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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 「タワー 内藤多仲と三塔物語」

2012-07-16 | g 火の見櫓考〇



 フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を観るのはあきらめた。で、別の展覧会「生きるための家 次世代建築家による39の提案」を観ようと東京都美術館の館内に入った。なかなか興味深い提案もあったが内容については省略する。

ミュージアム・ショップでこの本を見つけて買い求めた。内藤多仲は塔博士としてその名をよく知られている。多仲が戦後、構造設計を行ったタワーがこの本に紹介されているので挙げておく。

名古屋テレビ塔、(昭和29年)、通天閣(昭和31年)、別府テレビ塔(昭和32年)、札幌テレビ塔(昭和32年)、東京タワー(昭和33年)、博多タワー(博多ポートタワー 昭和39年) 以上の6つ。東京タワーは6兄弟の5番目ということになる。


 ここに以前このブログ書いた記事を再掲する。

下図のように片持ちの棒状の構造物が等分布荷重を受ける時の曲げモーメント図(BMD)を立てて左右対称にした形と相似をなすフォルムが構造的に合理的で美しい、ということになるでしょう。東京タワーがその実例です。


(ネット検索で見つけた図を使わせていただきました。)


この本には東京タワーの構造設計にかかわった田中彌壽雄さんという方へのインタビューが載っている。その中に次のような説明がある。

**先生(内藤多仲のこと:筆者注)は「構造合理性」とおっしゃっていました。力学的に無理がない、素直なものということです。東京タワーが出来た時、エッフェル塔に似ているという批判もあったようですが、無理なくやれば形が同じになるのは当たり前、「自然の成り行き」だと、先生は自信をもっておられました。曲げモーメント図に類似した形が、構造合理性を持つ形なのです。(後略)** 61頁

私は機会あるごとにこの説明と同じことを言ってきた。それが的外れな指摘ではないことを理解してもらえる文章に出会ったことをうれしく思う。

火の見櫓の形は「構造合理性」による必然、だから美しいのだ。


 
辰野町本町の火の見櫓  形が東京タワーとよく似ている。


 

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― 消防博物館@新宿区四谷三丁目

2012-07-16 | g 火の見櫓観察記

 
町火消の枠火の見(博物館5階に展示されている江戸の町並みを再現したジオラマ)

火の見櫓のない町には自身番(自警団の屯所)の屋根に梯子を立てて半鐘を吊るしただけの簡便な火の見梯子が設置された。




町火消の火の見櫓

町方における火の見櫓は、享保年間(1716―36)に10町に1ヶ所づつ建てられたといわれ、形は定火消の火の見櫓とほぼ同じであるが周囲の蔀(しとみ)は黒渋塗りで、下部まで張っていない。土地の高低にもよるが武家地の火の見櫓より高さは、低く作られた(同館の説明文を引用)。


定火消の火の見櫓の内部構造模型

江戸の町に火の見櫓が登場したのは、万治元年(1658)、定火消制度が創設された頃で、定火消し屋敷内に火の見櫓が設置された。江戸中で定火消屋敷の火の見櫓が最も格式が高く、記録によると高さは、およそ五丈(約15m)内外と定められていた。火の見櫓の構造は、外周は素木の生渋の蔀で、上部は廻り四方が見渡せる構造になっており太鼓と半鐘が設置されていた(同館の説明文を引用)。



大名火消の火の見櫓

定火消の火の見櫓より低く、周囲は黒塗り、上部には板木が吊るされ、特別の家柄を除き江戸城の方角を塞ぐことになっていた。設置を許されていたのは八万石以上の大名火消と20家の火消役で、大名でも、外様大名には許されなかった(同館の説明文を引用)。


 

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287 骨太

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記

 
287 岡谷市川岸上





骨太。

なんてったって、アイド~ル じゃなかった、なんてたって、脚が単材で補強もなしだぜ。


火の見櫓巡りの記録 ようやく終わったぜ! 夏休みの宿題を1日で終わらせたような気分だぜ。(アルコール効果でぞんざいな言葉使いになっています。m(__)m )

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286 短い脚

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記


 
286 岡谷市川岸中


そ、それにしても短い


地元川岸小学校の児童の作品


 

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285 ごちゃごちゃ

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記



 
285 箕輪町東箕輪 




好きじゃないぞ、こんなごちゃごちゃ!(現在アルコール効果で言葉が乱れております。)


 

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284 箕輪町の火の見櫓

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記

 
284

名も知らぬ集落内で見かけた小さな火の見櫓  

足もとにホース格納箱をうまく納めてあるじゃん。すきだな、こういうプリミティブなヤツ。


 

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283 スピーカーに囲まれた半鐘

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記

 
283 箕輪町南小河内



半鐘が男でスピーカーが女だったら、モテモテ状態なんだが・・・。いかん、食前のビールが効いてきた。アルコールなブログじゃないぞ。


 

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282 長身

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記

 
282 箕輪町北小河内

 箕輪町の火の見櫓巡りは予定外だった。県道19号線を南下、箕輪町に入ってまもなくこの背の高い火の見櫓に遭遇した。

梯子の段数を数え、1段の高さを測る。段数35、1段の高さ約45センチメートル。従って見張り台までの高さはおよそ16メートル。見張り台の床から屋根のてっぺんまでを2.5メートルとすると火の見櫓の高さはおよそ18.5 メートル。このようにすればおよその高さを知ることができる。

逓減率(櫓の絞り込み度を一番下と一番上の横架材の長さの比でとらえた値。多重塔の捉え方に倣って定義した)がかなり大きい櫓だ。





分団屯所の側壁に設置されている消防信号板 下は松本市芳川で撮影したもの。火の見櫓のデザインはみなちがう、でも消防信号はみなおなじ。




 

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281 跨ぐ3

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記


281 辰野町樋口

消防倉庫(コンクリートブロック造)を跨いでいるけれど、がに股にはなっていない。倉庫が大きくないことと脚間が広いことに因るのだろう。





踊り場にも半鐘が吊るしてある。切妻の屋根が架けられているところに半鐘を雨から守り、大切にしようという地域の人たちの気持ちが表れている。


以上で今回(120714)の辰野町火の見櫓巡りは終わり。

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280 化粧直し

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記


 
280 辰野町赤羽

 ホース乾燥用塔が付いていて櫓の印象がかなり違っている。やはり火の見櫓に余分なものは無い方がすっきりしていていい。





梯子を櫓内部に設置するためには出入口をつけなければならない。この火の見櫓のように正面だけブレースを付けていない例は多い。でも4面とも脚部はブレースなし、アーチ型のトラスが好ましい。

化粧直しした火の見櫓の美しいこと、錆びた火の見櫓とは大違いだ。


 

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279 みどりの屋根

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記



 
279 辰野町平出上町

県道19号線を南下していて遭遇。



みどりの屋根、軒先のラインと横葺きのジョイント部分のラインが平行になっていない。屋根面がすこし歪んでいるようだ。



下から踊り場まで外梯子を架けるというのがどうもこの辺りの標準的なタイプのだようだ。櫓の末広がりの曲線がなめらかで美しい。

櫓の脚元の紫陽花がきれい。


 

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278 跨ぐ2

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記



 
278 辰野町平出上町

 前稿の火の見櫓に続き、この火の見櫓も水防倉庫を跨いでいる。現在は垂直柱の上の踊り場まで、櫓正面に向かって右側に梯子が設置されているが、建設当初は正面に梯子が設置されていたことが容易に推察できる。踊り場のところの正面以外の構面にはブレースが入っているから。正面の梯子が邪魔になって、後年側面に設置しなおしたのだろう。梯子の下端が接地していない状態で、しかもあまり関心できない固定の仕方からもそのように推察できる。


 

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277 跨ぐ

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記

 
277 辰野駅近くの火の見櫓

 前稿に載せた火の見櫓を線路を跨(また)ぐ陸橋から観察していて、この火の見櫓に気がついた。
火の見櫓センサーの感度は良好だ。



消防倉庫をがに股で跨いだり、倉庫に脚が貫通している火の見櫓って県の南部に多いように思う。伊那谷は跨ぐタイプ、諏訪から茅野、原村方面は貫通タイプと類別できるような印象だがどうだろう・・・。

それにしてもこの手の火の見櫓をみるにつけ何でわざわざ、と思ってしまう。隣地に建てればいいのに「何でわざわざ」こんなことをしたのだろう・・・。

大きな構面にもかかわらずリング式ターンバックル付きのブレースをひたすら使っている。 脚部が貧弱な印象だがどうだろうか。下の写真をよく見ると手前の柱から横材を倉庫に刺しているように見えるが現場では気がつかなかった。

現場での観察が足りない・・・。反省。


 

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276 屋上の火の見櫓

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記




276 辰野町本町の火の見櫓 撮影120714

 先日所用で辰野町まで出かけたが、その際町役場の近くでこの火の見櫓を見つけた。移動中の車から見たのだが、火の見櫓はどうやら屋上に立っているようだった。

今日(14日)改めて出かけて観察してきた。市街地にあって、近づきすぐると櫓の全体像を見ることができない。特に柱脚部分は無理だ。

 

この火の見櫓は辰野駅からも近い。飯田線と中央本線を跨ぐ陸橋の上からようやく火の見櫓の全貌をみることができた。なかなか洗練されたフォルムだ。東京スカイツリーの登場で今やすっかり陰の薄い東京タワーと似ている。



反りの強いとんがり屋根。4隅には太い蕨手。屋根下のスピーカーはアクセサリーと見做すには物々しい。やはり無い方がいい。



脚部はがっちりとしたトラス構造。その直上は垂直部材で各構面を2分割して、ブレースを2つずつ入れている。


辰野町第八分団本部屯所(詰所)  火の見櫓はこの屯所(鉄筋コンクリート造2階建)の屋上に立っている。



近くで見上げるとすごい迫力。登るのが怖そうだ・・・。


 

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275 丘の上の火の見櫓

2012-07-14 | g 火の見櫓観察記


 
275 辰野町辰野

 この火の見櫓も先日所用で辰野町に出かけた際に見つけていた。天竜川の河岸段丘の上の段にあって、街中からでも存在に気がつく。細い坂道を車で上ってここまで来るのは大変だった。

見張り台に立てば辰野町の中心市街地を一望することができるだろう。




 

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