「実験は誰が予想していたよりも大きな成功を収めた」
「世界の終末を思わせるような強力で長い大爆発」
このアラモゴルドにおける初の原爆実験成功の報告書にポツダム会談に臨んでいたトルーマン米大統領は浮かれたようになった。
それまでの会談ではチャーチルやスターリンに主導権を握られていたが、以降は審議を牛耳るようになった。
「私には合点がいかなかった。報告書を読んだあとの彼はまるで別人だった。ロシア人たちにあれこれ指図し、会議をおのれの意のままに進めた」とチャーチルは語っている。
スターリンの反応は、「アメリカはこれで核独占を楯にヨーロッパ支配を企むだろうが、自分は奴らの脅しには乗らない」と述べ、軍部に対日参戦を急ぐように命じ、科学者には(原爆)研究のペースを上げるように命じた。
戦後米ソ冷戦の始まりである。
<キューバ危機>
強硬路線の冷戦政策が悲劇的な影響をもたらすことをケネディに実際に印象づけたのは、1962年10月のキューバ・ミサイル危機だった。
アメリカ本土に1メガトンの核弾頭を着弾させることが可能な島に、ソ連がSS4準中距離弾道ミサイル(MRBM)を配備していることが判明した。
アメリカの先制攻撃を恐れたソ連は、ソ連国内への攻撃を思いとどまらせ、アメリカのキューバ侵攻を未然に防ぐ効果を期待して、キューバへのミサイル配備という賭けに出たのである。
カーティス・ルメイはキューバ空爆を進言したが、ケネディは海上封鎖にとどめた。
ルメイは怒り狂ったが、ケネディはアメリカ国民に対して宣言した。
「私たちは軽率な、あるいは不必要に、世界的核戦争の道を歩むつもりはありません。全面的核戦争が起きれば、仮に勝利したとしても。口の中には死の灰が詰まっていることになるでしょう。しかし、危険に直面しなければならない状況のもとでは、どちらの側も、いかなるときも核戦争のリスクから逃れることはできないのです」
しかし、「冷戦下で最も危うい瞬間だっただけではない。人類史上、最も危険な瞬間だった」という事件が起った。
キューバに向かう船舶を護衛するソ連潜水艦B29の近くで、アメリカの駆逐艦が爆雷の投下を開始した。
ソ連の潜水艦が核兵器を搭載していることに気づいていなかった。
ソ連の通信担当将校はそのときの様子を次のように語っている。
「爆雷が船体のすぐそばで爆発したのです。金属製の樽の中に座って、外からハンマーでたたき続けられているような気分でした。・・・当直士官の一人が気を失って倒れ、別の一人が倒れ、三人目が倒れ・・・。これですべて終わりだ。誰もがそう思っていました」
潜水艦内はパニックに陥った。サビツキー艦長が司令部への連絡を試みたものの、失敗に終わった。
そして艦長は核魚雷の発射準備を部下に命じた。
「ここでもたついているあいだに、戦争は始まってしまったようだ。われわれはここで死ぬことになるが、それと引き替えに敵艦もすべて沈める。わが海軍の面目を保つのだ」
幸運なことに、ワシリー・アルビホフという将校がサビツキーをなだめ、魚雷の発射を中止させることに成功した。
アルビホフという一人の将校が、核戦争を回避したのである。
(オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史より)
<一発触発、人類破滅>への道を人類自身が生み出したのだ。
「世界の終末を思わせるような強力で長い大爆発」
このアラモゴルドにおける初の原爆実験成功の報告書にポツダム会談に臨んでいたトルーマン米大統領は浮かれたようになった。
それまでの会談ではチャーチルやスターリンに主導権を握られていたが、以降は審議を牛耳るようになった。
「私には合点がいかなかった。報告書を読んだあとの彼はまるで別人だった。ロシア人たちにあれこれ指図し、会議をおのれの意のままに進めた」とチャーチルは語っている。
スターリンの反応は、「アメリカはこれで核独占を楯にヨーロッパ支配を企むだろうが、自分は奴らの脅しには乗らない」と述べ、軍部に対日参戦を急ぐように命じ、科学者には(原爆)研究のペースを上げるように命じた。
戦後米ソ冷戦の始まりである。
<キューバ危機>
強硬路線の冷戦政策が悲劇的な影響をもたらすことをケネディに実際に印象づけたのは、1962年10月のキューバ・ミサイル危機だった。
アメリカ本土に1メガトンの核弾頭を着弾させることが可能な島に、ソ連がSS4準中距離弾道ミサイル(MRBM)を配備していることが判明した。
アメリカの先制攻撃を恐れたソ連は、ソ連国内への攻撃を思いとどまらせ、アメリカのキューバ侵攻を未然に防ぐ効果を期待して、キューバへのミサイル配備という賭けに出たのである。
カーティス・ルメイはキューバ空爆を進言したが、ケネディは海上封鎖にとどめた。
ルメイは怒り狂ったが、ケネディはアメリカ国民に対して宣言した。
「私たちは軽率な、あるいは不必要に、世界的核戦争の道を歩むつもりはありません。全面的核戦争が起きれば、仮に勝利したとしても。口の中には死の灰が詰まっていることになるでしょう。しかし、危険に直面しなければならない状況のもとでは、どちらの側も、いかなるときも核戦争のリスクから逃れることはできないのです」
しかし、「冷戦下で最も危うい瞬間だっただけではない。人類史上、最も危険な瞬間だった」という事件が起った。
キューバに向かう船舶を護衛するソ連潜水艦B29の近くで、アメリカの駆逐艦が爆雷の投下を開始した。
ソ連の潜水艦が核兵器を搭載していることに気づいていなかった。
ソ連の通信担当将校はそのときの様子を次のように語っている。
「爆雷が船体のすぐそばで爆発したのです。金属製の樽の中に座って、外からハンマーでたたき続けられているような気分でした。・・・当直士官の一人が気を失って倒れ、別の一人が倒れ、三人目が倒れ・・・。これですべて終わりだ。誰もがそう思っていました」
潜水艦内はパニックに陥った。サビツキー艦長が司令部への連絡を試みたものの、失敗に終わった。
そして艦長は核魚雷の発射準備を部下に命じた。
「ここでもたついているあいだに、戦争は始まってしまったようだ。われわれはここで死ぬことになるが、それと引き替えに敵艦もすべて沈める。わが海軍の面目を保つのだ」
幸運なことに、ワシリー・アルビホフという将校がサビツキーをなだめ、魚雷の発射を中止させることに成功した。
アルビホフという一人の将校が、核戦争を回避したのである。
(オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史より)
<一発触発、人類破滅>への道を人類自身が生み出したのだ。