極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

日本人古来の恕(じょ)の心を無視・知らないメディア、評論家等々の人達

2021-02-08 17:49:35 | 日本社会

以下文は、日々の思いを記した素人の日記・雑文です。

 

メディア、評論家等々の菅首相・政権への重箱の隅を突いたような非建設的等な可笑しな印象操作等による批判は留まることは無いようです。国民の選挙で選ばれた菅首相・政権、日本は民主主義国家です、メディア、評論家等々へ、あなたは何処の国の国民ですかと問いたいです。昨今は更に、徹底した元・森首相への批判は尊厳等をも無視しているようにも見えます。

人間は過ちを犯すことは多々ありますが多くの人達は過ちを認めず、謝る人達は極僅かです。今回の元・森首相の発言は不適切ですが誤りを認め謝罪しています。(発言の全文を最後に記しています。)

世界の一部ニュースを見ると一件落着のようですが、日本のメディア等々が自らこの問題を大きく扱ってくれるよう世界に拡散しているように思います。一般的には多くの国々では誤りを認め、謝罪等々すれば収まることが多いようですが、何としても元・森首相を公の座から引き下ろすようにメディア、評論家等々は動いているように見えます。

恕(じょ:他人の立場や心情を察して人を許すこと。)の心を持つ、世界にも例が無いような古来からの誇れる日本人の心は何処に行ったでしょうか・・・

特に元・森首相で印象があるのは、過去の神の国発言です。表には報道していませんが憲法改正との抱き合わせ?メディア等の徹底した印象操作、文全体の中の一部のみを切り抜き大々的に報道され大きな不利益を受けています。この文を全部読んでみると、天皇を中心とした日本の成り立ち等々を考えると正論であり、戦後GHQ策から見たら可笑しいでしょうが、戦後GHQ策が無く自然体で読めば、何ら可笑しくない日本人の心を現した文であることが判ります。(神の国発言となった、神道政治連盟国会議員懇談会・結成三十周年記念祝賀会・森首相挨拶全文を最後に記しています、本当の日本の姿を理解する一助となると思います。)

多くのメディア、評論家等々は多くの国民が日々の経済が厳しくなる中で、巧妙にオリンピック開催反対に世論を誘導しているようにも見えます。人類が未知の新型コロナ・ウイルスと戦い、克服しようとしている証として東京オリンピックを成功させるべきで、過去のオリンピックと違い参加選手、観客の制限等々があったとしてもこれまでのオリンピック開催と大きく違い、意義のあるオリンピックと捉えるべきです。オリンピックが開催、成功した暁には311被災地、新型コロナ・ウイルスに苦しめられている世界・日本にとっても、新たな生き方、スポーツの有り方等を示すことにもなると思います。

勿論、東京オリンピック開催を考えた場合、今日の新型コロナ・ウイルス感染対応等、諸問題が山積した中ではありますがメディア、評論家等々の人達は開催、成功することの意義を再考すべきで、重箱の隅を突くようなマイナス面ばかりを穿り返しても得るものは無いように思いますし、多くの国民にとってもいい迷惑かも知れません。スポーツニュース等を見ると、内外の多くのオリンピック、パラリンピック選手も新型コロナ・ウイルス下での制限の中、多くの人達に夢・希望を与えるよう必死で訓練に奮闘していると思います。

このような中で問題となった元・森首相の発言問題・・・一部の方は会長を変えたらいいと言われますが、世界の国々との調整、内外の関連機関、団体等の調整は極めて困難を伴うようです。決して単純なものではなく、欧米の貴族、王族が多く在籍している雲上人が作った組織、IOCと言う超VIPの集まりに対し、綺麗ごとでは済まない日本の国益を考えた開催対応等にに精通、相応の強い力等を行使できる人物は周りを見渡しても皆無で高齢、無報酬の元・森首相しかいないでしょう。一番分かり易いIOC・オリンピックの中枢にいる人達の一例、ドイツのIOC・バッハ会長の履歴を見て下さい、凄い経歴で唯者ではないことが判ります。日本の場合、最低でも首相経験者等が適任と言われる所以です。一部では元・森首相は今日も利権等々が多くあると言われていますが、明確な証拠が無い限り予想の世界かも知れません。勿論無いのが理想ですが、相応の力がある人には周りから寄ってくるのは古来からの世界の常でもあると思いますが・・・徹底批判するメディア、評論家等の人達は特殊な隣国の人達と何ら変わらないようで、間接的な経済的利権、ひがみ、妬(ねた)み、秘める憲法改正反対等々が大きいと思いますし、決定的なのは古来からの日本人の心にあった恕の意味の無理解、心を持っていないこと尽きると思います。

オリンピック後は元・森首相は高齢(2016年3月29日ガン手術、今日も透析をされています。)でもあり、オリンピック終了後、会長を変わられた方がいいと思います。これまでの東京オリンピックの諸準備等々は大変だったと思います。

2016年オリンピック・パラリンピック招致や2019年ラグビーワールドカップなどの交渉事を通して、IOC重鎮やスポーツ界のインフルエンサーと信頼関係を築いてきました。2019年大会では、世界からの要人たちがセレモニーで常にMr.Moriへの感謝を口にされています。首相を務められた力強さのイメージとは裏腹に繊細で気配りの方としても有名です。とは言え、日本の立場を守る時には徹底して戦う。欧米のVIPたちと丁々発止で議論してきた信頼関係があるのかもしれません。安倍前首相が2020年オリンピック・パラリンピック招致決定から日本の顔として日本大会をPRしてきた一方で、裏方として地道に協議・交渉を重ねてきたのが森会長です。(川松 真一朗 東京都議会議員談)

高齢で、無報酬で奮闘されたことに対し、素直な気持ちで、これまでの苦労に私達は感謝すべきです。自分の発言が間違っており迷惑をかけたことに対し、謝罪しており、これまでの労に対し感謝することは理屈ではないでしょう。私達はメディア、評論家等々の論は、人としての道を大きく踏み外していると思いますので、私達はこれらの報道等を鵜呑みしてはならないと思います。

今日、新型コロナ・ウイルスにより先が見えないような状況になっており、日々の生活も収入が落ち込み、途絶え、失業等々で大きく変わっていると思いますが、どんな困難があろうとも乗り越えなければならないと思います。新型コロナ・ウイルスの影響で世界の経済状況は激変する可能性があると言われています。過去のエコノミストの日本主要等企業・AIシュミレーション(模擬)では、戦後最大の影響を受ける可能性があり楽観は出来ない状況を示しています。豊かな生活環境にあった日本社会、経済が回らないと恐るべき事態が予想されます。オリンピック開催は、今日の厳しい経済状況に希望の一筋の光を点す可能性があると思います。

多くの先人達は幾多の困難を仁、恕の心を持って乗り越えています。先ずはメディア、評論家等々の報道、情報、論調等は鵜呑みしないこと、可能であればこれらを自分なりに精査することも必要だと思います。新聞、TV等ばかりでなく、可能であれば多様な情報に接することが出来るネット等に移行することも良策かも知れません。

東京オリンピックは、今日の厳しい経済状況に希望の光を灯すことが出来る可能性があると思いますし、私達に夢、希望等を与えると思います。私達から夢、希望を無くしたらどのような社会になるか、過去の世界の歴史が示しています。今こそ、日本はワンチームとなり夢、希望を遠ざけないように協力することが大切だと思います。

東京オリンピックが開催出来たら、間違いなく人類が新型コロナ・ウイルスに対し、打ち勝とうとしている証として有史以来の人類の歴史に刻まれるでしょう。

 

***3日のJOC臨時評議員会での森会長の発言***

この建物(ジャパン・スポーツ・オリピック・スクエア=JSOS)に、いろんな会議場があるんでしょうが、会議というものに参加したのが今日は初めて。実に立派な会議室だなと。

私どもの組織委員会の会議室とまったく違う。私どもの会議にはじゅうたんは入ってないです。つまり、我々のは瞬間的な時間が決まった団体で、JOCは長い歴史がある。これからもスポーツの中心的役割を担うということだと思う。

ああいう、全部すぐ(映像が)映るような部屋はわたくしどもののところにはない。毎日のようにIOC(国際オリンピック委員会)と会議としてますが、会議場があっちこっち変わって、その都度職員が大きなテレビを持ち歩いて、そこから放映したり視聴したりしている。言い方よくありませんが、お粗末な会議場でありまして。(JOC会長の)山下(泰裕)さんはうらやましいなと。

しかし、建物、これで公式的には3度目かな、いや4度目。最初は竣工(しゅんこう)式のパーティーの時。その時、長々と歴史の話はしましたので省きます。2番目は山下さんが決められて、なんかあったな、それで参りました。3回目はバッハ会長が安倍前総理にですね、功労賞をお渡しになるのでそれをどこにしようかと官邸から相談がありました。すぐに新しいスポーツ会館(JSOS)がいいだろうと。バッハさんも、安倍さんもこれるし、みんなこれるんじゃないかと。ここでやったのはつい最近であります。その次は参りました4回目が今日です。

いずれも立派なお仕事ができる環境。新国立競技場の真ん前にあり、その横に、競技場のエリアにあった青年館を横に、というよりスポーツ会館の後ろにもってきた。競技場のエリアにあった青年館を横にもってきたと。

そういう構図で、JOCを中心に競技場もあり、これからラグビー協会というより国策に基づき、秩父宮競技場を移転させると。これは国が決めたことで、近所に移る予定だそうです。いずれにしても、この場所は日本のスポーツ界の中心地だと。こんなところはない。結果として、私は当時、(渋谷にあった)岸記念(体育館)におりました(日本)体育協会の会長をしてまして。なった経緯を申し上げますと、河野洋平先生だったんです。河野洋平先生がきて、「一生に1度の頼みだから」と。「体協の会長に推薦されたんだ」と。「実は息子の太郎から肝臓をもらった」と。移植をやった直後で。「医者から飛行機に乗ってはいけないと言われているので、だめなんです。やる気持ちがない」と。従い、「よく分かってくれているのは森さん、あんただから、私は君を推薦したいんだよ、頼むよ」と言われまして。まあ、選考委員長はラグビーの大学の先輩である日比野先生だったものですから、「お願いだから断るな」と、「オレに恥をかかせるなよ」とこう言われまして、それでスポーツ協会、当時の体協の会長をいたしました。

今日は見えているかな、体協の方?さぼってんですか、それとも。(「オンラインです」の声に)オンラインでいるなら、あまり悪口は言えないな。

当時体協の専務、岡崎さんです。「一切口は挟まないからただひとつ」と。「岸記念館を建て直すことがあなたの仕事です」。えらいことになったなと。土地は国のものなんですけど、その下に水道局の施設が入り、そう簡単に動かせない。石原知事にも「森さん無理だよ、動かしたらダメだよ」と。

その時おもしろい話をしてくれた。次の五輪は晴海のほう、新しいフロントシティーでやりたい。従って国立競技場はそっちに持って行く。その時、NHKから相談があったので、NHKは国立競技場がもし晴海に行くなら、NHKの建物もかなり年期がたっているので大きくしたいと、そこ(跡地)に移ると。いまのNHKのビルはそのまま使える。それを協会のビルにすればと。そりゃいい話だと。

岸記念体育館のほうが渋谷の商業地に隣接しているのに、緑地公園なんちゃらで上に伸ばしちゃいけない。NHKの横は閑静な住宅街でしょ。どういう政治的判断があったのか。岸記念体育館は5階建てですか。結局、国立競技場の移設は反対になりました。日本陸連が、あそこは海から風が来るので、陸上競技の種目、風具合にでは公式記録では扱えなくなると。基本的な問題を考えないで、よく考えないで石原さんらしいけど、海側にいくのを断念した。結果として、いまのNHKのところにいくことができなかった。あれだけ大きいのでNF(国内競技団体)の方には広々とした部屋を提供できると思っていたのに、残念でありまして。NHKは動かないと。

さて、岸記念体育館をどうするかと、随分苦労しましたが、見事にスポーツ協会、JOCは、この建設地になったんですね。東京都のみなさんが考えてくれたことだろうと思いますが、もう1つ、あとは日本青年館ですね。青年館の郷里には農業関係の青年が多いですが、青年館は地位が高いですね。東京では日本青年館というのはあまり評価されていないですが、古い団体であることは間違いないですね。当時(新国立競技場建設にあたり)怒られました、なんで国立競技場から出すんだと。避けて建てればいいと。死んでも動かないとなりましてね、たまたまその当時の理事長が、鹿児島県選出の先生でした。私は平身低頭して日本のスポーツ界のためにお願いした。それだけ日本青年会は素晴らしい建物になるはずだと。国立競技場もラグビー場も神宮の野球場もみんな見える、酒を飲みながら見れるいい部屋が理事長室になるはずだと申し上げたら「それはいいな」と。していいかどうか、本人の名誉のために言っちゃいかんかったですが、もう亡くなられましたので。亡くなられる前にお見えになり、感激をしておられました。

青年館が移ったものですから、こちらにもってきたのは妙案だった。それがこの建物です。

オリンピックのマークもつけてもらい。これは竹田さんがやられたのか山下さんがやられたのかわかりませんが、我々も五輪マークをどこかにつけようと、虎ノ門、晴海の時もつけられないか言ったが、絶対に駄目だと。それがいとも簡単にこの建物に。国立競技場を見に来るお客さんは、あれは五輪会館だとこういうんです。ちょっと寂しい感じがしました。本当は体協なのになと。スポーツ協会とJOCが協力して建てたのになと。ところが国民は誰もそうは思ってない。これは五輪会館だなと。どこにあるんだと聞かれると、国立競技場の前に建物がありますと。スポーツ会館というと、「オリンピック会館じゃないんですか」と。これはもう定着した感じがあります。

サッカー協会が自前でお金を作って文京区にビルを作られた。しかし、知らないですよ。これはあっという間にオリンピック会館と言われるようになった。サッカー会館というと、「どこですか」とよく聞かれたんですが。順天堂大の前を…とか言っているんですが、その点、オリンピックのネーミングはそれだけ強いものだなと思います。日本のスポーツ界のまさに牙城、本城だと理解してもらい大いに活用してもらえばなと思ってます。

私も84歳になりますので、この建物を建てるまでだなと。新国立競技場ができるまではどうせ命は持たないだろうと。もうだめだろうと思ってたら、2015年のワールドカップのラグビーがイギリスでありまして、その時に医者に頼んだら、ダメだよあなたは年内までだと。海外とんでもない。海外で死ねば本望と言ったら、賢明な女房がつえついて行きなと。歩くのもやっとだった。ロンドンに行ったときは抗がん剤をして、一歩一歩歩くのがやっとでした。帰ってきて、医者に行ったら、年内の命だなと思ってたら、その時に厚労省から薬が認可おろしてくれて。今のワクチンと同じで、もっと早く準備すればいいんですよ、今ごろになって準備とか。その頃からワクチンの準備しないといけないんですけど、厚生省に聞くとどの薬を使うか決まってないからダメだと。結局この薬いいだろうとなってからやるのが、何が必要かと話すのが日本政府のやり方ですね。この建物ももっと早く使えるようになればと。

 

***神の国発言と言われる全文

平成十二年五月十五日
神道政治連盟国会議員懇談会
結成三十周年記念祝賀会

森首相挨拶全文
神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁の神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけでございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。

 村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。

 とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。

 私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革をすすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを造ったわけですが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。

 しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。

 ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。

 私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。

 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので…。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。

 たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言ったんです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。

 ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は有難うございました。

 

 


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