極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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古来から続く「清き明き心」

2014-05-24 09:06:16 | 道徳等

 311等に見られるように、世界に例を見ない日本人の崇高な道徳心、数千年の悠久の歴史を秘め綿々と現在日本人の中に生き続いています。
清き明るき心、日本人が世界に誇れるものであることは間違いなく、今でも心ある全世界の人々が日本人を尊敬する所以であることは間違いないでしょうし、清き明るき心と共に武士道、天皇制を、後世に伝えることは日本だけでなく世界の願いに思えるときがあります。そうは言っても現日本は道徳心等で一部大きな歪みを生じてることも事実であり、一人ひとりの物質的な富の大小で図ることが出来ない崇高な心、「清き明るき心」を持ち続ける努力は今後益々必要と感じます。 
日本には古来、神道がありますが神道はユダヤ教に極似しています。この「神道」の中心的な伝統として、「清き明(あか)き心、清明心」・・・くもりなく、すがすがしい心、やましさのない、晴れ渡った心、邪心のない、二心でない、清らかな心です!神様の前にそういう心でいることが一番大切なのだ、という教えだと思います。
 この清き明き心は、日本人が美徳とする「正直」、「誠実」、「思いやり」、「忠実」などの土台となったものだと思います。卑怯(ひきょう)なことをしないなど、人間の様々な徳の基礎となるものです。「清き明き心」という神道の教えが、古来から日本人を作ってきたと思います。

 3世紀に、当時の中国の魏で書かれた魏志倭人伝という本の中に、当時の日本の生活や風習を記している箇所があります、その中に日本人は、窃盗をせず、訴訟も少ないという記述があります。日本人が古来、穏健で道徳的な生活をしていたことがわかります。逆に考えれば中国には窃盗や訴訟が多かったということでしょう。この記述から、日本では古くから「清き明き心」を大切にしてきた民族だと言えるでしょう。
 第2次世界大戦末期、米国のルーズベルト大統領が病気急死、当時の鈴木貫太郎首相は、米国民に向けて、謹んで心からお悔やみ申し上げますという、弔意を表す談話を発表したのです。そして心を込めた弔電を打ちました。 敵国米国の国民に対し、深い哀悼の意を表したそうです。多くの米国人に、日本の武士道精神の発露として米国民に大きな感銘を与えたと言われています。アメリカ亡命者で作家のトーマス・マンというドイツ人がいましたが、ドイツでは、敵国大統領が死んで、国中が喜んでいるのに、日本の首相は敵国の大統領の死を悼む弔電を送ってきた。やはり日本はサムライの国だと言って、日本人の礼節の心に最大の賞賛の言葉を贈ったと言われています。日本には古来、死ねば敵も味方もない、安らかに眠ってくださいという死者への弔いの気持ちがあるのです、これも清き明き心だと思います。

 この「清き明き心」を大切にする日本の伝統は、いったいどこから来たのだろうか、聖書の申命記10章に「あなたがたの神、主は……かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる」と、聖書には素人ですが、これは「清き明き心」の源泉であるように思います。
 明治維新を成功させた人々、多くの人は私利私欲では絶対動かない人でした、賄賂を幾ら贈ってもビクとも動かない、国のため、公のためでないと動かない人たちで、古来の心を持った人達です。

 源実朝の歌、「山は裂け 海はあせなむ 世なりとも 君に二心わがあらめやも」とありますが、たとえ山が裂け、海が干上がってしまうような世の中が来ようと、吾が君に二心を持つようなことがありましょうか、謀反の心を持つようなことがありましょうか、いや決してありません、との歌です。二心のない、清き明き心を持って主君に仕える、古来多くの日本人が信条としてきたものと言うことができると思います。
 
 白隠禅師の歌、 「晴れて良し 曇りても良し 富士の山 元の姿は変わらざりけり」、、、晴れても曇っても、富士山の美しさは変わらないと歌いました。周囲の状況に関係がない、私もそのような者でありたい、古来日本人が、清き明き心という言葉で表してきた理想の姿というものがそこにあると思います。

 「清き明き心」は、現代では清く明るい心と書きますけれども、日本書紀の中では、「清き赤き心」 という文字が使われていますが、赤ちゃんの赤、赤子の赤で、これは本来「清く、また赤子のように素直な心」と言うことができると思います。
隣国中国では、親は子どもに何を真っ先に教えるかというと、人に騙(だま)されるなと教えるそうです。中国社会は人間不信の社会で、騙し騙される社会、人に騙されるなよと教えるそうです。賢く立ち回って、うまく世を渡っていきなさいと教えだそうです。
 では我が日本では何と教えますか、まず親は子どもに、ウソをつくなと教えますし、正直、誠実でいなさいと、赤子の魂のときから清き明き心を教えます。日本人の中には古来からの心はちゃんと受け続けられていますね。
 何より、清き明き心を尊ぶ!なぜなら、そういう心が神のみこころを宿すと考えられたからです。日本神道で、清き明き心には、神のみこころに一致した心という意味があるように思います。神のみこころを宿す心、信仰する心とは、清き明き心だと言える思います。
菅原道真の句、 「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照さむ」、海でなくても、深く満ちている水の底までも清いような心には、月の光が照らすという。清き明き心にこそ、神が宿るということです、その清き明き心が、大和心だということが出来ると思います。
 この清き明き心が、どこから来たのでしょうか?神社へ行った時宮司さんに聞いたところ、特に神社では小さいときから清き心を強調されるそうです。清き明き心のルーツはどこにあるのですかと聞いても、日本の古くからの伝統と答えられます、それほどに日本人と一体だということでしょうね。
「清き明き心」は、日本神道のコアの部分と言うべきでしょう。世界にはユダヤ教という民族宗教があるように、日本には神道という民族宗教があって、清き明き心はその日本神道から来ていると言えると思います。
 
 日露戦争中、日本軍に捕まったロシア人捕虜の収容所が、四国の松山にありました。そこには約6000名のロシア人捕虜が収容されていたそうです、県は、「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して敗れた心情をくみとり、一時の敵愾心(てきがいしん)にかられて侮辱を与えるような行動はつつしむこと」と県民に訓告していました、凄いですね。この松山に来た捕虜の大半は、傷病兵でした。彼らに対し赤十字の医師や看護婦らは、懸命に治療と看護に当たりました。手足を失った者には、当時の皇后陛下より、義手や義足が贈られたそうです。
 
 捕虜のF・クブチンスキーの日記にも、敵国でこのようなやさしい思いやりを予期したであろうか、医師や看護婦の献身的な心配りは、真の人間愛の表れである。それは神聖にして不滅のもので、キリストの愛と名づけられるものである、看護に当たった医師や、看護婦たちクリスチャンではありませんでした。彼らは、日本に伝わる清き明き心に従って、行動したのです。その行動はロシア人捕虜の目にはキリストの愛があふれたものに映ったと言われています。当時のロシア軍と言えば、占領した地域を略奪し、強奪の限りを尽くした強盗のような野蛮な軍隊として恐れられていました、そのロシア軍にいたロシア兵が、日本に捕らえられて、捕虜収容所でみた日本人たちの姿は、日記から見ると別世界のものだったようです。
 日露戦争後の明治40年、政府は戦死したロシア兵たちのための忠魂碑を建てています。まず敵兵のために碑を建て、そしてその2年後に、戦死した日本兵のための忠魂碑を建てています。ロシアの戦死者たちのその碑は、旅順の203高地の東側の山の麓にあります、今でも見学できます。日本から大理石を運び、非常に大きなロシア正教風のチャペルと共に建てました。除幕式にはロシア側も呼ばれ、日本の乃木大将も参列しました。ロシア側は感激して、いままで世界の歴史において、敵の忠魂碑を建てた国は日本が初めてである、みな感涙したと言われています。

 鎌倉時代に元寇が日本に攻めてきましたが、モンゴル軍と一緒に来た高麗軍にも、勿論日本の武士たちにもたくさんの戦死者たちが出ました。北条時宗は戦死した敵味方を弔うための寺を建てました、それが鎌倉の円覚寺です。
 
 その後少し時代が過ぎますが、楠木正成が後醍醐天皇のために鎌倉勢と戦ったことがあります。大阪の赤坂村という所に楠木正成が建てた墓があります。味方の墓と、敵の墓が並んで建っているそうです、味方の墓は味方塚といい、敵の墓は寄せ手塚です。敵とは書いていない、敵の墓の方が大きくて立派です。敵も死ねば、味方あるいはそれ以上に弔うという気持ちが、日本人の心だったと思います。 日本を思うとき、このような崇高な民族がいったい他にあっただろうかと思います。何という清き明き心だろうか!わけ隔てしない、偏って愛することをしない!
 
 幕末の時代に駿河湾沖で、政府と幕府の船が戦ったことがありましたが、幕府軍の船は敗れて、沈没しばらくして、駿河湾にその戦死者たちが打ち上げられました。幕府軍の戦死者たちは賊軍でした、そのとき戦死者たちを集めて丁重に葬ったのが、「清水の次郎長」だそうです、実在の人物で、本名を山本長五郎、死んでしまえばみんな仏じゃないか、野ざらしにするなんてとんでもないと言って、彼らを丁重に葬ったそうです。死人に対して温情を示す日本の文化、日本にも、古来、生者にも死者にも温情を示す風習が伝わっているようです。これも清き明き心の表れと見ることが出来ますね。
 極東の東の小国、日本、311等で日本人の道徳心等々、今も世界の国々から道徳心のモデルにされ続けられる日本、古来より素晴らしい心を持って生きてきた日本人、もっと日本に誇りをもっていいと思います。天皇制を頂点とする日本に生まれてよかったと言える日本社会を目指したいですね。

*ネット資料等を多用しています、思いつき、雑文でプログと言うことで。


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