透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

重要文化財 旧開智学校

2016-08-29 | A あれこれ



■ 女鳥羽川沿いにあった頃の開智学校の裏側(西側)。開智学校の正面は東を向いていたが、現在地に移築するとき、正面は南に向けられた。



松本市中央図書館3階から見る旧開智学校の裏側(北側)(上の写真と同じ面)



こちらがおなじみの正面(南側)。

設計・施工は地元松本の宮大工・立石清重。デザイン力があり、塔をきちんと造るという意識が感じられる、とは昨日(28日)に行われた講演会での藤森照信氏の弁。講演会では旧開智学校の重要文化財指定の裏話を聞くことができた。

旧開智学校が重文に指定された1961年(昭和36年)当時、審査にあたっていた内田祥三先生は、辰野金吾の作品が重文に指定されていないのに、大工の造った建築を認めるわけにはいかないと・・・。それを説得したのが関野克先生。松本まで出かけて実際に開智学校を見てもらう必要があったのだが、昭和の大修理(1950年~1955年)を終えた松本城を見に行く「ついで」に見てもらって、まあ仕方がないか ということになったとのことだった。で、旧開智学校は大工の作品で最初の重文になったという。

9月17日から始まる「重要文化財旧開智学校校舎創建140周年記念特別展」は是非観たい。


過去ログ1

過去ログ2




市内を流れる女鳥羽川沿いにあったこの学校はたびたび水害を受けたようで、明治29年7月の大雨による被害の様子を写した写真が校舎内に展示されている。