● 繰り返しの「美学」 美学という語を深く考えないで使ってきた。改めて美学とは何かと自問するもよく分からない。広辞苑によると美学とは「自然・芸術における美の本質や構造を解明する学問」とある。新明解国語辞典にもほぼ同様の説明が載っている。
『美学への招待』佐々木健一/中公新書 には**学問としての美学とは、十八世紀半葉にヨーロッパで確立した、美と藝術(この本では芸術とは表記していない)と感性を論ずる哲学です。**と説明がなされている。
この本の美学に関する論考は、私には論理の展開がよく理解できなくて読了するのに時間がかかった。
デュシャンの『泉』(写真)に関して著者は**何より重要なことは、藝術そのものが美的=感性的なものであるよりも、知的な性格を強めてきた、という事実に、解釈の概念は対応しています。たとえば、マルセル・デュシャンの『泉』(一九一七年)は、美的=感性的にはつまらない対象で、知的なレベルにしかその存在意義はありません。このような対象に対して美的体験の概念はまったく無力です。**と述べている。
藝術には感性で知覚されるものばかりではなく、知性によって知覚されるものがあって、『泉』はその一例だ、と理解できるだろう。先日私は「繰り返しの美学」について、これと同じ指摘をした。つまりそれは感性ではなく知性によって知覚される対象ではないかと。 この本は私の考えを整理するのに少し参考になった。
『美の構成学』三井秀樹/中公新書 で著者は構成学をこう説明している。**直感やインスピレーションといった従来の美化された芸術的方法論に頼るのではなく、構成学は造形における美の原理を普遍的な造形理論として、科学的な論理システムに組み込もうとした造形の科学であるといえよう。**
美の構造学は、「繰り返しの美学」を解くのに有効ではないか、そう思ってざっと読んでみた。第三章「造形の秩序」ではシンメトリーが「単純明快で形の美しさを演出する造形原理」としてとり上げられている。
シンメトリーは一般的には左右対称(鏡映、反射)のことと理解されているが、点対称(放射対象、回転)や平行移動、拡大縮小もその範疇だという。そしてこれらの二つの組み合わせ、三つの組み合わせを加えるとざっと十四種の組み合わせが生まれるという。
著者の次の指摘は実に興味深い。 **絵画や形(フォルム)そのものが美醜の対象となる構成やデザインでは、さまざまな造形要素を統合する統一の原理が作品やデザインのクオリティ(質)を決定する条件となる。つまり全体を構成するそれぞれの要素や原理は、共通性や多様性や変化をもっている。統一とはこの多様性を全体にまとめ、造形としての統一感を与えることである。(かなりの中略)人を引きつける全体の統一感がなければ作品やデザインとしては魅力のないものになってしまう。ユニティは造形のそれぞれの要素を繋ぎ全体をひきしめる力であり、コンセプトであるわけだ。造形表現は、このユニティをつくりあげるための作者の渾身の力をこめた創作のプロセスであるといいかえることができる。あるときは(中略)全面リズムのパターンで埋まった構成であるかもしれない。**
引用が長くなったが、ここに「繰り返しの美学」がきちんと説明されている。因みに以上の記述のあるページには「構成の原理と要素」を示す表が示されていて造形の秩序のひとつとしてリピティション(繰り返し)が挙げられている。
● リズムの右にリピティション(繰り返し)が載っている。
この本は大学の美学の講座のテキストとしてとり上げられることがあるらしい。案外必読本なのかもしれない・・・。
こんな本があることがわかった。しばらくは「美」「美学」に関する本も読むことになりそうだ。