透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

14 脳内検索

2012-07-19 | C 名刺 今日の1枚



14  Mさん

 しばらく前に友人と知人の違いについて、食事をしたことがあれば友人、なければ知人と書いた。これは私の見解だが、用事がなくても電話できるのが友人、できないのが知人という説明も聞いたことがある。

私の見解によればMさんは友人ということになり、用事がないのに電話やメールをしたことはないから後者によれば知人ということになる。

Mさんと久しぶりに会った。

情報の整理・管理の方法について、それから、伊勢物語の東下りに出てくる歌、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしや」のこと、などなど、話題はあちこちに及んだ。

情報に関しては、食材を売っている店で食材を保存する容器や食器、料理のレシピ本などを一緒に扱うことで売り上げを伸ばしているという事例を挙げ、その理由として、いままで別々に扱っていた商品を「料理」という視点でひとつに括ることで消費者にはバラバラに扱うより魅力的に映り、購買意欲が増すことがあるのではないか、といったことを私は話した。

全く関係がないと思われているものが見かたによっては密接な関係にあるものになるということ、そのような視点でものを見ることができればおもしろい、と私は常々思っている。

それから都鳥の歌の前、渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、この「なむ」については脳ミソの隅っこから係り結びに関する基礎知識をひっぱり出して、「ぞ なむ や か 連体」、「こそ 已然」だったよねと話した。「いまこそ 分かれめ」 この分かれめは分かれ目ではない。古文に関しては情けないことにこのくらいのことしか覚えていない・・・。



Mさんと話をするときは脳内を検索して辛うじてヒットするような知識も時々必要になる。で、無知をさらすこともよくある。

5月にプライベートな名刺をつくって2ヶ月。さて、この先どんなひとに名刺を渡すことになるだろう・・・。


 


288 池田町会染の火の見櫓

2012-07-18 | A 火の見櫓っておもしろい

 
288

 鉄道マニア(鉄ちゃん、鉄子さん)には興味の対象がいくつもあるようだが、その代表的なものは「乗り鉄」と「撮り鉄」ということになるのだろうか。

同じ撮り鉄でも自らさらに厳しい条件をつけてハードルをあげている鉄ちゃんも多いらしい。例えば、撮影スポットまで車で行くにしても高速道路を使わないとか、誰も乗っていないグリーン車を撮るとか、必ず夕景をバックに列車を撮るとか・・・。

では、同じ鉄でも火の見櫓のファン、火の見ヤグラーの場合はどうだろう・・・。まだジャンル分けをするほど数が多くないかもしれないが、じっくり火の見櫓を細部まで観察する人もいるだろうし、見つけた火の見櫓の写真を撮ればそれで満足、という人もいるだろう。

趣味の世界は他人(ひと)の理解を超えたところにあるのだから、人それぞれで一向に構わないと思う。で、私の場合はといえば、最近は撮り鉄というか撮り櫓ということになるかもしれない。見つけた火の見櫓の写真を撮るだけで満足している。細部までじっくり観察しよう、という気持ちにはなぜかあまりならない。



この火の見櫓は安曇野市明科と境を接している池田町会染の集落内にある。県道51号線を車で走っていて気がついた。最近のことだ。

池田町でよく見かけるタイプとは明らかに違う。明科にある火の見櫓に似ていると思ったが、やはりしばらく前に載せた明科の火の見櫓と同じ鉄工所で造られたものだった。全体的によくまとまった造形だ。



櫓の外に設置された梯子から櫓中間の踊り場に入り込む。そのための造形。



柱脚廻り 



銘板 波場鐵工場 昭和37年10月建設 


 


「日本美術史」

2012-07-18 | A 読書日記



■ どうやら梅雨があけたらしい。で、一気に夏モード全開。昨日(17日)はとにかく暑かった。

今月はあまり読書モードにはならず、ようやく『日本美術史』 監修:辻惟雄/美術出版社 を読み終えた。カバーに**美術愛好者の手引きとして、また、学生の参考書として最適の入門書**とあるが、確かにざっくりと日本の美術史を押さえるには好書だと思う。

本書の近代(明治から戦前の昭和まで)の小見出しは「混乱の時代」、「秩序を求めて」、「若々しき創造の時代」となっている。

「混乱の時代」で、この章の著者、田中日佐夫氏は**明治維新という一種の革命のあとで、明治初期の美術は未分化の混沌とした状態に陥った。
江戸時代までの流れを引き継ぐ絵画の領域にあっては、主題や画面上の構図の混乱、またエスプリの喪失などを見て取ることができる。絵画に限らずすべての芸術にたずさわる人は新しい時代を表現する様式を求められて我を忘れたのである。**(154頁)と指摘している。

この国の芸術(美術、工芸)は長い長い時の流れを経て、江戸も後期になって成熟期を迎えていたということが本書を読むとよく分かる。が、その先に明治維新が待っていたわけで、ここで西洋の文化、芸術がどっと押し寄せ、混乱を招くことになる。それは世界の歴史的な流れからして必然であったように思う。そのことがこの国の文化、芸術にとって幸福なことであったのかどうか・・・。

明治維新をこの国の芸術の流れの中でどう考えるか、どう位置付けるかについて、自分なりの見解というか、結論を見い出すという作業をしなくてはならないだろう・・・。

そういえば以前(20110424)こんな会話をしていた。(過去ログ

「ボクは電力消費ゼロの江戸時代に学ばなくてはならないのではないかってこの頃思うね」
「江戸時代の暮らしに今に活かせるヒントがある・・・」

「そう。江戸時代は日本の伝統的な文化が成熟した時代だよね。それが、明治になって西欧の文化を取り込む際、千年以上も連綿と継承されてきた伝統文化をほとんど断ち切ってしまったことがまずかったのではないかと思う。建築なんてまさにそう」

「そうなんですね・・・。江戸までは夜になれば随分暗いところで過ごしたわけですね。でもその暗さが例えば蒔絵などの工芸を育んだともいえるんですよね」
「そうだね、蒔絵って暗い空間で観るからいいんだね。というか、暗い空間で鑑賞する芸術だよね。他にもあるね、きっと。例えば月を愛でるとかさ」

「そういえば谷崎が「陰翳礼讃」で日本の空間の暗さを評価しましたね」
「そうだね。日本には空間の暗さが育んだ文化があったんだよね。でもそういう暗さを日本人はいつのまにかなくしてしまった」

「そうか・・・」


本書を読んで、例えば根津美術館やサントリー美術館に出かけてもいままでとは違って展示品を興味を持って観ることができる、と思う。


― 「タワー 内藤多仲と三塔物語」

2012-07-16 | A 火の見櫓っておもしろい



 フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を観るのはあきらめた。で、別の展覧会「生きるための家 次世代建築家による39の提案」を観ようと東京都美術館の館内に入った。なかなか興味深い提案もあったが内容については省略する。

ミュージアム・ショップでこの本を見つけて買い求めた。内藤多仲は塔博士としてその名をよく知られている。多仲が戦後、構造設計を行ったタワーがこの本に紹介されているので挙げておく。

名古屋テレビ塔、(昭和29年)、通天閣(昭和31年)、別府テレビ塔(昭和32年)、札幌テレビ塔(昭和32年)、東京タワー(昭和33年)、博多タワー(博多ポートタワー 昭和39年) 以上の6つ。東京タワーは6兄弟の5番目ということになる。


 ここに以前このブログ書いた記事を再掲する。

下図のように片持ちの棒状の構造物が等分布荷重を受ける時の曲げモーメント図(BMD)を立てて左右対称にした形と相似をなすフォルムが構造的に合理的で美しい、ということになるでしょう。東京タワーがその実例です。


(ネット検索で見つけた図を使わせていただきました。)


この本には東京タワーの構造設計にかかわった田中彌壽雄さんという方へのインタビューが載っている。その中に次のような説明がある。

**先生(内藤多仲のこと:筆者注)は「構造合理性」とおっしゃっていました。力学的に無理がない、素直なものということです。東京タワーが出来た時、エッフェル塔に似ているという批判もあったようですが、無理なくやれば形が同じになるのは当たり前、「自然の成り行き」だと、先生は自信をもっておられました。曲げモーメント図に類似した形が、構造合理性を持つ形なのです。(後略)** 61頁

私は機会あるごとにこの説明と同じことを言ってきた。それが的外れな指摘ではないことを理解してもらえる文章に出会ったことをうれしく思う。

火の見櫓の形は「構造合理性」による必然、だから美しいのだ。


 
辰野町本町の火の見櫓  形が東京タワーとよく似ている。


 


フェルメール@銀座

2012-07-16 | A あれこれ



 東京銀座は松坂屋の隣、銀座ソトコトロハス館で開催中の「フェルメール 光の王国展」を観てきました。フェルメールの全作品37点(*1)のり・クリエイト(フェルメール・センター・デルフトから提供された画像データをもとに再制作した)作品が展示されています。

*1 真贋定かでない作品もあって総点数にはいくつかの説があるようです。36点とか、厳しく32点とする説もあります。

展覧会の監修はあの福岡伸一さん。福岡さんは個人所有の作品2点と盗難にあっている作品1点を除き、足かけ4年にわたって全ての作品を観たという大のフェルメールファン。

この展覧会がフェルメール作品鑑賞の入門企画、かどうかは分かりませんが、まあそのような位置づけで観に行くのがいいかもしれません。

フェルメール(17世紀のオランダの画家)に関心のある方でしたら、上の写真をご覧になってあれ?って思われたかもしれませんね。会場の一角に「手紙を書く婦人と召使い」の部屋が再現されていました。ここで記念写真を撮ってくださ~い、というわけです。いいですね、こういう試み。

会場内で展示作品の撮影もOK、ということでした(フラッシュの使用は禁止)。

 

□ 真珠の首飾りの女 1664年頃/ベルリン国立絵画館 上野の国立西洋美術館に来ています。



この絵について画家の赤瀬川原平さんは**人物のおこないがやや通俗的で、フェルメール的な魅力に乏しい。表情も説明的で、直立した人体に面白みがない。**と厳しい評価をしています(『赤瀬川原平の名画探検 フェルメールの眼』講談社)。カーテンや女性の服の質感が私は好きですけどね。女性の顔の表情も優しい眼もいいと思います。



□ 真珠の耳飾りの少女 1665―66年頃/マウリッツホイス美術館 この少女は現在上野の東京都美術館に来ています。



一番人気の作品ですね。フェルメールの描いた女性って、私は美人じゃないと思いますが、この少女だけはかわいいと思います。ふり返りのポーズって女性を魅力的にするんです、これホント。

昔、エメロンのテレビコマーシャルでありましたよねって、ある年齢以上の方でないと分からないと思いますが・・・。♪ ふりむかないで~ 松本のひと この時ふりむいたのは同級生の妹さんでした。

この絵を観ようと、リニューアルオープンした東京都美術館に出かけたのですが、長蛇の列でした。80分待ちと分かってあきらめました。それにしても350年も前に描かれた少女がこれほど多くの人を惹きつけるなんて、凄いことですね。



 


― 消防博物館@新宿区四谷三丁目

2012-07-16 | A 火の見櫓っておもしろい

 
町火消の枠火の見(博物館5階に展示されている江戸の町並みを再現したジオラマ)

火の見櫓のない町には自身番(自警団の屯所)の屋根に梯子を立てて半鐘を吊るしただけの簡便な火の見梯子が設置された。




町火消の火の見櫓

町方における火の見櫓は、享保年間(1716―36)に10町に1ヶ所づつ建てられたといわれ、形は定火消の火の見櫓とほぼ同じであるが周囲の蔀(しとみ)は黒渋塗りで、下部まで張っていない。土地の高低にもよるが武家地の火の見櫓より高さは、低く作られた(同館の説明文を引用)。


定火消の火の見櫓の内部構造模型

江戸の町に火の見櫓が登場したのは、万治元年(1658)、定火消制度が創設された頃で、定火消し屋敷内に火の見櫓が設置された。江戸中で定火消屋敷の火の見櫓が最も格式が高く、記録によると高さは、およそ五丈(約15m)内外と定められていた。火の見櫓の構造は、外周は素木の生渋の蔀で、上部は廻り四方が見渡せる構造になっており太鼓と半鐘が設置されていた(同館の説明文を引用)。



大名火消の火の見櫓

定火消の火の見櫓より低く、周囲は黒塗り、上部には板木が吊るされ、特別の家柄を除き江戸城の方角を塞ぐことになっていた。設置を許されていたのは八万石以上の大名火消と20家の火消役で、大名でも、外様大名には許されなかった(同館の説明文を引用)。


 


スターバックス@上野公園

2012-07-16 | B 繰り返しの美学



 数ヶ月ぶりの週末東京。上野公園にスターバックスができていた。

等間隔に並べた陸梁(ろくばり)を大きく持ち出して、方杖(斜材)で支えている。衒(てら)いのない堅実なデザイン、上手い。木造の架構の場合は特に「繰り返しの美学」が映えると言うか活きる。

昨日(15日)の東京は暑かったが、このテラスは涼しげで、どこか避暑地のような雰囲気だった。また機会があればじっくり観察したい。そしてのんびりコーヒーを飲みたい・・・。



 


287 骨太

2012-07-14 | A 火の見櫓っておもしろい

 
287 岡谷市川岸上





骨太。

なんてったって、アイド~ル じゃなかった、なんてたって、脚が単材で補強もなしだぜ。


火の見櫓巡りの記録 ようやく終わったぜ! 夏休みの宿題を1日で終わらせたような気分だぜ。(アルコール効果でぞんざいな言葉使いになっています。m(__)m )


282 長身

2012-07-14 | A 火の見櫓っておもしろい

 
282 箕輪町北小河内

 箕輪町の火の見櫓巡りは予定外だった。県道19号線を南下、箕輪町に入ってまもなくこの背の高い火の見櫓に遭遇した。

梯子の段数を数え、1段の高さを測る。段数35、1段の高さ約45センチメートル。従って見張り台までの高さはおよそ16メートル。見張り台の床から屋根のてっぺんまでを2.5メートルとすると火の見櫓の高さはおよそ18.5 メートル。このようにすればおよその高さを知ることができる。

逓減率(櫓の絞り込み度を一番下と一番上の横架材の長さの比でとらえた値。多重塔の捉え方に倣って定義した)がかなり大きい櫓だ。





分団屯所の側壁に設置されている消防信号板 下は松本市芳川で撮影したもの。火の見櫓のデザインはみなちがう、でも消防信号はみなおなじ。