数年前、まだ
前のお店で働いていたころ。
実家のほうから野菜を送って
もらうようになりました。
もちろん、送ってもらっているものは
自分とこの畑で作ったものが
主体なんですが
あとは、
近くの農家さんがつくった野菜。
とくに
畑がいっぱいある土地ならではの
たくさん採れすぎた野菜や
完熟した野菜や
規格外の野菜など。
たくさん採れすぎると、
値が下がりますね。
だから、
まとめてやすく売られます。
完熟した野菜は、流通してるあいだに
腐っちゃうことがありますね。
もたないってことです。
これも、安く売られます。
規格外の野菜。
大きすぎるものや、小さすぎるもの
二股三股にわかれたニンジンや、
まんまるとしちゃったサツマイモ、
そーいったものも
安く売られます。
どこかでそーいうことを憂えている
ブログがありましたが
農家の方々が出荷する作物のうち
思った以上の量が
廃棄されたり、
こうして地元で安く売られたり
しています。
ときどき、こーいう
お金にならない
(売れない)
けど、利用方法によっては価値のある
作物などをつかって
町おこしにしよう!とゆー
試みもあります。
売りきれないくらいのヤーコンが採れるから
ヤーコン焼酎をつくろうとか、
売りきれないくらいの放置竹林があるから
竹炭パウダーを売ろうとか、
作物じゃないですが
シカ害がひどいから、鹿を処分して
鹿肉のカレーを作ろうとか、
それはもう、
けっこうたくさんの人を集めて
試作して プロモーションをうって
それでも成功するところがあれば
うまくいかないところもあるという
そーいうかんじです。
話を戻しますと・・・
始めのころは、嬉しい反面
大変だなーとおもうことも
あったんですね
だって、
ちーさい粒々のにんにくより
大きい粒のにんにくのほうが
剥くのがかんたんだし
大量に青菜が届けば、
おいしいうちに使いきるように
バンバン売らなきゃならないし
そのためには、その仕込みに
手も時間もとられて
他の仕込みができないし
思ったように、コントロールできない。
欲しいものを欲しいだけ、好きな時に手に入れる
とゆーことが
実は不自然なことなんだって
初めてそこできづきました。
前もなにかで書きましたが
硬いキャベツの葉は千切りにしたり
くたくたに煮込めばいいし
しなっとしてしまった人参は
細く切って塩をふっておけば
パリッとした食感になるし
大きくなりすぎて、でんぷん質が
ざらっとしてるじゃがいもは
マッシュして クリームを加えて練れば
なめらかな口当たりになるし
たくさん同じ野菜が届いたら
味や調理法をくふうして
たくさん召し上がっていただけるような
一品にすればいいし
うまれてきたものを、どーやって
無駄なく、よりよく、
お客様に召し上がっていただくか
いままで学んできた調理技術は
こーいう素材とのおつきあいのための
ものだったんだな、
としみじみ感じた
わけです。
そしたら、面倒なことも
大変だって思いもなくなって
寧ろ 野菜が届くのを楽しみに
するようになりました。
今は、そーして届くものもあれば
八百屋さんから買うものもあり
使い分けている感じですが
こーして送ってもらうことが
なかったら
気づくのがもっと遅かったかも
しれません。
何かを購入するとゆーことは
誰かの労働を買っていると
いうことです。
誰かが生計を立てるために
うみだしたものを
自分が買ったものだからって
無下にあつかっていいはずが
ないです。
そーいうことに気づかせてくれた
両親、
地元という土地、
そしてこの仕事に
とても感謝しています
です。
ときどき、定食に同じ野菜が
つづくなー と思ったら
それは、どこかの畑で
そのお野菜の収穫時期だったんだなーと
おもってください^^
前のお店で働いていたころ。
実家のほうから野菜を送って
もらうようになりました。
もちろん、送ってもらっているものは
自分とこの畑で作ったものが
主体なんですが
あとは、
近くの農家さんがつくった野菜。
とくに
畑がいっぱいある土地ならではの
たくさん採れすぎた野菜や
完熟した野菜や
規格外の野菜など。
たくさん採れすぎると、
値が下がりますね。
だから、
まとめてやすく売られます。
完熟した野菜は、流通してるあいだに
腐っちゃうことがありますね。
もたないってことです。
これも、安く売られます。
規格外の野菜。
大きすぎるものや、小さすぎるもの
二股三股にわかれたニンジンや、
まんまるとしちゃったサツマイモ、
そーいったものも
安く売られます。
どこかでそーいうことを憂えている
ブログがありましたが
農家の方々が出荷する作物のうち
思った以上の量が
廃棄されたり、
こうして地元で安く売られたり
しています。
ときどき、こーいう
お金にならない
(売れない)
けど、利用方法によっては価値のある
作物などをつかって
町おこしにしよう!とゆー
試みもあります。
売りきれないくらいのヤーコンが採れるから
ヤーコン焼酎をつくろうとか、
売りきれないくらいの放置竹林があるから
竹炭パウダーを売ろうとか、
作物じゃないですが
シカ害がひどいから、鹿を処分して
鹿肉のカレーを作ろうとか、
それはもう、
けっこうたくさんの人を集めて
試作して プロモーションをうって
それでも成功するところがあれば
うまくいかないところもあるという
そーいうかんじです。
話を戻しますと・・・
始めのころは、嬉しい反面
大変だなーとおもうことも
あったんですね
だって、
ちーさい粒々のにんにくより
大きい粒のにんにくのほうが
剥くのがかんたんだし
大量に青菜が届けば、
おいしいうちに使いきるように
バンバン売らなきゃならないし
そのためには、その仕込みに
手も時間もとられて
他の仕込みができないし
思ったように、コントロールできない。
欲しいものを欲しいだけ、好きな時に手に入れる
とゆーことが
実は不自然なことなんだって
初めてそこできづきました。
前もなにかで書きましたが
硬いキャベツの葉は千切りにしたり
くたくたに煮込めばいいし
しなっとしてしまった人参は
細く切って塩をふっておけば
パリッとした食感になるし
大きくなりすぎて、でんぷん質が
ざらっとしてるじゃがいもは
マッシュして クリームを加えて練れば
なめらかな口当たりになるし
たくさん同じ野菜が届いたら
味や調理法をくふうして
たくさん召し上がっていただけるような
一品にすればいいし
うまれてきたものを、どーやって
無駄なく、よりよく、
お客様に召し上がっていただくか
いままで学んできた調理技術は
こーいう素材とのおつきあいのための
ものだったんだな、
としみじみ感じた
わけです。
そしたら、面倒なことも
大変だって思いもなくなって
寧ろ 野菜が届くのを楽しみに
するようになりました。
今は、そーして届くものもあれば
八百屋さんから買うものもあり
使い分けている感じですが
こーして送ってもらうことが
なかったら
気づくのがもっと遅かったかも
しれません。
何かを購入するとゆーことは
誰かの労働を買っていると
いうことです。
誰かが生計を立てるために
うみだしたものを
自分が買ったものだからって
無下にあつかっていいはずが
ないです。
そーいうことに気づかせてくれた
両親、
地元という土地、
そしてこの仕事に
とても感謝しています
です。
ときどき、定食に同じ野菜が
つづくなー と思ったら
それは、どこかの畑で
そのお野菜の収穫時期だったんだなーと
おもってください^^