透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

晩秋に再度読もう

2006-07-15 | A 読書日記

  中島敦の『山月記』                        
わずか16頁(新潮文庫)の短編。                                             
小説は長短ではない、そう人生と同じように。                  
この小説は高校の教科書に採用されることが多いらしい。               
正直に書く、数年前までこの小説を知らなかった。               
最近再読した。人によっていろいろな読み方が出来そうだ。                                              

**獣どもは己の声を聞いて、唯、懼(おそ)れ、ひれ伏すばかり。山も樹も 月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮(たけ)っているとしか考えない。天に踊り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持ちを分ってくれる者はない。  
ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。**  
                             
ラスト、**虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。**                                      

なんとも孤独だ。わたしの指向がそう読ませるのかもしれない。                         
この小説を読むと内省的になる。やはり晩秋の夜更けに読むのに相応しい
小説だ。                      

                                      


麺類大好き、でも・・・

2006-07-14 | A あれこれ

 麺類、大好き。                                                                                                           
夏はそうめんがいい。ひやむぎと何が違うんだろう・・・? JASの規定によると機械麺の場合、太さによって区別していると知った。そ
うめん<1.3mm(直径)1.3≦ひやむぎ<1.7 1.7≦うどん 食品にこんなに細かな規定があるなんて知らなかった。 
                     
先日胃カメラを飲んだ。健康診断で精密検査の要ありと指摘されたのだった。最近のケーブルは随分細くなったらしいのだが、同級生の医師に聞くと直径が約5mmだという。先の規定によれば立派なうどんサイズではないか。 

胃壁(こんな色だったかナ)の一部を採取したのだが、その病理検査の結果が出たから来るようにと
電話が今日あった。

♪もしかして、もしかして などと小林幸子している場合ではない。「人生は長短ではない」「深刻な病巣があっても私は指摘することが出来ない」などとこのブログに書いたのは、もしかして・・・ などと考えてしまう。診察室に入るなり、「結果はセーフだった」と告げられた。この歳になると、体のあちこちにガタがくる。要注意だ。
        

ころで吉村昭の作品『光る壁画』が新潮文庫に納められている。胃カメラは戦後まもなく日本で世界に先駆けて開発されたのだ。 この小説は胃カメラの開発に情熱を注いだ医師と技術者たちの物語。プロジェクトX小説版。
                          
いくら麺類が好きでも、先端にカメラのついたうどんなんてせいぜい数年に一度で充分。  


                             

 


竹風堂の広告文

2006-07-14 | D 新聞を読んで



 昨日の新聞に竹風堂の広告が載っていました。「くりざさ」という純栗製の水ようかんの広告。

先日この水ようかんを食べました。箱に入っていた広告パンフをとっておきました。 **(前略)栗の真味を味わっていただくには常温がベストですが、そこは水ようかんのこと、よく冷やして、笹むらを吹きわたる一陣の緑風のようにさっとお召し上がりいただくのが、夏ならではのだいご味と申せましょう。お一人さまで召し上がれる分量とはなっていますが、遠慮のいらない間柄では半分ずつ召し上がって、口悦を二倍にされるなどのお愉しみ方もいかがでしょう。(後略)**

別に「アフィリエイト」ではありません。広告文が上手いと思うのです。水ようかんももちろん美味いと思いましたが。 新聞の広告文の一部  広告を写真に撮りましたが、ここに載せるのはやめようと思いました、そんなことまですることはないだろうと・・・。でも結局載せてしまいました。どちらも同じ少し年配の男性の文章ではないかな。

アフィリエイト:自分のブログに紹介した商品を読者が購入すると、購入金額に応じた報酬を受け取ることができるシステム、最近知りました。


「脳内現象」を考える脳

2006-07-12 | A 読書日記
 最近脳を鍛えることがブームのようだ。関連本が書店に並んでいる。脳も体と同様に鍛えないと衰えてしまう。実感。

『脳内現象  <私>はいかに創られるか』茂木健一郎/NHKブックスときどきこの手の本を読んでみたくなる。内容が難しくて一読しただけではなかなか理解出来ないのだが・・・。

自分の脳のことを考える自分の脳・・・。 脳内の様々な領域でバラバラに行なわれている神経細胞の活動を一瞬にして統合するシステム、一体どのようにして成立しているのか。

脳内に「小さな神の視点」をもった「何者」かが存在する。そのように考えれば脳内のこのシステムを概念的には理解しやすいのだが。ちょうど都市全体を俯瞰的に捉える鳥の視点を設定するように・・・。

<私>という明確な「意識」がどのようにして成立しているのか・・・。<私>は脳内にどのように創られるのか・・・。難問が解き明かされる日がやってくるのだろうか。

自分の顔を自分で直接見ることは出来ないという事実は、この難問の答えを暗示しているのではあるまいか・・・。などと根拠のないことを私の脳は考えた。

イタリアな本

2006-07-10 | A 読書日記
  ○イタリアな本(0607)         
フランスとイタリア サッカーW杯の決勝で戦った両国の国旗、青と緑が異なるだけ、と気が付いた・・・。
イタリア国旗の緑は美しい国土、白は雪、赤は情熱を表しているという。
イタリアの優勝で幕を閉じたドイツ大会、イタリアな本を探したら見つかった。
『イタリアの今を創るマニーフィコ(すごい人)たち』山下史路/JTB。
国旗をモチーフにしたブックデザイン。様々なジャンルで活躍している12人のマニーフィコたちの生活や、仕事ぶりを紹介している。
関西国際空港を設計したレンツォ・ピアーノ(この本ではイタリア語の発音に近い表記をしたとのこと)もその1人。

著者はエピローグで**12人の仕事の分野は違うが、道を究めた人たちの共通項を探してみると、彼らは特別の才能や能力、チャンスを与えられているにも関わらず、謙虚であり、成長するために弛まぬ努力をし(後略)**とインタビューでの印象を書いている。

ある企画で日本の有名な建築家 何人かにインタビューした友人からも同様の印象を聞いた。
人生のキーワードは「謙虚」と「努力」 

「寂しさ」に惹かれて

2006-07-09 | A 読書日記

金子みすゞ「夕顔」は好きな詩。
**お空の星が  
  夕顔に、  
    さびしかないの、と  
  ききました。
  
    おちちのいろの  
  夕顔は、  
    さびしかないわ、と  
  いいました。
  
    お空の星は  
  それっきり、  
    すましてキラキラ  
  ひかります。
            

    さびしくなった  
  夕顔は、  
    だんだん下を  
  むきました。**

立原道造の「淺き春に寄せて」は好きな詩。
**今は 二月 たつたそれだけ  
    あたりには もう春がきこえてゐる  
    だけれども たつたそれだけ  
  
昔むかしの 約束はもうのこらない

  今は 二月 たつた一度だけ  
  夢のなかに ささやいて ひとはゐない  
  だけれども たつた一度だけ  
  その人は 私のために ほほゑんだ **
    (後略)
 
樋口一葉「たけくらべ」好きなラストシーン。
**或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の
有けり、誰(た)れの仕業と知るよし無けれど、
美登利は何ゆゑと
なく懐かしき思ひにて(中略)聞くともなしに伝へ聞くその明けの
日は信如が何がしの学林に袖の色かへぬべき当日なりしとぞ。**

三人とも早世した、二十代半ばで。
けれどいつまでも親しまれる作品をのこした。
人生は長短ではないんだな、と思う。
私はここに挙げた作品に漂う「寂しさ」に惹かれる。

(注)**を引用範囲につけています。


奈良井宿の徳利屋

2006-07-08 | A あれこれ


徳利屋の吹き抜け空間 0607  

 中山道六十七宿、奈良井宿はそのうちの一つ。この宿場の旅籠だった徳利屋を見学してきた。

この建物の見所である吹き抜けは、3間×4間半、27畳の大きさ。なかなか大きな空間だ。屋根面2箇所に設けられた天窓から入る光で室内は十分明るい。この吹き抜け空間をコの字型に二層の部屋が囲んでいる。

写真に写っている棟の直下の壁の中央(正確にはこの部屋の右側の壁から2間目のところ)に棟持ち柱が立っている。この柱に大きな丸太梁がぶつかっているのが写真でも分かる。この吹き抜けには2ヶ所階段がつけられているが、どちらも梁から下げられた2本の吊束によって支えられている。この階段、なかなかいい!

梁の上から立ち上げられた8本の小屋束が1間ピッチの母屋を支えている。束を繋ぐ数段の貫が空間に変化を与えている。ダイナミックな空間構成だ。ここを宿にしたかつての旅人達も、この空間に魅了されたに違いない。

現在は手打ち蕎麦などを提供する食堂になっている。名物だという五平餅を食べながら、私は上ばかり見ていた。


 


共生の思想

2006-07-08 | A 読書日記

 国立新美術館が完成した。一般公開は来年になるらしい。設計は黒川紀章と日本設計の共同。

以前、乃木坂のギャラリー間に行くつもりが、地下鉄の出口を間違えてこの美術館の近くに出てしまったことがあった。そのとき工事中だった美術館が完成したのだ。外観上の特徴はなんと言っても大波のようにうねるカーテンウォール。延床面積が約48,000m2 と規模の大きい国立新美術館。

黒川紀章、以前ここに書いたが、氏の著書『情報列島日本の将来』(1972年発行)を高校生の時に読んで感銘を受けた。 今ではごく普通に使われている「共生」は40年以上も前に氏が提唱した考え方、思想だ。この東洋的な世界観、哲学に根差す(と私は思うのだが)共生の思想は海外にも広く紹介されているようだ。

先の著書の「二元論からの脱出」という章にもこんな記述がある。**これからの社会がもっている重要な問題点は、いままでまったく相反すると考えられていた、科学、技術という一つのシステム、系と精神、人間性あるいは宗教といった形で呼ばれてきた人間自身の生命の系と、その二つを、別々のまったく独自の系と考えないで、一つの系と考え直してみたらどうか、と大きな反省になるわけだ。**

氏はここで技術のシステムと生命のシステムの統合、共生を唱えている。 このくらいで引用は止めておくが、ここ以外のところにも共生の思想が綴られている。二項対立的思考ではなくて二項共生的思考。氏はこの思想を建築や都市の計画で具現化してきた。

この美術館のHPでも黒川紀章は**周囲の森と共生する建築である**とコンセプトを紹介している。来春、オープンしたら見学に行こう。


 


なぜ、美しいと思うのだろう

2006-07-08 | B 繰り返しの美学

路上観察 ねこがいっぱい(0606) 

■ ヨーロッパ、例えばイタリアの古いまち。まち全体の俯瞰。美しい、と思う。赤茶色の瓦でまちが覆い尽くされている。建物の形はそれぞれ異なるのだが、どの屋根も同じだ。

ラベンダーの大地や一面の菜の花。やはり美しい。 なぜ、美しいと思うのだろう・・・。「何」が美しいのだろう・・・。分析的に捉えることは難しい。どうやら「繰り返しの美学」と無関係ではなさそうだ。これまで注目してきた「繰り返しの美学」は一方向への直線的な繰り返しだったが、今回の対象は平面的な繰り返しと捉えることが出来そうだ。

ものの形や色などが平面的に繰り返されても、美しいと知覚することを経験的に知っている。 先日出かけた鎌倉で見かけたねこ達。店先にいっぱい並んでいた。この写真はそのごく一部。見かけたとき、美しい!と思った。それは、見渡すかぎりの花畑の美やヨーロッパの古いまちの俯瞰の美と同根だ、と思う。

あなたの願いが叶いますように

2006-07-07 | A あれこれ

 七夕。

織女(こと座のヴェガ)と牽牛(わし座のアルタイル)の年に一度のデートの日。ふたりは16光年も離れて生活しているらしい、ってことは会うのに要する時間は・・・? 

北杜夫の『幽霊』新潮文庫 はこう始まる。**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。(中略)そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**

先日かつての同級生を夕食に誘った。食事だけのつもりだったのだが・・・。観光客にも人気のカレー屋が休みだった。で、ラーメンが旨いある大衆食堂に入った。 「今日はもう残業は止めよう、ビールを1本飲もうか」よくあるパターン。1本が2本、2本が3本・・・。

彼が語り出したのは高校時代(あのころ)の追憶。ひとつ下の学年の娘(こ)にぞっこんだった、というよくある話。昔の出来事はよく覚えている。ついこの間の事が思い出せないというのに。

「あの思い出だけで生きていける」なんてたったビール3本で言ってしまっていいの。なんだか俵万智みたいだな・・・。 ○○君、また食事しよう。


 


紫陽花とバラ

2006-07-06 | A あれこれ
○紫陽花のアップの写真はこの位が限度(0606)

どうも紫陽花はシャイらしい。
紫陽花には集合写真がよく似合う。
これ以上アップで撮られることを望んでいないんだな、と思う。

○バラ、この位の色が好き(0607)

どうもバラは目立ちたがりやさんらしい。
バラには単独写真がよく似合う。
アップで撮られることを望んでいるんだな、と思う。

アルコールな夜に書く

2006-07-05 | A あれこれ
■ 一昨日(3日)の新聞に芥川・直木賞の候補作が決まったという記事が載っていた。芥川賞の候補作に島本理生の作品が選ばれていた。この作家の作品は確か過去2回、「リトル・バイ・リトル」と「生まれる森」が同賞の候補になっている、今回たぶん3回目。 3年前、若い女性二人の作品、綿矢りさの「蹴りたい背中」と金原ひとみの「蛇にピアス」が芥川賞を受賞して話題になった。話題づくりのためにふたりの作品を選んだのでは、ともいわれた。

個人的にはこの3人の中では島本理生の「作品」が一番好きだから今回、「受賞できますように・・・」と七夕のお願いをしよう。

中年オジサン的、小沢昭一的あしたの心で3人の若い女性を見ると、金子ひとみ、村上龍が彼女の作品を強く推したということが分かるような気がする。壊れてしまっている・・・、いかにも村上龍の作品に登場しそうな雰囲気ではないか。綿矢りさ、文学少女のイメージにピッタリ、審査員のオジサン達の評価も甘くなりそう。島本理生、既に作家の顔。審査員のオジサンたちには強力なライバル!と映ったに違いない。

この3人から2人選ぶとすれば・・・。ンなもん、結論は明らか。 アルコールな夜にこれ以上書くとあぶない。『ナラタージュ』はよかった!と書いて今回はオシマイ。

繰り返しの美学、再び

2006-07-04 | B 繰り返しの美学


路上観察 松本にて 0606  

 採光や換気など、窓の機能にのみ注目すればこのようなデザインは別に必要ない。横連窓にすればよい。このデザインからは、「ポツ窓を繰り返す!」という設計者の意思が伝わってくる。窓だけでなく小庇もつけて建築のデザイン要素の繰り返しを強調している。

「繰り返しの美学」のためには五つ以上の繰り返しが必要だと思う。四つだと弱い。明確にその根拠を示すことは出来ないのだが・・・。 窓はアルミ製だが、その質感が左官仕上げの外壁によく馴染んでいる。

*繰り返しの美学、実はこの言葉の使い方には違和感がある。 繰り返しの美、とすべきかも知れないが敢えて使っている。


 


ジャコメッティの彫刻

2006-07-03 | A あれこれ
 NHK教育テレビの「新日曜美術館」はよく見る番組だ。昨日はジャコメッティをとり上げていた。ジャコメッティは20世紀を代表する芸術家の一人だが、絵画より彫刻で知られている。極端に細長くデフォルメされた立像を美術の教科書で観て彼を知ったように記憶しているが定かではない。

番組のタイトルは「ジャコメッティ・見えるままへの挑戦」となっていた。極端に細長い彫刻が、「見えるまま」の人の姿を表現したものなのだという。「細長くなければ現実に似ないのだ」と彼は主張していたとのことだ。

これは一体どういうことなのか・・・。 視覚によってもたらされた外界の情報が脳に伝達される。脳がその情報を処理して知覚、認識する。認識された情報を彫刻という表現手段によって外在化する。このプロセスの結果があの細長い彫刻なのだ。ジャコメッティは人をあの彫刻のように知覚、認識していたということになる。

このブログでも書いてきた「見える」ということとはこういうことなのだ。脳にもたらされる視覚情報には、人による差異は無いのかもしれない。だがその情報の認識のされ方が人によってそれぞれ異なる・・・。

彼は女友達とデートした時、通りを遠ざかっていく彼女をみて考えたという。「彼女は遠ざかっていく、しかし彼女の本質はこちらに向かってくる」と。なんとも哲学的な思索で分かりにくいのだが、彼はそれが存在の本質だと考えたのだ。極端に細長い立像はこの結論を表現したものに他ならない。

ジャコメッティの作品展がいま、神奈川県立近代美術館 葉山で開催されている。残念ながらこの番組を見るまで知らなかった。もし知っていれば先日鎌倉から足を伸ばして鑑賞したのに・・・。

虹の岬

2006-07-03 | A 読書日記

恋愛小説 (0607) 

■ しばらく前に川上弘美の『夜の公園』中央公論新社を読んだが、それ以降恋愛小説は読んでいなかった。ある方のブログに辻井喬の『虹の岬』が載っていた。読んでみようと思ったのだが、松本の書店では見つからなかった。先日、丸の内オアゾの丸善でようやく見つけた。

『ナラタージュ』島本理生/角川書店 この本の帯の背中には**一生に一度しかめぐり会えない究極の恋**とある。大学生になった私が高校時代に所属していた演劇部の顧問の先生に恋する話だが、「究極の恋」なんて、そんな結論 はやいんじゃないのかな、まだ若いのに・・・、と思った。勿論その時期でないと経験できない恋もあるだろうが・・・。

『虹の岬』に登場する川田順は60代、相手の祥子は30代後半。これは「究極の恋」なのかも知れないな、と思った。実話を元に書かれた小説だという。雨が屋根をたたく音を聞きながら、きのう読了した。

「自分に忠実に真摯に生きる」とはこういうことなのかもしれない。但し、できることではない。恋愛小説の感想を書くことは難しい。 この小説は晩秋に読むのがいい、読み始めたときの感想は最後まで変わらなかった。