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マーラー 交響曲第5番/アバド&シカゴSO

2007年02月16日 00時20分01秒 | マーラー+新ウィーン
 こちらは今回のマーラー第5特集(?)に合わせて購入したものです。80年の録音ですからアバドがシカゴの主席客演指揮者をやっていた頃の録音で、当時のアバドは中堅から巨匠をなりかける飛躍期にあたり、シカゴとの相性は抜群、録音も優秀とあって発売直後からとても評価の高かった演奏のように記憶しています。当時はCD2枚組で購入すると五千円以上という価格に手がでず(既にカラヤンの演奏をCDで購入してしまったいたから....)、指をくわえて、レコ芸等の評価だけ読んでいたというアルバムでもありました。当時はそういうの実に多かったです、貧乏だったんですね、いや今でも貧乏ですが(笑)。

 演奏ですが、オケがシカゴで録音が80年ということで、もう少し鋭角的でシャープな演奏を予想していましたが、思いの外柔軟な演奏という印象でした。録音のせいもあるでしょうが、売り出し中だった70年代前半の頃とやや腰高なイメージと比較すると、全体に腰が据わった響きでもって、音楽の核心を骨太に表現していく表現スタイルになっているような気がします。それにしても見事なのは、全編に渡ってもう的確としかいいようがないテンポとリズムです。とにかく全編に渡って、妙な違和感や気を衒ったエキセントリックさが皆無で、とにかくスムースというのはちょっと違うと思いますが、とにかく感覚的に気持ちいい運動性のようなものが全編を貫いているのがいいです。これが古典派のモーツァルトなんかだと、妙な生硬さを感じさせりする訳ですけど、マーラーだとそういうところを一切感じないのはなどうしてなんでしょうかね。ちょっと不思議です。

 また、メインの旋律とその背後で鳴っている様々な要素との絶妙なバランスですね。これまた録音スタイルに大きく関わってくることなのかもしれませんが、アバドの演奏は細部が実に良く聴き取れます。つまり「おや、ここでこんな音なっていたんだ」と思わせるところが随所に出てくる訳ですけど、そういう部分が単に高解像度と音の良さを感心させるのではなく、すぐれて音楽的な響きほさせて、日頃聴こえない音を聴こえてくる必然性のようなものを感じさせてくれる点が素晴らしいと思います。例えば、一見ばらばらな音を際限なく繰り出してきているようなイメージのある第3楽章など、ある意味、構成する音を解体しつつね、なぜか程よくまとまってもいるという、そのあたりのバランス感覚はやはりさすがというべきでしょう。

 そんな訳で、とても聴き応えのある充実した演奏と感じました。実はアバドによるマーラー第5はこの後のベルリンとの再録盤を数年前に購入しているのですが、あちらは聴いていてほとんど印象に残らない演奏だったので、あまりの印象の違いにちょっと驚いているところです(こちらも近日中に聴き返してみる予定ですが....)。
 なお、録音は全体としてはホールトーンをかなり取り入れてマスの響きを重視した今風なものですが、一面70年代のマルチマイク風な解像度至上主義みたいな音づくりも残っていて、一種の過渡期を感じさせます。これが83年の「幻想」なんかになると、もう完全に今風なほとんどワンポイントといいたいような響きになるんですけどね。

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