「ナショナリスト」
米議会報告書:「安倍首相は強硬なナショナリスト」と懸念
毎日新聞 2013年05月09日 11時36分
(最終更新 05月09日 13時12分)
米議会調査局が今月1日付でまとめた日米関係の報告書の中で、
安倍晋三首相について「強硬なナショナリストとして知られる」と
記述し、首相や政権の歴史認識問題を巡る言動について「地域の関
係を壊し、米国の利益を損なうおそれがあるとの懸念を生んだ」と
指摘していたことが8日、分かった。また、首相の歴史認識問題や
靖国神社参拝などへの取り組みは「米国や近隣諸国から注視される
だろう」と記した。
報告書は、安倍内閣の閣僚らによる靖国神社参拝に対し、中国や
韓国が反発していると紹介。首相について「日米同盟の強力な支援
者として知られる」とする一方、「米国の利益を損なう可能性があ
る地域的な緊張を起こすことなく外交政策のかじ取りをうまくでき
るかという問題に直面している」とした。
具体的には、首相の言動について「帝国主義に基づく侵略や他の
アジア諸国の犠牲を否定する歴史の修正主義を信奉していることを
ほのめかしている」と分析。旧日本軍の慰安婦問題への関与を認め
て公式に謝罪した1993年の河野洋平官房長官(当時)の「談話」見
直しの動きについて「日本と韓国、さらに他の(アジアの)国々
との関係を悪化させるだろう」と指摘した。
報告書は、議会調査局が議員の活動を支援するためにまとめる参
考資料。
* * *
そもそも、何れの国家(NATION)のリーダーたちもナショナ
リストに決まっている。それは何も安倍首相に限ったことではなく、
韓国の大統領も中国の指導者も、アメリカの黒人初の大統領にして
も自国の利益と繁栄を第一義に政治を行っているのだからナショナ
リストに違いない。つまり、ナショナリストでなければ国家のリー
ダーは務まらない。私は、安倍首相が「強硬なナショナリスト」で
あっても一向に構わないと思う。ただ、インターナショナリズムの
下でナショナリズムが他国に受け入れられない時、国内問題だと自
国の正当性を主張するばかりでは埒が明かない。ナショナリストは
同時にインターナショナリストでなければならない。たぶん、米議
会調査局が言いたいのは、安倍総理はナショナリズムに固執してイ
ンターナショナリズムへの理解がないということではないだろうか。
中国に抜かれたとはいえ経済大国の日本のリーダーは偏ったナ
ショナリストではいけないのだ。ただ、国家のリーダーが国民の支
持によって選ばれるのであれば、国民こそがインターナショナリス
トでなければならない。狭いナショナリズムに偏った「井中の蛙」ば
かりではやがて世界から見捨てられるだろう。現に、東アジアの諸
国は我が国の軍隊によって侵略され被害を受けた国ではないか。
わが国が欧米による植民地支配からアジアを守るために、近代社
会への転換を図るあれやこれやの援助をしたとナショナリストの人
々は反論するが、治安を守るために、否、自分たちの権益を守るた
めに軍隊までも派遣駐留させたことは決して口にしない。しかし、そ
れによって侵略の非難は免れず、すべての貢献は徒となる。私は、
「仲間じゃないか」(アジアは一つ)と近付いてきて干渉された揚句、
上手くいかなくなると暴力を振るい、問い詰められると「そんな覚え
はない」と開き直るのは悪人の所業としか思えない。しかも恩だけ
押し付けられるとしたらとても堪えられないだろう。そして、被害者
には加害者が罪の償いを終えたとしても、再び同じ過ちを繰り返そ
うとするなら抗議する権利がある。オウム事件の被害者たちが再
び名前だけを替えて麻原教祖の教義を信奉する団体に対して抗
議する心情は理解できる。だから、侵略された国がわが国の国家
イデオロギーを怖れて抗議するのも筋違いとは思えない。そもそも、
ナショナリズムこそが第一義で、国民の権利は二の次というのであ
れば、すぐにでも学べる理想の国はすぐ近くにある。私は彼国がわ
が国とかけ離れたところに在るとは思っていない。「将軍様、マンセ
ー!」 も 「天皇陛下バンザイ!」も同じメンタリティーではないか。し
かし、ナショナリズムが本来求めているはずの国益を損なわせてま
でもイデオロギーに固執するのであれば、それは本当のナショナリ
ストとは呼べないのではないか。少なくとも、国民主権を憲法で定め、
民主主義政治を布く国家のリーダーは、たとえ自らが「強硬なナショ
ナリスト」であったとしても、暮らしの安全と繁栄を願う主権者である
国民から選ばれた代表である限りは、近隣諸国から相次ぐ非難を
受けてまでも再び誤まった国家イデオロギーを蘇えらせてはならない。
わが国が誤まったのではない、世界が誤まっていたのだ、というのは
何という官僚的な詭弁であるか。国家は決して国民に愛国心を圧し
付けてはならないと思う。国民自ずから愛国心が芽生える国家でなけ
ればならない。国家の繁栄と子孫の幸福のために自らの命を捧げた
英霊たちは、果たして、ふたたび国家のために犠牲になる若者たちを
喜んで迎えるだろうか?ふたたび戦前のような社会に戻ることを願っ
ているだろうか?子孫たちが暮らす国を危うくしてまで参拝されること
を望んでいるだろうか。「八紘一宇」を信じて散って逝った兵どもは、
いまのアジアの対立をどう思っているだろうか?否、今こそアジアは
対立ではなく、「八紘一宇」(インターナショナリズム)の精神に立ち返
るべきではないだろうか、もちろん、天皇陛下の「下に」ではなく。
(おわり)