万葉雑記 色眼鏡 三四〇 今週のみそひと歌を振り返る その一六〇
今週は宴会で詠われた歌に遊びます。集歌4230から集歌4237までの歌は天平勝宝三年正月三日に開かれた信念を祝う宴でのものです。
この新年を祝う宴で、不思議に挽歌が詠われており、それをわざわざ記録しています。酒の入った宴ですから勢いで挽歌を詠うことはあるでしょうが、それをわざわざ記録する必要もありませんし、万葉集に載せる必要もありません。逆に見ますと、大伴家持の強い意志があって記録したことになります。
歌を見ますと集歌4230から集歌4234までは実に新年を祝う宴の歌です。それで、伊藤博氏はその『萬葉集釋注』でこの歌群を前半部と後半部とに分けます。
集歌4230 落雪乎 腰尓奈都美弖 参来之 印毛有香 年之初尓
訓読 降る雪を腰になづみて参ゐり来し験(しるし)もあるか年し初めに
私訳 降る雪の中、腰まで雪を掻きながら参上した甲斐がありました。この年の初めに。
左注 右一首、三日、會集介内蔵忌寸縄麻呂之舘宴樂時、大伴宿祢家持作之
注訓 右の一首は、三日に、介(すけ)内蔵(くらの)忌寸縄麻呂の舘に會集(つど)ひて宴樂(うたげ)せし時に、大伴宿祢家持の之を作れり
于時、積雪彫成重巌之起、奇巧綵發草樹之花。属此様久米朝臣廣縄作謌一首
標訓 時に、雪を積みて重巌(ちょうがん)の起(た)てるを彫り成し、奇巧(たく)みに草樹(そうじゅ)の花を綵(いろど)り發(つく)る。此様を属(み)て久米朝臣廣縄の作れる謌一首
集歌4231 奈泥之故波 秋咲物乎 君宅之 雪巌尓 左家理家流可母
訓読 なでしこは秋咲くものを君し家(へ)し雪し巌(いはほ)に咲けりけるかも
私訳 なでしこは秋に咲くものですが、貴方の屋敷では雪の巌の中に咲いていますね。
遊行女婦蒲生娘子謌一首
標訓 遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(をとめ)の謌一首
集歌4232 雪嶋 巌尓殖有 奈泥之故波 千世尓開奴可 君之挿頭尓
訓読 雪し山斎(しま)巌(いは)に植ゑたるなでしこは千世(ちよ)に咲かぬか君し挿頭(かざし)に
私訳 雪の庭の巌に植えた撫子の花は、永遠に咲かないでしょうか。貴方のかざしのために。
于是諸人酒酣、更深鶏鳴。因此主人内蔵伊美吉縄麻呂作謌一首
標訓 是(ここ)に諸人(もろひと)酒酣(たけなわ)にして、更深(こうしん)に鶏(とり)が鳴く。此に因りて主人(あるじ)内蔵伊美吉縄麻呂の作れる謌一首
集歌4233 打羽振 鶏者鳴等母 如此許 零敷雪尓 君伊麻左米也母
訓読 うち羽振(はぶ)き鶏(とり)は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも
私訳 翼を羽ばたき鶏が鳴くとも、これほどに降り積もる雪に、貴方はここにいらっしゃらない訳にはいかないでしょう。
守大伴宿祢家持和謌一首
標訓 守大伴宿祢家持の和(こた)へたる謌一首
集歌4234 鳴鶏者 弥及鳴杼 落雪之 千重尓積許曽 吾等立可氏祢
訓読 鳴く鶏(とり)はいや頻(し)き鳴けど降る雪し千重に積めこそ吾(わ)が立ちかてね
私訳 鳴く鶏は、一層、その鳴き声を頻りに鳴き立てますが、降る雪よ、たくさんに積もっているので、私は立ち帰ることができません。
太上大臣藤原家之縣犬養命婦、奉天皇謌一首
標訓 太上大臣藤原の家の縣犬養命婦の、天皇(すめらみこと)に奉(たてま)れる謌一首
集歌4235 天雲乎 富呂尓布美安太之 鳴神毛 今日尓益而 可之古家米也母
訓読 天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日(けふ)にまさりて畏(かしこ)けめやも
私訳 大空の雲をぼろぼろに踏み乱して鳴る神すらも、今日は今まで以上に、畏まるでしょう。
左注 右一首、傳誦様久米朝臣廣縄
注訓 右の一首は、傳(つた)へ誦(よ)めるは様(じょう)久米朝臣廣縄なり
悲傷死妻謌一首并短謌 作主未詳
標訓 死(みまか)りし妻を悲傷(かなし)びたる謌一首并せて短謌 作る主は未だ詳(つばび)らかならず
集歌4236 天地之 神者無可礼也 愛 吾妻離流 光神 鳴波多感嬬 携手 共将有等 念之尓 情違奴 将言為便 将作為便不知尓 木綿手次 肩尓取掛 倭父幣乎 手尓取持氏 勿令離等 和礼波雖祷 巻而寐之 妹之手本者 雲尓多奈妣久 (鳴波多感嬬の感は、女+感の当字
訓読 天地し 神はなかれや 愛(はしや)しき 吾が妻離(さか)る 光る神 鳴りはた官嬬(をとめ) 携(たづさ)はり ともにあらむと 念(おも)ひしに 情(こころ)違(たが)ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに 木綿(ゆふ)たすき 肩に取り懸け 倭文(しつ)幣(ぬさ)を 手に取り持ちて な離(さ)けそと 吾は祈れど 巻きて寝し 妹し手本(たもと)は 雲にたなびく
私訳 天地の神がいないからか、愛しい私の妻はどこかへ離れてしまった。稲妻の光る神が鳴る、その「なりはた」の官女は手を携えて、共に居ようと思っていたのに、気持ちは違ってしまった。どのように云えば良いのか、その方法も知らないで、木綿の襷を肩に取り掛けて、倭文幣を手に取り持って、死に去らないでくれと、私は祈るが、この身に抱いて寝た愛しい貴女の手本の袖は、雲となって棚引く。
反謌一首
集歌4237 寤尓等 念氏之可毛 夢耳尓 手本巻寤等 見者須便奈之
訓読 寤(うつつ)にと念(おも)ひてしかも夢のみに手本(たもと)巻(ま)き寤(さ)むと見ればすべなし
私訳 この世のことと思いたいものです。夢の中だけで妻の腕を抱きしめ、目覚めると現実を見るとどうしようもない。
注意 原文の「手本巻寤等」の「寤」は、一般に「寐」の誤記とし「手本巻寐等」とし「手本(たもと)枕(ま)き寝(ぬ)と」と訓みます。歌意は違います。
左注 右二首、傳誦遊行女婦蒲生是也
注訓 右の二首は、傳(つた)へて誦(よ)めるは遊行女婦(うかれめ)蒲生、これなり。
さて、集歌4235の歌は雪模様の空に雷鳴が鳴ったのでしょう。その雷鳴に対して古歌を久米廣縄が詠うのは判ります。問題は遊行女婦蒲生が、なぜ、新年を祝う宴で挽歌を思い出しながら詠ったかです。雷鳴に関係するか、「鳴らす」に関係して和琴を鳴らす歌でも良いはずです。遊行女婦が和琴を鳴らす歌を詠えば、琴を鳴らすには女性器への愛撫を暗示させる約束がありますから、酒が入り砕けた酒宴では相応しいはずですが。
そこで伊藤博氏は奈良の都を偲ぶために、悲しい挽歌を詠い偲んだと解説しますが、さて。
ここで、弊ブログのとぼけた発想で、宴会で遊行女婦蒲生が「悲傷死妻謌一首」と宣言して歌を詠ったかと云う問題を考えますと、そのようなことは言わずに、ただ、長歌とその反歌を詠っただけかもしれません。それならば、集歌4236の歌はある種の天女の羽衣伝説を詠う歌になります。その時、遊行女婦蒲生は「私は天女のようなものだから、そろそろ宴を切り上げて私を早く抱かないと天に帰って行き、二度と抱く機会はありませんよ」と詠ったことになります。
これならば、新年を祝う砕けた酒宴に遊行女婦蒲生を呼んだ価値があります。みんなが納得する上等な歌を返し、遊行女婦蒲生がご褒美にその男と「天に帰って行く」姿を見せても、皆は大笑いをしても苦情は出さないでしょう。
標題と遊行女婦蒲生との歌を切り離すと、このようなとぼけた解釈となり、伊藤博氏のような苦しい解釈は不要となります。
今週も、ああはとして、受け止めてください。
今週は宴会で詠われた歌に遊びます。集歌4230から集歌4237までの歌は天平勝宝三年正月三日に開かれた信念を祝う宴でのものです。
この新年を祝う宴で、不思議に挽歌が詠われており、それをわざわざ記録しています。酒の入った宴ですから勢いで挽歌を詠うことはあるでしょうが、それをわざわざ記録する必要もありませんし、万葉集に載せる必要もありません。逆に見ますと、大伴家持の強い意志があって記録したことになります。
歌を見ますと集歌4230から集歌4234までは実に新年を祝う宴の歌です。それで、伊藤博氏はその『萬葉集釋注』でこの歌群を前半部と後半部とに分けます。
集歌4230 落雪乎 腰尓奈都美弖 参来之 印毛有香 年之初尓
訓読 降る雪を腰になづみて参ゐり来し験(しるし)もあるか年し初めに
私訳 降る雪の中、腰まで雪を掻きながら参上した甲斐がありました。この年の初めに。
左注 右一首、三日、會集介内蔵忌寸縄麻呂之舘宴樂時、大伴宿祢家持作之
注訓 右の一首は、三日に、介(すけ)内蔵(くらの)忌寸縄麻呂の舘に會集(つど)ひて宴樂(うたげ)せし時に、大伴宿祢家持の之を作れり
于時、積雪彫成重巌之起、奇巧綵發草樹之花。属此様久米朝臣廣縄作謌一首
標訓 時に、雪を積みて重巌(ちょうがん)の起(た)てるを彫り成し、奇巧(たく)みに草樹(そうじゅ)の花を綵(いろど)り發(つく)る。此様を属(み)て久米朝臣廣縄の作れる謌一首
集歌4231 奈泥之故波 秋咲物乎 君宅之 雪巌尓 左家理家流可母
訓読 なでしこは秋咲くものを君し家(へ)し雪し巌(いはほ)に咲けりけるかも
私訳 なでしこは秋に咲くものですが、貴方の屋敷では雪の巌の中に咲いていますね。
遊行女婦蒲生娘子謌一首
標訓 遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(をとめ)の謌一首
集歌4232 雪嶋 巌尓殖有 奈泥之故波 千世尓開奴可 君之挿頭尓
訓読 雪し山斎(しま)巌(いは)に植ゑたるなでしこは千世(ちよ)に咲かぬか君し挿頭(かざし)に
私訳 雪の庭の巌に植えた撫子の花は、永遠に咲かないでしょうか。貴方のかざしのために。
于是諸人酒酣、更深鶏鳴。因此主人内蔵伊美吉縄麻呂作謌一首
標訓 是(ここ)に諸人(もろひと)酒酣(たけなわ)にして、更深(こうしん)に鶏(とり)が鳴く。此に因りて主人(あるじ)内蔵伊美吉縄麻呂の作れる謌一首
集歌4233 打羽振 鶏者鳴等母 如此許 零敷雪尓 君伊麻左米也母
訓読 うち羽振(はぶ)き鶏(とり)は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも
私訳 翼を羽ばたき鶏が鳴くとも、これほどに降り積もる雪に、貴方はここにいらっしゃらない訳にはいかないでしょう。
守大伴宿祢家持和謌一首
標訓 守大伴宿祢家持の和(こた)へたる謌一首
集歌4234 鳴鶏者 弥及鳴杼 落雪之 千重尓積許曽 吾等立可氏祢
訓読 鳴く鶏(とり)はいや頻(し)き鳴けど降る雪し千重に積めこそ吾(わ)が立ちかてね
私訳 鳴く鶏は、一層、その鳴き声を頻りに鳴き立てますが、降る雪よ、たくさんに積もっているので、私は立ち帰ることができません。
太上大臣藤原家之縣犬養命婦、奉天皇謌一首
標訓 太上大臣藤原の家の縣犬養命婦の、天皇(すめらみこと)に奉(たてま)れる謌一首
集歌4235 天雲乎 富呂尓布美安太之 鳴神毛 今日尓益而 可之古家米也母
訓読 天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日(けふ)にまさりて畏(かしこ)けめやも
私訳 大空の雲をぼろぼろに踏み乱して鳴る神すらも、今日は今まで以上に、畏まるでしょう。
左注 右一首、傳誦様久米朝臣廣縄
注訓 右の一首は、傳(つた)へ誦(よ)めるは様(じょう)久米朝臣廣縄なり
悲傷死妻謌一首并短謌 作主未詳
標訓 死(みまか)りし妻を悲傷(かなし)びたる謌一首并せて短謌 作る主は未だ詳(つばび)らかならず
集歌4236 天地之 神者無可礼也 愛 吾妻離流 光神 鳴波多感嬬 携手 共将有等 念之尓 情違奴 将言為便 将作為便不知尓 木綿手次 肩尓取掛 倭父幣乎 手尓取持氏 勿令離等 和礼波雖祷 巻而寐之 妹之手本者 雲尓多奈妣久 (鳴波多感嬬の感は、女+感の当字
訓読 天地し 神はなかれや 愛(はしや)しき 吾が妻離(さか)る 光る神 鳴りはた官嬬(をとめ) 携(たづさ)はり ともにあらむと 念(おも)ひしに 情(こころ)違(たが)ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに 木綿(ゆふ)たすき 肩に取り懸け 倭文(しつ)幣(ぬさ)を 手に取り持ちて な離(さ)けそと 吾は祈れど 巻きて寝し 妹し手本(たもと)は 雲にたなびく
私訳 天地の神がいないからか、愛しい私の妻はどこかへ離れてしまった。稲妻の光る神が鳴る、その「なりはた」の官女は手を携えて、共に居ようと思っていたのに、気持ちは違ってしまった。どのように云えば良いのか、その方法も知らないで、木綿の襷を肩に取り掛けて、倭文幣を手に取り持って、死に去らないでくれと、私は祈るが、この身に抱いて寝た愛しい貴女の手本の袖は、雲となって棚引く。
反謌一首
集歌4237 寤尓等 念氏之可毛 夢耳尓 手本巻寤等 見者須便奈之
訓読 寤(うつつ)にと念(おも)ひてしかも夢のみに手本(たもと)巻(ま)き寤(さ)むと見ればすべなし
私訳 この世のことと思いたいものです。夢の中だけで妻の腕を抱きしめ、目覚めると現実を見るとどうしようもない。
注意 原文の「手本巻寤等」の「寤」は、一般に「寐」の誤記とし「手本巻寐等」とし「手本(たもと)枕(ま)き寝(ぬ)と」と訓みます。歌意は違います。
左注 右二首、傳誦遊行女婦蒲生是也
注訓 右の二首は、傳(つた)へて誦(よ)めるは遊行女婦(うかれめ)蒲生、これなり。
さて、集歌4235の歌は雪模様の空に雷鳴が鳴ったのでしょう。その雷鳴に対して古歌を久米廣縄が詠うのは判ります。問題は遊行女婦蒲生が、なぜ、新年を祝う宴で挽歌を思い出しながら詠ったかです。雷鳴に関係するか、「鳴らす」に関係して和琴を鳴らす歌でも良いはずです。遊行女婦が和琴を鳴らす歌を詠えば、琴を鳴らすには女性器への愛撫を暗示させる約束がありますから、酒が入り砕けた酒宴では相応しいはずですが。
そこで伊藤博氏は奈良の都を偲ぶために、悲しい挽歌を詠い偲んだと解説しますが、さて。
ここで、弊ブログのとぼけた発想で、宴会で遊行女婦蒲生が「悲傷死妻謌一首」と宣言して歌を詠ったかと云う問題を考えますと、そのようなことは言わずに、ただ、長歌とその反歌を詠っただけかもしれません。それならば、集歌4236の歌はある種の天女の羽衣伝説を詠う歌になります。その時、遊行女婦蒲生は「私は天女のようなものだから、そろそろ宴を切り上げて私を早く抱かないと天に帰って行き、二度と抱く機会はありませんよ」と詠ったことになります。
これならば、新年を祝う砕けた酒宴に遊行女婦蒲生を呼んだ価値があります。みんなが納得する上等な歌を返し、遊行女婦蒲生がご褒美にその男と「天に帰って行く」姿を見せても、皆は大笑いをしても苦情は出さないでしょう。
標題と遊行女婦蒲生との歌を切り離すと、このようなとぼけた解釈となり、伊藤博氏のような苦しい解釈は不要となります。
今週も、ああはとして、受け止めてください。
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