ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社) ー②ー

2019-06-16 16:03:57 | ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ,Ⅱ 細谷貞雄 監訳

    ハイデガー著「ニーチェ」Ⅰ、Ⅱ(平凡社)

             

             ー②ー 

 さてニーチェは、《新しい価値定立の原理を確立する課題にとって、芸

術こそが決定的意義を持つ》と言います。つまり、変遷流転する「生成」

の世界で絶対不変の「真理」を追い求めても、われわれの理性は「真理」

に到達できず、その喪失感と共にニヒリズムが芽生える。しかし「芸術は

ニヒリズムに対する卓越した反対運動であ」り、「芸術は真理よりも多く

の価値がある」。そして、「われわれは真理のために没落することがない

ようにするために、芸術を持っている」とまで言います。それは「創造す

る」ためには「美への陶酔」が不可欠であり、「美への陶酔」こそが「生

成」の本質「力への意志」にほかならないからです。つまり、「芸術は力

への意志のもっとも透明で熟知の形態である」のです。ただ、「創造する」

行為に「陶酔」が生まれるので、「芸術は芸術家の側から把握されなけれ

ばならない」、創造行為こそが「力への意志」の具現化した姿だと言いま

す。

 世界とは「生成」であるとすれば、「生成」とは変遷流転する世界であ

り、その一方で、「真理」とは固定化した認識で、科学技術はその固定化

した「真理」の追究から派生した固定化した技術である。「生成」の世界

は回帰しながら循環して永劫性を持続するが、科学技術は直線的でやがて

限界に達して持続できなくなる。ハイデガーは、原点を忘れた人間中心主

義の直線的な近代社会を「存在忘却」或は「故郷喪失」と言ったが、それ

は「生成」としての世界を再び取り戻すためにほかならなかった。しかし

、人間中心主義の社会を人間の手によって転換することは自家撞着にほか

ならない。ところが、今や「生成」の世界の限界によって、それは直線的

な科学技術によって「生成」の回帰循環が阻まれて、自然環境の持続可能

性が失われ「生成」への回帰が叫ばれている。かつてハイデガーが主張し

て、しかし諦めざるを得なかった「生成」への回帰が、世界が限界に達し

たことによって、再び見直されようとしている。

 では、「真理」に代わる新しい価値定立としての「芸術」をどう捉えれ

ばいいのだろうか?それに関してすでにニーチェは一つの命題を挙げてい

ます。それは「芸術は芸術家の側から把握されなければならない」と言う

のです。さらに、「芸術と真理との関係について、私はもっとも早い時期

に、重大な問題に気づいた。そして今でも、或る神聖な驚きを抱いてこの

離間の前に立っているのである」と書き残しています。では、芸術と真理

の関係にある「驚愕すべき離間」とはいったい何でしょうか?そもそも芸

術とは「芸術家の側から把握されるとすれば」作品を制作する創造活動で

すが、その創造活動とは「美」の創造にほかならない。そして真理は理性

による認識からもたらされる。つまり、芸術と真理の「驚嘆すべき離間の」

関係は、「芸術と科学的認識との関係、ないしは美と真理との関係として

とらえられなくてはならない。」(本書)本書では以下で芸術と真理の本

質をプラトンのイデアにまで遡って延々と記述されるが、ここでは取り上

げずに私論を述べますが、対象への向き合い方が対照的であると思った。

つまり、芸術は未だ存在しない世界を創造によって制作する行為だが、真

理は既に存在する世界を理性によって認識する行為である。存在者(世界)

に対する向き合い方が「創造」と「認識」では異なるのだ。さらに、芸術

における創作は主観的であり流動的であるが、真理を求める認識は客観的

であり固定的である。そして世界とは変動する「生成」であり「力への意

志」であるなら、世界を固定化によって認識しようとする理性は真理を掴

み損ねてニヒリズムへと頽落する。そこで、「われわれは真理のために没

落することがないように芸術をもっている」。

                          (つづく)


「あほリズム」(506)

2019-06-10 14:38:15 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (506)

 中国がかつての日帝と同じ道を辿っているとすれば、

いずれ対米戦争へ向かわざるを得ない。つまり、彼らの

民主化はすべてを失ってからでないと始まらない。それ

は、「儒教」道徳の呪縛から抜け出せないアジアの宿命

である。


「あほリズム」(505)

2019-06-07 22:47:48 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (505)

 中国共産党はアメリカとの覇権争いで、今やかつての日帝と同じ

道を突き進もうとしている。同じ道というのは「アジア主義」のこ

とだが、ただ、気になるのはアメリカはかつてのような国力を失っ

ていることだ。