極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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本当の日本人の心・・・戦前・中の教育勅語、修身から見える心

2023-12-20 11:02:56 | 戦後

 以下文は国際派日本人養成講座等々を参考にしています。まとまりの無い文となりました、日々の思い日記とします。

 

 世界の一部の国は本当に醜い人間の側面を晒(さら)しています。相手が攻撃したからと言って、何故攻撃したかを不問にし、報復(これまでガザ地区から攻撃で死者が出た場合、同人数を殺害するためガザ地区に入り適当に子供、女性に関係なく同人数を選び、見せしめのため、その場で殺害してきました。)として虐殺を行い、子供達が犠牲になっても何とも思わない人達、これらの国は私達が思っているような非テロ国家・社会ではありませんでした。これらの国に比べ、日本人は良い意味で異質の存在だったと思いますが、昨今の日本のウクライナ、ガザに対する対応は良心・良識無き対応、イラン等々の日本に対する要望等も無視されています。本来の日本人の心では無いと思います。

 何故、国民と著しく乖離した、このような対応を取らざるを得ないか?台湾の李登輝氏が記しているように、「私は私で無く、私である」、公に対する考え方が、戦前・中の先人達と著しく違っていると思います。自身の特別権益、既得権益、地位等を得るためだったら憲法・法をも無視しているようなトップ等、もう日本は本来の日本人の心を持つことは難しいと思います。本来の崇高な日本人の心を作ってきた教育勅語、修身を素人の自身が少しだけ、以下文で紐解きたいと思います。

 寂しい日本の未来を賢く、切り開くか、どう生きていくかが問われていると思います。

グレート・リセット|世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター (note.com)

 

 歴史学者アーノルド・トインビー(1889~1978):英国を代表する大歴史家、日本を独立した一文明圏として捉えています。)は、一つの国が滅びるのは戦争、天変地異、経済破綻によってでもありません、国民の道徳心が失われた時、建国の歴史を知らない国は滅びると記しています。 

 戦前、中に日本人が学んだ教育勅語、修身、この類の道徳規範は世界にありません、当時の日本人は高い道徳心を求め、有していたと言えると思います。
 修身には25項目(1 家庭のしつけ、2 親孝行、3 家族・家庭、4 勤労・努力、5 勉学・研究、6 創意・工夫、7 公益・奉仕、8 進取(しんしゅ)の気象(きしょう)、9 博愛(はくあい)・慈善(じぜん)、10 資質・倹約、11 責任・職分、12 友情、13 信義・誠実、14 師弟、15 反省、16 正直・至誠(しせい)、17 克己(こっき)・節制(せっせい)、18 謝恩(しゃおん)、19 健康・養生(ようじょう)、20 武士、21 愛国心、22 人物・人格、23 公衆道徳、24 国旗と国家、25 国際協調)を日本人にとって馴染みの深い過去、偉人や有名人の言葉、エピソードをふんだんに用いて教えています。
 現代日本が抱えている、昨今の道徳心が疑われるようにも思える政府のウクライナ、イスラエル支持・支援等々、根底に潜む、戦後日本人の心の様変わり。
 

 明治41年、ロンドン大学で国際道徳教育会議が開催、そこに提出した日本の修身等は各国の注目を集め、道徳教育の粋として絶賛されました。以来、多くの国が道徳規範を日本の修身等に求め、参考にして道徳の教科書を編んでいると言われています。
 日本人が大切にしてきた生き方、自分の存在は先人、世の人々のお陰と考え、少しでも何かを恩返しをしたい。心ある多くの人は、人生で自分なりに出来ることを考えると思います、それらの行為は、結果的にはその人の人生を耀かせ、人生を幸せにすると思います。
 日本人の精神の根底には、他人に善を尽くすことで喜びとする精神が宿っている、欧米にはない精神です。日本人が世界中の多くの人達から尊敬される所以は、この精神が酌みされていると思います。
 

 戦後、GHQが最も恐れたのは、この日本人の心と言われる、自己犠牲の精神・・・敗戦国日本、日本人がこれまで通り教育勅語、修身を学ぶことは、日本人の本来の心を取り戻すことを意味し、戦勝国は支配しにくくなり、絶対に許されない道徳規範であったと思います。

 日本敗戦直後、連合国の一部は日本統治には何が効果的かを話し合われたと言われ、多くが軍事力と発言しましたが、中国共産党幹部は日本の教育を支配することが重要と発言しています。

 修身教育の素晴らしさを知っていたGHQ・マッカーサーは日本を支配するため日本人を骨抜きにするために、修身等々の授業停止を指令、教育勅語を取り払い、現教育基本法を制定したと言われ、戦後日本のGHQ策は成就してしまったと思います。
 対し、現代アメリカは日本の修身から多くを学んでいます。レーガン政権時代、アメリカでは学校には暴力がはびこり、学力低下、麻薬の蔓延等、教育現場が荒廃した時期がありました。当時のレーガン大統領は、日本の修身等々の情報収集のため日本に使節団を派遣、代表のベネットは修身をもとに道徳読本を書いています。それは3.000万部という聖書に注ぐ、超大ベストセラーになりました、この道徳読本はアメリカ再建に向かわせました。この道徳読本は戦前の修身と国語の教科書からいい話を百話選んで編纂されています。
 西ドイツのアデナウアー首相は、敗戦後の混乱、混沌とした中でも主権回復の為、先ず軍の創設を1949年当時から掲げていました。1951年に連邦国境警備隊、1955年にドイツ連邦軍が創設されアデナウアー首相の主張が実現、西ドイツの基本国体を形創った後、日本の教育勅語・修身を学んで道徳教育を推進して、素晴らしい戦後西ドイツ復興を果たしています。アデナウアー首相はこの教育勅語に接し、深く感動し、ドイツ語版教育勅語を執務室の壁に掛けていたと言われています。

 この修身、道徳教育が戦後も教育に採用されていれば、未来を背負う子供達に対する最高のプレゼントであったでしょう。現状では、国民を真の幸せにできる日本を造るには、この修身、道徳教育に立ち戻る意外はないと思います。

 

 明治38年7月、ロンドン大学より日本国政府にロンドン大学での日本の教育についての講演会の依頼がありました。政府は東京大学総長、文部大臣も歴任した教育行政の大家の菊池大麓男爵を英国に派遣、菊池男爵は自ら教育勅語の英訳に着手しています。牧野伸顕文部大臣、菊池大麓を含む10人の専門家で討議、東京大学の英国人教師のローレンスとロイドの両氏の意見も聞き、更に当時来日していたエール大学のラッド名誉教授にも見てもらい、官定翻訳教育勅語が完成したと言われています。
 菊池男爵は明治39年12月に日本を出発、翌年の2月14日からロンドン大学における講演を開始しました。菊池男爵のロンドン大学における7ヶ月間の間に行われた25回に及ぶ講演記録は、2年後の明治42年に英文の日本の教育(388ページ)として出版、英国等多くの国のマスコミ、教育界等で大きな感動、反響を呼んだそうです。

 

*****教育勅語*****

12の徳目

孝行=親に孝養をつくしましょう
友愛=兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦=夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友=友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜=自分の言動をつつしみましょう
博愛=広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学=勉学に励み職業を身につけましょう
智能=知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器=人格の向上につとめましょう
公益=広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法=法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇=正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

―――――官定英文翻訳・教育勅語―――――

       (英文の後に和訳があります。)
Know ye, Our subjects
Our Imperial Ancestors have founded Our Empire on a basis broad and everlasting and have deeply and firmly implanted virtue
Our subjects ever united in loyalty and filial piety have from generation to generation illustrated the beauty thereof. This is the glory of the fundamental character of Our Empire, and herein also lies the source of Our education.
Ye, Our subjects, be filial to your parents, affectionate to your brothers and sisters: as husbands and wives be harmonious, as friends true; bear yourselves in modesty and moderation; extend your benevolence to all; pursue learning and cultivate arts, and thereby develop intellectual faculties and perfect moral powers; furthermore advance public good and promote common interests; always respect the Constitution and observe the laws; should emergency arise, offer yourselves courageously to the State; and thus guard and maintain the prosperity of Our Imperial Throne coeval with heaven and earth.
So shall ye not only be Our good and faithful subjects, but render illustrious the best traditions of your forefathers.
The Way here set forth is indeed the teaching bequeathed by Our Imperial Ancestors, to be observed alike by Their Descendants and the subjects, infallible for all ages and true in all places.
It is Our wish to lay it to heart in all reverence, in common with you, Our subjects, that we may all thus attain to the same virtue.
The 30th day of the 10th month of the 23rd year of Meiji (1890)
Imperial Sign Manual. Imperial Seal

上記訳
教育勅語
 私(明治天皇)は、私達の祖先が、遠大(志や計画等)な理想のもとに、道義(人の行なうべき正しい道)国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
 そして、国民は忠孝両全(天皇は日本民族の家長等と言う考え方)の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物(結果として生じた、良いこと)といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養(孝行して親を養うこと)をつくし兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。
 そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道であります。
 私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
明治23年10月30日 御名御璽(明治天皇)

 明治36年文部省より国定修身教科書の修身の教科書が発行され、この教科書に基づいて修身教育が行われました。修身教育は明治、大正、昭和と3つの世代を通じて長い間日本人の精神形成を担っています。

 日本敗戦、同年12月31日の占領軍指令「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」で授業は停止され、教科書回収が決定、教育現場から消えました。GHQに取って、道徳心は極めて邪魔であったでしょう。

 修身は古今東西の偉人の話が少年達に分かりやすいように書かれています。具体的なエピソードを通して、25の徳目を教えています。修身の教科は、当時の子供達の人格形成に良い影響を与えたと思います。

 

*****修身*****

25徳目

「家庭のしつけ」「 親孝行」「 家族・家庭」「勤労・努力」「 勉学・研究 」「創意・工夫」「 公益・奉仕」「 博愛・慈善」「 資質・倹約 」「責任・職分」「 友情」「 信義・誠実」「 師弟 反省」 「正直・至誠」「 克己・節制」「 謝恩 」「健康・養生」「愛国心」 「人物・人格」「 公衆道徳」「国旗と国家」「 国際協調」等々

 これらの徳目は、時代や国、文化に縛られない普遍的な人の有り様を伝える内容がほとんどです。こんな素晴らしい教育勅語、修身が、戦後から日本社会から消えてしまっていることは残念です。価値の押しつけが教育勅語、修身と言う方もおられるようですが、これらの内容が可笑しいとは思えません。

 昨今の日本を取り巻く、国民と乖離しているウクライナ、イスラエル支持・支援、経済的に苦しんでいるのに無視するようなウクライナ等の巨額援助、国民の幸せを考えない愚策の数々、突き詰めれば人間としての道徳等の問題となるように思います。
 世界の人々から尊敬、羨望等される皇室を頂点とした日本、特に日本人の中に流れていた武士道、道徳心等、戦後GHQ(主にニューディラーと言われる、共産主義者・アシュケナージ・ユダヤ人がGHQに入り込み対日策を講じています。)により徹底的に取り払われ、極度な個人主義ばかりの追求等、戦後GHQは道徳を取り払う策は大成功を収めたように思います。

 現日本は一番多感な若者達に対する道徳教育等は少なく、未来を背負う若者達に対し、人間のあるべき姿、目標等々はことごとく剥ぎ取ってしまったと思います。

 

特に、以下3つの修身の文は大変分り易く、親しまれたようです。現代日本で是非、子供達に教えてほしい分です。

1 「父母ニ孝ニ(親や先祖を大切にしましょう。)」

*****「二宮金次郎」*****
二宮金次郎は、家が大そうびんぼうであったので、小さい時から、父母の手助けをしました。
金次郎が十四の時、父がなくなりました。母は暮らしにこまって、金次郎と次の子を家におき、すえのちのみごをしんるいにあずけました。しかし、母は、その日から、あずけた子のことが気にかかって、夜もよく眠れません。

「今ごろは、目をさまして、ちちをさがして泣いているであろう。」と思うと、かわいそうでならなくなり、いつも、こっそり泣いていました。金次郎は、それに気がついて、おかあさん、どうしておやすみになりませんか。と聞きましたが、母は、「しんぱいしないでおやすみ。」というだけでした。金次郎は、「これは、きっとあずけた弟のことをしんぱいしていらっしゃるのにちがいない。」と思って、「おかあさん、弟をうちへ連れてかえりましょう。赤んぼうが一人ぐらいいたって、何でもありません。

私が一生けんめいにはたらきますから。」といいました。母は、大そう喜んで、すぐにしんるいへ行って、赤んぼうを連れてもどりました。親子四人は、一緒に集まって喜び合いました。
孝ハ徳ノハジメ

2 「兄弟ニ友ニ(きょうだい仲良くしましょう。)」
*****「毛利元就」*****
 毛利元就は戦国時代に中国地方を治めていた勢力のある武士でした。元就には隆元・元春・隆景という三人の子どもがありました。ある時、元就は三人の子どもを集めて、三本の矢を一つに束ねたものをそれぞれに渡して、それを折るように命じました。

しかし、丈夫な矢が三本もしっかり束ねてあるのですから、いくら力を出しても子どもの力では折ることが出来ません。そこで元就は、束ねてあった矢を一本一本ばらばらにして、それを渡して折るように命じました。今度は一本だけですから三人ともたやすく折ることが出来ました。元就は三人の子どもに向って、「兄弟もこの矢とまったく同じである。兄弟が仲良く協力一致すれば、どんな強い敵から攻められても、なかなか破れるものではない。反対に、兄弟がばらばらになれば簡単に敵に攻め破られることになる。この矢をみて、三人ともよく心に留めて省みなければならない。」と言って諭しました。
 また、三人の子どもが成人した時、元就は三人に一つの書き物を渡しました。それには、「三人とも、毛利の家を大切に思い、たがいに、少しでもへだて心を持ってはならない。隆元は二人の弟を愛し、元春・隆景はよく兄につかえよ。そうして、三人が一つ心になって助け合え。」と書いてありました。また、元就は、隆元に別の書き物を渡しましたが、それにも、「あの書き物をまもりとおして、家の栄をはかるようにせよ。」と、よく行きとどいた戒めが書いてありました。
書き物をもらった兄弟は、三人の名を書きならべた請書を父にさし出し、「三人は、心を合わせて御戒めを守ります。」と、かたくちかいました。

3 「夫婦相和シ(夫婦はいつも仲むつまじくしましょう。)」
  *****「山内一豊の妻」*****
 山内一豊が織田信長のけらいになったばかりのころ、大そうよい馬を売りに来た者がありました。これを見た人は皆ほしいとは思いましたが、何分にも値が高いので、誰一人買おうという者がありません。馬の主は馬を引いてかえろうとしました。一豐も、ほしくてほしくてたまらないから、家へかえって、「ああ、金がないほど残念なことはない。武士としてはあのくらいな馬をもってみたい。」と思わずひとり言をいいました。

妻はこれを聞いて、夫に向かって、「その馬の値はいかほどでございます。?」「金十両。」妻は立って、鏡箱の中から十両の金を出して、「どうぞ、これでその馬をおもとめあそばしませ。」一豊はおどろいて、「これは又どうした金か。これまで貧しい暮らしをしているのに、こんな大金を持っているなら、なぜあると一言いわなかった。」
 「さようでございます。このお金は私がこちらへまいる時、「夫の一大事の折りに使え。」と申して父の渡してくれた金でございます。人の話によりますと、ご主人織田様には、近いうちに京都で馬ぞろえをなさいますとのこと。さだめて皆様はごじまんの馬に乗ってお集まりのことでございましょう。あなた様にも、その折りにはよい馬にめして、主人のお目にとまるようになされるのが大事と考えまして、今日このお金を出しましたのでございます。」

一豊は妻に礼をのべて、その馬をもとめました。やがて馬ぞろえの日となって、一豊の馬は、はたして信長の目にとまって、「ああ、よい馬、名馬々々。誰の馬か。」とたずねました。けらいのものが、「これは一豊の馬でございます。」
といいますと、「日ごろ貧しい暮しをしている一豊が、よくもこういうよい馬を買いもとめた。見上げた志のもの、りっぱな武士」と、信長は大そう感心して、これが一豊の出世のもとになったということであります。

 

これらの文を読むと、現代日本人に欠けている心が分かると思います。

 戦後の多くの日本人は宝、魂とも言うべき教育勅語、修身等を、今でも軍国主義の象徴だと信じている方が多いのは残念です。現代日本の青少年、規律や道徳教育不在では、まともな人物は育たないと思います。その延長線上が昨今の日本で良心・良識無き社会を構成しつつあると思います。国の中枢等々の人達による多くの対内外策も、良心・良識に反する愚策が多いように思います。

 世界に誇る日本の道徳規範、教育勅語、修身等が学校教育等に採用され、未来を背負う子供達が、人のあるべき姿を理解することは日本の誇りを取り戻すことになると思います。昨今の日本社会を見た場合、子供達への道徳教育無くして、日本の未来は無いでしょう。私達の目の前には世界に誇る道徳規範が脇に置かれたままです。

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