極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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スカイマークの17年間

2016-07-19 14:27:02 | 日本社会

国内航空3位のスカイマーク(社員1947名、保有機ボーイング737、27機)は7月14日、今秋から導入する客室乗務員と地上職員の新しい制服を発表、新しい制服は紺色をベースに会社のブランドカラーである黄色を織り交ぜています。

女性はスカーフ、ジャケットにワンピースやパンツを組み合わせ、男性はスーツとしています。デザインは社員から公募、市江正彦社長は発表会で「しっかりとした落ち着いたサービスができる。今までと違うスカイマークを意図した」と述べています。

やはり制服は航空会社にとって顔でもあり、社員にとっては誇りでもあると思います。

 

1998年9月19日、スカイマークの一番機B767は羽田から福岡に向けて飛び立ちました。JAL、ANA、JAS3社の寡占体制に風穴が開いた瞬間です。

1998年スカイマークの誕生から現在までは、何か閉鎖されたような既得権が見え隠れする日本の航空業界で生き残ることは厳しかった一面があるように思えますし、他の新規航空会社が大手に屈する中、スカイマークは最後まで独自性を貫きました・・・日本の航空業界で既得権者、天下り等々を受け入れることなく独自性を貫くことは凄いことだと思います。

素人が思うのは、A380問題・・・

2010年1月にJALが経営破綻した際、ジャンボ機(B747)を手放しました。その12機をスカイマークが現金で買いたいということでしたが、1機10億円でまとめて買い!当時は資金にも余裕があったようです。

「即刻断られています!」

理由はスカイマーク参入は運賃は下がる!

本当に理不尽な話です。難しい運航のノウハウもありますが、この時JALの747機を購入していたらスカイマークに経営はかなり違っていたかもしれません。利用者に計り知れない恩恵を与えていた可能性があります。

今後も、是非、安全第一の低価格航空会社として日本に更なる拡大、定着を確かなものにしてほしいと思います。

米国国内の大手LCCのサウス・ウエスト航空も誕生時、一部既得権等々の問題がありましたが、全社員の努力により見事の克服、現在は米国を代表する最も安全で低価格の大企業LCC航空会社になり、世界をを代表するLCC航空会社です。私自身、米国で何度も利用しましたが、安全性、定時制、低価格等々、一口で言えば手軽に利用できる素晴らしいLCCです。

先進国世界で最もLCCが少ない日本・・・スカイマークも日本版・サウス・ウエスト航空のように是非なってほしいです。

誕生からの激動の17年間を如何にLCCとしてスカイマークは生きてきたか、以下文のは報道されていない内容を記しています。資料は中川 雅博氏(東洋経済 記者)2015年、退任前のスカイマーク井出会長のインタビューの概要で、コピー、加筆しています。

  

大手の寡占状態が続いていた航空業界へのスカイマーク新規参入には、法制度や空港の発着枠など多くのハードルが立ちはだかりました。

当時の航空法は新規会社を入れる前提では有りませんでしたので、オペレーターとして飛行機を飛ばすだけの会社という位置づけでした。

当然、整備、乗員養成、グランド・ハンドリング(地上支援業務)はどうしても大手に委託せざるを得ず、全て了解を得なければなりません。

航空機の整備は閑散期に行うものですが、委託先の大手は当然自社機を優先、我々はかきいれ時の繁忙期にしか入れられません。

就航当初は2機でスタートしたが、3機以上は受け入れられないとも言われました。

航空ビジネスは一定の機材と路線を持ち、規模のメリットを出さなければいけません。これから飛行機を導入したいという時に自由が利かない状態でした。

整備も運航も3カ年計画で完全に自立しようと決心、そして3機目の購入資金が必要だったため、2000年5月に東証マザーズに上場しました。

増機するには、路線も確保しなければなりません、大手航空会社にとって既得権益だった羽田空港の発着枠を獲得する必要がありました。低価格運賃によって新たなマーケットを作り、十分に国民の利益になっていると、新規航空会社が果たす役割を国土交通省に伝え、有識者懇談会で道を開いてもらいました。

そこから、5年ごとに発着枠の見直しをして、必要に応じて回収し、再配分しようという建設的な議論になりました。だからこそ、我々が新規航空会社のパイオニアだという意識が強いと思います。

これまでにスカイマークは大きな危機に3度直面しました。

 

1回目の危機・・・

当時路線は羽田―福岡線のみ、2機で6往復

運行開始時に「半額キャンペーン」というスカイマークのディスカウントサービスの計画に、所轄官庁の運輸省(現・国土交通省)が激怒し、事業認可を下ろさなかったとも言われています。

大手が福岡線だけ一気に値下げし、運賃競争に入りました。続けて、九州北部のほかの空港に乗り入れる路線についても、福岡だけに流れるのを防ぐために値下げしました。

九州内で釣り合いを取るため、逆に九州南部の路線は値上がり、我々の搭乗率は、1999年6月には30%まで低下、不渡りを出す寸前でした。そこで3機目を鹿児島に入れることにしました。

九州北部では運賃競争に入ったため厳しい、そんな中で我々は鹿児島にも入って南の運賃を下げようとしました。

そうして九州全体の運賃を下げれば、当時九州で全体の6割の収入を得ていた当時の日本エアシステム(JAS)が疲弊するだろうともくろみました。そこで放出される発着枠を使って拡大しようという算段でした。

2001年9月11日、米国同時多発テロ、JASは経営危機に陥りました。

その後、日本航空(JAL)との合併で枠が回収再配分され、我々の枠を増やすことができました。

 

大都市を結ぶ幹線に入らなければ、運賃競争は終わらない、という持論を持っていた井手氏は九州だけでなく北海道や関西、沖縄に注目しました。高い頻度で飛ばすとなると、より小型の機材が必要になります。当時運航していたB767からB737へと移行する計画が進みました。

次のステップに入ろうとしていた矢先にまたしても危機に直面、B737へ移行するときに整備も完全に自立させようということで、大手との委託契約をやめようと動いていました。そんなときに修理期限の過ぎた機体で運航していた問題が発覚、2006年4月に業務改善勧告を受けました。マスメディアにも叩かれ、他社もネガティブキャンペーンを展開され客数も随分減りましたが、結果的には効率のよいB737への入れ替えもでき、羽田―新千歳線という幹線にも就航できました。

2004年1月、前年に筆頭株主となっていた西久保愼一氏が社長就任、インターネット業界で名を馳せた経営者の異例ともいえる転身でした。

西久保さんは、自立した第三の航空会社に仕上げるんだといって投資してくれました。(IT業界出身なので)予約システムも作ることができるのも大きかったです。小型機材を高頻度で飛ばす計画を前に進める重要なステップでした。

澤田さん(スカイマーク創業者)はどちらかというと大手の傘下に入った方がよいという考えを持っていました。西久保氏がオーナーになっていなかったら独立性を保てなかった可能性は高いと思います。

西久保氏の社長就任後、整備士や乗員の退職が相次ぎ、事業に支障を来した局面もありました。同氏が取り入れた成果主義的な人事制度が原因ではないかという声も相次ぎましたが、西久保さんが何かをしたからということではないと思います。

乗員や整備士は他社、特にJALやANAと待遇を比較します。しかし、我々が低価格を提供し続けるにはコストを抑えないといけません。一部には独自の労働組合を作ろうとする動きもありましたが、そこだけ待遇が上がると他も上げなければなりません、それでは経営は無理です。スカイマークの方針に賛同できないのであれば出て行ってもらっても構いません、という話が大げさに伝わったのだと思います。

1度目の危機のときにはエア・ドゥは大手の傘下に入りましたが、我々は自立のためにずいぶん合理化を実施しました。でも、雇用は守ると言い続けました。

 

2回目の危機・・・

スカイマーク社長としての西久保氏には批判、トラブルが多かったと言われています。

西久保氏は社内で生産性の向上、コスト削減などを目的に成果主義を徹底、IT業界の常識を航空業界に持ち込みましたが抵抗も多かったようです。2008年には機長の相次ぐ退職が原因となる大量欠航、就航から程なくでも、不採算と見るや、その路線からあっさりとうた撤退していく経営姿勢を公共性に欠けると非難する声も多かったようです。

ひたすら効率を追い求めていきました。制服を原則廃止、ポロシャツに統一したのも西久保流、制服に着替えるのには更衣室もいるし、その時間にもコストがかかる。地上職、客室乗務員、機内清掃など一人で何役もこなせるようにしました。ほぼ全員を正社員化して社内異動を頻繁にし、欠員が生じにくい体制も整えました。

ボーイングの中型機767(265席程度)を使用していたが、2009年10月に737(全席エコノミー、177席)への統一を完了、パイロット訓練や整備などの負担、関連費用の軽減とともに、機材の小型化で搭乗率も高まりました。

一連の改革によって、万年赤字だったスカイマークは、高収益企業に変貌、2011年3月期~2012年3月期は2年連続で100億円を超える営業利益を出しました。

 

西久保氏の持ち味は、目まぐるしく趨勢が変化するIT業界で得た経営変革のスピード、徹底した効率化の追求、さらには、ゼロの持ち株の一部や、ネット接続事業をGMOに売却したような、タイミングを見極める目利き、今回はそれが生きなかった。算段はことごとく外れました。

A380購入契約を結んだ当時は1ドル=80円近辺で推移、アベノミクスによって一気に同100円超まで円安、ドル建てで調達する燃料費や機材費の負担が膨らみ、収益を圧迫し始めました。A380の購入費用も円安とともに上昇していきました。

1ドル=80円前後という空前の円高がスカイマークの高収益を支えていた側面もあったと言われています。

 

そろそろ利益が上がってきたから、もう少し待遇をよくしてほしいという話でしたが、大手並みにはできないし、整備士や乗員だけ特別扱いはできない。創業時からみんながチームでやるのが基本です。子会社をつくって下請け構造にするのではなく、全員正社員で皆同じ立場で仕事ができるようにしようと努めてきました。

 

3回目の危機

経営破綻・・・2度乗り越えた先に待っていたのは、最悪の事態でした、いったい何が分かれ目となったのか?

A380導入による国際線進出計画、2010年11月にエアバスと基本合意、2011年2月には購入契約を締結、A380はファースト、ビジネス、エコノミーの3クラス構成の標準仕様で525席、対して西久保氏はビジネス116、広めのプレミアムエコノミー280の計396席とし、エコノミーはいっさい設けないプランを編み出しました。当初想定運賃は、成田─ニューヨーク線のビジネスで往復40万円弱、プレミアムエコノミーは20万~25万円。大手の半額程度にとどめながらも、専有面積と運賃の相関から、低採算のエコノミーを排除することで差別化するとともに、利潤を得る戦略でした。長距離国際線のビジネスクラスは値段が高止まり、欧州行きもニューヨーク行きも往復100万円近い。これは暴利、相対的に割高な運賃の路線に対して、適正な利益が取れる価格で出せば勝負可能、国内線で得た実績は国際線にも応用できると西久保氏は考えました。本業の生み出すキャッシュを支払いに充てていけば、A380は問題なく買えるという計画だったと言われています。

スカイマークをめぐる情勢はその後の3年余りで激変・・・

西久保氏の持ち味は、目まぐるしく趨勢が変化するIT業界で得た経営変革のスピード、徹底した効率化の追求、さらには、ゼロの持ち株の一部や、ネット接続事業をGMOに売却したような、タイミングを見極める目利き、今回はそれが生きなかった。算段はことごとく外れました。

 

A380購入契約を結んだ当時は1ドル=80円近辺で推移、アベノミクスによって一気に同100円超まで円安、ドル建てで調達する燃料費や機材費の負担が膨らみ、収益を圧迫し始めました。A380の購入費用も円安とともに上昇していきました。

1ドル=80円前後という空前の円高がスカイマークの高収益を支えていた側面もあったと言われています。

為替相場を正確に予測するのは難題であるが、自社に最も有利な為替相場を前提として、大型投資を決断したのだとしたら、西久保氏も認めた甘さがあったと言われています。

正直な話、円安が一番大きかった。すでに導入を決めていたA380の購入費用と、中型機A330のリース費はドル建てだったので、大きな負担となりました。

これらは1ドル=80円前後だったときに決めたプランです。1ドル=100円まで円安が進むことは想定していたが、120円になったときはもうダメだと思いました。飛行機を選定しても導入まで2~3年がかかるのが、このビジネスの難しいところです。

もう1つは、われわれがA380の購入をやめようとしたことに対し、「エアバスが初めから損害賠償をファックス1本で通告してきたこと」。「通常、状況が変化した時にはメーカー側も協力してくれる。」、契約自体を解除するのではなく、ほかの機材に変えられないか、具体的にはA330を増やせないかと検討していました。こうした経験をした航空会社はどこにもないのではないのではないでしょうか・・・

当初は、アジア市場にチャンスを求めようかとも考えました。そこでもエアアジアのようなLCCが席巻し始めていました・・・運賃競争にならないのはどこか・・・それが太平洋線や欧州線のような長距離路線でした。LCCは1社も入っておらず、大手の航空会社が競争はしているものの、運賃は高止まりしています。国内で大手からシェアを奪ってきたわれわれの成功方程式が通じるのではないか、と。そこでニューヨークやロンドン線を作るという話になっていきました。

 

この計画自体、当時は間違っていませんでした。利益率も高く、キャッシュフローは一時期400億円ほど持っていました。ドルで稼げれば、為替のヘッジにもなります。実際、大手の場合は国内線が厳しくても、国際線で収支を合わせています。

大手と同じ商品ではダメ、実は当初、僕はA380のような4つのエンジンを積む大型機材はコストがかさむので反対でした。しかし、西久保さんは全席をフラットシートにして、それをエコノミークラスとして販売するというアイデアを持ってきました。

こういう斬新な発想が彼のすごいところです。

僕が最終的に賛成に回ったのは、ギリギリ顧客がついてくるだろうと思ったからです。

普通の2~3クラス制では成功するとは思えませんでしたが、全席エコノミーのフラットシートにすれば、片道10万円、往復20万円が収益的にギリギリの線です。大手の窮屈なエコノミーに満足していない人が移動してくるだろうと見込みました。

最終的に、万が一状況が変わって難しくなったら、B737の体制に戻ろうという条件付きで役員会を通し、2010年11月に基本合意書を締結しました。エアバスとしても、伸び悩んでいたA380の販売を巻き返そうと攻勢をかけていたので、当時としてはいい価格設定にもなったいました。

 

2010年1月にJALが経営破綻した際、ジャンボ機(B747)を手放しました。その12機をわれわれが買いたいということで、入札に応じました。1機10億円でまとめて買いましょうと!当時のキャッシュフローでは100億円ほどの投資も可能だと考え、ジャンボを使って国際線に行こうと話をしていました。

だが、即刻断られました!スカイマークに参入されれば、運賃は下がる!当然、敵に塩は送れないという話でしょう!

(もし実現していたら、現在のスカイマークと違ったスカイマークとなったかも知れませんし、何より日本発低価格の国際線が誕生したと思います。勿論、大型機の運行、整備等々克服すべき問題はあったと思います。超低価格でのB747購入はA380よりも遥かにリスクが少ないように思いますし、大型機のB747現物が目の前にあり投入時期が早く、利益を上げていた可能性がありますね。)

その結果、A380で計画を進めることになりました。

 

羽田では36の発着枠を持っていますが、国交省はこれ以上国内線の枠は増やさず、増枠分は国際線に振り向けるという方針だ。ということは、国内線で生き残るには幹線で座席を増やし、収益を上げていくしかありません。

そこで、より大きな機材を入れてキャパシティを増やそうと決めました。たまたまA330を安価にリースできるという話が来たので、それを幹線だけに入れることにしました。10機入れれば、B737の時に比べて座席数が6割増しになる計算でした。

すべてエコノミーにすれば、B737と比べて2倍の座席数が取れるが、ゆったりとしたシートで運賃が安くて品質のいいものを提供しようとしました。十分にマーケットを引きつけることができると考えました。

万一うまくいかなくても、この機材であればハワイに飛ばせるので国際線にも使える、国内外両方に展開できるので、リースであればやろうという話になりました。

利益率が高かった頃は逆に円高の恩恵が大きかったのに、自分たちで錯覚していた部分もあったと思います。われわれのビジネスモデルで利益が上がっていたのだと・・・本来ドル払いが多いので、円高にすごく助けられていました。

リーマンショック後にJALが破綻し、ANAも大赤字。そんな時に、スカイマークは独り勝ち状態でした。我々は思い上がっていました。2009~2011年の頃はANAの背中が見えたとも思いました。JALと合併前のJASほどの規模になりつつあったし、国際線に進出したら一気に叩けると感じていました。

しかし、円高によって利益が上がっていたのだとすれば、3年も先のことに手を出すのではなく、そのときに機材を買って飛ばすべきでした。キャッシュフローもあったわけだから、1機でもいい、A380の導入が完了していれば問題はなかったと思います。

 

今使っているB737は2017年に製造中止になるので、次の機体を買わなければなりません。その選択肢の1つとして、エアバスのA320Neoに振り替えようとしていました。実際、ほかの航空会社がA380の購入をやめ、ほかの機材に変更する例もありました。

3月から具体的な交渉をしていましたが、交渉の途中だった7月に例のファックスが送られてきた。そこで匂わせていたのは「大手の傘下に入れ」という内容だったので驚きました。スカイマークを大手とくっつけて、A380を飛ばそうとしているのだと感じました。

ファックスが来てからは、再建が得意ではない西久保氏に代わって、僕と有森(正和・現社長)で再建の絵を描いて動いていました。法的整理についても、その計画に入れていました。

実は9月に大きな増資が入る予定でしたが結局流れました。これが打撃になりました。ただそれは、西久保さんにオーナーシップを手放してほしいという話で、素人に経営権を渡すのはいかがなものかということになりました。スカイマーク社長としての西久保氏は批判、トラブル等が多かったと言われていますが・・・

 

やはり日本独特の航空業界、渦巻く既得権益・・・新規参入LCCスカイマークにとっては物、心とも厳しい運営だったかも知れませんが、やはり目に見えない既得権は大きかったように思います。

スカイマークの参入により、日本の航空運賃の改革に極めて大きな役割を果たしたと思います。

今秋からの新制服・・・社員にとって誇りが増し、大きなステップになると思います。更なる新しいスカイマークが大きく飛翔するように思います。

スカイマークは何より創業以来無事故であり、今後も日本のLCCの草分けとして独自性を保ち、益々発展することは、大きな国民益となるのは間違いないと思う昨今です。

 


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