昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(269)時代は変わった・<力の政治>から<思いやりの政治>へ

2015-07-13 03:39:50 | エッセイ
 先日のフジテレビ新報道2001で、東京オリンピック2020が話題になっていたが、着目すべき発言があった。
 
 乙武洋匡氏「オリンピック、パラリンピックとありますがパラリンピックを外すのが理想です」
「・・・」
「パラリンピックはオリンピックの中に含まれるべきです。例えば、100メートル走で、障碍者の100メートル走というふうに種目を増やすかたちで」
「なるほど!」
「東京2020ですべてを実現するのは不可能ですが、取りあえずマラソンに車椅子マラソンを付け加える。例えば東京マラソンで行っているように・・・。先鞭をつけるのです」
 
 石原慎太郎氏を含めて出席者からの異論はなかった。

 これを聞いていて、時代は変わりつつあるな、と思った。
 今までのオリンピックでは考えられなかったことだ。
 つまり、オリンピックというのは個人の<力>を誇示すると同時に<国の力>をも誇示する場であった。
 典型は「ベルリンオリンピック」である。
 
 マイノリティや弱者の参加するべき所ではなかった。

 もちろん、今でも<力>が世界の政治を支配している。
 国連の常任理事国「核クラブ」が象徴的である。
 しかし、アメリカが中東から引きつつあり、ロシアや中国の覇権的姿勢も批判の対象となる時代である。
 <力>の政治を抑制し、<弱者へのおもいやり>の政治へと政治の重点が移りつつある。
 まさに日本の出番とみるのは楽観的であろうか。