が10人のプロジェクトチームを組み研究、開発、完成されたものです。

他にも以外に知られていない、1974年に食糧庁長官から依頼を受けてたカップライスの開発にも成功しています。完成度は高く、食糧庁やマスコミから奇跡の食品とまで評されていますが、米の原価が高くカップラーメンの10倍位の価格となってしまい、消費者から敬遠され販売停止となったようです。

人類の食に大きく貢献し、食の幸福度を上げたカップラーメン、日本が誇る食として今後も、更に世界で進化したカップラーメンが食されるのは間違いないと思います。

 

日清食品の創業者、安藤百福(あんどう・ももふく)氏は2007年1月5日に亡くなられました96才でした。

その4日後、ニューヨークタイムズ紙は、ミスター・ヌードルに感謝と題する社説を掲載しています。原文(英語)は過去文で見れます。

ミスターヌードルに感謝」という見出しで、即席麺開発の業績により、安藤百福氏は人類の進歩の殿堂に不滅の地位を占めたと絶賛しています。

社説は、即席めんの発明は戦後日本の生んだ独創的な発明品、シビック、ウォークマンやハローキティように、日本から世界的に普及した製品と同じく会社組織のチームで開発された奇跡だと思っていたがそうではなかった・・・安藤百福氏というたった一人の力で開発されたものなのであると驚きを表現しています。社説は、人に魚を釣る方法を教えればその人は一生食べていけるが、人に即席めんを与えればもう何も教える必要はないと結んでいました。

 

安藤百福氏曰く・・・

会社は野中の一本杉であるよりも、森として発展したほうがよい。
終戦翌年の1946年の冬、大阪の御堂筋を歩いていると、腹を空かせた子供達、やせ細り、うつろな目をした飢餓状態の人達がたくさんいた。道端にうずくまっている人がいたが、それは餓死者だった。

安藤百福氏はこの光景を見て、衣食住というが、食がなければ衣も住も芸術も文化もあったものではないと思い至る。
その翌年の冬、阪急梅田駅の裏手にあった闇市を通りかかると、一軒の屋台の前に20~30メートルの長い行列ができていた。それはラーメンを待つ行列だった。温かいラーメンをすすっている人たちの顔は、皆幸せそうな表情に包まれていた。これが安藤百福氏のその後の人生を決定付けたとも言われており、日清食品の企業理念へと受け継がれていると思います。

 

日清食品の企業理念は、安藤百福氏の生前の言葉から用いられています。

*食足世平「食が足りてこそ世の中が平和になる」

食は人間の命を支える一番大切なものです。文化も芸術も思想も、すべては食が足りてこそ語れるものです。食のあり様が乱れると、必ず国は衰退し争いが起こります。食が足りて初めて世の中が平和になるのです。日清食品の事業は、人間の根源から出発しています。

*食創為世「世の中のために食を創造する」

企業にとって最も大切なものは創造的精神です。創造とは、新しい発想と技術によって革新的な製品を生み出す力です。食を創り、世の為につくす。日清食品は、世の中に新しい食の文化を創造し、人々に幸せと感動を提供します。

*美健賢食「美しく健康な身体は賢い食生活から」

空腹を満たし、味覚を満足させたいと思うことは、人間共通の欲求です。しかし、食に求められるのはそれだけではありません。美しい体をつくり、健康を維持することが、食品のもつ大切な機能なのです。美しく健康な体は賢い食生活から作られます。日清食品は、食の機能性を追求し、世の中に「賢食」を提唱します。

*食為聖職「食の仕事は聖職である」

食は人々の生命の根源を支える仕事です。食の仕事に携わる者は、社会に奉仕するという清らかな心を持って、人々の健康と世界の平和に貢献していかなければなりません。食の仕事は聖職なのです。 安全で美味しくて体にいい食品を世の中に提供していくことが、 日清食品の使命です。

安藤百福氏はチキンラーメンの発明に成功するまで、実に多くの商売を起業しています。製塩、学校経営、加工食品、蚕糸、幻灯機、炭焼き等々・・・戦後の時代でもあったでしょうが、次々と新しい事業に手をつけています。成功したかと思うと、はめられたり、騙されたり、無一文になった時期もあったようですが起業精神は萎えることはなかったようです。50才からでも60才からでも新しい出発はあると述べているように、安藤氏には年令規範という偏狭で窮屈な「べき論」(理想を実現しなければならないことなどを強く主張する論調)は無かったようです。チキンラーメン開発は48才!カップヌードル開発は61才!です。

 

日本が世界に誇る食べ物として、世界中に食の大きな幸福度を与え、人類の食に大きな貢献をしたカップラーメン!素晴らしい日清食品の4つの企業理念、カップラーメンを食べる前に安藤百福氏、企業理念を思い起こして食したら、更に美味しく食べれそうです。

 

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