高原に 草食む牛いて われが居て
そふとくりいむの 雲近づきぬ
(東大和市 森田洋子)
日常の 有象無象(うぞうむぞう)を飲み込んで
有無を言わさず 瀑布は落ちる
(金沢市 筒井清広)
岩山に 朝の光の 出づる刻(とき)
ヨセミテの滝は 躍動始む
(カリフォルニア州 ホイラップ房子)
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
たいへん面白いと思ったのが、この日出演されていた詩人、佐々木幹朗さんの「春の日の空の」の詩。
右側のT字の形は、下から見上げた飛行機。左側「わたしは~」は一人でぽつんと空を見上げる少年をイメージしているとのこと。
短歌や俳句の定型詩にはありえない自由で遊び心がいっぱいの作品。
短歌や俳句では、意味はもちろんとして、言葉自体の響き(リズム、韻、語感の統一(「な」行の音を多くして、やわらかい雰囲気を出す etc.))も大切な要素だけど(ほとんど音楽)、それに加えて、字の形までも!デザイン(美術)と詩の世界のクロスオーバー。いろんなアートが混ざり合ってのジャムセッション。面白い。
そのあとの3つの歌は、山や、のんびりした自然の風景が浮かんできて、どれもいい歌。
「高原に」の歌、なんといっても、ひらがなの「そふとくりいむ」のワンポイントがよい。個人的には美ヶ原高原ののんびりした風景が広がる。
「有象無象」の歌、選者評でもあった直球勝負でまっすぐなところ、勢い、男性的にバシっとしたところ、よし。
「ヨセミテ」の歌、いいなぁと思うのは、山頂で向かえる御来光、雲海が動き出す様子が体験としてあるから?「ヨセミテの滝」を「穂高の雲海は」とでも詠み替えたい気分。
そふとくりいむの 雲近づきぬ
(東大和市 森田洋子)
日常の 有象無象(うぞうむぞう)を飲み込んで
有無を言わさず 瀑布は落ちる
(金沢市 筒井清広)
岩山に 朝の光の 出づる刻(とき)
ヨセミテの滝は 躍動始む
(カリフォルニア州 ホイラップ房子)
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たいへん面白いと思ったのが、この日出演されていた詩人、佐々木幹朗さんの「春の日の空の」の詩。
右側のT字の形は、下から見上げた飛行機。左側「わたしは~」は一人でぽつんと空を見上げる少年をイメージしているとのこと。
短歌や俳句の定型詩にはありえない自由で遊び心がいっぱいの作品。
短歌や俳句では、意味はもちろんとして、言葉自体の響き(リズム、韻、語感の統一(「な」行の音を多くして、やわらかい雰囲気を出す etc.))も大切な要素だけど(ほとんど音楽)、それに加えて、字の形までも!デザイン(美術)と詩の世界のクロスオーバー。いろんなアートが混ざり合ってのジャムセッション。面白い。
そのあとの3つの歌は、山や、のんびりした自然の風景が浮かんできて、どれもいい歌。
「高原に」の歌、なんといっても、ひらがなの「そふとくりいむ」のワンポイントがよい。個人的には美ヶ原高原ののんびりした風景が広がる。
「有象無象」の歌、選者評でもあった直球勝負でまっすぐなところ、勢い、男性的にバシっとしたところ、よし。
「ヨセミテ」の歌、いいなぁと思うのは、山頂で向かえる御来光、雲海が動き出す様子が体験としてあるから?「ヨセミテの滝」を「穂高の雲海は」とでも詠み替えたい気分。
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