極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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アシール VS 現・パレスチナ

2019-03-23 20:44:22 | 日記

以下文は「聖書アラビア起源説」カマール・サリービー著・広河隆一、矢島三枝子訳・草思社・1988年、偽イスラエル政治神話 単行本(1998.10)・ロジェ ガロディ著・Roger Garaudy(原著)・木村 愛二訳、ウィキペディア等々を参考に概要を記していますが素人の解釈です。

 

世界最古の書である旧約聖書、約3500年前にモーセにより書かれ、完成したのは約2400年前です。

聖書と言うと宗教書に思えますが、宗教とは何の関係もないようで人類の魂、未来の予言等の書とも言えると思います。聖書は宗教を作る時、聖書を持ち出し各宗教が都合のいいように解釈等して宗教書としていると言えそうで、これは大変重要なことだと思います。

聖書は有史以来、現在まで世界のベストセラーで宗教信者以外でも多くの方に読まれ、人間が生きていく上での道しるべとして世界中で参考とされています。特に世界で問題となっている、難しいLGBT(Lesbian:レズビアン・女性同性愛者、Gay:ゲイ・男性同性愛者、Bisexual:バイセクシュアル・両性愛者、ransgender:トランスジェンダー・出生時に診断された性と自認する性の不一致)等に対する聖書の基準は極めて明白です。

世界は聖書基準・発想・予言等々で動いているとも言われています。タブーの一つかも知れませんが、日本の国体の一部も大きく関わっているとも言われ、旧約聖書等への興味は尽きません。

 

旧約聖書に書かれているパレスチナ等の場所・・・アブラハム(血統的ユダヤ人・ユダヤ人の祖等)が神から約束された地、モーセ(古代ユダヤ人の指導者、レビ・祭司の祖等)にユダヤ民族に与えると約束された蜜と乳のしたたる地は、現在のパレスチナではない可能性があります。

約3000年位前、ダビデ、ソロモン王が活躍した古代イスラエル王国の地は現在のパレスチナではなくアラビア半島・メッカの南東に位置するアシール地方であるとも言われています。現在、この地はサウジアラビア政府は外国人の立ち入りは一部を除き禁止されており、遺跡探査も認められていません。
多くの研究者等が現在のパレスチナの地をいくら発掘しても古代イスラエル王国の痕跡は見つからないようです。こじつけ地はありますが決定的な遺物は見つかっていません。これらの研究はタブーの一つでもあるようです。

現イスラエル(アシュケナージ・ユダヤ人)は現地・パレスチナに存在すること自体矛盾します。当然、現イスラエルはこのような説は絶対認めないでしょう。

現イスラエルは、1947年に建国されました。この地は神がユダヤ民族の祖アブラハム、モーセにユダヤ民族に与えると約束された土地ですが、間違いないのは現イスラエルの人達は旧約聖書に記されたユダヤ民族ではない事です。先祖がこの地に居たとの理由でパレスチナの住民を追い払い建国しています。このパレスチナの人達の多くは旧約聖書に出てくる血統的ユダヤ人とも言われますが、虐げられています。イスラエル国内にも、これらの人達がいますが、虐げられ2等国民とされているとも言われています。イスラエルの構図は支配層がアシュケナージ・ユダヤ人、その下に2級市民のスファラディー・ユダヤ人、その下に3級市民のパレスチナ人となるようです。2、3級市民は虐げられている市民です。

 

イスラエルのジャーナリストであったナイム・ギラディ氏は典型的なスファラディーユダヤ人で、建国と同時にアラブ世界からイスラエルに移住しましたが、目にしたものは思いもつかない想像を絶するイスラエルの現状であったと述べています。見たこともないユダヤ人と称する人々、アシュケナージ・ユダヤ人を見て大変戸惑ったと言っています。

 

イスラエル国内ではスファラディー・ユダヤ人は2級市民に落とされていますが、彼はその2級市民の代表としてイスラエルであらゆる運動を展開していました。何度も刑務所に入れられていますが、一貫して彼は本当のユダヤ人とは何かを主張し続けました。本当のユダヤ人に対する住宅、社会生活、就職などの改善を訴え続けました。

1992年秋、ナイム・ギラディ氏はスファラディー・ユダヤ人を代表する一人として日本各地を回って講演しています。

イスラエルでは本当のユダヤ人達が、どれほど惨めな生活を強いられていることか・・・アシュケナージ・ユダヤ人を名乗るハザール系ユダヤ人達が、スファラディー・ユダヤ人、すなわちアブラハムの子孫たちを2級市民に叩き落としていると訴えています。

イスラエルのパレスチナ人達に向かって次のように演説しています。

あなたがたは自分たちをイスラエルにおける2級市民と言っているが、実はあなたがたは2級ではなく3級市民なのです。何故ならアシュケナージ・ユダヤ人とあなたがたパレスチナ人の間にも私たちスファラディー・ユダヤ人いるからです。そして、私達もあなたがたと同じように虐げられています。

 

 

よく考えて見ると、現イスラエルの人達は旧約聖書に記された血統的ユダヤ人とは何の関係もないアシュケナージ・ユダヤ人で、ユダヤ教に改宗したカザール人等です。このことは触れて欲しくない問題とも言われています。やはりパレスチナの地に現イスラエル建国は大きな矛盾を生じていますし、イスラエルは世界の諸問題の発火点とも言われる方も多いようです。現実に存在するイスラエル、核兵器保有強国のイスラエル、私達はパレスチナ人、周辺国等とも仲良くしてもらいたい位しか言えない厳しい現実・・・

当時の古代ヘブライ語は、子音のみで表記されていたようですが、実際の読みは母音を入れて表現されているので、正しい発音は復元が難しく、変化するので、元の古代の地名の復元はむずかしいとも言われています。アルジェリアの言語学者のラシド・ベナイッサ氏は、現在ヘブライ語を正確に話すユダヤ教徒のいる唯一の国はイエメン(アシールの南)であると述べています。

紀元前500年頃、アシール地方のユダヤ人達は衰退の中で民族意識、歴史等も無くしていたようです。何故、このようになったのか、アラビア半島のアシール地方は土地が大変豊かで古代イスラエル王国の2代国王ダビデ、3代国王ソロモン時代に繁栄しましたが以後、ユダ王国とイスラエル王国に分裂、アッシリア帝国や新バビロニア王国の度重なる侵略をうけ、大変疲弊してしまいます。

アシール地方(アール・シャリーム=イスラエル)のユダヤ人たちは、当時の交易路でつながれていたパレスチナ地方に新天地を求めて多数移住して行ったようで、移住したユダヤ人達がアシュール地方の出身等地名をパレスチナ地方の移住地につけたと考えるのが自然だと言われています。

パレスチナ地方には、聖書記載地名の場所が多いようですが、その位置関係となると聖書記述に一致しないことが極めて多いと言われています。この聖書記載地名をアシュール地方に当てはめると、聖書に書かれている位置関係が一致するとも言われています。

ソロモン王がヤハウェ神殿を作ったエルサレム、アシール地方のアール・シャリームが本来のエルサレムと言われています。古代イスラエルの金等で覆われた豪華絢爛の遺跡等が地下には埋まっていると言われていますが、サウジアラビア政府は絶対に地下探索は認めません。現代の技術を用いれば精度が高い地下探査が出来ると言われています。

長い年月では言語の変化があるようで、古代のアラビア半島や古代ヘブライ語の知識が必要と言われています。聖書に書かれているオリーブ、イチジクなどの植物、気候自然の風景までもパレスチナ地方ではなくアシール地方の説明とする方が、合理的で、記述に一致するようです。

 

以下文は「イザヤ書37章22節、31~32節、列王紀下19章21、30、31節」より

処女であるシオンの娘は、あなた(アッシリア王センナケリブ・前704~前681)を侮り、あなたをあざける。

エルサレムの娘は、あなたのうしろで頭を振る。
ユダの家の、のがれて残る者はエルサレムから出、のがれる者はシオンの山から出る。万軍の主の熱心がこれをなし遂げられる。
・・・と記されています。

この記事を読むと、ソロモン王の神殿があるエルサレムのシオンの丘「アシュール地方」と、新しいエルサレムとシオン「パレスチナ地方」を区別しています。

パレスチナ地方のエルサレム=「エルサレムの娘」、シオンを「シオンの娘」と表現しているとも言われています。

前722年、アッシリアにより北王国のイスラエル王国は滅ぼされ、首都のサマリアは破壊され、イスラエル王国の民もアッシリアに連行されています。前586年、南王国のユダ王国も新バビロニアに滅ぼされ、民はバビロン捕囚によってバビロニアに連れ去られています。

首都・エルサレムのヤハウェ神殿も破壊されています。
アケメネス朝ペルシアによって新バビロニアが滅ぼされ、オリエントが統一されると、南王国のユダヤ民族は、前586年「バビロン捕囚」より解放され、祖国(アシュール地方)に帰ることになります。
アケメネス朝ペルシアのオリエント統一は、交易路の変化を生じ、交易の拠点として栄えていたアシュール地方の諸都市は交易路から外れ衰退していったと言われています。

アシュール地方に帰還した、ユダヤ人達は荒廃と衰退に祖国の再建をあきらめて四散したと思われます。

他方、パレスチナ地方に住み着いたユダヤ民族はアケメネス朝ペルシアの支配下で信仰の自由をえて大交易拠点として発展することになります。パレスチナ地方のユダヤ民族、周辺の民族も大い繁栄することとなります。アケメネス朝ペルシアは、アレキサンダー大王に征服されます。

前141年ハスモン朝の下にユダヤ国家が独立しますが、パレスチナのエルサレムの神殿はユダヤ教徒にとって第一の聖所と認識されていたとも言われています。ハスモン家はユダヤ教のレビ(祭司)の家系で自ら古代イスラエルの正当な後継者であるとみなしていたようで、この王朝によって故意に、アシール地方の歴史が抹殺されパレスチナ地方にダビデ・ソロモンの王国があったと解釈されるようにされたのではないかと言われています。

アシュール地方が、神からの約束の地であるとすれば、現イスラエル建国の前提が崩れることになります。何時の日かサウジアラビアの英断で地下探査が認められればおぼろげながら、本当の古代イスラエルは何処か・・・この説が正しいかどうかがはっきりするでしょうし、事実であれば、この暁には世界は大激変するでしょう。

 

朝日新聞(1999.10.30夕刊)の記事より。

古い記事ですが、1999年10月30日のイスラエル紙ハーレツに掲載された文の一部内容です。

テル・アビブ大学のゼエブ・ヘルツォグ考古学教授によるものでイスラエル各地で70年にわたって続けられた発掘の結果を検証した考古学者や歴史学者の大半が、旧約聖書に描かれたことがらは史実ではないと結論づけています。イスラエルの考古学は1960~1970年代は旧約聖書の記述の裏付けに夢中になっていました。科学的な研究、調査を続けてきた人達の大半はユダヤ民族の成立過程は聖書に描かれたのとは全く異なると言う考えで一致しています。聖書の記述が事実であることを証明しようとしてきた研究者も、多くが、これに同意するようになったと言われています。

一例としてモ一ゼがユダヤ人を率いてエジプトを出国し、砂漠をさまよったとする出エジプト記・・・どのような記録にも古代エジプトにユダヤ人が集団で住み脱出したことを示すものは無く、大半の歴史家は脱出が本当にあったとしても数家族の小さなもので、宗教上の必要から拡大されたとみています。

古代イスラエル王国の版図はダビデ、ソロモンの栄華の時代に現在のヨルダン、シリアの一部まで広がったという記述も否定され、エルサレムと西岸南部のヘブロンを中心とする狭い範囲を治めたにすぎないのではないかと言うのが考古学的検証の結論のようです。

更に唯一の神という一神教の概念についても、生まれたのは今から2000年余りさかのぼるにすぎないと指摘しています。

宗教指導者らは旧約聖書の内容を否定する説はこれまでにも多く出ているとして無視する構えです。聖書に出てくる地名を盾に、ここはユダヤ入の土地だと入植を正当化する人々の根拠を揺るがすのは確かです。ユダヤ教の戒律厳守の押しつけに反発するイスラエル市民が増えており、学問的に聖書の世界を否定する説は、聖書を背景にした権威に反論する有力な根拠となりそうです。

イスラエル国家、パレスチナの場所はエリコとアイの場合、遺跡の考古学的発掘調査の実例が紹介されていますが、調査結果は旧約聖書の物語と食い違っています。

最近の考古学の成果を見ると意外にも、これまでは軽視されがちだった口承伝説には、かなりの真実が含まれているようです。旧約聖書の固有名詞の読み方が間違っていると言う有力な説があります。旧約聖書の地名、人名、部族名などの固有名詞の解読が間違っていたとしたら、当然のことながら考古学的な知見とは矛盾が生じます。この旧約聖書誤読説が当たっているとしたら、これまでのすべての研究は、ご破算となり全面的な見直しが必要になるでしょう。

聖書アラビア起源説(草思社、1988)の著者のカマール・サリービーはベイルート大学の歴史学教授で中東史の権威です。この本の内容を知っている日本人は極めて少なく、欧米での刊行後、ニュウズウィーク、クリスチャン・サイエンス・モニター、サンデー・タイムズなどを含む世界の主だった紙誌に取り上げられ、一大センセーションを巻き起こしました。

日本語版出版は1988年、英・仏・独・オランダ・スペイン・アラビア・フィンランドの各国語版が出ています。論証の中心はセム語学、固有名詞学一分野の地名学による旧約聖書の地名の照合です。旧約聖書にはふんだんに地名が現われるが現在のパレスチナ地方の地名とはほとんど一致しなく、確かな証拠となる遺跡もありません。エルサレムはアラビア語のアル・シャリと同じで祝福された場所の意味です。この地名は各地に多くありアシール地方にもあります。

有名なソドムとゴモラは火山の爆発で消滅したとされていますが、パレスチナ地方には火山は存在しませんが、アシール地方には類似地名もあるし、火山の爆発の跡が残っています。

アシール地方には、古代からのユダヤ教徒の子孫もいます。この本には、現地のユダヤ人の写真がのっており、肌色はアフリカの黒人に近いようです。

 

日本経済新聞(1997.5、27)の文化欄より

京都大学霊長類研究所教授、庄武孝義氏の紀行文、マントヒヒの楽園発見から・・・

サウジアラビアといえば砂漠というイメージを抱いていた私はアシール地方の緑の山々に目を見張った。国立公園でもあるこの山岳地帯は標高三千メートル、サウジ有数の避暑地だ。

ヒトにとって快適な気候は、マントヒヒにも都合がいいようだ。

隣りのサハラ砂漠の山地の洞窟には超古代の黒人文明の壁画が残っている。そのころのサハラ砂漠は緑に覆われていた。アラビア半島全体も同様だったのである。

 

 

 

 

 

 

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