透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

平成の職人 祭り屋台を造る

2006-07-02 | A あれこれ

祭り屋台新造を記録したDVD(0607) 

日本三大美祭、そのひとつに数えられる飛騨の高山祭り。春、桜の咲く街を豪華な祭り屋台が進んでいく・・・。祭り屋台は飛騨の人々の心意気の結晶だ。 旦那衆は資金を惜しみなく提供し、匠は技術を持って応える。

江戸時代にはこうして造られた祭り屋台だが、明治以降は修理を繰り返すだけで新しく造られていないという。 平成元年、屋台新造の計画が実施に移される。綿密な調査に基づいて新しい祭り屋台の設計図が描かれる。腕のいい宮大工が材木選ぶ。原寸図を描く。屋台の部品を試作して細部を詰める。彫刻、金具、漆塗り。

高岡、輪島、京都 日本各地の職人達がこのプロジェクトに関わる。その数、150人。彼らの技が結集され、平成の祭り屋台が次第に形を成していく。職人達が持てる技を出し尽くした平成の祭り屋台が完成する。

このドキュメンタリーはそのプロセスを丁寧に追っている。 この仕事を支えたのは、たったひとりの篤志家だった。腕を振るう職人はまだまだいる、ということをこの記録映画は示している。いい仕事があれば・・・。

建築文化を支える職人達の技、その技を守り継承していくこと、最早それは国の責務ではないのか。

*屋台は山車とも呼ばれるがこの記録映画のナレーションに従った。

紫陽花のタペストリー

2006-07-01 | A あれこれ


長谷寺の紫陽花 0606 

あじさいの鎌倉

3方を山に囲まれ相模湾に向かって開けている町。
この寺も山の斜面に立地している。
6月、境内の斜面は紫陽花で埋め尽くされる。
20種類以上の紫陽花が咲き競う。
鎌倉で紫陽花といえば明月院が有名だが、ここ長谷寺も素晴らしい。
そぼ降る雨の日だったら・・・。



 


あじさいの鎌倉

2006-07-01 | A あれこれ



長谷寺にて(2006.06.24) 

 紫陽花は微妙に色合いの違う花を咲かせる。土壌のpHによって色が変わるということを聞くがどうだろう。日にちの経過に伴って色が変わるとも聞く。左(上)の紫陽花の青紫から右(下)の紫陽花の赤紫までの色合いの連続的な変化。私はこの辺りの色相帯の色が好きだ。

ところで言葉に載せている意味は、人によって微妙に異なる。この紫陽花の色のように。世界は言語によって知覚されると言うのだが、その言語の意味合いが人それぞれ異なるのだから、「同じ世界」を共有するということは厳密に言えばあり得ないということになる。

ふたりが同じ花をみて美しいと言っても、知覚し認識する花も、美しいという言葉の意味も微妙に違っている・・・。美しい、と感性で知覚すると考えるのなら尚更違うだろう・・・。 人はそれぞれ「別の世界」を生きているのだ。


鉄平石菱葺き

2006-07-01 | A あれこれ

茅野市内の民家 (0606)

  こちらは、茅野市内で見かけた鉄平石菱(ひし)葺き屋根。この地方は鉄平石の産地。諏訪の建てぐるみの民家の写真を以前載せたが、その屋根もこれと同じ葺き方だった。

天然石は丈夫で長持ちだが屋根材として使う場合には鉄板などの材料と比べると重いことに留意する必要がありそうだ。 床材として使った例は見かけることがあるが、屋根材として使った例はあまり見かけない。確か松本市美術館のレストラン・情報交流館の屋根がそうだった。

繰り返す。自然素材は人に優しい、景観にも優しい。

玄昌石うろこ葺き

2006-07-01 | A あれこれ

民家の記録 仙台市郊外の女川町にて(7903) 

東京駅の屋根 (0606) 

■ 宮城県仙台市の郊外、女川町の辺りは国内では数少ない粘板岩の一種、玄昌石の産地。

私が訪ねた30年近く前にはこのように外壁に玄昌石を張った民家が点在していた。現在でも残っているのだろうか・・・。 魚のうろこに似ているのでうろこ葺きと呼ばれる。壁だから、うろこ張りとした方が適切かも知れないが。他に亀甲葺きと呼ばれる葺き方もある。どちらも一段毎、千鳥に材料を並べる一文字葺きの仲間。

「地産地消」と最近よく耳にする。地元で採れる食材を地元で消費しましょうということだが、昔は建築の場合もそうだった。地元で産する建材を地元で使う。今のように流通が盛んでなかったころの必然だ。

下の東京駅の屋根の写真は細部が分かりにくいが、民家の外壁と同じ玄昌石のうろこ葺き。宮城の玄昌石を使っていると以前何かの本で読んだ。 自然素材は人に優しい、そして景観にも優しい。