「浜岡原発の運転停止を要請した。」との報道があった。実は、福島原発の事故が起こった時、先ず考えたのが、「東海地震が起こったら、浜岡原発はどうなるだろう」ということであった。浜岡の場合、東京と大阪をつなぐ真ん中に位置するだけに、日本が分断され、収拾がつかなくなることは、容易に予測される。
従って、この判断は、充分に理解できるが、これだけの決断をするのであれば、東海地震に対する対応を早急にする必要がある。国民に対して、根拠となる東海地震の予測について、データとともに、開示すべきであろう。そうでなければ、また、思いつきによる施策としか受け取られない。
「天災は忘れたころにやって来る。」とは、子供の頃よく聞かされたものだが、忘れる間もなくやって来ると考えねばならないのだろう。
今日は「母の日」。妻は、息子の嫁から、プレゼントが届いたと喜んでいる。虚礼廃止とかで、日本の贈り物の習慣は変化したが、見直されても良いのかもしれない。
この原稿は、2か月前に下書きしていたが、3月11日の大震災で、公開のチャンスを逃し、下書きのまま残っていた。
昨年11月に申し込んだ本が図書館から届いた。渡辺淳一の「孤舟」である。新聞の広告によると、定年後の男性の悲哀を描いたものとのことで、一度読むべきとの推薦本である。自分で買って読むほどのことはないと思い、図書館で借りることにしたが、なんと、届くまでに4カ月もかかった。
本の内容自体は、通俗小説で、特にどうということはない。確かに思い当たることは多々あるが、渡辺淳一のように、若い女性とのランデヴーには縁がない。
ただ、男も女も、年をとっても、もっと気持ちを若く生き、恋をしなさいとの主張には賛成である。
定年後、バレンタイン・チョコを貰わないだろうと、妻が義理チョコを机に置いていたが、今年は、それもなかった。最も、私も、ホワイト・デーに贈り物をした記憶がない。
渡辺が描くような夫婦が世の中にいっぱいいるとすると、何年かすると、結婚の形態が変わっているのかもしれない。すでにその兆候は表れているようだ。
さて、「愛」となると、エディット・ピアフであろう。
恋に生き、愛に生きた彼女は、シャンソン界を代表する歌手であり、彼女の歌声は、魂の声といえる。
彼女は1963年に死亡したので、生でその歌を聴く機会はなかった。
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