旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

歌いつがれた日本の心・美しい言葉⑪ ・・・ 『故郷の空』 

2012-09-10 11:22:19 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 まだ残暑は厳しいが、秋を呼び込みたい一心から秋の歌に移る。

    夕空(ゆうぞら)晴れて 秋風吹き
     月影落ちて 鈴虫(すずむし)鳴く
    思えば遠し 故郷(こきょう)の空
     ああ わが父母(ちちはは) いかにおわす

    澄みゆく水に 秋萩(あきはぎ)垂(た)れ
     玉(たま)なす露は 芒(すすき)に満つ
    思えば似たり 故郷の野辺(のべ)
     ああ わが兄弟(はらから) たれと遊ぶ

      (講談社文庫『日本の唱歌(上)』より)

 明治の日本は、西欧に追いつけ追い越せとその文化の取入れを急いだ。音楽の世界でも同じで、各国のすぐれた曲や民謡を持ち込み日本語の歌詞を付して歌い広めた。『庭の千草』、『埴生の宿』、『故郷を離れる歌』など名歌が多い。
 この歌はスコットランド民謡の「Comin' through the Rye」が原曲で、他に大木惇夫・伊藤武雄作詞の『誰かが誰かと』という麦畑の歌としても親しまれている。この麦畑の方が原曲には近いのだろうが、『故郷の空』は全く別の歌のような日本歌曲となり、原曲のイメージは全くない。歌われている風景、その詩情、すべて日本そのものである。そしてその通り、私は日本の歌として歌ってきた。だから、「歌いつがれた日本の心…」シリーズに連ねることにする。

 作詞は大和田健樹。明治の作詞家・国文学者で、多くの明治唱歌を残している。中でも有名なのは『鉄道唱歌』で、「汽笛一声新橋を」出発した列車は東海道を語り継ぎ、46番で京都、56番で大阪に着き、65番で終点神戸に着くのであるがなお諦めず、66番で「明けなば更に乗りかえて山陽道を進ままし」と結んでいる。相当な作詞力の持ち主であったのだろうが、66番まで続く歌って他にあるのだろうか?

 私にとって秋の味覚といえば、ふるさと臼杵の名産「かぼす」である。臼杵でかぼす販売業を営む同級生から、「今が一番良い時期よ」というメールが入ったので、自家用とともに親しい知人・友人宛ての発送の依頼をした。
 そのファックスを流しながら、瞼に浮かんだのはふるさとの風景であった。もちろん私の父母は既にいない。父に至っては死後半世紀を超える。しかし「故郷の空」に浮かぶのはいつも、元気であった頃の父と母の姿である。

  
   故郷の実家に活けられてあったすすき (2年前撮影)


うち続く旅の計画 … 楽しかった秋田旅行反省会

2012-09-08 16:05:06 | 

 

 昨夜は、先月の「西馬音内盆踊りに惹かれた秋田の旅」の反省会をやった。いはゆる反省会と称する酒飲み会である。。私が撮った踊りの動画をDVDに焼いて持ち込んだので、まずそれを見ながら大いに盛り上がり、自分たちの踊りと地元保存会の素晴らしい踊りを見比べて若干の反省の色を示したが、そんなことよりもさまざま経験した旅の楽しさを語りまくり二次会にまで及んだ。

 旅はこのように、まず計画段階の楽しさ、本番の楽しさ、思い出を語り合う楽しさの三段階に分けられる。一番強烈であるが束の間に終わるのが本番で、一番長く尾を引くのが思い出の楽しさである。その一つが、一般に反省会と称して行われる飲み会だ。そしてその反省なるものから必ず次の旅の計画が生まれる。

 昨夜の反省会では、少なくとも三つの旅の計画が話し合われた。
 一つは既に決まっている来月17~18日の尾瀬である。私は初めての尾瀬で今回加えてもらうことになったのであるが、「頂会」(調布山の会)の人々にとっては既に何回も行った先のようだ。しかし先月の秋田の旅の楽しさが尾を引いて、とにかく「その人たちと一緒に行く旅」が楽しいのだ。
 二つ目は、来年も西馬音内盆踊りに参加しようという計画だ。そして今度こそ乳頭温泉に入ろうと具体的な希望も生まれている。「その前に、浅舞酒造の森谷杜氏に誘われた“冬の秋田”にも行きたいなあ」などと夢は広がっている。この調子では毎年秋田に出かけることになりそうだ。
 三つ目の計画は「大分の臼杵にフグを食べに行こう」という計画だ。これは西馬音内の旅の中から出始めた計画であるが、昨夜はほぼ確定的な計画として日時の決定を迫られた。わが故郷にどうしても行きたいと言ってくれるのは冥利に尽きるが、これだけは私が計画を立てねばならず、また、臼杵に在住する弟の力を借りねばならない。フブといえば冬季に限られるのでぼやぼやとはしていられない。

 こうして楽しい旅は必ず次の旅を呼んでいくのだ。反省会で反省の結果、以降の旅をすべて止めたという話はあまり聞かない。旅の醍醐味の一つといえよう。

 
  横手盆地を見下ろす山の中腹で。 この虫、何虫だろう?


役に立たない傘

2012-09-07 14:31:25 | 時局雑感

 

 八月の中ごろから快晴の猛暑が続いたが、このところようやく午後になると雨が降る日が多くなった。子供のころから体験してきた「普通の日」に帰ったような気がしている。
 ただ違うのは、降る雨の激しさである。底が抜けたような雨となり、多くのところで災害が起こる。台風でもあるまいし、普通の日の雨が災害を起こすようでは困る。各放送局の天気予報でも、「所によっては猛烈な雨となり、傘も役に立たない状況が予想される」と報じている。
 昨日の朝出かける用意をしながら、「快晴だけど午後は雨のようだな。傘は持つか…」とつぶやいていると娘が、「ひどい雨で傘は役に立たないようよ。役に立たないものをなぜ持つの?」と言う。それもそうだな、とは思ったが「午後は雨」という予報に傘を持たないのもどうかと思い、複雑な思いで折りたたみ傘をカバンに入れた。

 予報通り、快晴の空は午後一転して真っ暗になり雨となったが、職場の浜松町でも、わが家の八幡山でも大した降りではなく、折りたたみ傘が十分に役に立った。しかし所によっては傘が役に立たないぐらいに降ったのだろうし、幸いであったと思うべきかもしれない。
 ところで、娘は傘を持って出たのだろうか? まだ確かめていない。

 日本列島に横たわる秋雨前線をはさんで、北側の秋と南側の夏がせめぎ合っている。せめぎあいの焦点で、南側の湿った空気が北側の冷気に冷やされて雷を伴う急激な雨となる。そのせめぎあいの度合いが、昔と違って激しくなってきているのであろう。
 しかし、こうして晴れの日と雨に日が交互に到来しながら秋が深まっていくのである。


久しぶりにグラッパを飲む

2012-09-05 13:59:49 | 

 

 同僚M君と会社を出るとまだ明るい。「ショットバーでグラッパでもひっかけて帰るか」と誘うと、彼は「サバティーニのグラッパはおいしかったなあ。一度行かないか?」という。M君はかの名店サバティーニに顔がきき、よく利用しており何度か飲んだグラッパの美味しさが忘れられないと言う。
 サバティーニといえばイタリア料理の最高級店で、何を飲んでも美味しいのだろうが、最高級店であるだけにグラッパというのはピンと来ない。確かにグラッパはイタリア産蒸留酒でワインを蒸留したブランデーの類であるが、グラッパはブドウの搾りかすを発酵させたアルコール分を蒸留して造るので、日本でいえばいわゆる「粕取り焼酎」だ。事実、私の体験したイタリアでは、グラッパは最も大衆的な飲み物で、夕方になると軒先に集まりがやがや語り合いながら飲んでる酒という印象だ。

 「まあ、サバティーニは別の機会にしよう」ということになり、近くのイタリアン・リストランテ『タルタルーガ』に入る。生ハムやチーズ、若鶏のカルパッチョなどでワインを1、2杯飲んで待望のグラッパを注文すると、“バッローロのグラッパ”と名前は忘れたが〝マスカットのグラッパ”があると言う。これはいずれも特徴があり美味しかった。後者はマスカット葡萄の香りが強く残り、前者は褐色に色づいてブランデーの気品を備えていた。一般にグラッパは樽熟成などしないので無色透明であるが、この“バッローロ・グラッパ”がブランデー色を帯びているのは樽熟成をかけているのだろう。

 つまり、日本のイタリア料理店で供されているグラッパは、いずれも高級品なのであろう。粕取り焼酎どころか高級焼酎の「森伊蔵」並なのかもしれない。お代は前者が800円、後者が630円で森伊蔵ほどではないが。
 少し認識を変えたのであるが、私は、イタリアの普通の人たちが(むしろ下層の人たちが)夕方の軒先や、バールで立ち飲みしているグラッパに郷愁を感じている。


日本酒は消え去るのか? … 飲み放題メニューになかった日本酒

2012-09-03 12:55:21 | 

 

 先日、池袋の某結婚式場で開催中の「飲み放題暑気払い」に会社のみんなと参加した。飲み放題料金は一人2千円、料理は屋台が立ち並んでいるのでそれぞれ購入するという仕組みだ。
 私はあまり食べないし、反面酒は飲む方なのでこのような仕組みは大歓迎だ。焼き鳥か何かを少し買って、飲み放題の酒を飲んでおれば、3千円もあれば十分愉しめるということだ。

 ところが…、ビールを2杯飲んでいよいよ酒にするかと注文すると、驚いたことに日本酒は飲み放題のメニューに入っていない。アルコールはビールとワインとウィスキー類だけだという。そもそもフランス料理を専門とする店だけにワインが中心なのかもしれないが、当日の屋台料理は焼き鳥や焼きトウモロコシや焼き野菜など、十分に日本料理だ。野外は結構暑いので、日本酒のオンザロックか何かでキューッと行きたいところだ。しかし、そこに日本酒はない!

 「国税庁統計年報書」によれば平成22年度(22年4月~23年3月)の国内酒類製成数量は8,258kl。内日本酒の製成数量は447klであるので、日本酒のシェアーは5.4%だ。この数量はおそらくアルコール度20%換算の数量であろうが、このシェアーは心寒い。
 消費業界には「シェアー5%を割った商品は消費者の記憶から消えていく」という恐ろしい言い伝えがある。日本酒は市場から消えて行こうとしているのだろうか…?

 一方で純米酒を中心においしい日本酒がたくさん生まれていることを知っている。純米吟醸、山廃純米などなど、日本酒は戦後最高の水準を示現しようとしていると思う。にもかかわらずシェアーはどんどん落ちていく。
 古川元久大臣が「日本酒と焼酎を国酒として世界に広めたい」と発言しているが、早くしないと間に合わないのではないか? 世界に示すどころか、国内で消えてしまうのではないか?
 ただ、多くの人に求められないのならどうしようもないことであるが…。


自然とともに生きる … 「天の戸」森谷杜氏の言葉

2012-09-01 16:45:50 | 

 

 ようやく9月を迎えた。迎えた途端に雨が降った。午後は晴れたり降ったりとなったが、晴れ間となってもカラッとした暑さとなった。さすがの猛暑も季節の移ろいには降参したようだ。

 9月は“ひやおろし”をはじめ酒のシーズンである。昨冬仕込んだ酒が夏の間熟成し「秋あがり」して出てくる季節だ。9月を迎えて酒を想いながら、最初に頭に浮かんだのは先月西馬音内を訪ねた際お邪魔した浅舞酒造の森谷杜氏の言葉だ。
 蔵を訪ねたことはすでに書いた(8月24日付)が、森谷杜氏は蔵に案内する前に蔵を取り巻く周囲の環境を案内してくれた。蔵は横手盆地の真ん中にあるが、その横手盆地を見下ろす山の中腹にまず案内し、盆地の美しい眺めを見下ろしながら語った。
 「…皆さんが立つこの山をはじめ周囲の山々から横手盆地に水が流れ、あるいは伏流水となって各所に湧く。その水で米や果物や野菜が育ち、同じ水で酒を醸し、また同じ水で人々が生きていく…。人の営みはまさに自然と一体となって在るのです」

 それを聞いていたわが一行の一人が、私の耳元で、「…自然と共にとか、自然重視とか軽々しく言っていたが、そのような意味だったんですか……、この杜氏さん、本当に自然とともに生きてるんですね」とつぶやいたのを思い出す。

 もう一つの言葉は、純米酒蔵についての発言だ。
 「…なにも目標を掲げ、なろうと思って純米酒蔵になったわけではない。蔵の周囲にある美味しい水や素晴らしい米を使って酒を造ろうとしていたらいつの間にか純米酒だけを造る蔵になっていた。しかもいつの間にか蔵の周囲5キロ以内の米だけで造っていた…」

 日本酒を「米の醸造酒」とすれば、本来の日本酒は米と米麹と水だけで造る純米酒のはずだ。ところが純米酒は日本酒の15%に過ぎず、あとは醸造用アルコールや糖類や調味料などのマゼモノ酒だ。全国に約1300の蔵があるが、純米酒しか作らない蔵(いわゆる純米酒蔵)は20余蔵しかない。蔵の周囲の自然とともに生きているうちに純米酒蔵になっていた…、という森谷康市杜氏の言葉は重い。
 蔵に沸く湧水は硬度2.6というから軟水。灘などの硬水にくらべて発酵力は弱く酒は造りにくいはずだ。しかし全国新酒鑑評会で金賞を取り続け(今年で11回目)、今年は純米大吟醸でも初めて金賞を取った。蔵の周囲5キロ内の米と水で作った酒で。

     
    天の戸「Land of water」
「うちの水が一番生きてる酒」という森谷杜氏の
言葉にひかれ、訪問時に購入。


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