透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

288 池田町会染の火の見櫓

2012-07-18 | A 火の見櫓っておもしろい

 
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 鉄道マニア(鉄ちゃん、鉄子さん)には興味の対象がいくつもあるようだが、その代表的なものは「乗り鉄」と「撮り鉄」ということになるのだろうか。

同じ撮り鉄でも自らさらに厳しい条件をつけてハードルをあげている鉄ちゃんも多いらしい。例えば、撮影スポットまで車で行くにしても高速道路を使わないとか、誰も乗っていないグリーン車を撮るとか、必ず夕景をバックに列車を撮るとか・・・。

では、同じ鉄でも火の見櫓のファン、火の見ヤグラーの場合はどうだろう・・・。まだジャンル分けをするほど数が多くないかもしれないが、じっくり火の見櫓を細部まで観察する人もいるだろうし、見つけた火の見櫓の写真を撮ればそれで満足、という人もいるだろう。

趣味の世界は他人(ひと)の理解を超えたところにあるのだから、人それぞれで一向に構わないと思う。で、私の場合はといえば、最近は撮り鉄というか撮り櫓ということになるかもしれない。見つけた火の見櫓の写真を撮るだけで満足している。細部までじっくり観察しよう、という気持ちにはなぜかあまりならない。



この火の見櫓は安曇野市明科と境を接している池田町会染の集落内にある。県道51号線を車で走っていて気がついた。最近のことだ。

池田町でよく見かけるタイプとは明らかに違う。明科にある火の見櫓に似ていると思ったが、やはりしばらく前に載せた明科の火の見櫓と同じ鉄工所で造られたものだった。全体的によくまとまった造形だ。



櫓の外に設置された梯子から櫓中間の踊り場に入り込む。そのための造形。



柱脚廻り 



銘板 波場鐵工場 昭和37年10月建設 


 


「日本美術史」

2012-07-18 | A 読書日記



■ どうやら梅雨があけたらしい。で、一気に夏モード全開。昨日(17日)はとにかく暑かった。

今月はあまり読書モードにはならず、ようやく『日本美術史』 監修:辻惟雄/美術出版社 を読み終えた。カバーに**美術愛好者の手引きとして、また、学生の参考書として最適の入門書**とあるが、確かにざっくりと日本の美術史を押さえるには好書だと思う。

本書の近代(明治から戦前の昭和まで)の小見出しは「混乱の時代」、「秩序を求めて」、「若々しき創造の時代」となっている。

「混乱の時代」で、この章の著者、田中日佐夫氏は**明治維新という一種の革命のあとで、明治初期の美術は未分化の混沌とした状態に陥った。
江戸時代までの流れを引き継ぐ絵画の領域にあっては、主題や画面上の構図の混乱、またエスプリの喪失などを見て取ることができる。絵画に限らずすべての芸術にたずさわる人は新しい時代を表現する様式を求められて我を忘れたのである。**(154頁)と指摘している。

この国の芸術(美術、工芸)は長い長い時の流れを経て、江戸も後期になって成熟期を迎えていたということが本書を読むとよく分かる。が、その先に明治維新が待っていたわけで、ここで西洋の文化、芸術がどっと押し寄せ、混乱を招くことになる。それは世界の歴史的な流れからして必然であったように思う。そのことがこの国の文化、芸術にとって幸福なことであったのかどうか・・・。

明治維新をこの国の芸術の流れの中でどう考えるか、どう位置付けるかについて、自分なりの見解というか、結論を見い出すという作業をしなくてはならないだろう・・・。

そういえば以前(20110424)こんな会話をしていた。(過去ログ

「ボクは電力消費ゼロの江戸時代に学ばなくてはならないのではないかってこの頃思うね」
「江戸時代の暮らしに今に活かせるヒントがある・・・」

「そう。江戸時代は日本の伝統的な文化が成熟した時代だよね。それが、明治になって西欧の文化を取り込む際、千年以上も連綿と継承されてきた伝統文化をほとんど断ち切ってしまったことがまずかったのではないかと思う。建築なんてまさにそう」

「そうなんですね・・・。江戸までは夜になれば随分暗いところで過ごしたわけですね。でもその暗さが例えば蒔絵などの工芸を育んだともいえるんですよね」
「そうだね、蒔絵って暗い空間で観るからいいんだね。というか、暗い空間で鑑賞する芸術だよね。他にもあるね、きっと。例えば月を愛でるとかさ」

「そういえば谷崎が「陰翳礼讃」で日本の空間の暗さを評価しましたね」
「そうだね。日本には空間の暗さが育んだ文化があったんだよね。でもそういう暗さを日本人はいつのまにかなくしてしまった」

「そうか・・・」


本書を読んで、例えば根津美術館やサントリー美術館に出かけてもいままでとは違って展示品を興味を持って観ることができる、と思う。