唐招提寺金堂の小屋組み 講演資料から(060723)
■ 昨日、豊島公会堂(池袋)で開催された公開講座に参加した。
「日本の木造建築の魅力と匠たちの技」
薬師寺大伽藍の再建と西岡棟梁の仕事 講演・石川博光さん
唐招提寺平成の大修理と匠たちの仕事 講演・玉木妙子さん
どちらもおよそ1時間半の講演だった。今回は玉木さんの講演から。
平成10年に始まった唐招提寺金堂の解体修理は平成15年に解体が終わり昨年組立作業が開始され、今年は上棟式が予定されている。
玉木さんはこの平成の大修理を取材しているライターの方。
自ら撮影したスライドを使って工事の様子などを中心に講演された。
上の写真は講演の資料に掲載されていた金堂の断面図。上図は江戸時代・元禄の改修の小屋組みを、下図は明治31~32年に行なわれた改修の小屋組みを示している。明治時代の改修工事では小屋組みの頂部にトラスが使われていることが分かる(トラスは幕末から明治初期に日本に伝わった西洋の架構で△の組み合わせで構成される)。
日本に押し寄せた西洋文明の波は大きかったようだ、こんなところにまで及んでいる。一体なぜ日本の伝統的な小屋組みを継承しなかったのだろう・・・。
外観からは分からないがこれらの技術も含めて建築文化だと考えると、なんとも残念でならない。尤も、当時知り得た最良の方法で改修したのならそれでよいではないかという見解もあるかも知れないが。
現在行なわれている改修工事では小屋組みに金物が多用されている。玉木さんは建築の専門家ではないが、金物を使う今回の改修方法を疑問視していた。今日、木構造では部材の接合部に金物を使うことが当然のこととして受け止められていて、法的な規定もある。しかしそれはどのくらいの期間を想定したものだろう。その一方で貫を使った伝統的な軸組構法がすぐれていることも再認識されつつある。このような状況下、金物を多用する改修方法を採用したことはなんとも残念といわざるを得ない。
金堂の小屋組みがこれらの金物を異物と認識して、やがて拒絶反応を起こし始めるのではあるまいか・・・。帰りの電車のなかでそう考えた。杞憂ならいいが、何十年も先のことだから確認できない。